鉢合わせ
遠征から戻って数日は、数人ずつ休息日を取ることになっている。
公平な団長により、数日後からニコラにも三日が与えられたが、普段と変わらず出勤できる日を数えるばかりだ。
ニコラの自宅は、王宮に程近い古びた集合住居の一室。
騎士団の寮でないのは、性別的に入寮できなかったためだ。
拘りもなく、わざわざ賃貸するための手当ても付くので、特に不満はない。
カチャン、と安い音と共に鍵をかけ、浅い朝の街を歩く。
菓子の方が人気のパン屋、声かけが勇ましい肉店、持ち出しができる食事処。
毎朝同じ景色を、それでも職業柄つい見回ってから、ニコラは一日ぶりに職場に入った。
夜番の騎士に会釈し、騎士団の寮で浴室を借りる。
古く安い自宅には浴室が備えつけられていないため、ニコラは仕事終わりか朝早くに出入りしていた。
昨日はバタついたせいで、風呂に入れていない。
騎士たちも慣れたもので、いつの間にか『入室厳禁! 団長』と書かれた板が用意されていたので、有難く使わせてもらっている。
何度か鉢合わせてしまった際は、相手の方が大変萎縮していたので、きっと繊細な男性陣による配慮だろう。
ニコラは、自分を『女という生物の身体を持っている』としか認識していなかったが、やはり気は遣うべきだ。
本来ならニコラがすべき配慮だった、という気づきを得たので、今後は気をつけようと思っている。
簡単に髪を洗い、まとめて結い上げてから、身体を流そうと桶を持った時。
かすかな物音と気配に気づいて、ニコラは顔を上げた。
騎士の誰かが、板に気づかず入って来たのだろうか。
この場合、ニコラはちゃんと板を掲げていたので、鉢合わせしてもニコラに非はない。
だが、そもそもニコラは好意で浴室を使わせてもらっている身だ。
どうすれば一番相手を怯えさせないか。
考えたところで、気配はどんどん近づいて来ているし、ニコラは少々混乱していたのだと思う。
咄嗟に、大きな浴場の湯に入り、端の方へと退避するという手段を取った。
ちなみに、騎士団の浴室は数年前に大改装され、大勢が一気に身体をあたためられるよう、大きな池のような湯桶が設置された。
東方の知恵だと聞きかじったが、改装に至ったのはちょうど地下に埋まっていた魔道具が、水の温度を保つ機能を持っていたためだ。
古すぎて、掘り起こしたら壊れてしまう。でも、タダだしぜひ活用したい。
という大人の事情もあり、ニコラたち戦士団により安全性が確認された上で、騎士寮に大きな浴場ができた。
他の部門からも、時折り湯に浸かりに訪れる者もいると聞く。
そこまで現実逃避していたニコラは、ガラリと扉が開く音にちらりと視線を投げた。
できるだけ気配を消して見やった先には、まさかの団長の姿。
寝起きなのか、気怠そうな雰囲気にはどこか色気があり、いつもピシリと整えられた前髪が下りているだけで、だいぶ印象が違う。
これはあれだ。ちょっとワルそうなおじ……お兄さんというやつだ。
端的に言うと、遊び慣れていそう。普段の堅物感とのギャップが激しすぎる。
ひどくぼんやりした様子で、じゃぶじゃぶと適当な仕草で軽く身体を洗い終えた団長の足が、こちらに向かって来た。
すぐ近くの湯に片足を入れて、ふと視線を流したライラックが初めてニコラを捉える。
「……」
「……」
しばしの沈黙。
まるで信じがたいものを見るような目でニコラを数秒凝視し、次いでライラックがまん丸くなる。
それもまた新鮮だな、と他人事のように考えながら、ニコラはただそれを眺めた。
「…………ニコラか?」
他に誰だというのか。
素直に頷いたニコラを見て、ぎこちなく入口を振り返り、角張った指が差す。
出ろ? いや、もしかして板のことか。
「やりました」
「うっわ嘘だろ待てちょっととりあえず黙ってくれ待って」
説明しようとしただけなのに、被せ気味に遮られた。
しかも、こんな狼狽えた姿など一度も見たことがない。
カッと一瞬で耳まで赤くなった屈強な男が、決して目を合わせないまま顔ごとそっぽを向いている。
「……てっきり、もう話せないのだとばかり」
あ。
今度は、ニコラが目を見開く番だった。
確かに、ここ数年ほど声を出した記憶があまりない。
時々はひと言ふた言なら話したかもしれないが、相手は団長じゃなかった気もする。
「話せは、します」
「あー……悪いが、ちょっと……その、今はやめてもらっていいか? いや、普段からもうちょっと話をしたいとは思ってはいたんだが、今はちょっとまずい」
堅物団長が『ちょっと』ばかり言いながら、顔を真っ赤にしている。
その光景が珍しくて、息を吐くように笑えば、ガバッとこちらを見たライラックとまた会った。
「…………笑ったか? 今」
しゃべるなと言われたので、素直に頷く。
無表情に戻っているであろうニコラをまじまじと見て、団長はなぜか呆然としているようだった。
「み……たかった…………」
何が? とは思ったものの、しゃべっては『ちょっと』まずいと言うので黙っておく。
ため息を逃がした団長が、どこか気まずそうに身動ぎをした。
やがて。
「おいで」
大きな手のひらが差し出され、何事かと顔を上げたニコラの腕を掴んで引き上げた。




