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スケープ・ゴード

作者: コトリ




 生贄は、純潔の処女。

 そう教えられて育った僕達は、数年に一度、掟どおり村の娘を村から見送った。


 村の人口は、百に満たない。隣村は遠く、村の正面は海。その背後は、巨大な森だ。裕福ではなかったけれど、それでも幸せだったんだ。

「今朝、神殿の巫女が勤めを果たした。新しい巫女はオーロラ、お前だ」

 長老の言葉に、誰もが彼女を振り返った。彼女、オーロラは何が起こったのかわからないように、その大きな目を何度かまたたいた。

 ――生贄に選ばれる事。それは、神に召される事と同じだ。

「ありがとうございます、長老」

 そう言って微笑み、オーロラはスカートの両端を持って頭を下げた。大人達は、立ち上がって祝福の拍手を向けた。

 当然、僕も一緒に手を叩いた。顔をあげたオーロラが、僕を見つめた。

 笑んだ口元。幸せに満ちた目。でも、その目の奥に、少しだけかげりが見えた。

 オーロラは、僕の婚約者だった。




 僕達は、生まれたときから一緒だった。一緒に笑って、泣いて、喧嘩して。

 婚約だって、自然なことだった。僕は、オーロラを愛していたから。

 十五を過ぎてそれを決めた後も、村のしきたりで女性は十八を過ぎるまで純潔でいなければならなかった。

 いつ、生贄に選ばれるかもわからないから。特に、オーロラは美しかった。僕がオーロラを愛していたからそう見えたのかもしれない。けど、僕は村の誰よりもオーロラが一番美しいと思っていた。

 だから、オーロラが選ばれたのも、自然の事だと思った。

「ノア」

 オーロラの部屋に行くと、オーロラは僕の頬に触れた。

「ごめんね。あと三ヶ月であたし達十八になったのに……。そうすれば、ノアのお嫁さんになれたのに……」

「何を言ってるんだよ、オーロラ」

 僕は両手で、柔らかいオーロラの肌を抱きしめた。

「巫女になれるなんて、光栄なことじゃないか。僕だって幸せだよ」

 僕は、心の底からそう思っていた。

「ノア」

 僕の名を呼ぶ彼女の声が大好きだったから。その声が聞けなくなることだけを、僕は寂しく思った。

 

 その晩が、境だった。


 森の奥にある神殿。巫女がそこに行くのは、任命から十日後と決まっている。

 生贄とされる娘は、それまでの間は誰とも面会が許されない。

 でも僕は、オーロラの婚約者として一日一度だけの面会が許された。

「ノア、神殿ってどんなところなのかしら。あそこは、長老達しか行ったことがないでしょう?」

「ノア、あたしに巫女なんて勤まるかしら」

「ノア、どうして今年なの? あと一年、いえ三ヵ月後だったらあたしは十八歳になっていたのに……」

 彼女は、小指の爪を噛みながら、日に日に痩せていった。




「ノア、あたしを抱いて」

 村を発つ前日の晩、オーロラが言った。

「何を言ってるんだよ、オーロラ」

 僕の胸に顔を埋めたオーロラは、震えていた。「そんな事をしたら、巫女になれないじゃないか」オーロラを離し、その顔を覗き込む。彼女の頬は、こんなにもこけていただろうか。

「……行きたくない。行きたくないの。怖いのよ、ノア。あたしを助けて……巫女の資格をなくしてほしいの……!」

 美しかった笑みが似合う赤い唇は、紫に変色して小刻みに震えている。

「そんな事を言うもんじゃないよ。巫女になるのは、光栄な事なんだぞ」

 僕は怒って部屋を出た。彼女は、床に崩れて泣いていた。

 部屋の外には、長老がいた。今日は、僕の前に彼女に面会したらしい。

「掟では、婚約者は神殿まで付き添う事が許される。お前は来るか?」

 長老の言葉に、僕は頷いた。




 森林の奥地に入るのは、初めてだった。一番上が見えないほどに高くそびえ立つ木々。不気味な鳥、獣の声が、たくさん聞こえた。

 オーロラと僕、長老とその側近二人を含め、僕達は五人で神殿へと向かった。村人達は、いつものように村の出口で僕達を見送った。皆、オーロラに感謝していた。

 でも、オーロラはずっと震えていた。あまりに震えていたので足も遅く、一時間もしないうちに結局僕が抱えていく事にした。オーロラは目を見開き、唇は震えて、話しかけても聞こえていないように見えた。

 夜明けから出発したのに、神殿に着いたのは日が沈み始める頃だった。

 初めて見た神殿は、想像していたものとは違った。巫女が暮らすところ、というのだから、家のようなものを想像していた。しかしこれは家とは言いがたい――ただの祭壇さいだんだ。

 人の身丈二つ分ほどの四角くかたどられた石段。四方の角に、同じ石で作られた円柱が立っている。

 それを囲うように、その一帯だけには木々が無く、とても目立つ。

「いや! いやあ!」

「オーロラ?!」

 それを見た途端、オーロラが暴れだした。思わず手を離してしまい、オーロラは地面に落ちた。するとすぐに、長老の側近の男二人が、何も言わずにオーロラを抱えた。

「離して! 離して!」

 オーロラの叫び声に、僕は足が震えた。その場から、動くことができなかった。側近達は僕と長老から離れ、手際よくオーロラを祭壇に寝かせ、片足を柱の一つに結びつけた。

「ノア……! ノアあ……!」

 立つ事ができないまま、オーロラは両手を伸ばして助けを求めた。側近達が、振り返らずにこちらに戻ってくる。僕は、震えが止まらなかった。

「どこなの、どこにいるの、ノア……ノア……!」

 オーロラには、僕が見えていなかった。僕達に手を伸ばしているのに、僕達が誰だか分からないようだった。

「行くぞ」

 長老に、手を引かれた。

「ノアあ! 何でいないの……! どこいっちゃったのよぉ……!」

 僕は何も考えられなかった。長老に手を引かれるまま、僕は村へと帰った。後ろでずっと泣いていたオーロラの声は、次第に遠くなり、聞こえなくなった。




 村に帰ってからも、僕は震えが止まらなかった。

 部屋に入ってベッドに座り、生贄の意味を、やっと理解した。

 あれは、神に召されるなんて事じゃない。村を守る為に、森の獣達の餌となる。骨になるまで、時間をかけて。それが巫女の務め――。

 オーロラは、それをわかっていたんだ。だから、あんなに怯えていた。――それなのに僕は!

 帰り道、長老が言ったんだ。巫女は、死ぬ事を許されないと。巫女になって最初の晩、祭壇でその月光を浴びれば、巫女は骨になるまで生き続ける呪いが降りかかるという。

 村の皆が寝静まった頃、僕は村を飛び出した。

 ――オーロラ。今、助けに行くから。




 闇に包まれた森は、恐ろしかった。この森には入ったのは今日が初めてだというのに、ここにいるのはこれで二回目だ。

 ――ああ。オーロラ、一人にしてすまない。

 僕と一緒に村を出よう。オーロラを捨てた村なんて、どうでもいいじゃないか。

 二人だって、きっと生きていけるよ。一緒にどこか住めるところを探そう――。

 最後の草むらをかき分けると、祭壇の広場に出た。周囲に木々のない月光を浴びた祭壇には、オーロラ一人だ。――良かった。まだ、獣達はいない。

「オーロラ! 助けに来たよ!」

 一心不乱に、オーロラに駆け寄った。オーロラは、祭壇に横たわっていた。「一緒に逃げよう!」僕はすぐにオーロラを抱き起こした。片足に結び付けられている紐を切らなくては。何か切るものは無いだろうか。

「オーロ……」

 言葉の途中で、気がついた。

 オーロラの体には、力が入っていなかった。抱き起した体から、柔らかい腕が落ちた。抱き起こしたその体には、胸元に赤黒い血の跡があった。既にその広がりを止めてしまった、赤黒い液体の跡が。

「う……わああ!」

 僕は自分の手についたオーロラの血に目を見開いた。眠ったように閉じられたまま開かない目。半開きになった口元。美しかったオーロラの笑顔は、どこにもない。――死んでいる。

 オーロラの体には、既にオーロラはいなかった。

「は……」

 体中が震え、胸の中のオーロラから目が離せなかった。自分の息の音だけが、耳についた。だがそれも、遠い出来事のようだ。ふと目を落とすと、オーロラの片手には先端に同じ赤黒い液体のついた石の破片が握られていた。――自殺。

「僕は……なんて事を……!」

 なぜあの時、オーロラを突き放してしまったのか。なぜあの時、オーロラをこの場にひとり残してしまったのか。

 僕がもっとはやく決断していれば――。

 オーロラを抱きしめた瞬間、僕は気がついた。何かの気配がする。――見られている。

「……誰だ!」

 見回しても、広場には自分しかいない。しかし、周囲のあちこちから草木のざわめきが聞こえる。――獣だ。

 餌の匂いを察知して、かぎつけたのか。普段の僕なら、恐れただろう。しかし、オーロラを失った今、僕は何もかもがどうでもよかった。オーロラが獣に食われるというのなら、僕も一緒に食われよう。

 ここで、一緒に朽ちればいい。あんな村に帰ったって、僕にはもう何もないのだ。

 オーロラの握る、石の破片を手に取った。その体を抱きながら、石の破片を胸に当てる。視界の隅で、草むらの向こうから獣達が姿を現し始めているのが見えた。しかし、そんな事はどうでもいい。

 僕は一気に、自分の胸にそれを刺しこんだ。




 気が遠くなったのは、一瞬だっただろうか、数分だったのだろうか。焼けるような痛みに、僕は目を覚ました。気がつくと、祭壇の足元まで十数匹の獣に囲まれていた。――僕はまだ、死んでいなかった。

「なっ……ウ!」

 祭壇の上で体を起こすと、胸の痛みで動く事もままならなかった。――夢じゃない。まだ、生きている。

 周りでは、既に祭壇に登ろうとしている獣までいた。

「くそ……! 寄るな!」

 途端に、恐怖が体を支配した。なぜ一思いに死ねなかったんだ。痛みで、頭がぐらぐらする。まだ、死ぬまでに時間がかかるかもしれない。

「お! おい! 離せ!」

 オーロラの体を狙った獣が、オーロラを祭壇から引きずり下ろそうとしていた。しかし、オーロラの片足は硬く柱に結ばれていて、取れる事はない。慌てて、オーロラの体を引き戻す。しかしどうにも、痛みが酷い。

 ――早く、死んでしまいたかった。こんな獣達に食い殺されるなんてまっぴらだ!

 だが、そう思えば思うほど、意識はどんどんはっきりとし始めた。――どうしてだよ、オーロラは、胸を一突きするだけで死んでしまったじゃないか。その瞬間、僕は妙な事に気がついた。

『巫女となった最初の晩、その月光が、巫女に不死の呪いを降りかける』

 ――なぜ、オーロラは死んだんだ? 巫女は死なないはずじゃなかったのか? この月光を浴びれば――。

 その瞬間、僕は体中に寒気が走った。

 ――死ねない体。

 この祭壇で月光を浴びたのは、オーロラだけじゃない。――僕もだ。

 僕がオーロラを見つけた時、オーロラは既に死んでいた。その傷口からの出血も、とうに止まっていた。

 オーロラは、月光を浴びる前に死んだのだ。月光を浴びたのは、僕だけだ。

「……呪い……」

 頭の中が、ぐらりと揺れた。

 それなのに、村でのしきたりが頭の中をぐるぐると回る。

 生贄は、純潔の処女。村では、数年に一人が選ばれ、巫女とされてきた。それは、常に村の娘達だった。――誰が、娘と決めた?

 オーロラと誓いを立てていた僕は、誰とも交わった事などない。三ヵ月後、オーロラと一緒に歳を重ね、十八で結婚するはずだった。――オーロラと僕は、同じだったんだ。

 僕が、不死になってしまったんだ。

「グルル!」

「うあ!」

 突然、腕に噛み付かれ、僕は腕を振り払った。その獣からあとずさるも、オーロラを抱きしめたままでは身動きも取れない。何より、痛みと恐怖で体中が震えていた。立つことだって、できなかった。

 目の前の大柄な獣が、ゆっくりと牙を見せる。そこから、餌にありつく期待に溢れた唾液が見えた。月光に反射して、周囲の目が次々に光り始める。

「や……やめろ……! う……わああああああ!」

 視界は、あっという間に真っ暗になった。





「知ってる? 隣村の話」

「聞いたわ。……気の毒なことよね。生き残りは、誰もいなかったそうよ」

「やっぱり儀式に失敗したからよね。生贄を捧げなかったから、神様が怒って化け物に村を襲わせたんだわ。うちの村はそんなことにならないようにきちんと儀式を行わないと」

「様子を見に行った人達から聞いたんだけど、例の化け物を少しだけ見たそうよ。それはもう恐ろしい姿だったって。そんなに大きくもないけど、皮膚の無い真っ赤な体で、四本足で走る……。でも、体の一部がところどころかけていて……でも、一瞬だけ見た顔は、まるで人間のようだったって」






久々の短編です。

突然思いつき、一気に書き上げました。

ホラーに挑戦したのは初めてですが……このレベルでも、書いてる時に私が怖くなってしまった愚か者です(T_T)


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― 新着の感想 ―
[一言] っサ、最後までドキドキしましたぁ!
[一言] はじめまして。とっても読みやすかったです!漫画の世界・・手塚治虫の火の鳥に出てきそうだなあって思いながら読ませていただきました。ホラーというよりは悲しい恋の話・・・という気がしました。
[一言] とても切ない作品ですね… でも最後のオチがとても良いと思います!
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