幽霊編その11
急いで家を飛び出す。サキュバスの狙いは来遊だ。あいつにその事実を伝えねばならない。
辺りにサキュバスの姿は見えない。ヤツは人間じゃない。人間の脚力を遥かに超えたスピードで去っていったに違いない。
俺は携帯を取り出し、素早く来遊に電話をかけた。
「来遊……出ろ……!」
たった数秒だったのに、長い時間携帯のコール音が虚しく響いたように感じた。
そしてそれはすぐに鳴り止んだ。
『富士見か。なんだ?』
「来遊!! 今すぐそこから逃げるんだ!!」
だがこの時、俺は考えてもいなかった。来遊がどういう人間であるかということを。
『なぜだ?』
「なぜって……」
仮にこいつに真実を伝えたとして納得するだろうか? ましてやなんて説明すれば伝わるのだろう。
素直に悪魔が狙ってるから逃げろと伝えていいのだろうか。そんなこと、信じるはずがない。
「……っ、この街で起きた事件。その犯人がお前を狙っているんだ。だから早く家族を連れて逃げるんだ!」
それはまぎれもない事実だ。しかし……
『その証拠は? お前とその犯人に関連性はあるのか?』
やはり動いてくれない。それもそうだ。俺だって急にこんな連絡がくれば混乱するし、適当に流すと思う。
だけどだからといって無下には出来ない。
「……証拠は、無い。だけど頼む。俺はお前まで失いたくないんだ……これ以上……俺の仲間を……」
俺に出来ることは忠告すること。そして出来る限り早く追いついてサキュバスを倒すこと。信じてくれないのならそれまでだ。
だけどこれ以上仲間を失いたくない。その事実に変わりはない。
少しの沈黙を破り、来遊は口を開いた。
『富士見。お前が意味のない嘘をつく可能性はかなり低い。証拠がないとはいえ、もしものことがあれば困るのは俺も同じだ。家族がいる。家族を守らねばならない。その為に、俺は今から根拠のないお前の発言を信じることにしよう』
意外、だった。来遊が証拠のない、根拠のない条件で動いてくれた。
それは来遊の発言からもわかった。家族の為だ。もしも自分1人なら来遊は動かない。しかし今は家族がいる。だからもしもの可能性にも動かざるを得なくなったのだ。
「来遊……とにかく逃げろ。もしもお前が信じる気があるなら……後で話すことがある」
『……ああ』
来遊は通話を切った。アイツならきっと逃げれる。今ならまだ大丈夫だ。きっと、大丈夫だ。
ここから来遊の家に向かうにも車がなければ到底間に合わない。
しかし周辺にタクシーの姿は見えない。蘭を呼び出すわけにもいかないし、こんな時はアイツに頼るしかない。
副社長の幕阿一樹。彼を呼び出す為に電話をかける。
「…………クソ! なんでこんな時に出ないんだ!」
仕方ない。いけるところまで走るしかない。少なくともこの場にいては何も始まらない。せめて大通りに出ることが出来れば……
とにかく走れ。走って走って走り続けろ。俺に出来ることはサキュバスを倒すこと。いや、俺にしか出来ないことだ。
エクソシストはこの街に俺しかいない。つまりサキュバスを倒せるのはこの俺だけということだ。
今度こそ倒す。絶対に、へまをしない。
対策を考えながら走り続けた。すると、街灯の数が増えてきた。この辺りは見覚えがある。確か近くに大通りがあったはずだ。そこでタクシーを捕まえることが出来れば一気に進めることができる。あと少し。あと一歩だ。
もしかするともうサキュバスは来遊の家にたどり着いているかもしれない。だけど来遊は逃げてる。大丈夫だ。問題はない。
そうして大通りに出ることが出来た。少しだけだが、車の数も増えてきた。
「よし……あとはタクシーを……」
と、遠くからタクシーがこちらに向かっているのが目に入った。これでひとまず目的は達成される。
そんな一安心した時だった。俺の目にあるものが写った。
見覚えのある外車が真横を通り過ぎていった。ほんの一瞬だったため、はっきりとしたことはわからない。
それでも、何かがこの目には写った。
運転席には幕阿一樹の姿があった。やはりあの外車は副社長である幕阿一樹の車だった。
だけど違った。そもそも着目すべき点が違うのだ。幕阿の車を見つけたこと、それ以外の何に気を取られた?
後部座席。どうしてそんなところを見たのだろう。たまたまだったのだろうか。だが、そのたまたま見た後部座席に、何かありえないものを見た気がする。
ほんの一瞬だったがこの目にはっきりと焼きついた。
例えば、ロープで体を縛られた女の子の姿のようなものが。
「は……?」
なんだ。なんでそんな、女の子がいる? そもそもどこから? いやそれ以前に、なぜ幕阿がそんなことをしているのかということだ。
何がどうなっている? どうすべきだ。俺はどうするべきなんだ? このまま幕阿を放っておいて来遊の家に向かうか? それとも幕阿を追うべきか。
俺に出来ること。それは……
「……あああっ!! クソ!!」
俺は先程目撃したタクシーを捕まえ、乗り込み俺は追うように言った。前の外車を。
タクシーはそのまま幕阿の車を追いかけた。
「……」
来遊は大丈夫だ。あいつは俺の忠告を受けて逃げたはずなんだから。だから少なくとも来遊家がダメージを負うことはない。
だから俺はまず問い詰めるべき人物の元に向かう。
幕阿一樹。何をしていたのかはわからない。だがもしもそれが罪を犯すようなことならば、俺はあいつを処分しなければならない。いくら優秀な副社長とはいえ、犯罪者を置いておくわけにはいかない。
サキュバスが本当の悪魔なら、人間の中にも悪魔を飼っているやつがいるのかもしれない。
止めてやる。この街で起きている事件を。
それが出来るのは……俺だけなのだから。




