19、嵐
この寒空に大雨に降りこめられ、びしょ濡れになってしまったシャーロット嬢を、急いで風呂に入れる。この邸宅は広いけれど、常に客用寝室が稼働しているわけでもなく、また年末年始で通いのハウスメイドもすでに帰宅していた。残っていたのはほとんど下働きのような、若い未熟なハウスメイドくらい。それでも慌ててお湯の仕度をさせ、わたしの衣服の中の、彼女にも着られそうなワンピースを揃えて出しておく。
「付き添い婦人も無しで、要するに家出なのか?」
殿下の問いに、ジュリアンも困惑げに応える。
「嵐の中を一人で立っておられて……俺が見つけなければ、大変なことになっていたと思います」
大晦日でさらに嵐だったので、狼藉を働く男もいなかったのが、幸いだったと言うべきか。
「とにかくジョナサンに電話をしておく」
殿下自らロックウィル伯爵家に電話すれば、執事からロックウィル伯爵へと取り次がれた。あちらでは午後からシャーロットの姿が見えなくなり、カーティス大尉も捜索に出ているらしい。
「とりあえず、オーランド邸で保護し、今夜は泊める。ミス・アシュバートンもいるから心配はいらない」
とだけ告げて電話を切ったところに、入浴して身支度を済ませたシャーロット嬢がおずおずと現れ、化粧っ気のない顔で恐縮そうに頭を下げた。
「申し訳ありません。とんだご迷惑を……」
「ロックウィル伯爵には連絡を入れておいた。こんな嵐の日に一人で出かけるなんて、淑女失格だぞ?」
殿下が冗談めかして言うが、シャーロット嬢の顔色は悪く、瞼は泣いた後のように腫れていた。
「寒くはないかしら? わたしの服が入ってよかったわ。ジュリアン、もう一枚、ショールかカーディガンをお持ちして?」
彼女が着ているのはウールの、紺と緑のブラックウォッチのワンピース。前ボタンで、ウエストのリボンでボリュームを調整でき、わたしが普段に愛用しているものだけれど、真冬にはやや寒いし、何より地味だ。心得たジュリアンがわたしの部屋に走り、ニットのカーディガンを持ってきた。
「すみません、何から何まで……」
消え入りそうな声で礼を言い、カーディガンを羽織って溜息をつく。――いったい、何があったのか。
「ジョナサンと喧嘩でもしたのか?」
「いえ……」
殿下の問いかけにも、俯くだけで一向に埒が明かない。わたしは気分を変えるように、ヴァルタ―さんに言った。
「せっかくだから、先にお食事にしてくださる?」
「はい、それがよろしゅうございましょう」
ヴァルタ―さんも頷き、わたしたちは食堂に移動した。シャーロットは遠慮しようとしたが、食事時にやってきた客人をおいて、自分たちだけ夕食を食べるなんて、できるわけがない。昼食を控えめにしたせいもあり、わたしも殿下もお腹がペコペコだった。
大晦日の今夜は、家族や知人で集まって、豪華なディナーと摂るのが習わしだ。……ロックウィル伯爵家でもそうだったはずなのに。オーランド邸の料理人は優秀で、ちゃんと三人分のディナーの仕度ができていた。
本日のメインはローストビーフ。サーロインの焼き具合は最高で、肉汁たっぷり。植民地から輸入した豌豆に、人参、ジャガイモの温野菜、ローストビーフにはつきものの伝統のプディング。他にはホワイトシチューのパイ包みに、香ばしいマッシュルームのソテー。……シャーロット嬢は食欲もなさそうだったが、わたしは人のことは気にせず、普通にいただき、敢えて関係のない世間話をする。
「グリージャのエヴァンジェリア王女と、アルティニアのフェルディナンド大公の婚約について、グリージャ側がブツブツ言っているらしいな」
「まあ、例の、愛人宅に入り浸りの、王太子のお兄様がらみですの?」
「王太子の素行が改まらず、王太子妃がとうとう、実家に帰ってしまったそうだ」
何気ない会話をしながら、ときどき、そっとシャーロット嬢を見る。ホワイトシチューは口に運んでいるのを見て、ホッとする。――暖かいものを食べれば、少し元気になれる。
食事が半ばほどに進んだ時、玄関の呼び鈴がけたたましく鳴って、給仕をしていたジュリアンが、慌てて飛んでいく。おそらく全員が予感した通り、ジョナサン・カーティス大尉が嵐の中を駆けつけてきたのだった。
シャーロット嬢は露骨に動揺し、ガシャンとカトラリーを置いて腰を浮かす。
「シャーロット嬢、逃げてどうなさるの。何があったか知らないけれど、あなたを突き出すようなことはしないから、落ち着いてちょうだい?」
「よそ様の令嬢を預かって、それが行方不明になったんだから、慌てて当然だ。とにかく安否を確認したいんだろう。大丈夫だ、エルシーもいるし」
わたしと殿下でこもごも宥めているうちに、普段の穏やかさをどこかに置いてきたような慌ただしい足取りで、カーティス大尉がジュリアンに先導されてやってきた。
外は雨から雪に変わって、大尉のコートと帽子には白い雪が残っていた。
「シャーロット! ……いったい……!」
わなわなと震えて言葉も出ない状態で、だが、仮にも仕える王子の家で、婚約者を怒鳴りつけるわけにもいかないのだろう。絶句して立ち尽くすカーティス大尉に、殿下が立ちあがって椅子を勧める。
「ジョナサン、落ち着け。何があったか知らんが、俺とエルシーの夕食を騒がすのは許さん。まず、コートを脱いでそこに座れ。それからジョナサンの分の皿を――」
言う前にヴァルタ―さんが新しい食器とカトラリー一式を運んできて、シャーロット嬢の向かい側に並べる。ジュリアンが大尉のコートを受け取り、出て行くのに対し、殿下が声をかける。
「馬車で来たのなら、この吹雪の中、ご苦労だったな。馭者にも食事と、ウィスキーを振る舞って、場合によっては今夜は泊めてやれ」
「すでに手配しております」
ジュリアンが頭を下げて下がり、大尉の前のグラスに、ヴァルタ―さんが赤ワインを注ぐ。
「まず食え。面倒くさい話合いは、食事の後だ」
「……ご相伴に与かります」
吹雪の大晦日、何とも奇妙なディナーとなり、わたしと殿下は無言で顔を見合わせていた。
わたしと殿下はさも、何事もなかったかのように食事を終え、場所を暖炉の前のソファーに移すことにした。ヴァルタ―さんは夕食の片づけと、客室の準備に向かい、ジュリアンが食後酒とタバコ、わたしとシャーロット嬢に、甘い貴腐ワインを運んできた。
殿下はそのジュリアンに、シャーロット嬢発見の状況の説明を求めた。
「はい、夕刻におふくろ――いえ、母を姉の家に送りまして、その後一旦、アパートメントに戻ったんです。明日の午後に母が戻るまで、アパートメントが無人になりますので、火の元と戸締りを確認するためです。雨脚はかなり強くて、馭者を待たせて中に入り、戸締りを確認して戻ってきたら、扉の前にずぶ濡れで立っておられました。一度、ミス・アシュバートンとともにいらっしゃった、カーティス大尉の婚約者だと気づいて……」
ジュリアンはずぶ濡れのシャーロット嬢に仰天し、慌てて自分のコートを脱いで着せかけ、馬車に乗せてロックウィル伯爵邸に送り届けようとしたが、シャーロットがそれを拒否したという。
「王都はほとんど知らず、他に行く場所が思いつかなかった、ということでしたが、アパートメントは無人になってしまいますし、俺もオーランド邸に向かわねばなりません。仕方なく、郊外になりますがそのままお連れいたしました」
つまり、シャーロット嬢は家出して殿下のアパートメントに逃げ込もうとしたが、無人で中に入れず、氷のような雨に濡れていたところを、ジュリアンに拾われたわけだ。……ちょっとタイミングが悪くてジュリアンと行き違ったら、そのまま嵐の路上で一晩立ち尽くし、下手すれば死んでいた。故郷から出てきたばかりで王都に土地勘がない。ホテルに泊まったりカフェに入ったりする機転も効かず――もっとも、大晦日の今日は、ほとんどの店が閉まっているけれど――行ったことのある場所が、この前、お茶をした殿下のアパートメントだけだったらしい。
「まさか、殿下を頼って――?」
茫然とカーティス大尉が呟けば、シャーロット嬢がぶんぶんと首を振る。
「ち、違います! その……ミス・アシュバートンがいらっしゃるかと思って――」
「わたし?」
ギョッとして問いかけるが、殿下が「またか」という顔をしている。
「エルシーは変な男だけじゃなくて、同性にも妙な吸引力を発揮するらしいな」
「ご、ごめんなさい! でも、ロックウィル伯爵家にいるのは辛くて――」
カーティス大尉が困惑してシャーロットの顔を見る。
「それは――僕だってデイジーには思うところもあるが、昨日の今日で、来るなとは言えないだろう。僕の家族は理解しているけれど、他の親類たちはデイジーの正体を知らない。一晩、我慢してくれれば――」
今夜は大晦日。ロックウィル伯爵邸には親族知人が集まっている。当然、その中にはミセス・デイジーもいたわけだ。
「あの女、昨夜、ジョナサンにワインをぶっかけておきながら、よくまあ、面の皮の厚いことだな」
殿下が半ば驚嘆するけれど、デイジーはきっと、何事もなかったようにやってきたのだろう。
「……そこで、デイジーに、何か言われたのね?」
わたしが問いかけを遮るように、カーティス大尉が言う。
「でも、そのぐらいやり過ごせば――」
「大尉。……周囲の者にはたいしたことはなくても、シャーロット嬢には積もり積もったものがあったのでしょう。他の方はともかく、あなたが責めてはだめよ。味方の少ないシャーロット嬢をますます追い込んでしまうわ?」
シャーロット嬢は両手で顔を覆い、震える声で言った。
「わ、わた……わたしが、役立たずで、ピアノを弾かなかったから、殿下の……殿下の愛人の引き立て役になって、そのうちにジョナサン様も取られてしまうって……」




