死より深い絶望 小さな絶望のハナシ
ルーナ軍西部方面軍第3師団団長は、立ち尽くす少年を見て、立ち竦んだ。
周囲には、自らの部下と思われる死体が見るも見事に一撃でやられているのが見える。
血の海と形容するしかない惨状で、少年は笑っていた。
2本の剣を手にして、恍惚の表情で空を仰いでいた。
血にまみれ、顔を紅く染めて笑っていた。
団長は恐怖が過ぎ去ると次第に怒りに支配された。
あんな餓鬼に俺の大切な部下が。
赦せねぇ。
団長は怒りに任せて一歩を踏み出した。
カチャリ、ともう一度聞こえた金属音。
振り返るとなんとも恐ろしい形相の男がゆっくりとした足取りで歩いてきていた。
瞬間、脳内麻薬の分泌がストップした。
浴びた血液のドロリとした粘着質な感質を今になって漸く気味悪く感じる。
両手で持つ剣は重力の影響をモロに受けて腕から滑り落ちた。ガチャン、と石が文句を告げる。
ツカツカと歩み寄った男は、
「このクソ餓鬼が……‼︎」
軍人らしくない大きく振りかぶった右拳でイアンの左頬を抉った。唇も口腔内も切れて、歯が一本折れた。アドレナリンの出ない脳は揺すぶられ意識が遠のく。何の構えもしなかった身体は宙を舞った。3メートルほど飛ばされた直後、無言の右脚が腹にめり込んだ。さらに吹き飛ばされ、意識が消えた。
やがて、一連の騒ぎは軍の収束作戦によって、終わりを見た。
だが、これによって現王制は退陣を余儀無くされた。
代わった新王は、見せしめとして首謀者数十人を公開処刑すると発表した。
「おい、早く歩け」
後ろから蹴られる。しかし、後ろ手に縛られている状況では反撃の機会など皆無だ。
イアンは、首都アドカの一角を軍に連行され歩いていた。
顔は、元々が分からないくらいに腫れ上がり衣服から出ている腕や足も青アザだらけだ。
しかし、その目は何も見えていなかった。虚ろに合わせた焦点は何も映さない。
死刑当然であった。しかし、簡易裁判になると、
「名前を言え」
と最後に言われ、
「イアン・オリベリアル」
と正直に答えると、突然目の前の男は名簿を繰った。そして、あるところに目を留めるとニヤリと笑い、
「お前は生かしてやる。死より深い絶望を知れ」
あれは、一体なんだったのだろう。
あれから、もう3日。あの時捕らえられていた祖父はどうなったのだろう。
だが、その答えもこの先にあるのだろう。
やがて、広い場所に出た。しかし、広いとは感じられなかった。人で溢れかえっている。その理由は、広場中央に設えられた高いステージ。その上には、何台もの刃物がついた木の枠で作られた珍しいもの。俗に言うギロチンである。
やがて、集まった人々の興奮のボルテージが上昇を始めた。ぞろぞろと死刑囚がステージに登ると、とてつもない野次と快楽の笑い声。執行人は次々と紐を切り、人々の興奮に合わせて人を殺していく。その行動の不自然加減と滑稽な動きはまるで道化師だ。
興奮のボルテージが最高潮に達した。
そして、最後の死刑囚数人がステージに登る。
「おい、よく見ておけ」
イアンには、後ろの兵士に言葉は入ってこなくなった。いつの間にか、縛っていた縄は取られていたが、そんなことはイアンの意識の端にも上がらなかった。
そして、
「It's show time!」
一斉に落ちた死神の鎌は血の華を咲かせた。
「ああっ。ああああああああああああああああああああああ‼︎」
イアンは叫んだ。嘘だと。夢だと。しかし、何処かに聴こえる誰かの声は、現実なんだと告げる。どれほど石畳を殴っても、痛みは感じなかった。
だが当然、ここは現実世界に他ならない。
散っていく野次馬に紛れて、少女は泣き叫ぶ少年を見ていた。
その後、どうしたのかは自分でも分からない。
喉は掠れて、息をするたびに虚しげな音を奏でる。
泣き腫らした眼は元々殴られていたのもあいまって、視界が極端に悪い。
右拳は皮が剥げて、多分骨も無事ではないだろうが痛みは無い。
そのままフラフラと路地裏を彷徨い、倒れた。もう、立ち上がる体力は残ってやしない。
「父さん…母さん…」
今際の際に、目が合った。あれは、気のせいなんかじゃない。最期に自分のこんな姿しか見せられないことに、ただ絶望した。もう、生きてはいけない。死より深い絶望から、這い上がることはできない。
始めて、涙が出た。父や母、祖父に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
だが、ここまで。誰にも知られず小さな命の花が今、散ろうとした。
「あなた色がないわね」
それは、たった一言から始まる。
「わたしがあなたにいろをつけてあげる」
それは、後々このルーナという小さな国を救うことになる、今はまだ小さな、それでも強く惹かれ会う2人の出逢い。
満天の星々が紡ぐ、愛の物語。
この先の一切の未来を信じて。
ぎこちなく手を取り合った2人は暗い路地の中に消えて行った。