渡り鳥は飛び立つ・2
神殿は王宮の中にありますが、王宮からしてみれば神殿は王宮で女王の不況を買った者達を捨てる場所と言う認識があります。ただし、神殿から見れば王宮ではもっとひどい事をしているのを知っているので反目しあっているのが事実です。
宮殿の一角とは言え、神殿は不文律がまかり通っている。
確かに、現状の国を支えているのは水の精霊だが元を正せば人の手に堕ちて良い様に使いまわされた水の女神様のお蔭で我々は恩恵を受けて来たのだ。
水の精霊は、かつて水の女神の眷属だった。
この地への結びつきが強いからこそ、この地で契約者たる王への契約が出来たわけだ。でも、所詮はどれだけ信仰心を集めたとしても急激に集めた信仰心は過ぎたもので生物の力を借りる事で精霊は姿を固定する事が出来る。基本的に、これは精霊や女神も同じで、一人分の存在である精霊と土地そのものへの加護を与え顕現されていた女神とでは力の差は歴然と言うものだ。
『公爵には我が国を救っていただいた礼として、我と添い遂げる事を許そう』
すでに歪んだ我が国の精霊は、その姿を保つ事さえ難しい……それでも、王一人だけならば加護を与える事は出来ると言うのが見れば判るだろう。
突如として神殿に踏み込んできた我が国の女王位についている女は、いきなり寝言を吐いた。
いきなりだが、我が国は黒髪に黒い瞳の民族だ、肌も褐色で若干の濃さの違いはあるけれど頑張ってライトブラウンの髪と茶系の瞳くらいである。砂漠の民としては当然の事だが、女性は肌を露出させる事は夫と同姓以外には有りえない。
宮殿は外の壁を除けば空気を取り入れる為に解放されているので、砂さえ巻き上がる事が無ければ常に風が吹き込んでいる構造となっている。それでも、砂漠の熱風が入って来るので熱いのだろう事は想像がつかないので薄着の者が多い。直接日差しを浴びればその限りではなく逆に厚手の布地を何枚か被ると言う事がある……これは、直射日光を遮りにじみ出る汗を外気に紛れさせて乾燥する事を防ぐ効果がある。
だが、神殿はその限りではない。
今はないとは言え、女神の力のおかげか締め切っているにも関わらず空気は澄み若干の涼しささえ感じる。直射日光がないだけでもかなり違うと言うのもあるが、神殿の中は常に水が巡る様に設計されており。かつて、この国にあったとされる神殿の設計図が他国に残っていなかったら再建は出来なかっただろうと言われている。
話を戻すが、女王は我儘で偏見持ちで気まぐれで傲慢で鼻持ちならない。
食生活は徹底的に管理されているが、生来の怠け者で努力すると言う言葉やその響きさえ嫌っている。侍女達が手入れをしているので美容も最高級のものを使っている筈だが、見目の良い侍女は気に入らず簡単に罪を作り上げて罪人として処理する事が多い……今、この神殿にはそんな理由で処刑されかけた侍女や。従僕でも顔で合格に至らなかった者、顔は良いけど口うるさいとされた者等で構成されている。
「……神殿の皆様には、大変よくしていただいた所を恐縮ですが。
わたくし、とてもではありませんが彼女がどこの誰で何を口走っているのか判断が出来かねますので通訳をお願いしてもよろしいでしょうか?」
公爵夫人は近隣諸国の言語に堪能だと言うのは有名だ、ここ暫く共に生活をしていたので私自身も保証する事は出来る。
頭痛を覚えたとしても、これに関しては勘弁して貰いたい。
『いきなり先振れも出さずに現れて、何を口走っているのです。
最初から恥じらいは持ち合わせていなかったが、とうとう分別も常識も捨て去ったか。判断能力さえも欠如するとは笑わせてくれるな』
うん……私の言葉に思わずと言った限りで吹き出しかけたから、こちらの言っている言葉は理解しているらしい……下町俗語まで使えるとはすごいな。普通、こんな言葉はお上品な教科書には乗らないんだが。
内心の私の動揺は見抜けているのかいないのか、どちらでも良いのだろう公爵夫人は一瞬だけ揺らいだかと思えば即座に女王への非難の目を向ける。周囲の者達……神殿の者達はあまりと言えば余りの状況に神に祈りを捧げ始めた者が多い……これには、かつて女王の不況を買った者として処罰されたり処分されたり処断されたりした筈なのにこの場に居る事がバレるのを恐れたからだが、そんな心配は無用だ……こいつは自分がどこの誰をどんな風に虐げたかなんて覚えてない、賭けても良い。
『む、貴様か……』
『第二王女、女王陛下の御前で頭が高いですぞ!』
『黙れ犬にも慣れぬ欲望の奴隷風情が……お前達が仕えるべきは国、時に主さえも諌めねばならぬ立場で何を声高々に叫ぶなど不作法な事をしている。
お前達の態度が王の、ひいては国を判断される材料にされているのだと言うのにそこな欲求不満変質者な常識知らずで頭が沸いた露出狂痴女を諌めもせずに何をしている』
あ……公爵夫人、脇腹の当たりがなんか大変そうだ……。
逆に、貴族共を引きつれた。この国でさえ「裸同然」と言われる格好を平気でしている脳軽が反射的に叫ぼうとしてくしゃみをする……外に比べれば涼しいからな、神殿は。慌てた貴族共が触るわけにもいかなくて困ってるが……お前等、上着ぐらい貸してやれよ……。
『こんな所にいたら彼が病気になってしまうわ、早く運び出しなさい!』
『高熱出してる奴を外に出したら死ぬぞ、どんだけ頭が悪いんだ……』
教師達に、仕込まなかったのか仕込めなかったのか知らないが憐れみと申し訳なさと役立たずと罵倒したくなる気持ちが同時に押し寄せたが……これは、私のせいじゃないから。
『何よ、お前は黙りなさいよ!』
『言っておくが、この国は今。我が国の窮地を救っていただいた恩人を前に先振れもなく踏み込んで来た為に目覚める事も清める事もせず現れ、しかも既婚者相手にお前の奴隷になれと言っている事になる……しかも、私達の弟が主犯となって行った国すら違う方を誘拐し命の危機に晒し、おまけに……詫びの一つも入れられないとは……』
わざとらしく溜息をつくと、流石に馬鹿にされた事は判ったらしい……。
おお、成長したじゃないか!
『言っておくが、私を処分するのは出来ないぞ。
幾ら何でも知ってるだろうが、私はこの神殿の所属であって宮殿に籍があるわけではないからな。管轄違いで手を出せない、いかに神殿に働きかけても無駄な事は……虫程の役に立たぬそいつらの方が知っているであろう?』
ちらりと視線を向けると、何人かの貴族があからさまに視線をそらせる。
こんなのを半分でも血が繋がっていると認めるのは腹が立つが、それはそれで悲しい事に事実なだけに顔をそむけたところでどうにもならない事実だ……ああ、本当に腹が立つ。
囲い込んでも良いから仕込まなければ……いや、せめてもう少し体裁を整えてくれれば良かったのに……。
『そ……そうなの?』
『……はい、さようでございます』
王であろうと神殿とその関係者に何かをすると言う事は出来ないのは、王宮を含めたこの王都の水がすべて神殿から供給されているからだ。
確かに、水の精霊によって加護は与えられているけれど精霊が行うのは王に対してのみ……それ以外に精霊が加護を与える事はない。水の女神の神殿の跡地に債権をし、王宮はその水を王都に与える代わりに神殿内部における不介入と言うのが本来のあり方。
そこいらの貴族であれば神殿の外ならばともかく、中に踏み込んで来るだけで処罰対象だ。今回は大義名分があると勘違いしたからこそなだれ込んで来たと言う所だろう。だが、その不文律が崩れていなかったと言う事が判明した以上は彼等をどう好きに料理しようがこちらのさじ加減次第……。
『神殿に対して、他国の者があると言うのに横暴な振る舞い……何を考えて生きてるつもりだ……』
いや、いっそ生きるつもりがなくて遠まわしに一思いにやっちゃってくれとでも言いたいのだろうか?
呆れたと言う態度を崩さない私の態度に、公爵夫人は少しは機嫌を直してくれた様だ……良かった。
この目隠し綱渡りの状態で公爵夫人の機嫌を損ねるなど、冗談で済ませる気はない。
『ああ、その事……我が国を救ってくれたと言う隣国の公爵、報告によれば若くて見目がよく、しかも水系統の名門の家系だと言うではないの。
ならば、これからも我が国の為に我と添い遂げさせれば良い褒美になるであろう。
判ったら公爵を運び出しなさい』
『だが断る』
『そう言えば、公爵は結婚しているのだったわね。そんなの別れさせればよいのよ、ひと時でも公爵貴族の妻となれて良い夢を見た事でしょう。
取るに足らない女が我が国の恩人を留めておくなどと、その様な我儘はひと時の夢幻……公爵とともにあったと言うだけで誇りを胸に自ら下がる事が当然と言うものですもの、その様な者は捨て置けば良いわ。
隣国には……そうね、王へ文でも出して置けば良いわね。これで公爵が我が国へ輿入れをすれば我が国も有理になるもの、これからの国交の良い展開になるわ』
自分は頭が良いのだとはしゃいでいるが、周囲の空気が冷えて固まって行く事には気が付かないらしい……流石に、貴族達は問題の深刻さに気が付いたのだろう。自分達がどれだけそら恐ろしい事へと加担しようとしていたのか今更気が付いた様だがもう遅い。
この場にある事が、すでに罪なのだ。
ならば罰を与えるのが、私の仕事だろう?
『お前達、そこの駄目女を捕えなさい……丁重にな』
いい加減にしろと怒鳴る代わりに、私は命じた。
静かに、だが決して逆らう事を許さぬ力を込めて。
その言葉に、神殿兵達が公爵夫妻を取り囲み守ろうとする者と貴族共へ対峙しようとする者とに別れた。
私は……。
『これ、目を瞑っていていただけるかしら?』
下がろうとした所へ、前に進み出た人物がいた。公爵夫人だ。
今の今まで公爵の手を握り、疲れた顔を隠しもせずに懸命になって介抱を続けていた公爵夫人。
若い身空で調べただけで巻き込まれた案件は幾重にもある……いやもう、本当に心の底から頭が下がります。出来ればうちに欲しい、嫁に来てくださいと言いたくなる……弟は愚かだけど、この公爵夫人に手を付けなかった事だけは心底セーフだと思う。後で少しは手加減してやろう。
『必要ない、こちらへの配慮など無用……どうぞ、ご存分になされるがよい。
この様な暴挙に出られた以上、我が国の体面を保つ為にも。自らの愚かさを委細承知の上で矢面に立たれる方がよかろう……』
服装は、神殿で用意した衣服なのでそれなりにたっぷりとした生地を使っているが質素だ。
何しろ公爵夫人、こちらへは着の身着のままいらした……拉致られたのだ、それで着替えなど出来る筈もない。基礎化粧品くらいは提供させて貰った……ちなみにこれ、私の私物だが公爵夫人の愛用の品と同じだったりする。
「『恐れ入りますわ……女王陛下?』」
続きます