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11 最終話

夜半、鳥達だけが鳴く中でスーメイは床に染み付いた血を拭った。無言で、何度も。


ミンソクが――スーメイが我が子のように愛情を注いでいるミンソクが、役人に斬りつけられたせいだった。


「イファが…。嘘なんかつくからいけないんだ……力が無いなんてそんな嘘を…つかなけりゃ……坊っちゃんが……」


言いながら、床を吹いた布を桶の上で絞る。

流石に、血が混じった赤い水はもう出なかった。水面に疲れた顔の中年女が映っていてその上にぽつんと波紋が広がる。

惨めさと悔恨に涙がこぼれた。


イファが……、役人に連れて行かれてしまった。


「あんな、おんな、つかいつぶっしたって、だれも、こまりゃしない……」


代官に言ったその言葉が跳ね返って胸を刺す。

スーメイが義理の父母にいつも言われる言葉だった。

子供を産めなかったスーメイを二人はこき使って、こき下ろして、いつも悪口を言う。


代官たちを一番最初にもてなしたのはスーメイだった。

気さくに話しかけられ、舞い上がった。

何か面白い話はないかと聞かれて、スーメイはいつもの調子で首都に嫁いだビンワの自慢や、ミンソクが軍に入りたがっていること。それからついでのようにイファの事を話した。


――性根の悪い女がいましてね、半貴人のくせに厚かましく村に居座って、村長の甥を誑かしたんだよ。


(へえ、そりゃあ面白い、その女は貴人らしく何か異能があるのかね)


前代官から聞いて、当然知っているだろうと思ったのだ。

イファですか?大した力じゃないけど、治療ができるんです、傷を直したり、熱を下げたり、気味が悪いったら――。

いっそのこと、戦場にでも行って国のために力を使ったらいいのに。代官は優しい口調で言った。


そうだな、そりゃいいね、と。


己の軽口が招いた事態に怯えて、スーメイは、震えた。

足音がして顔を上げると疲れた顔のヒジョがいた。


「ヒジョ……」

「血を拭いてくれたのかい……すっかり、綺麗になったね……スーメイ、もう、今日はいいよ。うちにお帰り」

「あの、坊っちゃんは……!」

「目が覚めた。イファの行方を聞いて、それから、ずっと泣いてる。一人前のふりしたって、まだ、ほんの子供だね。……スーメイ」


はい、と見を硬くして彼女に近寄る。

スーメイは震えた。言われる前に口にする。


「あたしを、解雇するんですか」


ヒジョは頷いた。


「ミンソクのこともイファのことも、あんたのせいじゃない。お役人の横暴だ。……だけど、私が、あんたを許せない。リュイやミンソクをはあんたを見るたび、イファを思い出して辛い思いをするだろう。あんたにとってもそれがいいよ。屋敷の連中は、村人を役人に売ったと、あんたに辛く当たるだろうし……あんたは今までよく働いてくれた。生真面目だし、気もよくつく。他の働き口を紹介するから」


頷いて、スーメイは啜り泣いた。しゃがみこむスーメイに、ヒジョは寄り添った。


「……ねえスーメイ。そんなにイファが憎かったのかい。あんた達、子供の頃はあんなに仲良しだったじゃないか。昼も夜も一緒で。まるで犬ころみたいにじゃれ合ってて」

「憎かったわけじゃない、違うんです」

ヒジョは泣き崩れたスーメイの肩を撫でた。

「あんたの子供が流れたのも、旦那が他所へ行ったのも……あの子のせいじゃないだろう……」


スーメイはたまらずに、わっと泣き伏した。


イファの恋人だった男は、イファと別れて親の言うまま、スーメイと結婚した。

二人の親同士が古くから懇意だったのだ。スーメイはイファに後ろめたさを感じながらも、密かに慕っていた男との縁組に喜び、結局は話を受けた。

結婚して直ぐに子供を授かって喜びも束の間、スーメイは流産をした。


その直後に、久々にイファに会って――イファは、スーメイにぎこちなく微笑みかけて、結婚、おめでとう、と言ってくれた……。


「イファが、あたしの子供のことを知らなかった事くらい、わかっていました。けど、あたしは罰だと思った。イファを裏切ったあたしに、罰が当たったんだって……!貴人のイファが、罰をあてたに違いないって……!」


後ろめたさに耐えきれずに、誤魔化すように、イファを恨んだ。そうでもしないとやりきれなかった。

子供は、それから何度も授かって、何度も、生まれてこなかった。

その度に、イファに呪われているのでは、と、スーメイは疑い、いっそそうならいいと思った。


そんなはず、ないのに。


(あの、のんきなイファが、他人を呪ったり出来る訳がない。イファに出来るのは、人を癒やすことだけなのに……!)


スーメイが子供を諦めはじめたのと時を同じくして、夫は稼ぎがいいからと、首都へ働きに行った。

それから、三年、村へは戻る気配すらない。


「イファが……悪いんじゃないんです、イファはなんにも、悪くない。……だけど、あたしはほっとした。惨めなあたしと同じようにイファも一人で、寂しくて惨めなんだと確認するたび、安心していた……!あたしと同じように、幸せになんてならないで欲しかった……一緒に不幸に足掻いていて、欲しかった……でも、でも、こんな酷い事を望んだわけじゃない、違ったんです……」


許してくれ、と泣くスーメイの肩をもう一度叩いてヒジョは呟いた。


「いつか、あの子に会えたら……直接お言い。許してくれなくてもね。……それまではずっと後悔しつづけるんだよ、誰かのせいにせずにね」


スーメイは泣き続けている。


「ねぇ、スーメイ。……誰かが幸せになった帳尻合わせで、あんたが不幸になるわけじゃない。幸福も、不幸も、あんた一人に与えられたものなんだよ……」



嗚咽しながらその場を動けないスーメイにヒジョは言い置くと、立ち上がった。しばらくはそっとしておいた方がよいだろう。 


と、玄関口で物音がする。


何事かと思って、警戒しながら近づくと、そこにいたのはリュイだった。

青い顔で、荒い息を繰り返して、出ていこうとしている。


「リュイ……!あんた、そんな体で、どこに」

「決まってる、追いかけるんだ。馬を借りるよ」

ヒジョは馬鹿な義理の甥の腕をしっかと掴んだ。

「馬鹿なことを!――何のためにイファが大人しくついて行ったと思うのさ……!病人はさっさと床へ」

縋り付いたヒジョをリュイが思いもかけぬ強さで払った。

「そして、死ぬまで、今日のことを後悔しながら寝込んでいたらいいの?冗談じゃない。それくらいなら、イファを追いかけて、せめてあいつを道連れに今夜、死ぬ」

「無理に決まってるだろう。あんたが犬死するだけだ!夫を目の前で斬られてあの子が喜ぶと思うのかいっ、ちょっと、待ちなったら、リュイ!」


リュイが勢いよく開けた扉はガツン、と派手な音を立てて、誰かに当たった。


「あ、申し訳ない…」


こんな時だと言うのに、律儀に謝ってしまったリュイは、目の前に現れた人物をみつめて、ぽかん、と口を開けた。

外套の頭の部分を外して、背の高い男は、痛い、と情けなく呟いた。

扉があたったのか、額を抑えている。


「……扉はゆっくり開けねばならんぞ、リュイ。深夜は特にな。大きな物音は、近隣へのご迷惑になる」

リュイの影から出てきたヒジョもその人物を認めてあっ、と口元を押さえた。

「おお!内儀も、元気そうで何より。ここの村長がラン国へ貴人を一人連れ出せる案内人を探していると聞いて参じたのだが?……その任、俺ではどうかな?」


ソン・ジェンミンは琥珀色の瞳を細めて、にっこりとリュイとヒジョに笑いかけた。






「……寒いな……」

イファを連れて、代官は隣の村へと訪れていた。

隣村の村長は代官に言われるまま、さしたる興味も持たずイファを納屋に繋いだ。馬や牛のように。


貴人には客間を貸すのも惜しいから、今晩はここで寝ろという事だろう。


代官と一緒に寝ろと言われないだけよかった、と自虐的に安堵しながら膝を抱える。

そうすれば幾分寒さがマシな気がした。

寒さに震えながらも睡魔に引き寄せられていると、コンコン、と納屋の外から物音がして、イファはハッと顔をあげた。


身を硬くしていると、今度は声がする。


「そこにおるのは、誰かの。名を名乗りゃ」

「……………?」

こんな夜更けに、時代がかった言葉に、幼い声。

夢でも見ているのか、それとも(ゆうれい)の類いかと怯えて壁際に寄ると、イファの足首と柱を繋いだ鎖がちゃりちゃりと音を立てた。

幼い声はむずがるようにイファを急かした。


「名乗りゃと言うに……!」


声はもうひとつあった。横から茶化すような、若い男の声がする。


「シャオリン、お前が礼儀正しく名乗らないから、教えてくれないんじゃないのか?」


しばしの沈黙。


幼い声が「それもそうじゃの」と朗らかに同意して、再び元気よく名乗りはじめた。

「妾はシャオリンと言う。そこにおるのは誰かの?」

イファは困惑しながら小声で名乗った。どうやら、(ゆうれい)ではなさそうだ。


「私は、ラウ・イファです……貴女は?」 


答えるが早いか納屋の戸が音も無く開いた。鍵がかけてあったはずだが、錠前が消えている。

イファは開いた扉に驚き、それから目の前に現れた二人の人物に驚いた。


背の高い、異国の武人――装いからそうであると思われた――と、十にはなっていないだろう幼女という、なんとも珍妙な組み合わせは、イファを見つけると顔を見合わせた。


「当たりだな」

「あ、あの?」


テクテクと幼女が近付いてきて、イファの周囲をぐるりと見渡すと、ふむ、と呟く。

それだけで、イファを納屋に繋いでいた金属の鎖がさらさらと崩れる。

イファは唖然と幼女をみた。

どう考えても今のは、この幼女の仕業だろう。まるで仙人みたいだ。唖然とするイファを、二人はしげしげと何故か感慨深く眺めている。

幼女も、男の瞳も見たことがない程鮮やかな黄金(きん)

特に、幼女……シャオリンは混じり気の無い純粋な色だった。


「あ、あの、ありがとう」

「若い娘を、納屋に押し込むなど、卑劣な奴らよの……お主がイファじゃな?それがわかればよい。さ、行こうか」


一方的にまくしたてて、くるりと踵を返した幼女に、イファは、困惑が深くなるばかりだ。


「行くって、どこへ?」

「ラン国に決まっておろう」

あどけなく首を傾げたシャオリンは、困ったように傍らの男を見た。

「こりゃ爺。イファに説明せぬか」


爺と呼ばれた男は面倒臭そうにイファを立たせると、端的に説明した。


「ソン・ジェンミンが、ヒジョという女の依頼でお前を探しに来ている。ラン国へ案内する為だ。この娘はジェンミンの身内で、俺は、たまたま手伝っている暇人だ」

「ジェンミン様…!?」

イファが声をあげると、男は素っ気なく扉を示した。

「あらかたの事情を飲み込んだなら、とっとと、行くぞ」

わけの分からぬまま一先ず彼らについて行こうとすると、男は口に笛を咥えて、思い切り吹いた。シャオリンは両手で耳を塞ぎ、イファは突然の甲高い音に思わず身を竦めた。

「ジェンミンを呼んだ。すぐに来るだろ」

「そ、そんな大きな音を出したら、人が来ます」

「安心しろ。竜族(・・)にしか聞こえない笛らしい」

「りゅうぞく……?」

男は面倒そうに説明した。

「貴人の事だ。俺の国じゃそう言う……、ああ来たな」


男の視線を追ってイファの心臓はドキリと跳ねた。


懐かしいジェンミンの姿ともうひとつ、ジェンミンに支えられるようにしてこちらを見る青年。

(どうして、来たりしたの……!)

イファに気付いて顔をあげたリュイに怒鳴ってやろうと思ったのに、彼の青灰の瞳を睨んで……それが安堵に緩んだのを理解した途端、イファの怒りは忽ちに溶けてしまった。


「リュイ……!」


彼の名を呼んで、イファは夫に駆け寄った。

倒れ込むようにしてイファを抱きしめたリュイに、イファは何故来たの、と呆然と呟いた。

「……最後に一目、イファに会いたかったからだよ」

「リュイ……」

言葉を失うイファに、ジェンミンが久方ぶりだな、と場違いに明るく声をかけて片目を瞑った。

「イファ、婿殿と感傷に浸るのは構わんが、少し後ろに避難していてくれ――どうやら、お客人が来た。後を追いかけられては面倒だ。始末(・・)しておこう」


二人が不思議そうにジェンミンを見ていると、複数の足音が聞こえてきた。イファとリュイは身体を硬くする。


「何をしている」

代官が複数の護衛を連れて現れた。

酒に酔っているのか、僅かに目元が赤いが、足取りは確かなまま、ぐるりと五人を見渡すと、嫌悪とともに吐き捨てた。


「妙な笛の音が聞こえたから、気になって来てみれば、化物どもが雁首揃えて不吉なことだ」


イファは弾かれたように先程笛を吹いた異国の男を見た。

確かこの男は、貴人にしか聞こえない笛とは言わなかったか。

ジェンミンが惚けた顔で男を見る。


「イェン、どうだ……あの男は同族か?」

イェンと呼ばれた男は肩を竦めて代官に向き直ると、意地悪く目を細め、甘ったるく微笑みかけた。

「つれない事を言うなよ、……御同胞(・・・)。お前の爺さんか婆さんだかが泣くぜ。……孫に化物呼ばわりされたんじゃあな」


護衛達から戸惑ったような視線を向けられ、ホン代官は僅かに狼狽えたが、彼はイェンの言葉を戯言だ、と切り捨てた。

剣を抜こうと剣の柄に手をかける。

「その娘と死にかけの男を置いて、立ち去れ。そうすれば、不法入国は見逃してやる」


ジェンミンは溜息ひとつつくと、丸腰で代官との間合を詰めた。

代官が身を引く間も与えず、柄を握った右手を握り込む。押し返そうとしたが、ジェンミンは微笑んだまま、ビクともしない。


「なあ、代官殿。見逃す気はないか……我等はこの娘をラン国に穏便に連れ去りたいだけだ――お主にしても、痛い腹は探られたくないだろう……?新任の代官の出自を、誰かが密告せぬとも限らぬしな…?」


後半は代官にだけ、囁く。

ホン代官は悔しげに背の高い貴人を睨み、ややあって力を抜くと、一歩後退ってジェンミンから距離を取る。


「……そうさな、あんたの言うとおりだ」

「分かってくれたなら、よかった」


ニコリ、と微笑んだジェンミンを油断と見たのか代官は護衛達にやれ!と声をかけてシャオリンを指差す。

イファは悲鳴をあげ、それが合図のように五人の護衛達は幼女に斬りかかった。


「シャオリン!」 


卑怯なと再び代官に非難の声をあげたのはイファだけで、他の三人の貴人は平然としている。

シャオリンに襲いかかった護衛のうち二人は目にも止まらぬ速さでイェンに刀の鞘で殴られ昏倒し、他の三人はシャオリンに辿り着く前に、糸が切れた人形のように気を失って、顔面から倒れ込んだ。


「……なっ」


瞬時の出来事に言葉を失った代官の頭をジェンミンが片手で掴んだ。代官を見る瞳が、琥珀から金色に変わって獣のように光る。


「出来れば同胞に手荒な事はしたくないのだが……必要とあれば、化物らしく振る舞ってもよい……代官殿、どうする?」


代官は己をつかむ貴人の手と、倒れた部下達を見て舌打ちし、分かったと苦々しく呟いた。


「わかったから、離せ……あんたの言うとおりに、しよう」

「分かってくれて有り難い、と言いたい所だが、お主は信用ならぬな……少し、お主の頭を弄らせて貰うぞ」

何を、と言いかけた代官の目が曇る。

呆けたように虚空を見つめると、そのまま床にゆっくりと座り込んだ。ジェンミンはしばし彼を見つめると、うん、代官に一礼した。


「では、代官殿。我々はこれで、失礼する」


代官は、のろのろと顔を上げ、それでも役人らしく、丁寧な礼をジェンミンに取った。

「……()依頼(・・・)に、遠路遥々お越し頂き、(かたじけ)なく存ずる。どうか帰途も皆様ご無事で」

ジェンミンは古い友人に対するが如く、友好的な表情を浮かべた。

「お主も。ラン国の血を引く身でのルアンでの栄達、いかほどの苦労があったろう……貴公(・・)から頼まれたとおり、この娘は無事にラン国に返すゆえ、心配なさるな……我らが立ち去ってから後は、全て忘れるのがよいだろう……善良な代官として、引き続き、任に励まれよ」

「承知、いたしました……」


人形のように表情を無くした代官に満足して、ジェンミンが立ち上がる。


話合(・・)いは終わったぞ、さあ、行こうか」

「いつ見てもえげつない話し合いだな、ジェンミン」

「……何をしたんですか、ジェンミン様。代官の様子が」


イファの疑問に、ジェンミンは苦笑して答えず、それから倒れ込んだままのリュイを担ぎ込むようにして立たせた。


「向こうに龍が繋いである。村が代官の不在に気付いて騒ぎ出す前に、場所を移そう」






「……一度、村に戻って、リュイを下ろして。それからラン国に行こうか。ヒジョも安心するだろう」


山の中腹に場所を移して、ジェンミンは二人に切り出した。

ジェンミンの提案に、イファとリュイは地面に座ったまま、息を止めて互いを見た……。少し離れた所で、シャオリンとイェンは黙ってことの成り行きを見守っている。

ジェンミンの提案は願ってもない事だ。

そうすべきだろう。だが、そうなればそれが、今生の別れになるのは分かりきっている。

嫌だ、と泣き喚きたいが、それを許される状況ではないというのも、イファは分かっていた。


「……離れるのが嫌なら、リュイもラン国に来るか」

思わぬ言葉に、二人はジェンミンを凝視した。何を言い出すのだ、この貴人は。

「一人連れ帰るのも、二人は連れ帰るのも大して労力は変わらん。荷運び要員を連れて来たしな」

イェンが忌々しげに舌打ちした。

「くだらん事にこき使いやがって」

リュイは二頭の龍を見た。一頭の龍に乗れるのは二人と……小さな子供がせいぜいだろう。

ジェンミンは、初めからそのつもりだったのか。


「僕は……」


リュイが答えようとしたのを、小さな影が遮った。

「馬鹿な事を言うでない、ジェンミン。(わらわ)死人(・・)と旅をするのは御免じゃ」

イファはなんて事を、呻いたが、幼女はぷい、と可愛らしくイファから顔を背けて、リュイに近づくと無遠慮に青灰色の目を覗き込んだ。


「どこが悪いかは知らぬがな小僧。お主の、命数など、とっくに尽きておる。そこな娘の異能(ちから)で繋ぎ止められておっただけ……離れれば数日ともたずに、一緒にいたとしても一月保たずに死ぬであろ」

あんまりな言い分にリュイは思わず笑ってしまった。

「はっきり言うなぁ…」

「事実だもの」

シャオリンは冷たく言い、イファが青褪めている。

リュイは笑ったままイファの手を握った。


「ジェンミン様……」

「うん、なんだろうか」

「ご迷惑をかけますが、僕もラン国まで連れて行って貰えませんか……辿り着けずに死ぬかもしれないけど……その時は道端にでも埋めてくれたら、いいですから」

「安心しろ、ちゃんと供養はしてやる。墓も立ててな」

生真面目に応じられてリュイはやっぱり変な人だなあ、と嘆息した。

「イファも、それでいいのか?」

ジェンミンがイファに聞く。イファは泣きそうな顔をくしゃりと歪めて……頷いた。

「リュイと一緒じゃなきゃ、ラン国には行けない。行けないんですジェンミン様……」


遠くで見ていたイェンは気が知れないとばかりに肩をすくめ、むっつりと黙り込んだシャオリンの側によると、がしがしと髪を乱した。


「気易く触るでない下郎」

「婆、むくれてないで、さっさとお前の仕事をやれよ。俺はもう、茶番は飽きた」


茶番?と顔を上げたイファに、シャオリンは立ち塞がった。

金色の瞳を光らせて、不機嫌に言い放つ。


「ユイと言い、そなたと言い――平民(にんげん)の男に現を抜かして、まっこと気に入らぬ。気に入らぬが……娘」

「はい」


幼女と思えぬ威圧感にイファは姿勢を姿勢を正した……。幼女のくせに母を知っているような口ぶりだったが、それを今聞くのは憚られた。

「――そこな死人も、助けてやらぬではない」

これにはリュイもえ、と顔を上げた。

縋るように二人から仰ぎ見られ、シャオリンは意地悪く目を光らせた。

「ラウ・イファ。貴人の娘よ」

「……はい」

「そなたが身代わりに死ぬと言うなら、そこな小僧を助けてやらぬでもない」

シャオリンにどうだ、と問いかけられる。

リュイが馬鹿な、と首を振る。

イファは……あどけない幼女の金色の瞳をまじまじと見つめた。まるで巫女の神託のように、手を伸ばされる。

どうしようか、と考える時間もなく、イファは彼女のやわやわとした手を取った………。












酒家、幻燈桜の夕飯は中々に旨いと評判だ。


口煩いが美人の女将――貴人なので幾つになるかと問うのはご法度だが――と使用人が丁々発止を交わすのを見ながら酒と肴を摘むのは飽きない作業で、今夜も、常連で賑わっていた。


夏だから冷えた酒がこのうえなく旨い、と勧められ、常連客の一人が小僧のハオユーに幾つかの料理とともに注文を言いつける。

ハオユーは心得た、とばかりに厨房へ注文を早口で報告し、厨房の中に入って配膳を手伝っていたメイヨウは新入りの娘に声をかけた。


「イファ!一番はお勘定、二番と五番は追加の注文とってきて。あと、八番は皿をさげてね」

「わかりました!」


イファと呼ばれた黒髪黒目(・・)の娘は、小気味よく返事をすると常連達にあれこれ愛想を振りまきながら言われたとおりに仕事を片付けて行く。


新入りの働きに満足しながら、メイヨウはおっかなびっくり汁物を運ぶハオユー少年を値踏みした。

「イファがもう少し慣れたら、ハオユーはもう、要らないかもしれないね」

「そんな、女将さん、ひどいって!俺こんなに頑張ってるのに」

「餃子つまんでた癖に生意気言ってんじゃないよ、はい、ちゃんと働いておいで!」


ぼやきながら配膳をする少年を笑って、夕食にだろう、部屋から出てきたジェンミンに気付いてメイヨウは機嫌をよくする。

邪魔なイェンの糞爺は春先からフラリと姿を消したので、これ幸いとメイヨウは悪霊退散の札を玄関先に貼り付けておいた。

ご利益が切れるまで、暫くは現れまい。


「ジェンミン様、ご飯になさいます?」

ジェンミンはメイヨウに笑いかけて首を振った。

「今日は友人に呼ばれてな、すまんが遅くなる」

メイヨウは残念、と溜息をついた。

「イファは店に馴染んだようだな」

「ええ、ええ。ジェンミン様の奥さん、ってのが癪だけど。よーく気がつくお嬢さんを紹介して頂いて、助かってますよ」


冗談めかした台詞はほとんどメイヨウの本音なのだが、ジェンミンはあはは、と笑って取り合わない。

仕事が一段落ついたイファを手招く。メイヨウがもう上がっていいよ、とイファに微笑んだ。


「ジェンミン様、こんばんは」

イファはジェンミンを見つけて、輝くように笑った。


ラン国に来たばかりの頃は流石に憔悴していたが、春が終わる頃にはすっかり元気を取り戻して、今ではメイヨウの店で働いている。


「ジェンミン様も今からご夕飯ですか?」

「いや、外に行くんだ」

イファは残念、と肩を落とした。

「おや、久しぶりに夫婦水入らずで食事をしてくれるつもりだったのか、イファ?」

イファはくすくすと笑って、両方(・・)の黒い瞳を細めた。

「それも、残念。ジェンミン様とご飯をしたがってたのは私じゃなくて……ああ、来ました」


ジェンミンが視線を向けると、リュイが同時にジェンミンに気付いて手を振った。犬ころみたいだなあ、と本人が聞いたらむくれそうな感想を抱いてジェンミンもそれに答える。


「リュイの身体も、すっかりいいようで」

「今日は給金を貰う日だから、ジェンミン様に奢ろうかって張り切ってたのに……残念がるだろうなぁ」

「それは楽しみだ」

ジェンミンとイファが話し込んでいると、リュイがひょい、となんの話?と割り込んでくる。



貴人のラウ・イファは、結局のところ「死んだ」。シャオリンが、そうした。

ラウ・イファとしての異能も、寿命も彼女が、取り上げて……命数の尽きたリュイにわけ与えてしまった。

だからジェンミンが連れて来たのは、ただびとの夫婦二人だ。


ことの顛末にジェンミンの父親は大いに怒り、ジェンミンが受け継ぐ筈だった領地は五男(おとうと)のものになってしまった。


本来なら嘆くところなのだろうが、今日の献立を聞きながら他愛なく喜んでいる二人を見ていると、まあ、いいか、という気分になった。

昔、世話になった……憧れもしていたユイの娘を助けたのだとでも思えばいい。

二人の仲睦まじい様子に、ふと悪戯心が湧く。


「気が、変わった、メイヨウ。俺もリュイとイファと夕食を取ろうかな」


友人には後で使いをやればいい。

はぁい、とメイヨウが機嫌良く注文を受ける。


ジェンミンは二人の卓に割り込むと、にやりと笑った。


「たまには、夫婦三人(・・・・)、水入らずと言うのも悪くない」


ジェンミンの言葉にリュイは噴き出し、イファはうんざりとした。


「また、そういう笑えない冗談を言うんだから……!」

「冗談と言うか、事実だな」


リュイの籍がまだルアンにあるままなので、まだイファはジェンミンの妻のままなのだ。

両国の小競り合いは終息の方向へ向かいそうだが、手続きには暫くはかかるだろう。


それまでは、重婚生活を楽しむと言うのも悪くはない。

運ばれて来た酒を受取りながら、ジェンミンはそっと微笑んだ。



終わり

お付き合いいただきまして、ありがとうございました。

言い訳めいた事は活動報告に夜にでも書いておきます

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