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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

自殺すればもっと幸せになれる世界、の話

作者: 細鳴

何でも許せるかた向け。

どのジャンルにすればいいのかよく分からなかった……


※自殺及び他殺を肯定する意図はありません、念のため

 ——運命は巡る。何度も、何度でも。


 昔々、というほどでもない昔の話。とある街のとある家に一人の子供が生まれた。

 そのころの世界はまだ、今ほどには裕福なものではなくて、けれどその街でも有数の名家に生まれたために、子供が不自由を覚えることはなかった。

 ——その子供の名を仮に、イシャと呼ぶ。

 イシャは家柄に劣らぬ、優秀な頭脳と抜群の運動神経を持つ子供だった。試験を受ければ必ず一位を取るし、まだ身体が未成熟なころからあらゆるスポーツのスカウトが絶えなかった。そのうえに容姿も元々見目のいいほうだった両親のいいとこ取り、といったふうで、体つきも均整がとれて美しい。ここまで来れば神も完全無欠を狙おうというもので、性格だって人当たりよく、自らの出自を笠に着ることもなく、ストレートに人を褒める言葉に嫌味はない。超人的なあまりに遠巻きに見られ、やっかみを向けられることはあっても嫌われないような、そんな異質な子供だった。そして、イシャは心身ともに更なる成長を続けて大人になる。

 引く手数多ななかから、イシャは自分が最も関心を抱いている職業に就いた。当時の世界はまだ人の手を要する仕事が多かったのだ。自分と同じ道に来てくれなかったと嘆く友人知人とも付き合いは続いて、気付けばイシャは、多くの業界で相談役と呼ばれる立場になっていた。もしもイシャを失えば世界の損失になる——そんな台詞が決して冗談にはならないほどだった。

 そして五十年が過ぎたころ、イシャは世界の全てを手に入れた。何をしても困らない。世界を金で買ったわけではないが、それに等しいだけの立場とモノがその手中にあった。

 そこでふとイシャは思った。まだ何百年も生きられる人生だ。全知全能の神になって、これから何を望めばいいのだろう。イシャは何事にも全力を注いだ。そしてその対価として、様々なものを手に入れたのだ。裏をかえせばもう、自分が手にできる何かは存在しない、ということではないか——。イシャが抱いた、最初で最後の不安だった。

 イシャが見つけた答えはひどく簡潔だ。死ねばいい。自由と不老を手に入れた人類が、天国と地獄の代替に思い描いた『今よりもっと幸せになれる世界』。それは病死や事故死ではなく、自ら死を選んだ者だけが辿り着く世界とされていた。何故なら、世界は既に幸福だからだ。幸せな生活をあえて手放す、そんな覚悟に至らなければ自殺することなどない。イシャが人脈を駆使してあらゆる文献を浚ってみても、自殺した事例がなかったというのも大きかった。誰も見たことのない前人未到の領域。それに挑戦するのは、自分のこれまでの人生であり義務だ。どうなるのか本当に確かめる余地がない、というのもイシャを高揚させた。もしもこれで地獄に堕ちようと、それはそれでこの空白が満たされるだろう。そう、思った。

 かくしてイシャは首を吊った。最初で最後の自殺者は、世界で一番高い塔の最上階で見つかった。


 ふわ、と意図せずあくびが溢れてくる。二の腕を肘で小突かれて、シュテルは視線を隣へと向けた。誕生日も生まれた病院も一緒という、折り紙付きの幼馴染、モルデが生真面目に前方を見ろと視線で促してくる。別に従おうと思ったわけではないが、何となくシュテルは顔を正面へ戻した。見慣れた教室、見慣れた生徒たちに熱弁を振るう若い教師。いつもの世界がそこにある。

「——というわけでこれは、欲望に負けて過ちを犯した人間の話であり——」

 教師の声がするすると耳をすり抜けていく。こんな授業、真面目に聞かなくたって何の問題もない。先ほどまで延々と朗読していた物語のように、手に職をつけなければならない時代ではないのだ。単純作業ならロボットがあるし、知的作業もAIの進化により、趣味か酔狂でもない限りヒトの手を必要とすることもない。何もせずとも一日中、趣味に没頭できるだけの金が与えられる。人間の寿命は数百年どころか限りなく永久に近いところまで進んだし、人が死に至るのはあるひとつの病気だけだ。かつて必ず死ぬとまで言われていた病でさえも、生まれたときから嵌められたままのブレスレットが勝手に治してくれる。だから病気という単語の根絶もきっと遠い話ではないのだろう——シュテルはつらつらとそんなことを考えた。モルデがちらちらと視線を向けてくるのに耐えかね、教科書に目を落として真面目なフリをしておく。

 そうこうしているうちに、授業終わりの鐘が鳴った。まだ語り足りないといったふうの教師も、口酸っぱく時間厳守と言われているのか、中途半端なところで話題を切って黒板の文字を消去し、荷物を抱えて出ていく。シュテルにとっては唯一有意義と思える昼食の時間である。

 そっちに行ってもいいか、などと確認することもなくモルデが前の席の生徒と入れ違いに腰かける。二人で弁当を並べるには少し手狭だが、今更お互いの間に遠慮も糞もないというものだ。

「さっきの話、ちゃんと聞いてたか?」

「……あー、まあ」

 モルデに対しては基本好ましく思っているが、数少ないこれはちょっと、と思うのはそういう口うるさいところだろう。まるで先ほど授業で言っていたイシャのように——モルデには隙がないように見える。しかしそれは他の、モルデのことをよく知らない連中が思っているだけだ。全知全能の神ではない、影で努力して今の評価を手に入れた秀才。もっとも、モテるのに本人がそれに一切気付かないことだけは誰もが欠点と評す事柄だろう。

「別にいいだろ。知らなくたって困りゃあしないんだからさ」

「それとこれとは話が別だ」

 にべもない。

「じゃあモルデはどうなんだよ。何か思うところがあったわけ?」

「……うーん」

 聞き返すとお茶を飲んで一服したモルデが難しい顔つきをする。食事時にする話じゃないなと今更ながらに思ったが、気にする性格ではないのでよしとする。まあ、ヒトの死なんて今を生きる自分たちにはひどく縁遠いことだ。今でも古い人間は不謹慎と表現することもあるが、シュテルにはいまいち現実味がない。曾祖父母どころか高祖父母までバリバリ健在のこのご時世、それこそ『不謹慎』に誰か死なねぇかなと思ったりするが——おもに盆や年始の挨拶回りのときに。堅苦しいのは性に合わない。モルデと話しているときが一番居心地がよかった。

「あれってつまり——欲に溺れるとろくなことにならない、って教訓なんだろう」

「さすが優等生、模範解答だー」

 棒読み気味に言いながら、軽く拍手をしてみせる。行儀が悪いと小言を向けてくるモルデを無視し、持ったままの箸を卵焼きへと伸ばした。卵の品質も調理器具も作るロボットも一緒なら、毎日食べても味はブレない。内容が違うだけの授業と同じように。

「俺には、イシャの気持ちは全然分からないけどな。まあ時代が違うから単純に比較できないにしても、幸せな日々を送れてるんだったらそれ以上は、望む必要もないだろ」

「……ちゃんと、聞いてるんじゃないか」

(あれ? 何だかすっごい馬鹿にされてる? さっきの仕返し?)

 と疑問を抱きながら、何とはなしにモルデの顔を覗き込む。特に代わり映えのしない——少し感情表現に乏しい、澄まし顔を伏せてご飯を食べている。美しすぎる、と先輩後輩を問わずにキャーキャー言われているのも納得の顔面だ。自分のもそこそこ気に入っているので羨ましいと思ったことはないが。

「センセーの講釈を聞きたくなかっただけだよ。でももっと現実味のある話にしたほうが、ちゃんと話を聞くやつは増えるんじゃねぇの。どうせ卒業するころには忘れてるだろうけど」

 古い慣習に則って続けられる学校生活。その教育にはもはや何の意味もない。豊かな生活は心にゆとりを生み出す。おろかにも人間同士が傷付け合う世界は終わったのだ。

「……それもそうだな。じゃあ早く昼食を済ませて、サッカーでもしに行くか」

「いいな、それ!」

 思考の海に溺れるのも時間つぶしになるし、シュテル自身決して嫌いではないのだが、身体を動かすことのほうがずっと好きだ。学生の数少ない利点のひとつは、大人数を必要とするスポーツをいつものメンツですぐに集められることだろう。シュテルはそのために通っていると言っても過言ではない。ナイス提案、と無遠慮に肩を叩かれたモルデは呆れた顔をして、それはすぐに微苦笑に変わった。気が置けない友人関係というのは実にいいものである。


 ——限りなく不老不死に近い存在といえども、時間が流れれば変わるものもあって。


 シュテルは上機嫌だった。久しぶりの故郷、久しぶりの親友との再会だ。それで浮かれない者が果たしているだろうか。どちらかの家で会うのも気安くていいのだが、変にテンションのあがった姿を家族に——特に妻に見られるのは少し恥ずかしかった。特に語られて困るエピソードなどないのだが、昔を懐かしみだすとキリがない。なにせ人生の半分以上をともにした相手である——。

「悪いな、待たせたか」

「まあ待たなかったとは言わないけどな。楽しかったから問題はない」

 息せき切って隣まで来たモルデの顔を見れば怒る気も起きないというものだ。服装以外は特に変わっていない。それもそうだ、最後に会ったのは身体が成長しきってから。昔の人のように老化することもないのだから、自然に変わるのは髪や爪の長さや体型くらいのものだろう。モルデは、そのどれもが変わっていない。短めに切られた髪も均整のとれた体躯も。さすがに爪の長さまでは記憶にないが。

 会員制のバーはおそろしく静かだ。ヒトの耳が心地良いと判断する何かの楽器演奏による曲が流れていて、他にも人はいるのに、不快な声がまとわりつくこともない。誰もが程よく酔って時の流れに身を任せている。せっかくだからこれからはちゃんと通おう、とシュテルは密かに思った。

 カウンター席に並んで座って、久しぶりに人間が作る飲み物で乾杯する。カクテルの名前は知らない。味の好みを伝えて適当に任せたものだからだ。

「——新婚旅行、楽しかったか?」

「いやいや、新婚ってほどじゃないしな。もう何十年経ってるんだよ……。それを言い出すとお前のほうが新婚じゃねーか」

「言われれば確かに」

 頬杖をついてこちらを見る、モルデの口角がニヤリと吊り上がった。

「何だ、惚気か? いいぞ、いくらでも聞いてやる」

「さすが先輩は余裕がある」

 まるでブレスレットの調整が追いつかず酔ってしまったかのようだ。そう思って、シュテルはいや、と胸中でそれを否定した。再会に昂揚しているのはモルデも同じみたいだ。

「そういやお前、子供のころから婚約者がいたんだろ? なんで結婚するの遅かったんだ?」

「約束をしてたらしてたで、色々と準備が必要なんだよ」

「ふーん……そういうもんか」

 恋愛結婚をしたシュテルにはよく分からない話だ。もっとも、今どきは恋愛結婚のほうがよっぽど珍しい。特に趣味を持たない者同士がというのは相当なレアケースだろう。モルデも子供のころ——正しく言うと生まれたときから相手が決まっているというのもなかなかないことだ。大抵はある程度自分で選択できる権利を得てからだし、破棄したところでペナルティを課せられることもない。始まりが感情を伴わないものなら誰と一緒になっても同じなのだ。全員の合意があれば、人数にも限りはない。そもそも結婚自体、学校と同様に形骸化した制度の一部に過ぎないのだが。

「きみは結婚して幸せか……なんて、聞くまでもないか」

 逆に不幸せとはどこに存在するものなのか。シュテルはふと、じっとこちらを見つめ続けるモルデに問いかけたい気分になった。幸せだと感じているのは何も自分だけでなく、モルデを含むこの店のなかのすべて、いや世界中の人という人がそうだろう。そしてそれはただひとつの病にかかるときまで続く。それよりも、病が消えてなくなるほうが先かもしれないが。

「きみも、子供はまだだったな。生まれたら教えてくれ。そしてまた、こうして会おう」

 どきり、と心臓が音を鳴らす。やはり酔っぱらったような目つきでモルデが微笑んでいた。左の手首辺りを軽く擦って、シュテルも笑いかける。——上手く笑えていたかは分からないが。

「もう次に会う約束かよ? 夜はまだ始まったばかりだぜ」

「……ああ、そうだな。きみの話を、もっと聞かせてくれ」

 何を話すか考えつつ、シュテルは黙ってカクテルグラスを煽った。


 ——笑う。笑う。嘲笑う声が聞こえる。


 一体どうして間違えたのだろう。そう思わずにはいられなかった。

 妻、恋人、配偶者。呼び方に意味はない。ただひとつ分かるのは、すべて過ちだったということだ。

 途方もない疲労感に襲われ、シュテルは深く深く溜め息をついた。今はもうひどく耳障りな——子供の声は聞こえない。ふたり連れ立って出掛けていったからだ。きっと今頃は子供持ちの友人同士、何か楽しんでいるのだろう。大人しくて手のかからない子供なんて、妻にとってはきっとただのアクセサリーに過ぎない。——自分と、同じように。

 出会ったとき、まるでそんな素振りはなかった。しかし、今になって思えば全部、仕組まれたことだったのだろうと思う。空想のなかにしか存在しないような運命的な出逢い。フルネームを名乗った瞬間の驚きに見開いた瞳も、演技だったという前提で思い返せばひどく滑稽だ。

 誰もが幸せに暮らせる世界。不自由ひとつなく生きていける世界。確かにその言葉に嘘はなかった。だが、全員ではない。与えられる山ほどのものに、満足できる人間だけが幸福なのだ。妻と思っていたものはそうではなかった。こんな豊かな世界に何の意味があるのだろう、と思っていた家名、よその家よりも多い財産。それを垂涎の的とする人間もいるらしい。学生のころにはいなかったから、知る必要がなかった。その結果がこのザマだ。

 革張りのソファーに身を委ねて、もう一度息をつく。目頭のあたりを指で揉み込んだ。

 自分ひとりが痛い目に遭うのはまだ、構わなかったのに。あの人は最悪の選択をした。

 子供の作り方は単純明快。役所に行ってブレスレットから遺伝子情報を引き渡す。数日するといつでも可能という通知が来て、開始と送り返すだけだ。ひと月後には赤ん坊と対面してそのまま引き取れる。人口が増加の一途を辿っているために、家柄や資産など審査があると聞いたことがあったが、シュテルの場合は特に何も言われなかった。単純に素通りできただけかもしれない。

 その手続きがあっさりいかなかった時点で訝しむべきだった。しかし、何も知らない当時のシュテルは、妻の様子がおかしいのも子育てをする不安があるからだと信じて疑わなかった。実際は、その演技力で細工をしていたらしい。データの改竄と入れ替え。あとは言うまでもなく。

 もちろん、地位的にはこちらのほうが圧倒的に上だ。暴くのは簡単である。もし発覚したのがもう少し前だったら、実際にそうしただろうと思う。一族のなかでの自分の立ち位置を思えば、それさえも相当にリスクを伴う事柄だったが、永久に近い時間を嘘を知った状態で過ごすなんて有り得なかった。毎年ホールを貸し切って顔を合わせると分かっているのだから尚のこと。

 胸がきりきりと痛む。それが錯覚なのか、ブレスレットに不具合が起きていて実際に感じていることなのか、シュテルには分からない。ただ、自分がいま苦しいと感じていることは事実だった。

(……死んでしまおうかな)

 自然と、そんな言葉が脳裏をよぎる。思ってからふと、大昔に受けた授業のことを思い出した。モルデは確かこう言っていたはずだ——欲に溺れるとろくなことにならないって教訓、と。なるほど、今はその意味が分かる。自分への戒めでなく、被害を受ける形で思い知るとは想像もしなかったが。あのころは本当に幸せだった。それは、無知によってもたらされたものでもある。こんなことになって初めて、自分の両親が思っていたほどには仲良くなかったことに気付いたのだから。無知は幸福であり、不幸でもある。

 あの話がただの教訓ではなく的を射るものだったなら。もっと幸せになる世界があるとするなら、いま不幸だと感じている自分はどうなるのだろう。もっと不幸な世界に堕ちるのだろうか? 愚かではあったが、進んで他人に危害を加えたわけではないのに——。

 暗く淀む考えを振り払った。だが同時に、調べる価値がある、とも思う。どういう経緯で教材として扱われることになったのか。誰も調べようとしないだけで、ほかに何か関連する資料があるのではないか。想像が広がっていくと同時に、痛みも膨らんでいく。だってこんなこと、誰にも言えるわけがないじゃないか。親族にも国にも、親友にも。だったらひとりで抱え込んで解決するしかない。その結末が自殺になるにしても。

 しばらくぶりにシュテルは笑った。ひどくおかしくてしょうがなかった。


 ——そして世界の真実は暴かれる。


「……ははっ……なるほど、そういう仕組みだったか……」

 高級机の上に積みあげられた資料の束が舞った。紙同士が擦れ合う耳障りな音。内容を思えば当たり前だが、データという形で残っていなかったのだからどうしようもない。あまりにも単純すぎて、ひどく滑稽だった。机に両手を叩きつけた衝撃で、ギリギリのところで崩壊を免れていた山の一角が崩れ落ちる。

 片付ける気力もなく、椅子の背に深く沈み込む。——もう充分だ。これ以上のものはもう存在しない。すべてを手に入れてもその先を求めたイシャの気持ちが、ほんの少しだけ分かるような気がした。救いなんて存在しなくとも、それに縋らずにはいられない。

 半ば無意識的に伸ばした手の、その手首に嵌められたブレスレットが明滅する。ディスプレイに表示された名前は、いま一番会いたくない人物のものだった。しかしこれが、もうさいごになるかもしれないと、そう思うと。無視して終わってしまうのもためらわれる。結局、空白らしい空白があったのはまだ何も分からなかったころ——長い月日をかけて旅行をしていたときくらいだ。それでも通信では連絡を取っていた。ここへ帰ってきてからは度々二人で会っていたし、最近は連絡していなかったがそれは、精神的な問題が立ちふさがっていたからで、特別に一人だけを拒んでいたわけではない。

「……はい」

「久しぶり、シュテル。ちょっと……会って話したいことがあるんだが」

 いかにも疲れてます、と言わんばかりの声音になってしまったので、何か言及されるかもと危惧したが予想に反して相手——モルデはそうしなかった。というより、モルデのほうも少し疲れているように感じる。残念ながら悩みを相談されても、まともなアドバイスなど出来る気がしないが、顔も見ずにというのはやはり気が引ける。

「分かった。……いつがいい?」

 告げると、こころなしかモルデの声が明るくなったような気がした。

 なるべく早くしてくれ、という密かな願いは胸の奥の闇に吸い込まれて消えた。


 ——始まりの終わり、終わりの始まり。


「きみのことが好きだ」

 それは、最高に場違いな言葉だった。

「……は?」

 シュテルはその一音を発するので手一杯だ。喉を潤して落ち着く気にもなれなくて、正面に座る親友の顔をじっと見つめる。子供のころから糞真面目で、このテの冗談を嫌っていたのはよく知っている。結婚する気などない、学生時代の一時期の思い出のために告白してくる相手に、らしくなく激昂していた姿を思い出した。もっとも、結婚相手が決まっているというのは学校中に知れ渡っていたからすべて、告白イコールそういう意図に繋がってしまうわけだが。なだめたすえに、不本意そうではあったが、冷静に落ち着いて対処するようになったはずだ。

「ずっとずっと昔、こんな小さかったころから、ずっときみのことが好きだった。でも親が決めた相手がいるし、きみは優しいから流されるかもしれないと思った。心地良い関係を壊したくなかったというのもある」

 でも、と付け足して、伸びてきたモルデの手がシュテルの手首をつかみ、前のめりになったその胸の中央に触れる。——温かい。そして心配になってしまうほど早鐘を打っているのが分かる。少しして、ゆっくりと手を離される。

「臆病だった。……間違いだった。きみも、そうなんだろ? 酷い顔をしてる」

「…………」

 的中しているから、返しようがない。自分が今どんな顔をしているのかシュテルには分からなかったが、モルデの声はいつになく弱々しくて、表情にも翳りが窺えた。一体いつからそんな顔をしていたのだろう。もし自分より先だったなら、気付いてやれなかったことを申し訳なく思う。

「……それでさ。調べてみたんだ。シュテルは憶えてるか? 昔聞いた自殺者の話」

 心臓が跳ねる。先ほどまでとは別の意味で、鼓動が早くなった。だが幼馴染相手に嘘やごまかしは通用しないだろう。黙って肯定はしておく。

「あれを……試してみたいんだよ。本当に幸せな世界が待っているのか。それとも、これ以上の不幸が待ち受けているのか」

 ここで、空元気でも励ましていれば、この話題を終わらせられたのかもしれない。しかしシュテルにはそんな気力もなかった。むしろ、モルデが自分と同じ結論に至っていたことに興奮さえしている。

「……一緒に試してみないか」

 切り込んだのはやはり、モルデのほうだった。

「それは、心中する、ってことか」

「どうせ死ぬつもりだったんだろう? 後も先も、そう変わりはしない。いや、苦痛が長引くぶん、後に回してもつらいだけだ」

 その目はもう覚悟を決めている。言葉にされずともシュテルにはそれが分かった。ひとりで終末を迎えることを、寂しいと思っていたわけではないが。言っても引かないなら、同じ気持ちでいてくれるなら。それを、嬉しいと感じる。そもそも、一刻も早く終わらせたいのはシュテルも同じなのだ。

「……分かった。そうしよう」

「シュテル、ありがとう。きみには感謝してもしきれない。きみがいてくれて、本当によかった」

 不器用にモルデが笑う。最後の晩餐はさして代わり映えもしなかったし、それ以上言葉を重ねることもなかった。


 モルデが一度自宅に戻って持ってきた薬が、机の上に置かれる。自殺なんて架空の話のなかにしか存在しない、そんな建前があるからか、毒薬を手に入れるのにシュテルが想像するほど苦労はないらしい。それもモルデが様々なジャンルの有資格者だからだろうが。シュテルはイシャの話になぞらえ首を吊るつもりでいたが、縊死は色々大変だと諭されてモルデに従うことにした。もっとも、未だに不可能にはなっていないらしいが。そもそも限りなく不死に近い状態というのは、ロボットの普及によって重傷を負う機会がなくなったことと、遺伝子操作で大病を排除したこと、ブレスレットで常にコンディションを調整することの三点があって成立している。自殺をすることはいつだって可能だったわけだ。

(そりゃあ、毎年、結構な数の死人が出てるよなあ……)

 総人口との割合で考えると、大したことはないかもしれないが。

「改めて言うよ。きみがいてくれてよかった。きみとの日々は確かに幸せだった……本当に、ありがとう」

「それはこっちも同じだ。お前がいなきゃ、もっと早くにこうなってたかもしれないからな。まあそれはそれでよかったかもだけど。どうなるか分かんねーけど、向こう側でもよろしく」

 モルデが頷いて応える。受け取った薬に視線を落として、互いに顔を見合わせて。コップに手を伸ばした。


 ——…………。


 ふ、と緩やかに意識が浮上する。自らの腕を枕に、机に突っ伏していたらしい——ぼんやりとそんなことを思いながら、なんとか身体を起こした。頭のなかは霧に包まれたように不鮮明だが、徐々に状況は把握できてくる。

「……賭けに、勝ったわけか」

 独り言にしかならないことを分かっていたが呟く。目の前には先ほどまでの自分と似た姿勢の親友がいた。手を伸ばして、触れてみる。冷たくなっているわけではない。だが、もう動かなくなっていることを知っていた。

 モルデはそっと感嘆の息を漏らした。なるほど、確かに死ぬことの出来る薬だったらしい。

 瓶の中には二錠の錠剤が入っていた。ひとつは毒薬、もうひとつは睡眠薬。見た目に全く差異はない。混ぜればどちらがどちらか、モルデにも判断がつかなかった。先に選んだのは自分だ。残ったほうを親友の手に落とした。シュテルに二択を任せるのは、あまりに無責任な気がしたのだ。

「嘘を、ついたわけじゃないんだ。それだけはどうか、信じてほしい」

 そう死人に許しを乞う。物心ついてから今日に至るまでの長い長い月日、唯一無二の親友に対してだけは、嘘をついたことがなかった。——はぐらかしたことは数え切れないが。でなければ、すぐにボロが出てしまう。好意を抱いていたことも憎しみを抱いていたことも。すべてがつまびらかになってしまえば、きっと親友という立場すら失っていたから。

 ——どうしようもなく愛おしかった。シュテルはそう、まるでイシャのようだった。家名があって、それに恥じないだけの頭脳も運動能力もあって。見目もいいし、性格もいい。イシャはあまりに人格が優れていて、それが余計に架空の話という印象を強めていたが、シュテルの場合はそれほど極端な人格者というわけでもなく人間くさい。そんなところが好ましくて、同時にひどく妬ましかった。確かに昔と比べれば、人が幸福と思えるハードルは低いだろう。しかし万人がそうとは限らない。四六時中、一緒にいる相手を比較対象にされれば、少なからず疎ましく思うものだろう。それ以上でも、それ以下でもない。ただ、隣にいるときはいつも幸せで苦しかった。いつも言葉に迷って息が詰まった。

 手を伸ばして、髪を撫でる。これからのことは何も考えていない。すぐに後を追うことになるかもしれないがそれでも構わなかった。人を殺すことが唯一の死の手段で、救済になるのなら。それで、充分だ。

「どうか、お幸せに」

 湿った声で紡がれた言葉は、誰に聞かれることもなく吸い込まれて消えた。

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