彼女の嘘(2)
過去の卒業文集はないか、と担任教師に聞くと、さすがに訝しげな顔をされたが、それ以上の追及はなく、図書室ならあるかもしれないと教えてくれたので、放課後にヒナとハルトを連れて、図書室に行くことにした。ハルトには休み時間のたびに何でそんなことを調べるのかと質問攻めにあったが、この前のこともあるし、黙って付き合えと言って黙らせた。ヒナにいたっては、図書室という言葉に必要以上に反応し、図書室に行けるなら文句はないといってそれ以上は何も聞いてこなかった。この時ばかりはヒナが本好きでよかったと初めて思った。
放課後になり、ハルトを連れて図書室へ向かうと、ヒナもちょうど着いたところらしく、ユウマを見つけると右手をひらひらと振った。
「お、ヒナちゃん、こんにちは」
ハルトは笑顔になってヒナにそういったが、ヒナは一瞬考えるような顔をして、
「え、どこかでお会いしました?」
「ちょっと!それはないよぅ、ヒナちゃん」
ユウマとヒナはハルトのがっかりする様子にひとしきり笑い、図書室へ入る。
「あ、先生、こんにちは~」
よく図書室に通っては本を借りていくというヒナは、図書室の先生とも仲がいいらしく、少しばかりの談笑のあと、ヒナが昔の卒業文集はないかと聞くと、先生は少し困ったような顔をした。
「6年前となるとちょっと難しいけど……もしかしたらデータとしてあるかもしれないから、ちょっと待ってね」
そういって先生は受付の後ろにあるPCルームへ入っていった。
「やっぱり本そのものはないか……」
「みたいだね、せめてデータとして残っていればいいけど……」
そう話している横で、ハルトは椅子に座り携帯電話をいじり始めている。
「ヒナも本でも読んでいていいぞ。先生が戻ってこないとどうにもならないから」
そういうとヒナの顔がパっと明るくなった。
「ほんと!じゃあ、先生戻ってきたら呼んでね!」
そういってヒナは本を探しに棚の奥に消えていった。
ユウマも手持無沙汰になり、仕方なく本棚を眺める。さすがに図書館よりも質は落ちるが、参考書や文学小説、最近話題になった小説など、それなりに納められている。月に一度、どういった本が欲しいかなどを図書委員会からアンケートが来るが、それを特集したコーナーもあり、ヒナもかなりの数要望しているらしい。ヒナの場合、それこそ彼女が気に入った小説を希望として出すので、図書委員よりもその数はかなり多くなっているという噂がある。まあ本好きのヒナだからこその逸話だ。前に一度そんなに好きなら図書委員になればいいのにと言ったことがあるのだが、自由に本を読めないのは嫌という理由で図書委員にはならないらしい。それを聞いたユウマは、呆気にとられたものだが。
ユウマはとある一角で足を止めた。自分と同じ視線くらいの棚に、とある本を見つけたからだ。
「心理術・・・」
なぜか気になる本だった。普段ならこういった物は手に取らないし、そもそも図書室に来ることもないのだが、その本には何か惹かれるものがあった。
ユウマは本を手に取り、適当なページを開いてみた。そこには嘘をつく時の無意識の行動について書かれていた。次に一番最後のページを開く。当然のことながら、貸出カードには誰の名前も書かれていない。
「借りてみるか……」
そう呟きながら、ユウマを本を閉じてカウンターに戻る。すると、ちょうど先生がPCルームから出てきて、ユウマと目が合った。
「だめね、その頃のは残っていないみたい」
「そうですか……」
確率は低いとは思っていた。6年くらい前のものなら、普通ならば残っているだろう。だが、今回はそれには「事件」とキーワードがついて回っている。生徒のことを考えるなら、思い出させてしまうようなものは処分しているか、生徒の目につかないところに置いておくのがいいと判断するだろう。自分が教師だったら間違いなくそうする。
考えていると、先生は手を差し出しだ。きょとんとするユウマだったが、手に収まっている本のことを思い出して、先生に本を渡す。
「あ、珍しいね、ユウマ君も本借りたんだ?」
振り返ると、ヒナが5冊ほど本を持ってこっちを覗き込んでいた。ユウマはそれとヒナを交互にみて、言った。
「お前、それ全部読めるの?」
ヒナはにこっと笑う。
「もちろん!」
その即答に感心しながら、図書カードに自分の名前を書く。
「そういえば、この本、借りていったのはこれで二人目ね~」
「え?」
ユウマは思わず顔を上げた。貸出カードには誰の名前も記入されていなかったから、ここ最近の話ではないのだろう。そしてそう言った先生の顔に、ちょっとした焦りを見た。
「先生、一人目は誰だったんです?」
言うのをためらうように少し顔を俯かせた先生だったが、周りをきょろきょろと見たあと、
「奥のPCルームに来てくれる?ヒナちゃんと君の友達も連れてきて構わないから」
そういわれ、ユウマはヒナとハルトをつれ、奥のPCルームに入った。
「あなたがた、6年前の事件のことを調べているの?」
そのストレートな話の始まりに、ユーマはやはり、と思った。さっきのあの言葉は、明らかに口を滑らせたのだろう。同時に、ユーマの頭の中には予感のようなものが浮かんでいた。
「ええ、ちょっと最近ありまして。この事件のことが気になっているのです。そう、6年前の事件について……」
今度は先生がなるほど、というように頷いた。
「これを最初に借りた人、それはどなたなんです?」
「亡くなった、ミヅキさんよ……」
その言葉を始まりに、先生は過去起きた出来事を話してくれた。もちろん聞かせてくれたことは彼女が知っている限りの情報で、それが全てではないと思う。だが、ユウマにとってはかなりの情報を知ることができた。
亡くなったミヅキは、クラスの中でもおとなしい子だったという。その代わりに気遣いができる優しい人だったらしい。そんな彼女の周りには自然と人も集まり、特別明るいというわけではないがクラスの皆に愛されていた。
「そんな子が、どうして自殺なんか……」
ヒナが、今にも泣きそうな声でそう聞く。
しかし先生は何も言わずにただ首を横に振った。
「わからない。でも……」
「でも?」
「その本を返しにきた時、私は彼女の今にも泣きそうな顔を見て聞いたの。返ってきたのは本当に悲しそうにする彼女の涙だったわ。そして彼女はこういったの」
『私が全てを壊してしまったの……』
それだけいって、彼女は図書室を飛び出し、その後、屋上から飛び降りた。
『何があったのかはわからない。でも、私があの時、彼女を止めていたら……あの子は死ななかったかもしれない……』
そういう先生の涙を、ユウマは何も言えないまま見ているしかなかった。生徒の命を救えなかったという後悔と自責の念。先生は長いこと囚われていたのかもしれない。そしてそれを誰にも言えないまま、何年も自分を縛り続けたのだろう。
泣きじゃくる先生を代わりにヒナが慰めてくれていたのだが、帰り道、ユウマは先生の言葉を頭の中で繰り返していた。
「私が全てを壊してしまった……か。一体何があったんだろう……」
彼女に何かが起きたのは間違いない。それを知るためには……
ユウマは立ち止まり、ポケットの中にあるメモ書きを取り、それを広げる。
『彼女が一番仲良くしていた、遠藤さんという子なら、何か知っているかもしれないわ。彼女から聞いてみるのがいいかもしれない』
そういって渡されたメモには、遠藤という人の連絡先が書かれている。先生の方から前もって連絡しておいてくれるというので、ユウマはそれを待つことになった。
「遠藤……サヤカ……」
亡くなったミヅキが、特に仲良くしていた女の子。もしかすれば、真相を一番知っているかもしれない人。
「ねえ、ユウマ君」
隣を歩いていたヒナが、ユウマの服の裾をつまむ。
「ユウマ君は、どうしてこんなことをしているの?」
ヒナの質問に、ユウマは黙り込む。言うべきなのか、そうでないのか、迷ってしまったからだ。
「私ね、先生の泣いている姿を見て思ったの。嫌なことを思い出させてしまったのかもって。そして私たちは、他人の心を、忘れたいことを掘り起こして、傷つけているだけじゃないかって」
ヒナの言うことはもっともだ。俺は思いがけない言葉から事件の一端を知り、先生の記憶をえぐってしまった。気持ちいいわけがない。
「そうだな……俺は、真実を知ろうとするあまり、誰かを傷つけている。でも俺は……」
知りたいと思ったことは事実だ。途中で投げ出すこともできるだろう。好奇心という言葉で片付けてはいけないことも理解した。これは遊びじゃない。
「もし、それでも続けるなら」
そういってつまんでいた裾から手を放し、ユウマの前に立つ。その眼はいつになく真剣で、まっすぐだった。
「教えてほしいの。ユウマ君に何があったのか」
ユウマは少し驚いたあと、わかったと頷いた。