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婚礼は予想に反して、素晴らしく楽しかった。
騒々しいのは避けようと、村長とヒジョがごく身近な家族と、イファに好意的な少数の使用人が参加しただけの小さな会だった。
イファの親族側には――彼女に家族はいないから、年老いた大家夫婦が祝儀の金なんてないんだよ!と文句を言いながらも参加をしてくれた。
イファは――嬉しかった。
これは、単なる契約なのだ。
リュイは一人で死ぬのが嫌で。
花嫁というよりは介護人にとして、イファは選ばれた。
……それだけ、なのだけれども。
自分の幸せを誰かに祈ってもらえる日が再び来るとは思えずにいたイファには、奥歯を噛み締める痛みさえ、愛おしく感じられた。
――理由なんてなんでもいい。
束の間だろうが、構うものか。
誰かが、イファの幸せを祈ってくれる。
今日はなんて幸せな日だろう。
イファの薬を頻繁に使う、年若い女中のメイリンが、彼女お手製の花輪を新婚夫妻の二人の頭に飾ってくれる。
「リュイなんかと結婚して!苦労するんだからね、イファは!」
酷いなあとリュイが苦笑する。
彼女は、新婚夫妻に花冠を被せると、花びらを二人が笑って止めるまで、ずっと、ずっと浴びせ続けた。
イファはリュイの手を握りながら喜んだ。
(国守が頭に乗せる冠より、わたしの花冠のほうが、ずっと綺麗だわ)
心ひそかにイファは思った。
村長とヒジョの上の息子のミンソクは、ラン国人が身内になるという事実に不満気のようだったが、仲の良い伯父の、リュイの顔を立てることにしたらしい。
澄ました顔で、淡々と箸を進めている。
ーー求婚をイファが受けるわ、と言った後、リュイは少し申し訳なさそうに言った。
イファにとっても、この縁組みは悪いことだけじゃないと思うんだ。
「僕が先に死んで。叔父さんと叔母さんが生きている間はいい。二人はイファに優しいから。でも、ミンソクはそうじゃない」
イファはそうね、と笑った。
村長の息子のミンソクは、今年十五になる少年で、イファを嫌っている。
両親のいない所でイファを化け物と呼んだこともないではない。
冷たい彼の乳母はスーメイだから、その影響もあるのだろう。
「ミンソクだって、イファが僕の奥さんになったら身内だもの――気を遣わざるを得ないと思うんだ。僕が死んだ後でもね」
(……そんな簡単な話じゃないと思うけど。ミンソクのラン国嫌いは筋金入りだもの……)
ラン国は野蛮で、好戦的でーー異人達が治める国だと、少年特有の捻れた正義感で信じ込んでいる。
正直なところ、イファだってラン国によい思い出があるわけではない。
なにせ、両親が追われた国だ。
「だから、僕はーー」
「いいのよ、リュイ。私、リュイが私を奥さんにしてくれてうれしいわ」
にっこり、と笑う。
求婚の理由が、リュイの寂しさを埋めるためでも、別に問題はなかった。
娘の婚礼から戻った村長はイファの決断を喜んで、身体にふさわしくない素早さで、式の日取りと二人のこれからを決めてしまった。
新居はイファの治療院になった。
夏の間、イファはリュイと一緒に村長の家の離れに住んで、その間にイファの家は簡単に修理と改装をされた。
スーメイや彼女と親しい使用人たちからは「年下の男をたぶらかした身持ちの悪い女」と嘲りの視線をうけたけれど、気にしないことにした。
婚礼が終わり、リュイと離れて一息をついていると、村長がやってきて、改めて祝いの言葉を述べた。
イファは上気した頬で礼を述べた。
「いや、綺麗な嫁さんだ!リュイは果報者だ」
「衣装がいいせいですよ」
イファは言った。多少は謙遜だが、ほとんどは事実だ。白い絹に金糸の刺繍。このあたりの風習で、スカートの部分にはびっしりと花が刺繍されている。
イファがこんな豪華な婚礼衣装など持っているはずもない。ヒジョが己の結婚式の花嫁衣装をくれたのだ。
本当はビンワに持たせたかっただろうが「あちら様のお家で準備してくれるものがあるからねぇ」とヒジョは寂しそうに笑う。豊かとはいえ、雛びた田舎の主の用意した衣装では、裕福な商家の揃える衣装には敵わない、ということなのだろう。
イファを眺めた村長は、コホン、と咳ばらいをした。
「なあイファ、改めて言っておかないといけないことがあるんだ」
なんだろう、とイファは視線をあげた。
婚礼の――幸せな晩だというのに、表情が暗い。
不吉な予感がして、でもどこかで(やっぱり、なにかあるのだろうか)という気持ちでイファは村長を見る。
イファを見つめ、――村長は重い口を開いた。
新居にリュイと戻ったのは、ようよう深夜も近くなってからだった。荷物は後で持ち込むことにして、着のみ着のまま戻り、二人して倒れ込む。
「つっかれたぁ!」
息を吐くリュイに、「はい」と水を渡す。
リュイは行儀悪く、花婿衣装のまま床にへたりこんでぼやいた。
「婚礼が、こんなに大変だなんて知らなかったな」
「そうねぇ、本当に大変だった」
「もう、二度とはやらなくていいなぁ」
「あら、気が合うわね、私も、もうこれっきりでいいわ」
リュイがくすくすと笑う。
「――そうして?お願いだから」
リュイの少し熱を持った指が、イファに伸ばされる。
「叔父さんと、何を話していたの?」
「リュイのこと、くれぐれも頼むって」
「過保護だなぁ」
「本当にねぇ――寂しくて、うちに帰ったりしないでね?」
悪戯めかして言うと、リュイは口を尖らせた。
「帰らないよ!イファと僕は、家族になったんだから――一人で帰ったり、しないよ」
イファはくすぐったくて笑った。リュイの指が、右目の縁をなぞり、耳に添えられ、そっと首筋をたどっていく。
「イファの婚礼衣装、すごく綺麗で、どきどきした」
「それを着るのは、……最後にしておいてよ」
化粧を落としたいなぁと思ったけれど、その要望は柔らかな唇でそっと封じられた。
二人して婚礼衣装は脱がしにくいと笑い、寝台にもつれ込む。
蝋燭を、と視線で頼むと、リュイは無言で吹き消した。
暗闇の中、月明かりが窓から差し込んで、お互いの白い肌の際だけがほのかに光る。
――病がちなんて、嘘じゃないのか
詰りたくなるほど、夫は、力強かった。




