害虫駆除
※虫さん魔物が出てきます。苦手な方はご注意ください。
浅い朝に二人で過ごしたことは、暗黙の了解のように『なかったこと』になった。
というよりも、『あった』という事実だけで、ニコラは大変満足していた。
時折り物言いたげだが何も言わない団長を尻目に、ちっとも気にせず賑々しい同僚たちと駆け回る日々だ。
「ニコー! あんま突っ込むな!」
先輩戦士の声を背に聞きながら、ニコラは目の前の害虫の駆除に没頭していた。
そう、害虫。
今回の任務は、長い足を数えきれないほどに持つ、高さも幅も甲羅もある蜘蛛型の魔物だった。
普段は森の奥深くで動かないはずの大物の魔物に、さすがの戦士団も少々苦戦している。
「糸がくる! 全員下がれ!」
ひと際鋭く遠くまで通る声の指示に、やっとニコラはじりじりと後退する。
この魔物の糸は、硬質な革くらい頑丈で、蛭よりもしつこく吸いつく。
「あーもー。なあ、あいつの弱点って何?」
「図鑑じゃ、身体の柔らかさってあったけど?」
「むしろ鎧だわ。それ何の図鑑よ」
「昆虫図鑑」
「そうじゃねんだよ、求めてんのはよ」
会話だけでは余裕があるのかないのか微妙だが、肌がひりつく緊張感は時間が経つごとに増していた。
「足毛? 足の裏? が、耳とか聞いたな」
「どこだよ足の裏!」
「あ、頭頂部とか柔らかいかも?」
「突撃する奴が先に死ぬわ!」
相変わらず賑々しい。
積極的に攻撃してこない代わりに、決してその場周辺から動こうとしない蜘蛛を観察しながら、各々が案を出し合う。
十五分も歩けば、村がある。
この森は村人たちの食卓に直結していると言っていい。
こんな害虫がいては、村人たちが飢えてしまう。
────あ。
松明を遠投した先輩戦士に、じり、と蜘蛛がわずかに後ずさった。
「熱いのは熱いのか?」
「なぜか燃えないんだけどな?」
「熱いなら動かせるかもな」
「万一逃げられちゃまずいんすわ」
広い森の大捜索は、確かに勘弁してほしい。
動きがやたら機敏なせいで、こちらはなかなか前に出られないのだ。
先輩戦士は即座に団長に止められ、同僚たちが野次を飛ばす。
夜になると危険だということになり、結局、一番力の強い先輩戦士と、一番身軽なニコラが選ばれた。
いわゆる本隊である。光栄すぎて笑うかと思った。
他の同僚たちが、火やら音やらで蜘蛛の注意を引き付けている間に蜘蛛の視界から外れ、不意を突く。以上。
なお、蜘蛛の視野がどの程度あるかは不明。
戦士団あるある、やってみないとわからない精神である。
というより、戦士団が相手取るのは生きた魔物で、前例があることがほぼない、またはあっても無意味なことも多い。
やってみなければ、やるかやられるかは、誰にもわからないので仕方ない。
同僚たちの賑々しい挑発を聞きながら、そっと輪を離れて迂回する。
ほぼ真後ろ、蜘蛛を見下ろせる位置を見つけ、呼吸を整える。
「……頭頂部って、誰かが言ってたよな」
確かに言っていた。突撃した奴がやられるとも。
目を合わせ、頷き合う。いけるいける。やってみないとわからないじゃないか。
剣を鞘ごと外し、音を立てないように抜き、鞘は地面に置く。
下に突き立てるイメージで、馴染み深い柄を握った。
「俺では、踏み込みで気づかれる。足音がしないように、俺が投げ込む。ニコ、いけるか?」
頷く。
投げ込んでくれるなら、ニコラが単体で飛ぶより重さも勢いもつく。最高だ。
大きな先輩戦士の右肩に腰かけ、足をまとめて曲げて裏を支えてもらい。
「いくぞ」
囁く声量の号令と共に、ニコラは思い切り踏み込んだ。
ぶおん、と勢いよく身体が浮き、それなりの高度からまっすぐに音もなく蜘蛛の頭頂部に落下する。
こういう時、風景はいつもゆっくり流れる。周囲がよく見える。
驚愕した同僚たちの顔、額を押さえて首を振る副団長、誰より早く次の動きに移る団長。
ちょうど蜘蛛の脳天(と思われる)場所を目がけ、負荷を追加した全体重を剣に預けた。
深く深く、柄まで突き刺さる感触。
ぴたりと動きを止めた蜘蛛が、次の瞬間、激しく痙攣した。
「ニコラ! 離れろ!」
麻痺したように霧がかっていた思考を、鋭く通る声がバチンと弾き、ニコラは反射的に足元を蹴った。
転がるようにあちこちにぶつかりながら、ようやく地面と出合う。
駆け寄って来る団長に、背筋が凍った。
────だめ。くる。いま、ここ。
声にしてしゃべっているわけでもないのに、やたら片言になるほどの恐怖にぶるりと全身が戦慄く。
殺気が。ニコラだけに向けられた、魔物という生物学上高位種の生き物からの、明確な殺意が。
物理的に手足を奪い、自由を拘束するかのごとくニコラを支配した。
動けないニコラを立たせた団長の腕の感覚に覚えがあって、でもそれがいつの記憶だったか曖昧で。
だけど、
「団長! ニコ! 後ろ!!」
振り返らなくてもわかる。
もう、すぐそこに臭いがしている。死の臭いが。
ニコラを庇おうと引き寄せる団長の腕を振り払い、精一杯背伸びして、なんならちょっと飛び上がって、ぎゅうと頭を抱え込んだ。
「──〝守る〟」
今度は、ニコラが。
あの時この人が救ってくれたのは、たかが身体ではなかったから、恩返しにもなりはしないのだけれど。
「大丈夫。もう大丈夫」
泣きそうなライラックが、何度も何度も差し出してくれた言葉を、ニコラは心底愛しんでいる。
あの時よりも強烈な灼熱が全身を覆い、ニコラは清々しい気持ちで意識を投げ出した。




