prologue
ムーンライトノベルズで完結済みの長編の、全年齢版です。
「議会が俺の婚約を勝手に承認しやがった」
その声に目を上げれば、紫煙が目の前で揺らぎながら立ち上っていく。
長い指で紙巻煙草を挟み、アルバート殿下はけだるげに煙を吐き出した。乱れた黒髪が額に落ちかかり、金色の瞳が物憂げに伏せられる。
「まさか議会まで動かすとは! 俺はステファニーとは結婚しないと、何度も言っているのに!」
怒りが収まらないのか、殿下の声が尖る。彼は第三王子で陸軍司令の要職にあるけれど、議席は持っていないので議会の決定には口を挟めない。自身の婚約が勝手に議題に挙げられたと聞き、慌てて駆け付けたけれど何もできなかったようだ。
チクショウ! と王子とは思えない汚い罵り文句を吐きながら、バンッと乱暴に上掛けを叩いた。戦場で一般の兵士と暮らす時間が長すぎて、すっかり言葉遣いが悪くなってしまったらしい。見かけは問題なく王子様なのに、下町のチンピラみたいな言葉遣いが残念過ぎる。
「要するに、ステファニー嬢との婚約が、正式に決定されたんですね」
わたしが念を押せば、殿下がいかにも不味そうに顔を歪め、煙を吐き出した。
立ち上る煙を眺めてから、殿下が忌々しそうに言う。
「俺は認めてない!」
「殿下が認めなくても、議会が承認したってことは、正式決定でしょう? もう諦めて結婚なさったら?」
わたしが突き放すように言えば、殿下は駄々っ子のように叫んだ。
「嫌だ! 俺はステファニーとは結婚しない!」
「そんなことおっしゃっても。決まっちゃったものはもう、しょうがないでしょう?」
「エルシー、お前までそんなことを!」
たしかに、王子と寝てる愛人が言うことじゃないかもしれないけれど、議会の承認が下りているのに、いくらなんでも往生際が悪いというもの。
「議会が承認したってことは、正式決定ですよね?」
「議会なんて知ったことか! 俺は認めない!」
わたしがもう一度念を押すが、殿下は頑として認めようとしない。でも、いくら喚いたところで、議会が承認してしまった婚約を覆すのは無理だと思うの。
紙巻煙草の先に灰が長く伸びているのを見て、わたしは慌ててベッドサイドから銀の灰皿を取って、殿下に差し出す。
「灰が落ちますよ」
「……ああ、すまん」
殿下の灰を灰皿で受けながら、わたしは溜息交じりに言い、殿下の手に灰皿を押し付ける。
「ベッドで煙草を吸うのは火事の元です。愛人と同衾してるベッドで寝煙草して火事でも起こしたら、とんだ醜聞だわ。……ま、わたしと寝るのはこれが最後ですけど」
殿下は面白くなさそうに灰皿を受け取り、煙草をグリグリと押し付けて火を消すと、灰皿をサイド・テーブルに置いた。
その隙に、わたしは羽毛の上掛けで裸の胸を隠しながら、目で絹地のガウンを探す。さっき殿下に剥ぎ取られて、どこかに投げ捨てられて――
ベッドの下に落ちている薄紫のガウンを見つけ、拾い上げようとした、その手首を殿下が不意に掴んだ。
「……何で、今日が最後ってことになってる」
「ええ?」
殿下はわたしの腕を強引に引っ張って、わたしを枕の上に押し倒すと、自分の長い二本の腕で閉じ込めるように組み伏せてしまう。真上からまっすぐに見下ろす、殿下の金色の瞳に射すくめられ、わたしはどきまぎして瞬きした。
「え……? だって、この関係は、正式に婚約が決まるまでって、前に約束しましたよね。議会の承認も出たことだし、この業務は終わりでしょう?」
「業務ってなんだ」
「殿下がおっしゃたのよ? 秘書官の業務の一環だと――」
殿下が、凛々しい眉を一瞬、顰める。普段は撫でつけている黒い前髪が額に落ちかかり、整った顔に影を作る。――つくづくお顔は整って美しいと思う。ただ、中身は傲慢な王子様だ。
秘書官の経済的な窮状に付け込んで、こんな特別業務を命じたけれど、殿下が正式に婚約したら、この関係も終わりのはず。そういう、約束だった。
わたしは彼をますぐに見上げて言った。
「正式に婚約したなら、もう、わたしとは終わりです。そういう、約束でしたよね?」
「もういい、黙れ」
殿下はわたしの反論を聞きたくなかったのか、強引にわたしに口づけて唇を塞ぐと、大きな身体でわたしにのしかかり、唇を好き放題に貪りかかった。
きつい煙草の匂いに、思わず目を瞑り、そのまま口づけに翻弄される。
強引で、我儘な人。でも、わたしは彼を振り払うことができなくて――
その時、わたしの脳裏に祖母の言葉が過る。
――神罰は本当に下るのよ。だからお前も、神様の許さない関係を持ってはダメよ。
今までは、殿下に婚約者はいないと言い訳できた。
でも、殿下の婚約が正式に決定したのなら、婚約者のいる男性の寝るのは立派な不貞行為だ。おばあ様が知ったら、きっとひどくお怒りになる。
やはり、この関係を終わらせなければ――
そんなわたしの決意を挫くように、殿下がわたしの耳元で囁いた。
「そんな約束は、反故だ。俺は、お前を手放すつもりはない」
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