表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/11

娘のような綺麗な服を着て、イファは客間に通された。

裏口ではなく表玄関から来たのも、客間に通されたのも初めてだ。

リュイと、とりあえず話をしてご覧よ、とヒジョが場を設けてくれたのだ。

通された客間でぼんやり天井の木目を数えていると、扉が開いた。リュイかと思ったが、茶を持ってきたのは見知った女中だった。

女中は開口一番イファを責めた。


「めかしこんじゃって、まあ、みっともない」

茶を置いてくれた三十半ばの女は、チラリとイファをみる。視線に好意的な色は薄い。

「スーメイ、ありがとう……」

「十も年下の男に取り入ろうだなんて、恥知らずもいいとこだね」

スーメイはイファの言葉を無視してさらに詰る。

取り入ろうなんて事は、と思ったが、イファは曖昧に笑った。

反論したら、そのあとが面倒になるだろうから。

悪いことは言わないから、と幼なじみのスーメイは、腕組みをしてイファを見下ろした。


「あんたにゃ過ぎた話だよ。断んな――あんたが坊ちゃんに嫁いで、奥様だなんて呼ばなきゃならないかと思うと、頭痛がする。皆、そういってるよ」


皆、って誰よ、と思ったが、イファは俯いてやり過ごした。スーメイの厭味はいつも主体性がない。

幼なじみの親切心だと大義名分を振りかざし、皆がイファにどう思うか散々悪口を並べ立ててから、イファを萎縮させ、決して幸せにならないように見張っている。

昔は、いつも二人で野山を駆け巡って遊んだ。

けれどスーメイはイファの片目が金色になったころから、まるで他人のように冷たくなってしまった。


「ラン国人の嫁が長の身内にいるなんて、縁起が悪いったら。お嬢様の嫁ぎ先にばれたらなんて言われるか」


ヒジョや村長はともかくとして、屋敷の下働きはこの縁組みに反対なのだろう。なんとも言えず黙っていると――。


「田舎娘が玉の輿に乗ったら、そりゃあ、いろいろ悪口は言われるんじゃないかな?」

軽やかな声が聞こえた。

音もたてずに現れたのはリュイだった。

スーメイが現れた扉ではなくイファの後ろの扉から。スーメイはぎょっと肩を竦めた。まさかそんなところから登場するとは思ってもみなかったのだろう。


「ビンワは全部覚悟で行ったんだ――イファの事だって、あちらのご主人も構わないと言ってくれたよ」

「坊ちゃん」

「ねえ、――スーメイは自分が老け顔なのに、イファがいつまでも若いのが気に入らないから虐めるんだって、()が言ってるけど、それ、ほんと?」

スーメイの頬に朱がさす。

「皆って誰です」

「スーメイがいつも言うのと同じ人達なんじゃない?」

スーメイは怒った顔のまま、扉を力いっぱい閉めて去って言った。


「――ちよっと今のは酷いんじゃないの?」


彼女の背を見送ってリュイに言うと、彼はくすんだ青い瞳をちょっと細める。

「いいんだよ、たまにはスーメイも悪口は自分に返って来るって気付いた方がいい。――僕も死にぞこないとか穀潰しとか散々言われてるしね、仕返し。ま、事実そうなんだけど、腹は立つし」


リュイはイファの向かいでなく、何故か隣に座った。

何から聞こうかと言いあぐねているとき、再度扉が開いて、今度は若くてちょっと顔貌(かおかたち)の綺麗な女中が、料理と飲み物を運んでくれた。

イファの家によく薬を分けてもらいに来る女中は、イファを意味ありげにみると、ごゆっくりぃ、言いながら扉をきっちりと閉めて出て行った。


「――いつにする?婚礼の日取り」


は?とイファが言う横で、リュイはつまみを親指と人差し指で取り上げた。

はい、あーん、と言われて思わず開けた口にほうり込まれた――魚をからっとあげた物は、塩が効いていて、美味しい。塩、買えてないなぁとイファはぼんやりと思う。


「僕は、早い方がいいんだよね。もう、夏前でも。――イファだっていい年だし、そんなに派手にすることはないと思うから、簡素な式じゃだめかな?」


年は余計だ、と思いながら、イファはきっちり揚げ物を咀嚼して飲み込んだ。


「待って、まだ結婚するなんて一言も言ってないのよ、リュイ」

リュイは目を丸くした。

「そうなの?もう、承諾してくれたのかと思ってた」

「まだ、申し込まれてもないしね」

イファはちょっとばかり強気に出てみた。イファに断る要素などまるでないと(事実だが)、ばれているのが悔しい。

リュイは、はは、と笑ってイファに言う。


「ごめん、――焦った。ねぇ、イファ。俺の奥さんになってくれませんか」

あんまりあっさりと言うので、イファは笑ってしまった。

「どうしたって急に、そんなこと考えたの」

熱でもあるのかと思い、イファはいつものように彼の額にそっと手をあてた。

寝込むほどではないだろうが、やはりリュイには微熱がある。

「熱、あるんじゃない、やっぱり」

力を込めて――熱を右手で集める――そうなるように、思い描く。

そうする事でリュイの額から指先に熱を移すことが出来た。じわりと熱くなった指先を見つめて、ふ、と息を吹き付ける。

熱は虚空に霧散していった。


「ありがとう、イファ、いつもながら凄いな。うん、本当に楽になった」


顔色がよくなったリュイに、にこりと微笑まれてイファもつられる。

「――リュイ、遠慮しなくてもいつでも呼んでくれていいのよ。わざわざ結婚してくれなくたって、治療は私の仕事なんだから。すぐに駆けつけるわ。治療代をあげてくれるんなら大喜びするけど」

リュイは、はた、と微笑みを止めてイファを覗き込む。

「イファは、僕が、そのためだけに結婚したいと思ってるんだ」

「違うの?」

リュイはそれもあるよ、と素直に頷いた。

「この前ね、僕、死にかけたんだ――息が苦しくて出来なくて、死んじゃうかもって思った。そのときに――イファの手を思い出した」

「そう…」


冬の終わり、リュイが風邪をこじらせて危篤だ、と言う噂はあった。

イファはいつでも行けるように準備していたし、結局彼はルアンの首都から呼んだ医者と高い薬のおかげで持ち直し、イファなどお呼びではなかったのだが。


「死にかけた時――何もない人生だったなぁ、って思ったんだよね、具合がよいときは本を読んで、叔父さんに甘えて。具合が悪いときは寝床で天井ばかりを見て――やっぱり、甘えて――イファにも世話になってばっかりで」

リュイは俯いて皮肉に笑う。若い病人特有の、乾いた明るさが彼にはある。


「このまま、僕は死ぬんだろうなぁと思ったら、妙に寂しくてね」

「縁起でもないことは、言わない」

窘めたイファに構わず、リュイは続けた。

「死ぬときに、誰か、僕のためだけに泣いてくれる人が欲しいなぁって思ってさ」

「村長やヒジョがいるじゃない」

リュイは笑った。

「叔父さんや叔母さんは家族だけど、僕だけの家族じゃないし。死ぬときに誰かいてくれたらな、と思って――イファの指先を思い出したんだ」


リュイは悪戯っぽく笑った。


「ねぇ、イファ、僕のこと好き?」

「可愛い、とはおもうわよ」


何を言うのか、子供がとあきれた気分でリュイを見る。

ついこの間までおねしょして泣いてたくせにというとリュイはむくれた。

「そんなこと忘れてくれても。でも、まあ、イファは僕を可愛がってくれていたもんね。ねえ、イファ。僕、死ぬときに寂しいのは嫌なんだ。僕を看病するついでに――僕を妻として、看取ってくれない?」


だからそういう事は言わないのと怒りかけ――イファはため息をついた。

リュイの悲しそうな視線に気づいて、困ってしまった。

リュイはもう、自分が死ぬことを前提に話をしている。まだ彼は二十歳を少し過ぎたばかり。

悲しすぎる話ではないか。


「寂しくない死に方をしたいがために、奥さんが欲しいのね?」

「そう」

「私ならついでに看病してくれるしね?」

「うん」

「酷い、話ねえ。私の同情心を煽って、治療もできる妻を、金で買おうというわけ?」

「そうだよ」


怒るより先に呆れる。リュイはイファがずっと好きで、――という愛の告白を僅かばかり期待したのに。


「そう、酷い話で最低な男なんだ、僕」

ふふ、とあまりにリュイが楽しそうに笑うのでイファはなんだか怒れなくなってしまった。

「――結婚なんかしなくたって、リュイが苦しいときは傍にいてあげるわよ。今までもずっとそうだったでしょう」


リュイはそれじゃ嫌なんだ、と思いのほか強い口調で言う。


「僕は治療師じゃなくて、妻が欲しい――そして、妻になってくれるなら、イファがいい」

「でも、結婚はお金がかかるのよ?わかっている?村長の財布だって無限じゃないのに」


リュイはちょっと皮肉に笑った。


「叔父さんから遺産の話があった?」

ええ、とイファは素直に頷く。

「僕の父親から貰った手切れ金なんだ、あれ。父親は裕福な役人だったらしいけど、正室が怖くて、母さんを側室にはしてくれなかったらしい――その父親が死んでね。父親の奥方が、頼んでもいないのに、まとまった金をくれたんだ。こんな田舎じゃ使いようもない金額を。これから先、何があっても決して金をせびるな、って――いい人だろ?」

「――そうだったの」


イファはリュイの母親を覚えている。綺麗な、物憂な人だった。


「あの金を残して死ぬのも嫌なんだ。母を不幸にした金を、僕が死んだ後まで残すくらいなら、好きに使ってしまいたい」


リュイはイファの目を見た。


「――イファの目は綺麗だね」

「な、何よいきなり」


リュイはそっと手を伸ばしてイファの右頬に添えた。

氷のように冷たい指先のせいで、己の頬の熱さを知る。心地よさのあまり、咄嗟に振り払い損ねて、イファは肩を竦めた。

誰かに頬を撫でられるなんて、十何年ぶりのことだった。


親指が右目の目尻をそっとなぞっていく。


「金と、同情でイファを縛ろうとしている、最低な男なんだけど」

「ほんとうに、そうね」


指が気持ちいいと確かに感じながら憎まれ口をたたくと、リュイは幸せそうに笑った。かわいらしく、としか表現しようのない仕草で、小首をかしげる。


「それでも、僕は、イファが好きなんだ。最後のわがままを言えるのなら、イファに側にいてほしい。……ねえ、イファ。僕の残りの人生を貰ってくれませんか」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ