彼女の嘘(7)
サヤカの店についたのは、日も沈みかけた頃だった。ダイゴの顔を見て一瞬顔を綻ばせた彼女だったが、続いて入ってきたユウマとヒナの顔を見ると驚いたような顔をし、それを紛らわすようにすぐにその表情を変え笑顔になる。
店の中には数人の客らしき人たちがいて、挽きたてのコーヒーの匂いが店の中に漂っている。適当に空いている席に座るとサヤカがメニュー表を持ってきて、少し待っててね、と言ってまたカウンターに戻っていった。その後を追うようにしてダイゴもカウンターの中へ入り、手伝うためにエプロンをする。ユウマは二人で協力しながら作業するその姿を微笑ましく思いながら眺めていた。
サヤカの手が空いたのは、一時間後のことだった。ダイゴが手早く外にかかった札を「CLOSE」にして、一緒になって片付けを始める。ユウマとヒナも手伝おうとしたが大丈夫と遠慮され、席に座ったままそわそわし続けた。その間にユウマとヒナは、友達と遊んでいて遅くなると家族に連絡を入れた。時折ハルトの家で友人たちと泊りがけで遊んだりしたこともあるので、変には思われなかった。ヒナの方も同じらしく、そこまで追及は受けなかったようだ。
「それにしても、ダイゴが二人とそこまで仲良くなっていたなんて、驚きね。私も誘ってくれたらよかったのに」
そう言いながらコーヒーのティーカップをそれぞれの前に置き、自身もダイゴの隣に座る。内心で誘えなかった理由に複雑な心境を抱きつつ、コーヒーを啜る。
「そりゃあ、後輩の友人のひとりやふたり……」
「あら、ダイゴにそんな友人がいたなんて、初めて聞いた気がするけど?」
そういわれて苦笑するダイゴに、3人もつられて笑う。
カップに入っていたコーヒーがそろそろなくなり、底が見え始めたところで、ぴたりと会話が止まった。ユウマは意を決して話を切り出す。
「サヤカさん、お聞きしたいことがあるんです」
ユウマがそういうと、ダイゴの体が強張ったのがわかった。
聞きたいことがあると切り出したのはよかったのだが、次に何を言っていいものか迷っていると、ヒナが真剣な顔をしてサヤカと向き合う。
「私たち、今日ダイゴさんに話を聞かせてもらいました。皆さんが高校生の時、何があったのか……」
サヤカの動きが固まるのが見えた。それでも何とかこちらの話に耳を傾けようとしている。
「聞いてくれ、サヤカ。俺、お前に言わなきゃいけないことがある」
ダイゴが意を決したようにそういうと、サヤカはダイゴを見る。
「お前たちが急に話さなくなったあの日、俺、ミヅキに呼び出されたんだ。話があるからって」
サヤカの手が、ぎゅっと強く握られるのが見えた。そしてその顔に何かを拒否したいというような表情が張り付いているのに気付く。
羞恥?苛立ち?それとも……?
そう考えていると、ダイゴの声までが意識から遠のいていくのがわかる。あの時夢の中で見た、女子二人が話している光景。一人は怒鳴り、一人はそれに萎縮している様子。これは、もしかして……
がたんっ!
テーブルを打つ激しい衝撃にユウマはハッとして顔を上げた。どれくらいの時間、意識が離れていたのか、ダイゴが何かを言いたげに口を開けている様子が目に入り、同時にその衝撃が、サヤカが両手をテーブルに叩き付け、立ち上がった時のものだとわかった。
「もういい。聞きたくない」
さっきまでの優しい口調とは違う、怒気を孕んだその声は、3人をしばし硬直させた。俯いたままその場から離れようとするサヤカの腕を、ヒナがつかんだ。
「はなして!」
振り払おうとするサヤカだったが、どこにそんな力があるのか、ヒナは手を放そうとしない。
「聞いてください、サヤカさん。逃げないで聞いてあげてください」
「言わなくてもわかるわよ!だから私は!」
言いかけたその言葉にテーブルの向こう側で、ダイゴがきょとんとしている。しかしそこで脱力したサヤカは、その場にへたり込んだ。掴んでいた手を放し、ヒナはサヤカの後ろに回る。
「私は……って?」
「知ってるの私、二人が会ってたこと……」
ダイゴが目を見開いた。対照的に、ユウマは何となくそうだろうと思っていたことが、確信に変わるのを感じた。
「許せなかった……私の気持ちを知っていたくせに、ミヅキはあなたを……。だから私はそのすぐあとミヅキを呼び出して、彼女を問い詰めた」
ユウマが夢でみたあの光景。それはまさしく、ミヅキとサヤカだったのだろう。怒鳴りつけるサヤカと、それを黙り込んで受け止めるミヅキ。だが、ダイゴから聞いた話が本当に本当なら、サヤカは誤解している。それも、どうしようもなく悲しい誤解を……
言い淀んでいる自分を察して、口を開いたのはヒナだった。後ろからサヤカをそっと抱きしめ、語り掛けるように言葉を紡ぐ。
「違うんです、サヤカさん。ミヅキさんは決してあなたを裏切ろうとしたわけじゃない。その逆です」
「逆……?」
「ミヅキさんは、ダイゴさんにこう聞いたそうです。サヤカさんのこと、どう思っているのかって」
サヤカの体が、それに反応したようにぴくりと動く。
「ダイゴさんは、その時3人の関係が壊れるのが怖くて答えられなかったそうですが、ミヅキさんはあなたの気持ちを知って、きっと応援しようと決めたんだと思います。もしダイゴさんが、あなたを好きだと言ったら、応援しようって」
「そんなの、信じられるわけ……」
現実を受け止められず、サヤカは激しく首を横に振る。それを見ていたダイゴが立ち上がり、サヤカの横に座り込むと、サヤカはダイゴの顔を覗き込む。
「俺のせいだ。俺がはっきりしなかったら、こんなことになった。そして俺は、それすらも忘れようとした。忘れられるわけないのに。すまない、サヤカ……」
「それじゃあ、私……」
サヤカの脳裏に、あの日の光景がありありと浮かぶ。
―― 私の気持ち、知ってくるくせに!ミヅキなんて大嫌い!
あの時、怒りに身を任せて吐いた言葉。あの時のミヅキの顔を思い出す。へたへたと座り込むミヅキをそこに置いて、逃げ出した私。あの時、ミヅキの顔に浮かんでいたのは、確かに勝ち誇った表情でも、後悔や懺悔の表情でもなかった。しかし、私はそれを見ようともせず、そこから立ち去った。彼女の顔に張り付いた、絶望を見捨てて。
気づくと、サヤカの目から涙があふれ、頬を伝って床にぽたぽたと落ちていた。
全ては私の誤解……?
ミヅキは私を応援しようとしてくれた。ダイゴとうまくいくように、願ってくれていた。私はそれを誤解して、ありもしない私の勝手な想像を彼女にぶつけ、最後には彼女を追い詰めた。
「私……私は……うぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
声を上げ、嗚咽を漏らす彼女を、ユウマはただ黙って眺めるしかなかった。
後日、ダイゴから連絡がきて、ユウマは再びダイゴと会うことになった。
二人が経営するカフェは、前と同じように変わりなかったが、そこにサヤカの姿はなかった。
「あれから、サヤカさんは……?」
「もともと自分が彼女を死に追いやったのかもしれないと後悔していたこともあるんだが、今回のことでかなり憔悴してしまってな……今は実家でゆっくり休んでる」
親が見ているから大丈夫だ、と付け加えると、ダイゴはコーヒーを淹れてくれた。
「余計なことを、してしまったのかもしれません……」
そういうと、ダイゴは首を横に振る。
「そんなことはないさ。俺たちは、事実から目を背けて、過去を忘れようとしてた。そんなことできるはずないのにな。君には感謝してるよ」
「そんな……」
あの時、彼女が泣いている姿を見て、ユウマは自責の念に囚われていた。これでよかったのかと、思わなかったわけがない。真実を伝えてしまえば、襲ってくるのは今まで以上の罪の意識だ。それこそ自分を壊しかねないほどの。
「サヤカさんとのことは、これからどうするつもりなんですか?」
「しばらく結婚の話は置いておこうと思う。サヤカが現実を受け止められるようになるまでは……それで別れると言われたら、潔くそうするつもりだよ」
ダイゴの顔に、寂しさのようなものが見て取れる。強がってはいるが、それは嘘だろう。
「こんなことを俺が言うのは変ですけど……幸せにしてあげてください」
ユウマの言葉に、ダイゴはきょとんと目を丸くするが、すぐにくっくと笑い出した。
「高校生にそんなこと言われるとはおもわなかったな」
「す、すみません!」
出過ぎたことを言ったとユウマは俯き、出されたコーヒーに口をつける。
そして、ユウマはにやりとする。そのコーヒーは、サヤカが淹れたものより、薄く感じた。
「やっぱりあいつがいないと、うまいコーヒーは入れられないな……」
ダイゴの小さな呟きに、ユウマは微笑んでまた一口、カップに口をつけた。