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イファは、決して醜い娘ではなかった。
持て囃されるほどの器量はなかったけれども、両親が営んでいた治療院に訪れる客からは、かわいいお嬢さん、と当たり前のようにお世辞を貰えたし、村の祭で相手が探せずに、余って泣く、と言うことはなかった。だから私は、そこそこ可愛いわよね、と自惚れていた。
しかし、両親が亡くなり、孤児になると男達は途端にイファから目を背けた。
(この瞳がね…)
己の庵に戻ってイファはため息をついた。
右目にそっと手を当てる。
ラン国の貴人達はその多くが琥珀や黄金色の瞳をしている。
そして、平民と貴人が混じると、その子供は片目だけが金を抱く。これは北山を越えた大陸の中央の異国でも変わらないらしい。北山にもラン国人と一族は違えど貴人達が住まうのだ。
生まれた時、イファは黒髪黒瞳だった。
ところが、死にかけて――目が覚めると、不思議な力の発現とともに、瞳の色が変わっていた。後で知った事だが、貴人の血が混じったものには稀にそういうことがあるらしい。死にかけて、血に目覚める。
それまで、イファの母親(彼女の瞳は貴人には珍しい、薄い茶色だった)が貴人だということを話半分に聞いていた村人達も、イファの瞳を見て納得し、そして、忌避した。
ルアンとラン国は歴史的に小競り合いが多い。だから、あまりラン国人は好まれないのだ。
「こうもあからさまにラン国人ってばれちゃったら、ね」
そりゃ、嫁の貰い手もなくなるわねよ、と呟く。
それでも、若い時分には嫁に欲しいと言ってくれた恋人がいなかったわけではない。
婚約の一歩手前まで進んで、――恋人は猛反対する家族を説得出来ずに、結局、忍び足でイファの元を離れ、さっさと別の娘と所帯を持った。
村の皆はさすがに同情はしてくれたけれども、恋人にも一定の理解を示した。
曰く、『厄介を好んでしょいこむ事もない。上手く逃げおおせてよかったもんだ』
イファはその陰口を聞いて、泣くよりも打ちのめされるよりもさきに、脱力してしまった。
どうやら自分は、己の預かり知らぬ所で『治療院の目端の効く可愛いお嬢さん』から『厄介なよそもの』に立場を変えていたらしい、とようやくその時に悟り。
それ以来、村の隅で一人ひっそりと生きている。
いつになるかは知れないが、村の外れで、一人寂しく死ぬのだろうな、と思っていた。
昨日までは。
家に戻り、どうしたものかな、と考える。
とりあえず、一度話においで、と村長とその妻に言われて、考えあぐね……イファはとりあえず誘いには従うことに、した。
「まるで、婚礼衣装みたいね」
村長の屋敷に呼ばれて、姿見の前で白い服を着て、イファはしげしげと己を見つめた。
村長の娘が村に残していった服を、彼女の母親、ヒジョが「オアガリで悪いけど」と出してくれた。
ヒジョとイファも古い仲だ。
ヒジョと村長が忍ぶ仲だったころから、幼なじみとともに、二人の逢瀬をのぞきみては、きゃあきゃあと騒いで盛り上がっていた。華奢で可憐な少女だったヒジョは、控えめな微笑みを野太く、身体周りは一回り大きく成長させて――いまでは村長の妻らしくあれこれと差配をとっている。
ヒジョは白い衣服に身をつつんだイファを見ると「大きさがあんたにピッタリだと思ったよ!あたしのじゃブカブカだろうから」とイファの背中を遠慮なく叩く。
「痛い!ヒジョ、痛いよ」
「全く、娘の服が似合うなんて。あんたばっかり若くて狡いわ」
「そうでしょ?私は半分ラン国人ですからね、年をとるのを忘れたの」
「うらやましいねぇ」
ヒジョは、目尻のシワを深くした。
彼女は、長女を嫁にだしたばかりの幸せと寂しさがないまぜになった母親の顔をしている。
娘のビンワは、婚家とは家格が違うからと、名目上、裕福な別の商家の親戚筋に養女になってから嫁ぐことが決まっていた。
だからヒジョの元にビンワが頻繁に帰ってくることは出来なくなる。
村長はひっそりと花嫁行列を遅れて追いかけて行ったが、妻のヒジョは「あまり実家の者がでしゃばっては心証がよくないだろう」と遠慮したらしい。
羨ましいのはこちらだ、とイファは思う。
嫁したビンワは十八だが、実年齢を思えばイファにだって、あの娘より少し幼いくらいの子がいても、おかしくはない。
「リュイはなんだって、私と結婚したいなんて言い出したのかしらね……」
姿見の――見た目ばかりは二十歳過ぎの小娘に見える己と視線を合わせてイファはため息をつく。
確かに服はイファに誂えたかのようにぴったりだった。けれども、ビンワのように匂い立つ色香も、思わず触れたくなるようなぽってりとした唇も、もたない。
「断ったって、いいんだよ」
ヒジョが困ったように言い、イファは曖昧に笑う。
村長に頼むと頭を下げられては、断りようがないな、とぼんやり考えていた所だった。
生娘ではなく、身寄りもなく、人でもない。
そんなイファを貰ってくれる変人が、これからさき、現れるとは思われない。
リュイがおそらく世話人として身体の痛みをとるために治療師の妻を望んだのだとしても――イファはそう考えていた――自分になんの損があろう。
村長は考えたくない事だが、と言う。
――リュイがもしもあまりに早くに亡くなった時は、あんたに遺産として幾許かの金を渡そう、とイファの年収以上の金を提示してくれた。
あいつが嫌いじゃないなら、嫁に来てやってはくれんか、と。
娘の婚礼から帰ってきたら返事を聞かせてくれ、と。
そう、頭を下げたのだった。
「うちの人は、亡くなったお姉さんが大好きでねぇ――リュイの事も可愛くてならないのさ。だから我が儘を聞いてやりたいんだろうけど。全くあの穀潰し、自分で稼げもしないのに、嫁が欲しいだなんて、何を考えているんだか」
そう言いながらも、ヒジョがリュイの体調をあれこれと気遣って、滋養のある料理を食べさせていることを、イファは知っている。
「……ヒジョは、嫌じゃない?」
「何が?」
イファは右目に手をあてた。
感情がたかぶると、じわりと瞳が熱を持つ気がする。
「こんな気味の悪い目をした女が、身内になったら、嫌じゃない……?」
ヒジョはまあ!と嘆いてみせた。
「片目の色が違う位、なんだって言うの。猫なら珍しくもない」
猫か、とイファは笑った。そういえばヒジョは猫が好きだ。
「……そうだね。でも、ラン国人だし」
「あんた、育ちはこの村じゃないの。立派なルアンの女さ」
「……そうだと思ってるんだけどな」
「あんたが言う、その気味が悪い力のおかげで、あたしの可愛い娘は自殺せずに済んだんだ。感謝こそすれ…」
当時の悲嘆にくれた娘の様子をことを思い出したのか、ヒジョは前掛けで涙を拭いた。
「とにかく、そんな事を気にしなくていいからね。リュイが何を考えてるのか、きちんと聞いてご覧。嫌なら断っていい――もし、受けてもいいと思うなら、私は大賛成だからね……」
イファはふわふわとした心地で聞いた。村長やヒジョと家族になれる。
(――家族に)
浮きたつ自分を自覚しながらも、おかしい、とイファは首をひねった。この話は都合が良すぎる。
イファにだけ、願ってもない好条件なのだった。そんな幸福な事が、あってもいいものだろうか。何か裏があるのではないか。
続きは0時ごろー




