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再会


翌日から出勤したニコラに団長が憮然とした顔をしていた以外、変わりない日常に戻った。

内勤しながら訓練を何巡もして、身体の感覚もほとんど通常通りだ。


浴びた血の毒素により五日間の昏睡に至ったものの、その間に体内から排出する処置を受けていたため後遺症もないと、団長に引きずられて赴いた王宮医務官にも太鼓判を押された。

あまりの過保護に納得はいかなかったが、笑顔で怒る副団長を含め同僚たちにまで言われれば、頷くしかない。


怪我や病気など、下層部の人間は放置が基本だ。

それで死ぬならそれまでのことで、生き延びてきたから今ここにいる。

医師にかかるなど、入団時の規定による検診と、遠征中の軽い怪我くらいしかない。


まあ、芋づる式にそのことも団長の耳に入ってしまい、王宮医務官にすら叱られて、定期検診を義務づけられたわけだが。

あの医務官も、副団長と同じにこにこしながら心を抉るタイプの人だった。

心底苦手だ。怒るなら怒った顔をしてほしい。


何日目かの内勤を終え、明日の休日が明ければ、通常勤務に戻れることになっている。

大変機嫌のよいニコラは、勤務後に久しぶりに街を歩くことにした。


いつもの光景に変化がないか目を光らせつつ、露店街を当てなく歩く。

顔馴染みの食事処の女将に声をかけられ、相槌の有無を気にしない彼女の話を聞いていると。


「……ニコラ?」


雑多な人々の行き交う足音にすら掻き消されそうな声に、不意に名を呼ばれた。

振り返ると、ぼんやりと覚えのある男性。

いや嘘だ。本当はこれっぽっちも記憶にないが、おそらく騎士になってからの知り合いだろうか。


「あ……声かけて、ごめん。つい」


気まずそうな、ひどく身構えたような雰囲気に、あ、とようやく思い当たる。

あれだ。ライラックを見つけた時の、先輩騎士の一人。


特に何の感慨もなく首を傾げるニコラに、気まずそうな、ともすれば泣き出しそうな顔で男が笑う。


久しぶり、とか、元気? と声を掛け合うには、確かに殺伐とした関係性かもしれない。

ただ無言の、互いを探り合うような沈黙が落ちた。


ひとまず入って話せと提案してくれたのは、あまりに黙り合う二人を見かねた女将。

それもそうかとあっさり食事処に踏み入ったニコラに、躊躇うように元先輩騎士も向かいの席に座る。


今は準備中だから何もないよと言いつつ、果実水と焼き菓子を用意して、女将は奥へと姿を消した。

気を遣わせて申し訳ない。


話をするつもりも、話題もなかったのだが、突っ立っているのも生産性がない。

とは思ったものの、向かい合った男はやっぱり居心地が悪そうだし、どうしたものか。


ニコラが考えているうちに、いかにも意を決しました、という面持ちの男が顔を上げた。


「ニコラ。あの時は、本当に、本当にすまなかった」


愚直に深く頭を下げた男のつむじを見ながら、当時の彼を思い浮かべようとしたけれど、うまくいかなかった。

つまりはその程度の、ニコラにはどうってことのない相手。

今も過去も、あまり関係がない気がした。


無関心なのに揶揄には噛みつくニコラを、苦々しく思っていたのか、純粋に興味があったのかも知らない。

忌々しい顔ぶれは、仕返ししてやるという一心で記憶しただけで、戦士団に入った頃には忘れていた。


ただ頷いて見せたニコラに、やっぱり泣き笑いのような顔で男は笑った。


「あ。言いたかっただけだから、思い出さなくていい」


そうして、果実水で一度唇を湿らせる。噛み締めたそれは血が滲みそうだ。


「だからニコラは、ここで別れたらまた忘れてくれ」


男だって、こうして話すつもりなどなかっただろう。

たまたま機を得たから、ついニコラが受け入れたから、腹をくくり心を晒しただけのこと。

でも、それが、とてつもない覚悟の現れだと、ニコラにはわかってしまった。


団長により騎士の位を剥奪された今は農家に雇われ、畑で土にまみれて働いているのだという。

話題がないためか、彼はとにかく自分の話をした。

決してニコラの内側に立ち入るつもりも、二度と傷つけるつもりもないという両手を晒した降参宣言のように。


だからただ、ニコラは黙って頷きを相槌の代わりにしながら、一つずつ男のことを知った。

名前も思い出せない男だが、若さとつるむ仲間が悪かっただけの、ちっぽけなたった一人の人間だった。


ニコラを傷つけたのは、この男の過去の愚行じゃない。

それが知れただけ、無意味と思われた再会にも意義があったように思う。


一言も声を発しないニコラを、罪悪感を翳してあからさまに嘆くわけでもなく、ただそうあるだけと接してもらえたことが嬉しかった。


そうなのだ。

ニコラにとってはもう終わったことで、今さら掘り返してまで眺めるほどのものでもない。

だから、潔く謝った後は言い訳も卑屈な物言いもしない男の話は、ただただ面白く聞けた。


「俺が馬鹿だったことを知っても、めちゃくちゃ重たい拳骨一つ落としただけで、変わらずこき使う偏屈な師匠なんだ。強面でゴツゴツしたおっかない人で、俺には怒鳴るか拳骨しかしないのに、隠れて俺の親に手紙を出してるような、なんかすげえ人だよ」


うん。わかった。優しい人の元で必死にやり直しているんだね。


「今は、気候の変化に左右されない苗を育てようって、師匠と一緒に資料をかき集めてて。色々試行錯誤してるけど、そりゃ簡単にできるなら、もう広まってなきゃおかしいもんな。師匠が生きてるうちに、できたらいいと思うんだ」


うん。そうだね。ニコラもそう願っておく。


このままニコラと一緒にいたら、この男はずっと苦しいままなんじゃなかろうか。

こうして向かい合った意味は果たしただろうと、ニコラにだけは絶対に涙を見せまいとする努力を見ないふりをして、代金をテーブルに置いた。


見送ろうとする男をその場に押しとどめ、袖に隠していた長く細い剃刀を男の首に当てる。

びくりと反応した男は、それ以上は何もせずそこにいた。

視線だけで見上げてくる男に、口の端で笑いかける。


────じゃあね。


あの頃の、為す術なく敗北を噛み締めるニコラでは、もうないのだ。

だから、あなたももう振り返る必要はない。

優しい人と共に、民のためになる研究を頑張れば、それでいいじゃないか。


「こぉらニコ! うちは刃物禁止!」


包丁を握ったまま叱りつける女将に手を振って、ニコラは扉を開けた。


「っ、ニコラ! じゃあな!」


うん。頑張れ。ニコラも頑張る。

ああ、どうしてだろうな。今すぐ、あのライラックに会いたい。



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