48、結婚の秘訣
ビルツホルンでの滞在は実質五日間。軍縮会議は毎日、午後の開催で、それに合わせて出かける殿下を見送り、わたしは大使館でロベルトさんを手伝って、せっせとタイプを打ったり、翻訳のチェックをした。
滞在四日目の午後には、エヴァンジェリア王女がもう一度訪ねてきて、午後のお茶を飲みながら、その後の状況を説明してくれた。
「皇太子のグスタフ殿下は、賛成してくださったの。もともと、マルティナ公女との結婚には反対だったみたいで。でもアデーレ妃殿下が……」
はあーっと深々と溜息をついて、エヴァンジェリア王女が肩を落とす。
暗殺された前の皇太子フランツ殿下は、肉体的にも精神的にも弱いところがあり、晩年は愛人の女優の家に入り浸りで、妻のマリア妃との仲は最悪だったという。息子四人を次々と病気で失ったマリア妃は、夫の不倫に疲れ、マルティナ公女の養育に全てを賭けていた。だが五年前、外遊先で夫妻は凶弾に斃れて、まだ八歳のマルティナ公女がただ一人残された。
「可哀想な従妹ではあるけど、妹にしか思えない上に、何よりまだまだ子供っぽくて、とてもじゃないが結婚相手とは考えられないって、フェルも言っていて――」
「……見た感じ、ほんの少女でしたわ。あの年齢で結婚相手を決められてしまうのも、お気の毒だわ」
わたしは夜会で白いドレスを着ていた、マルティナ姫の姿を思い浮かべながら、お替りの紅茶を注ぐ。エヴァンジェリア王女も頷いた。
「わたくしも、直接会ったことはなかったし、お話しを聞いて少しばかり同情していたのだけど――」
エヴァンジェリア王女が声を潜める。
「昨日ね、約束もしていないのに彼の宮殿に突撃してきたの。庭を散歩していたわたくしたち二人に、ばったり鉢合わせ。そしたら――」
腕を組んで歩いていた、フェルディナンド大公とエヴァンジェリア王女の姿を見て、大声で泣き騒ぎ、大変な暴れようだったという。
「彼女は幼いころから、フェルが好きだったそうなの。だから、先日の夜会のエスコートが嬉しくて……婚約するんだって思い込んでいたから、わたくしをもう、罵るのなんの……生まれて初めてよ、『泥棒猫!』なんて詰られたの」
……さすがにステファニー嬢も、そこまではしなかった。まだ幼いマルティナ姫は、辛抱が効かないのかもしれない。
「それで騒ぎ過ぎて、ヒステリーの発作? みたいなのを起こしてしまったの。フェルが、いくらなんでも、そんな相手と結婚するのは無理だ、って皇太子殿下に申し上げて、マルティナ嬢との件はなくなりそうなのよ。フェルは皇太子になることがほぼ決まっているから、精神的に問題のある相手ではまずいでしょう? ……ランデル語でなんて言うんだったかしら。『瓢箪から駒』?」
「……たぶん、『災い転じて福と為す』とか、そんな感じかしら……」
わたしは首を傾げ、サンドイッチを勧める。
「……グリージャの大使館からの接触は特には?」
「ええ、ビルツホルンにいるのはバレているみたいで……ただ、わたくしがフェルの邸に滞在しているから、手を出しかねているみたいなの。それにね……」
ふふっとエヴァンジェリア王女が恥ずかしそうに顔を伏せ、それから真っ赤な顔で上目遣いにわたしを見た。
「その……わたくしたち……もう、他人じゃなくって。フェルは絶対に、わたくしを離さないって誓ってくださったの。ホラ、あなた方お二人が、聖ゲオルグ大聖堂で生涯を誓ったでしょう? フェルもあれを見て触発されたらしくって」
「はあ……」
どうやら二人は一線を越えてしまったらしい。……わたしたちのせいじゃないわよね?
わたしとアルバート殿下の関係は、王子と没落貴族出身の秘書官で、傍から見ればただの愛人で、言ってしまえば祖母の入院費目当てだった。身分が違うから、醜聞になっても殿下には傷はつかない。
でも、エヴァンジェリア王女とフェルディナンド大公は、どちらも真っ当な王族同士。つまり、アルティニアの皇子が、婚約者でもないグリージャ王女の純潔を奪ったことになるから、それってかなりまずいのではと、わたしは内心思う。
殿下の話では、エヴァンジェリア王女とフェルディナンド大公が結婚までに越えなければならない障壁は、並大抵じゃない、みたいな言い方だったけれど……。
でも、エヴァンジェリア王女は、現在のラブラブ状態にウキウキのようで、わたしは余計なことを言うのはやめ、ただ頷いて彼女の話を聞いていた。
ちなみにその日、わたしはコーキチとエヴァンジェリア王女を引き合わせ、エヴァンジェリア王女はコーキチから、真珠の一揃い――ネックレス、イヤリング、ブレスレット、ティアラのセット――を購入した。
「一揃いとしては、これが最後ですよ。後は、国からの取り寄せになりますので」
コーキチの言葉に、エヴァンジェリア王女は満足そうに、その真円の光沢を眺める。
「養殖って、人造とは違うの?」
「真珠自体は本物で、天然物と変わりませんから。ただ貝を育て、そこに核を入れて、真珠ができやすくするんです。――ニセモノだ、なんて言いがかりもつけられましたけど、アルバート殿下や、バーナード・ハドソン商会が紹介してくれた弁護士が、きちんと反論してくれて、現在ではちゃんと、本物の真珠と認められています」
コーキチに言わせれば、半円の養殖真珠を人工的に作る技術は昔からあったという。それを真円にする技術に、特別な工夫があるのだそうだ。
「これから、あなたはどうなさるの?」
わたし達の帰国は明後日に迫っている。コーキチはどうするのか尋ねたら、南回りで船に乗って帰るのだそうだ。
「ランデルとビルツホルンで、ほぼほぼ、手持ちの真珠も売れてしまいました。お得意様もできましたし」
穏やかに微笑むコーキチに、いつかはヤパーネに行ってみたいと告げれば、「もちろん、歓迎します! 必ずいらしてください! お待ちしますよ!」と答えてくれた。
その夜、軍縮会議をようやく合意にこぎつけて、殿下はかなり遅くに大使館に戻ってきた。明日はビルツホルンで過ごす最後の夜。夕刻にグルブラン宮殿で調印式を行い、そのまま夜会になるという。
「……フェルディナンド大公から、グリージャ王女と参列すると、内々に知らせてきた」
わたしが目を見開く。
「じゃあ、結婚の許可が下りたのですか?」
「よくわからん。俺たちのように強行突破するつもりかもな」
わたしはベッドの上で、殿下に背後から抱きすくめられた状態で、思わず眉を顰める。
「それは――リジーは何て言うか、ちょっとばかり狂犬じみているから可能だったけど、フェルディナンド大公みたいな大人しい人には、厳しいのじゃないかしら」
「……俺の渾名は確かに狂犬だが……」
殿下は肉体派で、体当たりして壁をぶち抜くタイプだ。今回も、外遊にわたしを婚約者として連れ出し、無理矢理承認させようという、まあ、要するに肉弾戦だ。お腹の周囲にダイナマイトを巻き付けて、手榴弾を持って突撃する感じ。――普通の王子様は、そういう無茶はしないと思う。
「リジーに触発されたのだとしたら、ちょっと心配だわ。それに――」
わたしは殿下の耳元に顔を寄せて、言った。
「その……とうとうお二人、一線を越えてしまわれたみたいで……」
「へえ、あのヘタレ皇子、実行に移したんだな。……いや、何、あいつにさ、好きな女と引き離されそうなんだけど、どうしたらいいか、って言われたから、秘訣を伝授しておいた」
「まさかその秘訣って……」
「とりあえず、つべこべ言わずにヤっとけって」
「最ッ低!」
まさかこの狂犬王子の言うことを真に受けたせいだったなんて……わたしががっくりして溜息をついていると、殿下が言う。
「よかったじゃないか、エヴァンジェリア王女も喜んでいるみたいだし。既成事実もできて、めでたし、めでたし」
「そんな馬鹿な!……女性の純潔を何だと思っていらっしゃるの? もしこれで上手くいかなかったら、エヴァンジェリア王女は大変なことになるわ?」
わたしが詰れば、殿下はわたしの顔を至近距離で見て、笑う。
「心配したところで、どうにもならない。フェルディナンドは頼りなさげに見えて、意外と骨はありそうだ。なんとかなるさ」
殿下がわたしの頭を抑えて唇を奪い、そのままゴロリと態勢を変える。
「アイツらも今頃、頑張ってるかもと思うと、盛り上がるな?」
「盛り上がりません! いい加減に……んんんっ……」
結局その夜も、好き放題貪られてしまうのだった。




