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静寂と闇の中に響く自分の足音は、いつもよりも大きく聞こえる。恐る恐るという表現が正しいくらいの速度で歩いているのだが、それでも響く足音は消し去ることはできない。
――私にも、そのおじさん、紹介してよ
そう言いだしたのは、ヒナだった。以前、首を突っ込む理由となった旧校舎の話をしたのだが、その時は聞き流していた男の話を、今になって持ち出したのだ。
最初こそ渋ったユウマだったが、どうしてもと言うヒナに気圧されて、結局折れてしまった。
問題だったのは、校舎への侵入よりもあの男との接触方法だ。ユウマはあの男の名前も知らず、どうすれば簡単にコンタクトをとれるのかすらわからない。そもそも、ちゃんと会えるのかすらわからないのだ。
ヒナに前もってそれを伝えると、「ユウマ君て、肝心なところ抜けてるよね」とツッコまれ、思わぬ傷跡を残すことになった。
以前とは違い、真っ直ぐに体育館前の靴脱ぎ場へ向かったこともあって、たどり着くのは早かった。懐中電灯をその場所に向け、ユウマは足を止め、周りを確認する。
「ここ?」
恐る恐る周りを見るヒナが、ユウマの服の袖をつまむ。
「ああ、そうだけど……」
よくあるファンタジー世界なら、ここでそのキャラクターを呼び出す呪文やら愛言葉やらが存在するのだろうが、当然の事ながらユウマはそんなものは持ち合わせていない。ファンタジー世界なら、主人公失格の事態だろう。
「待ってたら出てきてくれるかなー?」
「待つって……出てこなかったらここで夜を明かすことになるだろ……」
「それはちょっと勘弁だね」
お互いに苦笑し、ユウマは携帯端末を取り出して時間を確認する。時刻は20時を回り、長居は出来ない。あまり留まっていればそれこそ巡回している教師に見つかって生徒指導室送りだ。
ヒナもそれを察しているらしく、その場に座りながら何度も携帯端末を確認している。
1分が普段よりも長く感じる。いつもなら他愛ない話をするだけで過ぎていくその数分、数秒が、やたらと長く感じる。
ようやく30分が過ぎたころ、ヒナの顔に諦めの文字が浮かび、ヒナは立ち上がるとスカートの裾を払う。
ユウマが歩き出したその背中。月明かりが校舎の中に入り込み、薄闇に陰影をもたらす。くっきりとできた光の闇の境界線。ユウマはふと後ろを振り返った。
「どうしたの?」
かつ、かつ、かつ……
暗闇の向こう、誰かの気配がする。暗い廊下の奥から、聞こえてくる靴の音。闇が途切れて月光に照らされるその廊下に、古びた杖と黒い靴が姿を見せる。次第にその影は人の形を成し、ユウマの前に現れた。
「あなたの夢の中以来ですね……」
ヒナがユウマの背中に回り込み、恐る恐る顔を出す。
「どうやら一つ、真実を見つけてくれたようだ……感謝します」
そういって男は深く礼をする。その動きがあまりにも滑らかで、人よりも人らしいと思った。
「そちらの方は、あなたのお友達ですか?」
「幼馴染だよ。今回の事で、手伝ってくれた」
「なるほど、そうでしたか」
後ろで隠れていたヒナに、大丈夫と声をかけると、ヒナは少し落ち着いたようで、ユウマの隣に出てくる。
「一つきいていいですか」
ユウマがそう切り出すと、男の顔はこちらに移動する。月明かりでその姿ははっきりと見えるのに、表情は見て取れない。
「ミヅキさんは、まだ俺たちを止めさせようとするんでしょうか」
そういうとヒナが怪訝そうにこちらを見た。そういえばヒナには伝えていなかったことを思い出したが、ユウマは構わず続ける。
「あなたが真実を知ったことで、彼女はこれからどうするかはわかりませんが、邪念のようなものは感じられません。もしかすると、彼女も真実を知ってほしかったのかもしれませんね」
ミヅキのあの悲しそうな表情が脳裏に思い浮かぶ。全てを壊してしまったと嘆いて自ら身を投げた彼女は、今この時をどう思うのだろう。それがもし、また彼女を傷つけてしまったのだとしたら、この先も自分は危険な目に遭うのかもしれない。だがそれでも。
「きっと、大丈夫だよ……」
ヒナが小さくそう呟く。微笑んでユウマの裾を握り、ユウマもそれに答えるように頷いた。
「ああ、そうだな……」
真実は、全ての人を幸せにするとは限らない。真実を知り、自分の過ちに気付くことだってある。知らなければよかったと後悔することもあるだろう。それでも進もうとするのは、やはりそこに知らなければいけない真実があるからなのか……。
「そういえば、もう一つ聞かないといけないことがありました」
「というと?」
「あなたの名前と、あなたに会うための手段」
「残念ですが、私に名前はありません。ですがそうですね……私に会いたければこう唱えてください」
『アイバグ、コーリド、タルポ』
不思議な言葉の響きだった。しかも何だかまるでファンタジーの世界のようだ。
「それを唱えていただければ、あなた方と対話することも可能です」
「わかりました、ありがとう」
男は後ろを振り返り、杖を床に打って鳴らす。あの時と同じように現れた3つの扉は、その一つが暗闇に融けるように消えていく。
「どうなさいますか?ここでやめることもできますが」
「憎い人ですね。今やめたら、一生喉に骨がつっかえたような気分になりますよ」
表情は見て取れないが、男はこくりと頷く。二人は扉の前にたち、ノブに手を添える。
「いこう、ヒナ」
ヒナはうん、と頷き、一緒にノブを回した。溢れんばかりの白い光の向こうに、新たな真実が眠っている。