5、再会
「……リ、リジー?」
わたしは茫然と、自分の前に立ちはだかる背の高い男性を見上げる。
どうしてここに、アルバート殿下が……!
殿下は肩越しにわたしに片目をつぶって見せて、何も言うなと合図した。
……そうだ、マクガーニ閣下は、午後の列車で到着するアルバート殿下の「代理人」を駅まで迎えに行ったのだ。
まさかアルバート殿下本人が、「代理人」のフリをしてストラスシャーまでやってくるなんて……!
わたしは眩暈がして、無意識に目の前の大きな背中に倒れ込む。
「エル……エルスペス嬢、大丈夫か?」
殿下が慌ててわたしに向き直り、わたしを抱き留める。
「……申し訳……」
「いい、何も言うな」
殿下がわたしの耳元で囁く。聞きなれた低い声が、わたしの心に沁みとおってくる。肩を抱きしめられる大きな手も、腕も、逞しい胸も――もう、振り払うと決めたはずなのに、わたしはそれを拒むことができない。
祖母が死んで、わたしを縛るものはなくなったのに。
わたしは――この人が――。
「ダグラス・アシュバートン君。今の狼藉については特に不問に付そう。ただし、次はない」
「……狼藉って別に……」
ダグラスがロベルトさんに腕をねじ上げられ、痛みに顔を歪める。
「それよりも、だ。……実は、この庭の奥を売りに出しているそうだね。アルバート殿下が、その土地に興味を持たれている」
「あ、アルバート殿下が? ……王子様がこんな田舎の土地を?」
ダグラスが不審げな表情で問い直すが、マクガーニ閣下は平然と頷いた。
「まあ、わしは代理で契約を依頼されたにすぎん。やんごとなき方の気まぐれにいちいち理由なんてないさ。……この奥を見せてもらうことはできるかね?」
「あ、ああ……鍵は、俺が持っている。でも、今はない。部屋にあるし……それに鉄条網を外すのが一人じゃ無理だ」
ダグラスの言に、マクガーニ閣下も頷く。
「なるほど。……明日の午後、葬儀の後でもよいかね? 殿下の代理人にも見てもらいたいのでね」
「わ、わかった……」
そこまで話してロベルトさんがダグラスを解放すると、ダグラスは肩をさすりながら、振り返り振返り、館の方に逃げて行った。
「……あの野郎。今度俺のエルシーに手を出してみろ――」
悪態をつく殿下を、ロベルトさんが窘める。
「お忍びだからって、いくらなんでも砕け過ぎ。仮にも王子殿下の代理人のくせに、柄が悪すぎっすよ。まるで下町のチンピラじゃないっすか」
「お前に言われたくない」
殿下とロベルトさんのくだらない言い争いを無視して、マクガーニ閣下がわたしに言う。
「エルスペス嬢も危なかったな。……やはり、一人で出歩かぬ方がいい」
「申し訳ありません。……昔の、自分の家だと思うと、つい……」
わたしは目を伏せると、殿下がわたしの肩を抱きしめて言った。
「顔色が悪い。中に入ろう……」
「オレたち、まだちゃんと挨拶してないしね。……リンドホルム伯爵さまに」
ロベルトさんが気楽な声で言い、促されて、わたしはハッと彼らの顔を見比べる。
「なぜ、殿下ご自身が……?」
マクガーニ閣下が深い深い溜息をつく。
「……どうしても、ご自身でリンドホルム城が見たいと仰せになった。そしてレディ・アシュバートンの葬儀に出て、マックス・アシュバートンの墓にも詣でたいと。だが、殿下のご身分では無理だ。それで……つまりは苦肉の策だな」
「俺は十二年前、リジー・オーランドと名乗ってこの城に滞在したことがある。あるいは俺の顔を憶えている者もいるかもしれない。……お前の家の執事の、ジョンソンのようにね。だから、アルバートの名で来るのはまずいんだ」
「……リジー……」
わたしが呟くと、殿下がわたしを覗き込むようにして、言った。
「……それに、俺はどうしてももう一度、お前と話がしたかった」
わたしは殿下の金色の目に見つめられて、思わず息を呑んだ。
「でも、おしのびでなんて、危険はないのですか。もし、バレたら……」
それでなくとも王都は今、殿下とステファニー嬢の婚約が正式に決まって、色々と大騒ぎのはず。それを放り出して数日雲隠れなんて、配下の方々は大変なことになっているのでは。
わたしが不安になって殿下と、そしてマクガーニ閣下を見比べれば、閣下がくすぐったそうな表情で肩を竦めて見せた。
「殿下にとって、マックス・アシュバートンは命の恩人だ。そのご令嬢に対する様々な無礼は許しがたいが、だが本心から結婚を望むのであれば、殿下ご自身でその気持ちを告げ、真摯に謝罪し説得するべきだ。紳士たるもの、少々の危険を冒すことも必要だしな。……もし、殿下自ら来なかったら、わしはエルスペス嬢には別の縁談を薦めるつもりだった。謝罪と告白を部下に任せるような男に、友人の大事な娘を任せることはできないからな」
「閣下……」
つまり閣下もまた、殿下とわたしの関係を黙認するつもりでいるということ?
言葉に詰まってしまったわたしに、殿下が言いかける。
「エルシー、俺は――」
「あーはいはい! お二人の話はお二人だけの時にお願いします!」
だが、ロベルトさんが割り込んできて、殿下は口を噤んだ。
「わしは殿下にチャンスを与えただけで、許すかどうかはエルスペス嬢の意志による。復縁を強制するものではないから、きちんと言葉を尽くして二人で話し合うべきだ。ああ、言うまでもないが、節度は保たれるように! エルスペス嬢は未婚で、それに祖母君の喪中だ」
マクガーニ閣下に釘を刺されて、殿下が肩を竦める。
「わかっている。……喪服姿も色っぽくて、そそられるんだがな」
「殿下!」
それからわたしたちは連れ立って館に戻り、ロベルトさんと「リジー」ことアルバート殿下が、サイラスやジェーンおば様に挨拶をした。
「リジー・オーランドです。……今はアルバート殿下の下におりますが、実はレディ・ウルスラの遠縁になりまして、以前、この館にもご厄介になったことがあります。十年以上前のことですが」
そつなく挨拶する「リジー」を見て、スミス夫人がアッと、眼鏡をかけなおす。
「ええ! 憶えていましてよ!……その、ローズお嬢様の……っと」
スミス夫人がそっと口元を覆う。「リジー」はその様子にニッコリと微笑んで言った。
「その節はお世話になりました。私はオーランド伯爵の養子に迎えられましてね。あの頃は新しい環境に慣れなくて、体調を崩して……亡きマックス卿の薦めで転地療法に来ていたのです」
「ええ、ええ、そのように伺っておりましたとも! 今はもう、すっかりよろしいのですか?」
「おかげ様で、無事に健康を取り戻しました」
普段と別人のように、にこやかに礼儀正しく対応する殿下に、わたしの目が点になる。
王子じゃないフリしている時の態度の方が王子様っぽいって、どういうことなの!
素晴らしい美男子でいかにも育ちがよく、さらにアルバート王子の側近だというスーパー・エリート「リジー」の登場に、ジェーンおば様は茫然と見惚れ、ヴィクトリアは急に髪を撫でつけたりと、笑ってしまうくらい意識している。――今更、鏡に映して髪を整えたところで、たいして変わりはしないと思うわよ。
「まあ、以前、こちらに滞在なさったことがあるの? んまあ……しかも、今はアルバート殿下にお仕えだなんて!」
ジェーンおば様が感激したように両手を頬に当てて尋ねれば、「リジー」は極上の笑みであっさりとジェーンおば様を悩殺した。
「ええ、そうなんです。私もまだ若くて……エルシーがこんな小さなころで」
「リジー」が腰のあたりに手を置いて言う。……いくら何でもそんなに小っちゃくはなかったわよ!
しかしわたしに反論の余地も与えず、「リジー」はわたしに向かって言った。
「エルシーは私のことなんて憶えていないだろう? まだ小さかったから」
爽やかな笑顔で尋ねられ、わたしはぐっと詰まる。
「えっと……その……うっすらは……」
「私はエルシーのことを、一日たりとも忘れたことはなかったのに」
「それは……その……申し訳、ありません……」
「お嬢様はまだお小さかったですから、無理もございませんよ」
気まずく下を向いたわたしを、スミス夫人が庇ってくれた。
明らかに「リジー」にのぼせ上ったジェーンおば様とヴィクトリア、アルバート殿下の側近の登場に茫然とするサイラス、そして昼間に痛い目に遭わされて面白くなさそうなダグラスに対し、誰とでもそつなく対応するロベルトさんと、普段とは別人のように愛想を振りまき、やけに行儀のいい「リジー」こと殿下。祖母が生きていた時にはあり得なかった浮ついた食卓に、わたしはただただ混乱して、ロクに食べ物の味もしなかった。
食事の後、ジェーンおば様の提案で、遊戯室でブリッジをすると言い出したけれど、とてもじゃないけれどそんな気分にはなれなくて、わたしは先に失礼することにした。
部屋に帰りかけたわたしをさりげなく追ってきた「リジー」が、狭い階段の踊り場でわたしに追いつき、耳元で囁く。
「……後で部屋に行く。話があるんだ」
それだけ言うと、振り返りもしないで通り過ぎていく「リジー」の大きな背中を、わたしはしばし茫然と見送った。




