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その言葉、嘘につき  作者: 羽野倖有
第一の扉
6/25

彼女の嘘(5)

 休み明け、ゆっくりしたいからという理由で、久しぶりに2便で登校したユウマは、やけに騒がしい教室の雰囲気に頭の上にクエスチョンマークを浮かべながら自分の席についた。何があったのかわからないが、教室のあちらこちらでグループができていて、何かの話題に持ち切りのようだ。

「お、来たかユウマ」

 ハルトがそういって紙パックのジュースに刺さったストローを咥えながら、ユウマの前の席に座る。

「何かあったのか?」

 教室の様子に抱いていた疑問をハルトにいうと、ジュースをずずずっと音を立てて吸い上げると、思ったよりも平常なトーンで答えた。

「ああ、見たんだってよ」

「見たってなにを?」

「何って決まってるだよ?幽霊だよ、幽霊」

 幽霊。

 いかにも学校らしいエピソードだ。ハルトが言うに、とある女子生徒が部活で残っていると、教室の窓から旧校舎の屋上から飛び降りる女子生徒の姿が見えたというのだ。大慌てで顧問の教員に連絡し、現場に駆け付けたらしいが、その痕跡はどこにも残っていなかった……というのが話の全容らしい。

「まあ、俺もとんだ噂話だと最初は思ったんだけどよ……その、あれだ。お前が調べてるあの事を思い出してよ。どうにも気持ち悪くてはしゃぐ気にもならねぇ……」

 ハルトのその言葉に、ユウマも頷く。

 間違いない。あの姿を見たのだ。ミヅキという女性が、飛び降りるあの瞬間を。

 だが疑問だったのは、なぜ今更なのかということだ。今この学校に通っている生徒たちは、この事実をほとんど知らないであろう生徒ばかりだ。自分だってあの光景を見るまでは知らなかった。もちろん、ホラー好き、オカルト好きの生徒たちにとっては、既知の話なのかもしれないが、当時いた教師もそのほとんどが転勤し、事件そのものが人の記憶から忘れ去られている。

 その状況の中で、出てきた幽霊騒ぎは、まるでこの事件を忘れるなと言われているようで気持ちが悪い。

「いつもなら面白がってるお前が言うんだから、珍しいな」

 ユウマがそういうと、ハルトは苦笑いする。

「そりゃあ、あの話を聞いてなきゃ俺もあっち側だろうけどな」

 その言葉が全てだろう。聞いてしまったこと、見てしまったことは、忘れようとしても忘れられない。忘れたふりはできても、本当に全てを忘れることは不可能だ。もしそれができる時が来るとしたら、それはおそらく死ぬ時だろう。

「しばらくはこの話で盛り上がるんだろうけど、どうせすぐ静かになるさ」

 そういってハルトは自分の席に戻っていく。ちょうど予鈴がなって、騒いでいた他の生徒も自分の席に戻り始める。

 短いホームルームのあと、一時限目は移動となった。必要な教科書や筆記用具を持ち、教室から出る。

「そういや、デート行ってきたんだって?」

 ハルトがそういってきたので、ユウマはそういうんじゃないと答える。その答え方だと逆に後ろめたい気がしたのだが、言ってしまったものは仕方ないと割り切ることにした。

「冗談だよ、ヒナちゃんだろ?まあ、幼馴染でもお前が女子といるのは珍しいけどな」

 何だか楽しそうにいうハルトを小突きたい気になったが、今は抑えておくことにする。次のために用意はするが。

 前を歩くクラスメイトたちの流れに合わせて、ユウマも階段を下り始める。ハルトと話ながら踊り場に下り、次の階段に足を踏み出した時。

 とんっ

 それは一瞬だった。

 誰かに押されたような感覚と共に、ユウマの体が前のめりになり、踏み出そうとしていた足がグラッとその行き場をなくした。振り返る間もなく、ユウマは階段を転げ落ち、下の階で談笑している生徒の間に体ごとぶつかっていく。

「ユウマ!!」

 ハルトの叫び声と、後ろを歩いていた女子生徒たちの悲鳴が耳に響く。

 しかしユウマの意識は、頭を壁に打ち付けた瞬間に途切れた。



 後頭部に鈍い痛みがある。ユウマはその痛みに顔をしかめつつ、ゆっくりを体を起こした。一体どうなったのかわからない。誰かに背中を押されたような感覚のあと、視界がぐるぐると回り、体が壁を打つ激しい衝撃のあと、ユウマの意識は途切れた。

「うっ……」

 思わず小さな呻き声を上げる。じんじんと鈍い痛みが続く中、何とか顔を上げたユウマの目に飛び込んできた光景に、思わず目を見開く。

 世界が、景色が止まっていた。

 広がるのは何度か見たモノクロの世界。だがそこには、見知った友人たちの顔がある。口に手を当てて悲鳴を上げている者。突然の事態に驚いて手を差し伸べようとしている者。そして、ユウマを助けようと階段をかけ下りているハルトの切迫した表情も見て取れる。間違いなく、そこは自分が落ちた時の光景だった。

『どうやら、軽い怪我で済んだようですね』

 ユウマはハッとして振り返る。そこには夜中の旧校舎で出会った男がいた。

「あなたは……」

 言いかけて、また襲ってくる鈍い痛みに顔をしかめる。

『無理はなさらないほうがいい。現実のあなたはまだ意識を取り戻してはおりません』

「どうして俺はこんな……?」

『あなたが真実にたどり着くのを拒む者の仕業です』

 俺が、真実に近づくのを拒む者……?

『真実を知られたくない、知ってほしくない。ですが逆に言えば、あなたが真実に近づいている証拠』

 近づいている。本当にそうなのだろうか。目の前に散らばるパズルのピースは、未だに組みあがらないままだ。ピースが揃っているのかも定かではない。

『ですが気をつけてください。これからも拒絶の心はあなたを苦しめることでしょう。どうか努々、お忘れなきよう』

 そういって男の体は消えていく。

「ちょっと待ってください!それは誰なんですか!?」

 ユウマの叫びは誰もいない真っ白な世界に呑まれ、むなしく響いた。


 

 顔に当たる風に温度を感じ、ユウマはゆっくりと目を開ける。そこには白い天井と、蛍光灯がある。半分だけ開けられた窓から入ってくる風がカーテンを緩やかに揺らしていて、その風は心地よかった。

 ずきずきと鈍い痛みを発する後頭部には、自分が意識を失っている間に巻かれたであろう包帯の感触があり、体の上には厚めの掛布団。

 自分がどこにいるのかわかったのは、教師を呼ぶ校内アナウンスが聞こえた時だった。

「保健・・・室?」

 ユウマはゆっくり体を起こし、左わき腹の辺りに茶色の何かが目に入る。

「ヒナ……」

 そこにいたのはベッドの端に両手を枕替わりにして、寝息を立てるヒナだった。薄らと染まった茶色の髪が、入り込んでくる風に少しだけ揺れている。その寝顔はいつも見ているどの顔よりも幼く見えた。

 思えば、ヒナはついこの前まで中学生だったのだ。高校生になった途端に大人になるわけでもあるまいし、子供っぽさはすぐに抜けるものでもない。幼馴染。いや、妹のように思っているヒナだからこそ、そう思うのかもしれない。

 ヒナの体がびくりと震え、薄らと目が開く。しかし次の瞬間、思い切り目を見開き、がばっと体を起こした。

「おはよう、ヒナ」

 微笑んで言うと、その顔に安堵と羞恥を織り交ぜたような複雑な表情を浮かべ、一回りしたかのように深く息をついた。

「よかった……」

「ごめん、心配かけちゃったな」

 そういうとヒナは首を横に振る。

「ううん、とにかく何ともなくてよかった。ハルト君も心配してたよ」

 あの世界で見た、ハルトの表情を思い出して、ユウマはこくりと頷く。

「ああ、そうだな。ちゃんとハルトにも謝らないと」

 ヒナはうんうん、と言って頷き、改めて聞き直す。

「それにしても、階段を踏み外すなんて、考え事でもしてたの?」

 やはり周りから見ると、自分は階段から足を踏み外して転落した、という風に見えたらしい。誰かに背中を押されたなどを言ったところで、誰も信じようとしないだろう。

「あ、ああ。ちょっと色々と……」

 ユウマは言うか言わないか一瞬の逡巡のあと、当り障りのない言葉で濁した。まるで疑うような目をしたヒナだったが、すぐに表情をほぐす。

「じゃあ、先生に目を覚ましたって行ってくるね。あ。無理しないで寝ててね」

 そういってヒナは保健室を出ていった。

 言わなくてよかったのか。自分の中でそんな言葉が木霊する。だが、言わなくてよかったのだと思う。本当のことを伝えてしまえば、余計な心配をさせてしまうだろう。誰かに背中を押されたなど、下手をすると怪我で済まず、死ぬところだったのかもしれないのだから。

 ユウマは再びベッドに体を沈める。目の前に広がる白い天井を眺めていると、忘れかけていた頭の痛みが、じわりと再び襲ってくる。痛みが引いてくれることを願いながら、心地の良い風に促されるようにしてユウマは目を閉じた。

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