いつかの紹介状
(なんで俺、ここにいるんだろうなあ……)
グレアムは姿勢を正したまま、微動だにせずに一点を見つめていたが、内心は情けない顔で|嘆いていた。怒られないならこの場で身を投げ出したい。怒られるので無理だが。
「グレアム・バーター、42歳。近年の功績により中級士官。第3師団に所属。大隊長。平民からの出世では異例。妻1人、子ども2人。最近は自宅に帰れず、下級士官向けの寮も借りて半ば住んでいる。職務は真面目であり、信望もあるものの、酔うと嫁と子の自慢をして止まらなくなるのでその点は部下に嫌がられている」
「はっ……」
グレアムは直立の姿勢のまま返事をしたものの、妻と子どもを自慢して何が悪いんじゃい、と頭の隅で思いつつ、本題に早く入れと思っていた。まず、目の前にいるのは直属の上官ではない。それよりもはるか上の地位、師団をまとめる一番上の軍団長である。
グレアムは平民である。
多少腕に覚えがあるが、それは一般的な群衆と比べたらであり、しかも既に薹が立った中年である。見た目は渋いと言えば聞こえがいいが、眠たげな目、白髪が混じり始めた灰色の髪、しわが入った、日に焼けた肌、手入れを忘れられた髭……。間違っても貴族であり国の軍部を動かす地位にいる人間に呼ばれる覚えはない。
グレアムにとってはそれほど遠い地位の人間が、なぜか目の前で、自分の経歴が書かれた書類を読み上げている。
「ではパーターくん。今からいくつか質問をするから、それに嘘偽りなく答えよ。……プライベートで女子どもに手を挙げたことはあるか?」
「ありません」
「自分より強い者についてどう思う?」
「相手の人格によりますが、関わりたくないです。職務の範疇で関わる場合は、可能な限り相手の恨みだけは買いたくないです」
「正直でよろしい。では、自分より弱い者についてはどう思う?」
「どうも思いませんが……。女、子どもの場合は自分が便宜を図れる場合は図るかもしれません」
「食べること、もてなされることは好きか?」
「……? 好きです」
グレアムは一体このやりとりがどこに向かうのか全くわからなかった。任務にしても、質問の内容がよくわからない。重厚な机に座ったままの軍団長は、グレアムを頭のてっぺんから足のつま先まで見た後、眼鏡をかけなおし、「ふむ」とつぶやいた。
「まあ、お前がいたらトラブルにはならなさそうだな。平民からしかお前のような人材が出てこないのは残念だが……。グレアム、貴殿に任務を言い渡す。」
グレアムの心は大声で嫌だと叫んでいたが、そんなことをしたら家族が路頭に迷ってしまうため、粛々と受け入れた。
そして話された内容に肩透かしを食らったのだが、場所が場所だけに油断はできないものになると思われた。
◇
「で、俺はお前を連れてけと言われてるんだが、お前は任務の内容を知ってんの?」
グレアムは金髪碧眼の青年を見下ろしながら言った。
「……ああ」
上官に対する返事が、「ああ」。俺の貴族の部下がやりにくすぎる。はあ~もうこのままコイツこのまま置いて帰りてえ、と思いつつ、グレアムは先ほど沸かした湯をコップに入れ、部下の青年に差し出した。
――イスラータ地方、青鷹山脈の山間地にある家を訪ね、そこに住む者に文書を渡し、その者から渡された物を持ち帰れ。
任務は大した内容ではなかった。しかし、場所は危険地帯と呼ばれる土地であるし、グレアムは直前まで誰が同行するのかも聞かされなかったし、顔合わせは出発直前だった。そして出発直前にやってきた青年は明らかに貴族であり、頭を抱えたのがもはや懐かしい。
青鷹山脈の魔物は強い。そして距離もある。目的地まで馬で15日、そこから徒歩で5日かかるような場所に関わらず、何の用意もしていない青年を懇々と説教したのが1日目。
ようやっとできた所属確認で青年がグレアムの部下だと判明。かつ今から行く場所は舐めてかかると死ぬので力による説明を行ったのが2日目。
今はもう19日目なのだが、その時の姿と比べると多少はマシにはなったものの、部下の尊大な態度は変わらず、グレアムの心はすり減っていた。
王国は隣国の境界線として機能している青鷹山脈は、防衛としても働く反面、魔物の被害も多く、村も目的地に近づくにつれてなくなっていく。
グレアム達はその麓を少し入った山間地に来ていた。
「こんな獣道で本当にこっちで合ってんのか? 村を出てもう1日経ってるぞ?」
「ああ。スキルがもう近いと言っているから、しばらくすれば着くだろう。そもそも、あっていなければ私たちは魔物に食われているのでは?」
「確かにそれはそうなんだが……。青熊が近くを通った時は死ぬかと思ったぜ……」
金髪の青年は訝し気にグレアムを見た。
「……お前は大隊長では?」
上司に「お前」って使うなよなあ~! いつかこの男が小指をぶつけて悶絶しますよーに!とグレアムは思いつつ、半笑いで説明する。
「俺は対人戦専門で、魔物に対するスキルはそんなにねえんだよなあ……。お前も道案内とか補助スキルが中心っぽいし、いざとなったらやるけど、戦わないのが一番だからな」
「それはそうだな」
金髪の青年はエドと名乗り、態度はでかいしプライドも高いが、「グレアムの命令を聞かない」と「遠征の準備を全くしていない」以外はよくできた。持っている能力が高いというだけだが。本来の上官から地図を預かってきたようで、それを見ながら移動でき、かつ彼のスキルから迷いなく進むことができていた。
グレアムはエドの先導がなければここが道かわかるかどうかも怪しい。軍部勤め、町の治安を守るのが仕事の中年にうっそうとした森の中を歩く。
山間地に入ってから魔物の気配を感じることも多いので、どうしても不安は付きまとう。グレアムは嘆息した。
「こんなところに上層部は何の用があるんだか……」
言葉少なに更に山の中を半日進み、開けた場所にそれはあった。
それは、こじんまりとした一軒家だった。
グレアムは最初魔物が幻覚を見せているのかと思った。かなり強く自身の腕を掴んだが、目の前の景色がぶれることはない。
「……は? エド、お前あれが見えるか?」
「……小屋だな」
「だよなあ?!」
赤レンガの壁に、木の支柱と屋根のある小さな家である。ご丁寧に小さな庭のようなものもある。
しばらく絶句して見ていると、ドアから一人の女が出てきた。
ワインのような赤い髪に白いカチューシャとエプロンをつけたメイドだった。体つきは小柄で、年はここからではわからない。女は洗濯籠を持って庭に出るところだったようだ。グレアムは数瞬ほどその姿を見ていたが、声をかけることにした。
「おーい! すみません!」
「……? ……はい!」
女はしばらくきょろきょろした後、グレアムたちがやってくるのを見つけたようだった。近づくにつれて、女は10代前半の少女のような容姿であることがわかる。
少女は見慣れない男たち、しかも王国の制服を着ているからか、やや警戒した表情で家の範囲内と思われるとこで立ち止まっている。
「あー、お嬢さん突然の来訪で申し訳ない。自分は王国の第3師団に所属するグレアム・バーター。任務によりこちらに文書を届けに来た。ここの主人はいらっしゃるだろうか」
「はあ……。この家は私が一人で住んでいます。私はここを管理しているだけで、主人はいません。どうされますか?」
「あなたはここに住んでいるんですね? では、この文書をお渡しいたします。自分は文書を渡した後、物を持ち帰るよう任命されていますので、ひとまず文書を拝見していただきたい」
「おい……っ!」
エドに文書をメイドに渡そうとしたところを後ろから肩をつかまれたが、グレアムは後ろを見ないままエドの足を思いっきり踏んだ。
「っづ!」
グレアムはそのままにこやかな顔をしたまま魔物の皮で厳重に封をされた文書を少女に差し出す。
少女は困惑を顔に浮かべたまま、気圧されたように受け取り、首をかしげる。
「受け取っていいのでしたら、とりあえず拝見させてもらって、それからご返答させていただきますね。少々お待ちいただけますか」
少女は目の前で封を開けると、そこに挟まった手紙をざっと斜め読みする。
「…………。ああ。確かに、承りました。それでは、そちらから依頼された物を用意します。3日ほどかかるのですが、その間お二人はどうされますか?」
「あー……、その辺で野営させてもらっても?」
「かまいませんが、上級の虫除けと魔物除けは持っておられますか? ……その、庭の北側は水気が多いので、山ヒルが多いんです。見た通り木々に囲まれていますので、魔物の出現も多いです。家の周りなら大丈夫だと思うのですが、あまり遠くだと襲われる可能性もありますので、お気を付けくださいね」
「……ちょっと部下と相談します」
「はい。……作業部屋であれば寝起きする程度の場所は取れるかと思いますので、その場合はお声がけくださいね」
少女はマリーと名乗り、年齢に合わない落ち着きで淡々と受け取った文書を片付け、洗濯籠を持って庭の奥へ行ってしまった。
グレアムはその姿が完全に消えたのを見送り、エドと顔を見合わせた。そして無言でエドを手招き、先ほどまで歩いて来た森の方へ移動してから口を開いた。
「どう思う?」
「どうとは……? そもそも軍団長からの文書を下働きのメイドに渡す方が問題だと思ったが」
「はあ~? お前本当にどんだけ世間知らずなの? 馬鹿野郎なの? 治安維持のために何を学んできたの?」
エドは反論しようとして、口調は軽いものの真顔のままのグレアムを見て口を閉じた。エドなりにこの短期間でこの男が平民にもかかわらず、中級士官の上役の位置にいるのが納得できるくらいには有能であることを感じていた。
「エド、とりあえずお前が持っているスキルでここが危険でないかわかるかぎり調べろ」
「……危機に関するスキルは一通り働かせたが、ここも、あのメイドも何の反応もなかったぞ」
「それがまずおかしい。ここがどこだ? ここは危険な魔物も虫も出る。集落ならまだわかる。だが、これは一一軒家だ。おそらく、ここには彼女以外いないというのは本当だろう。なら、この危険地帯でも過ごせる力を持つ者である可能性が高い」
それに―――軍のトップからこの任務を任されたのは、グレアムの何らかが該当して派遣された可能性が高い。
俺たちが彼女の生け贄とかじゃねえといいなあと思いながら、眉間に指をあててほぐす。
「それは、あのメイドが異形者というわけか? だが、主人がいないといっていただろう。ここにいないだけで、メイドの主人がここを用意したという可能性もあるんじゃないか?」
「その可能性も全然ある。が、文書は受け取ったし、用意できると言っただろ? 中身は知らないが、何らかの力かスキルがある線は濃厚だ。――対応はどれも一緒だ。俺たちの任務はここに住んでいる者に文書を渡して、文書が依頼している物を持ち帰るだけだ。自衛はするが、変に探って危険にさらす必要もない」
「……わかった。とりあえず、あのメイドが言ったことが本当かこの周辺を探る」
「頼むからお前面と向かってメイドとか、女とか、そこのとかで呼ぶなよぉ」
「そこまでか?」
「なんでそんな頭の中がお花畑なんだ? ここ危険地帯だぞ? 危険地帯のど真ん中に家がポーンとあって、そこに明らか物理的に住むことが難しい人間が平然と住んでたらおかしいと思うだろ。ここは高山じゃないから住めないことはないが、どうやってここに家を建てる? どうやって俺たちが通った道を作る?」
「そういわれると……」
少女が異形者だった場合、少女の機嫌一つで死ぬ可能性が高い。
異形者とは、「異形病」という病にかかり、複数人の被害者を出す力を持つ者のことを指す。姿かたちは様々だが、一律に平均的な人間と比べると特異な力を持っている。力は罹患者の性格、思想、生育環境などが大きく影響していると言われており、発現する力も様々だ。
グレアムの国は遅れているので、異形病の解明は遅れているが、一部の国は他国と連携して病気の解明・治療・罹患者の把握に努めている。異形病の名称は国によっては、扱いも呼称も全く異なる。才能がある者として国に囲い込まれる場合もあれば、グレアムの国のようにできる限り関わらないように遠巻きにされている場合など様々だ。
罹患者は前兆が全くなく、本人が病になったと気づかずにそのまま人生を終える場合もある。スキルとも酷似しており、スキルが何らかの影響で歪んだ形で発現したものではないかという説もある。罹患者と言っても掃除をすると通常よりもきれいになるような、日常生活で少し役に立つ程度の者が大半である一方で、最悪の場合国を滅ぼすような力を発現する者もいるため、強い能力を持つ者は国や組織が躍起になって把握しようとしている。ちなみにグレアムの国は王位継承者問題でゴッタゴタで今はそれどころではない。軍部は上層部がまだまともなのでなんとか機能しているが、このままいくと治安も荒れるので、グレアムは心配している。
「とりあえず今後の方針を決めるぞ。まず、この敷地外で野営した場合の危険度はどれくらいだ?」
「……ちょっと待て」
エドが一旦森に戻り、すぐに暗い顔をして戻ってきた。
「駄目だな。防水の敷物や虫よけ・魔物除けを焚いても気にしないぐらい魔物の気配が強い。……確かに、この家に近ければ近いほど安全性が高いようだ」
「そうだよねえー……。軒先、貸してもらおうか? 俺もお前もそこまで戦闘力高くないからさあ。一日は可能かもしれんが、連日は無理だ。管理地侵入下での精神への支配や思考侵入、干渉はその都度対処にするか。そこはわかるんだよな?」
「程度が強ければな……。精神的な働きかけは結局人との直接・間接的な接触だから、基本的にどこにでも微弱に『ある』。精神支配にも手法が色々あるから、確実ではないが、俺が知っている方法ならはっきりわかる」
「今はどうだ?」
「……問題ないはずだ。城や酒場にいる程度と同レベルだ」
「彼女が敵意のない異形と仮定し、管理地への野営とする。見張りは交代制とする。異変があった場合は管理地を離れる。……いいな」
「わかった」
グレアムとエドが打ち合わせを行い、マリーの姿を探すと、彼女は大きな敷物を干し終わったところのようだった。
「あー……お嬢さんすみません」
「はい。決まりましたか?」
「お部屋をお借りするのも申し訳ないんで、場所を指定していただけたらそこで野営させてもらおうと思います」
マリーはうなずき、家のドアの近くを指刺した。
「わかりました。では、あのあたりでお願いします。ただ、夜はかなり強い魔物が出ますので、あちらのドアを開けたままにしておきます。万が一何かあった場合はお使いください」
「……そんなに出ます? 魔物」
恐る恐る訪ねたグレアムに、マリーは困ったふうに首を傾げた。
「雨で地面がぬかるんでいると、よく敷地内で大型の魔物のような足跡を見かけることがあるんです……。ただ、家に入ってくることは今までなかったので、危険を感じたら無理はしないでくださいね。念のため作業部屋の整理をしておきます。もし入られる場合は、置いてある物には触らないようにお願いします」
「もちろんです。ちなみに、何かあってお嬢さんとお話ししたいときはどうすれば?」
「そうですね。野外の場合は家のドアを叩いていただければ。作業部屋の奥に寝室があるのですが、そちらは鍵がかけられますので、もし真夜中に何かあっても対応は難しいと思ってください。こちらからは夕食のタイミングでお声がけします」
「わかりました。何から何までご丁寧にありがとうございます。あー、ですが、実は行きで消費する食料がまだ残ってますので、とりあえず今日はそれを食べようと思います。よければ、明日から声をかけてもらえると……」
「はい。わかりました」
グレアムは夕食を断ったが、マリーの表情は変わらない。穏やかで、うっすらと微笑んでいるようにも見えるままだ。それがどこか不気味で、グレアムは引きつった笑顔で見下ろした。
◇
「あー。怖えー」
「…………」
エドは嘆くグレアムを半眼で見つめている。
野営テントを設置し、四隅に魔物除けを置き、テント内には虫よけを焚いた。だが、全く心休まらない。
「夜は交代制な。昼は待機で特にすることもないから、昼に仮眠をとっていい。対処しきれないと思った場合は声をかけてそのまま小屋に避難しろ」
「わかった」
「おいおいそんな目で見るなよ……。まあ、職場で上官がこんなこと言ってたら萎えるわな」
グレアムは冷たい携帯食料をかじってため息をついた。
「はあー、あったかい飯が恋しいな!」
「……俺は毒見の確認もできますが、よかったんですか?」
「んー。まあ明日でいいかなと。内にも外にもピリピリしてたら疲れるだろ」しかも内は現時点でも無理な可能性もなくはない。エドには悪いが、いろいろな可能性を検討した上である程度対応できる状態にしている。逆に言えば、「無理だろ」と思われる対処については気力がついていかないのでグレアムは考えないようにしている。諦めているともいう。
今日は幸運なことに、雲が少なく、月は満月に近い。月明かりのおかげで回りがよく見える。
冷たくなってきた風がグレアムの頬を撫でる。グレアムは中背中肉で、体格がいいわけでもないので基本はショートソードを使っているが、槍もある程度使える。今の状況としては槍が妥当だろうと思っている。
エドは補助魔術が使えるので、警戒と危険探知を周囲に打った杭を起点にかけてもらった。時折鳥と思われる声が聞こえてきたり、遠くで風ではありえない音が聞こえたりしている。ただ、マリーと名乗った少女が言った通り、このあたりには近づかないのか、月が中天に差し掛かるほど時間が経過したが、今のところ問題なかった。
ずる、と何かが這うような音がした。
ピン、と栓を外すような音がして、暗闇から何かが出てきた。
早い。
しかもでかい。一瞬見えた影は蛇のように見えるが、成人男性二人分の長さがある。
グレアムは魔物を討伐して受けるメリットと、うまくいかずに怪我をするデメリットを天秤にかけ、さっさと撤退を決めた。月明かりがあると言っても、他にも魔物が出てくる可能性がある中で長時間の戦闘は自殺行為だ。
グレアムは槍を構えたまま叫んだ。
「エド! 起きろ! 退避! 魔術もないのに無理だわこれは!」
「スクロールは?!」
「部屋に侵入してきた場合のみ使用する!」
グレアムはすぐそこにある扉を開けると、テントから出てそのまま飛び込んできたエドを押し込むとドアを閉めた。すぐ近くでずる、ずる、ずる、という音と、テントや物を倒す音がする。
息を止めて耳を澄ませていると、窓が開いたような振動があり、外でザっと大きな打撃音がして、そのあと静かになった。
二人して無言で顔を見合わせる。
「……どうするんだ」
「危険察知は?」
「危機は去った感じがする」
グレアムは無言で扉に閂をかけた。
「寝る」
「……いいのか?」
「薄々思ってたが、手に負えないわ。無駄に緊張するよりさっさと寝て次に備えたほうがマシな気がしてきた。そろそろ見張りの交代時間だし、俺は寝る。お前は心配なら起きててもいいし、疲れたなら寝てもいい。生きてたら責任は取る」
呆れたエドを尻目に、グレアムはつけていたさっさとつけていた装備を外した。くそ重いんだこれが。
作業場と呼ばれた場所はランタンで回りがうっすらと照らされている。壁際の棚には何かの道具や木箱が入れられているが、床に置かれたものはほとんどその壁際に寄せられており、住んでいる少女が整理をしてくれたことが伺える。きちんと折りたたまれた毛皮とシーツが中央に二つ分鎮座しており、恐らく使ってよいということなのだろう。グレアムは毛皮にシーツを引いてさっさと横になった。念のため妻と子どもたちの安全と健康を祈り、生きて帰って会えるように目をつぶりながら祈る。
頭上でエドがため息をつく音が聞こえたが、グレアムの意識はすぐに睡魔に吞まれていった。
土壁の天井が見える。
「…………おお、生きてるな」
グレアムはのっそりと身を起こした。一応頑張ったらしく、エドは壁にもたれかかり、片膝を立てかけた体勢で目をつぶっている。……寝ているようだ。
「おーい、エド。交代だ。横になって寝とけ」
エドは明らかに高位貴族なので、少人数の見張りなど経験はないのだろう。肩を叩いても唸るだけだ。半分寝ているような状態だ。こいつもこいつである意味肝が据わってるよな……と思いながら呼吸の確認と、念のため精神に異常が起きていないか確認する魔道具を彼の額にかざす。
「……大丈夫そうだな。おーい、今から肩を持って横にするからなー」
日が昇り、明るくなった部屋を改めてグレアムは見渡した。全体は納屋に近い。昨夜見渡した時と同様、木箱や何かが入った袋などは隅にまとめられており、明るくなった今は壁際にかけられた干した草が吊るされていた。
グレアムが昨日使い、今はエドが使っている毛皮を見た。
「これ、明らかに魔獣の毛皮だよなあ……。何級だこれ? 5級? 4級か?」
魔物は強くなればなるほど、等級が上がっていく。5級は近隣の住民に警戒、4級は地域全体に避難勧告が出るレベルである。
エドを横目にもそもそと朝用の携帯食を食べ終えると、グレアムは少しだけ外のドアを開けた。
そこには、手斧が頭部に突き刺さった跡のある蛇のような魔物をマリーが解体しているところだった。蛇は器具に吊るされており、血抜きも兼ねているようだった。昨日の服装と少し変わり、分厚いズボンをはき、皮と思われるワンピースを着て、頭にフリルをつけている。
「……おはようございます。昨夜は大変でしたね。お怪我はありませんか?」
「ああ、いや、はい。おかげさまで……。マリーさんがそいつをやってくれたんですよね?」
「そうですね。お困りのようでしたので。家を壊されても困るので、始末しました」
マリーはそう言った後、いったん手を止めていた解体を再開した。目の前できれいに皮が剝がされていく。
「いや、見事ですね」
「まあ、こんな山奥ですから」
「そりゃそうですよね! ははは」
うっかり「こちらは住んで長いんですか?」と聞きそうになり、グレアムは自分を罵った。好奇心で詮索して相手に不快感を与えたら目も当てられない。
「この魔物はこのあたりによくいるんですか?」
「ここだと……ヴァルヴァルと呼ばれる魔物ですね。ここまで大きなものはそんなにいませんが、確かに珍しい魔物ではないですね。まあ、大きい蛇ですよ。このような地では貴重な食糧になります。スープや油で揚げたりすると割と食べられますよ。そういえば、夜の食事はどうされますか?」
それは夜の食事はこれが出るってことか?と思いつつ、グレアムは聞けなかったし、そっとうなずいた。
「……よろしくお願いします」
◇
昼になっても寝ているエドを叩き起こし、帰還時のための準備をする。ここに来るまで思うように町や村で物資を補給できなかった。ここの滞在が3日と考えると、できるかぎり帰還時に必要になる食料などの消耗品は手を付けないでおきたい。可能なら水も補給しておきたいところだ。
「夜間眠れないことを見越して起こしたんだろうが、何も叩く必要はないだろうが……」
グレアムはぶつぶつ言っているエドを横目に出していた物資を片付けた。
「しばらく時間があるだろうし、一人は荷物の側にいて、一人は周囲の確認、もしくはあのお嬢さんの手伝いの申し出をと思ってるが、どう思う?」
「危なくないか? 変に踏み込んでもよくないし、周囲を哨戒するにしても、一人だと戦力的に問題ないか? 昨夜で痛感したが、俺もお前も厳しいだろう」
「まあなあ。食料を融通してもらうことを考えると、一回は申し出といたほうがよくないか? 上が依頼に対して正当な報酬を出してるならいいんだが、エドはそのあたり何か聞いていないか?」
「依頼が終わったら渡せ、と言われているものはあるが、何かは知らない。前払いはしていて、追加報酬と聞いている」
グレアムは顎を撫でた。
「報酬は用意してるわけだな? ならここで帰還準備しつつだらだらしてても大丈夫か……?」
とりあえずグレアムは武器の手入れと緊急用のスクロールの準備を行うことにした。
◇
気を張り詰めていたグレアムとエドを尻目に、無事に3日過ぎた。ちなみに、少女が用意した食事は下町で食べるような素朴な味で慣れ親しんだものだった。山の中で下町と同じレベルの料理が出てくることに驚きつつ、エドに何か混ぜられていないか確認させ、ありがたくいただいた。エドは呆れ顔だったが、3日目にはしかめっ面で食べていた。
「お待たせしました。こちらが依頼された物になります」
少女は渡した当初と同じように魔物の皮で包んだものをグレアムに渡した。それと同時にエドが無言で薄い油紙に包まれた正方形の物体を取り出し、少女の足元に置いた。おそらくこれが軍が用意した報酬なのだろう。
グレアムは渡された品物を見つめた。形は依頼文書を包んでいたときとほとんど同じように見える。ただ、封が嫌にキラキラしている。
じっと見ていたグレアムに気づいたのか、少女は丁寧に説明してくれた。
「その封はこのあたりにいる魔物の鱗を加工したものです。特定の人でないと開封できないようになっています。おそらく、眼鏡の地位が高そうな男性の方からのご依頼ですよね?依頼されたものを用意できたとわかる証明のようなものです」
少女は少しだけ口の端を持ち上げた。「私、同盟認定の危険地帯探索者と魔物取扱の資格を持っているので、このような加工ができるんですよ」と付け加える。
はあ~やっぱり怖いほうだった!と思いつつ、グレアムは笑顔で応じた。
「ありがとうございます! 食事も過ごす場所も用意していただき、本当に助かりました。では、我々はこれで失礼したいと思います」
実際、グレアムたちは室内では山の中とは思えないほどゆっくり過ごすことができ、敷物や食事もこの後城へ戻ることを考えると本当にありがたかった。
「はい。お疲れ様でした。……すみません。こちらを渡すときに、今後こちらに来ないので、依頼は今後受け付けられないとお伝えいただけますか?」
「! はい。もちろん、そのように伝えます。ちなみに、どうしてかお聞きしても?」
「ああ。私はもともと珍しい素材をその土地の人と契約しながら採取させてもらっているんです。それにこの地方ももうしばらくしたら冬が来ますから。渡される方にありがとうございましたとお伝えください」
そうして少女は頭を下げようとして、ふとグレアムを見つめた。
「……グレアムさんは、ゆっくりされたいときは、どうされていますか?」
「え? あー、家族で家で過ごすときがゆっくり……はできねえな……。うーん。カツカツの平民なんで、あんまりゆっくりなんてしたこたあないですが、嫁さんと子どもを連れて貴族の屋敷みたいなデカくて贅沢なところに泊まってみたい……かもしれません」
「なるほど……勉強になりました。ありがとうございます」
「いえいえ。こちらこそありがとうございました。それではこれで!」
グレアムは突然の質問に背筋を冷やしながら、頭を下げた少女にさっと背を向けた。エドは会話には混ざらずにしばらく黙って少女を見ていたが、グレアムは視線でエドを促し、ともに小屋を背に来た道へ戻っていく。途中、グレアムはエドによく黙っていたと褒めて部下の機嫌を直し、こいつちょっとだけちゃんと動くようになったよなあ……と思いながらグレアム達は青鷹山脈を去った。
◇
軍団長は部下から提出された文書に目を通した。
「鑑定書」
名前:エドワード・アズライ・グランティエール
年齢:20
性別:男
スキル:危険察知、毒耐性、毒見、方向感覚(強)、補助魔術(自分のスキルを源として魔術を組むことができる)
潜在懸念:不安(取り巻く情勢により、劣悪な環境になると異形病となる可能性やや有)
病:表面化・自覚している病はなし。幼少期より第一王子のスペアとして養育されている。あまりよい生育環境ではないため、情緒の不安定さが見られる。上からの言うことは聞くが、下に対しては物のように扱うところがある。これは、彼が幼少期から「代替えのきく存在」であると育てられてきたため、自分と同じ、もしくは自分よりも代替えの利く存在であると捉えているため、自信がなく孤独であるため、それを隠すために傲慢に振る舞う。本人に自覚はない。知識・教養に問題はないが、突発的な対処は難しい。自分の価値観が揺るがされやすい反面、思考や物・人に執着しやすい気質を持つ。
統治に向いている性格・精神状態ではない。上から言われたことはでき、地頭は良い。補佐ができる能力はあるものの、情緒の不安定さから上司、部下に負担がかかることが推測される。今回の任務でグレアムに懐いており、彼の中で指示をよく聞く一人となった。
思想:現在彼自身に王位を狙う意識はない。近寄ってくる者の信頼度で変化する可能性はある。
軍団長は顎に手を当てた後、流れるように眼鏡のブリッジに摘まむ。そして、もう一枚手紙がついていることに気が付いた。こちらが用意したものではなく、手製で、歪である。そこには、鑑定書と同じ筆跡が別れの言葉が書いてあった。グレアムが報告したとおり、自分が求める素材を集め終わったので、国外へ移動すること、現時点では今後この国に寄るかは考えていないこと、土地を貸してくれたことの感謝などがつづられていた。
「しかし、条件が特殊とはいえ、我が軍で上から探して当てはまったのが平民の大隊長とは」
少女……マリーは警戒心が強く、ある条件に合わないと依頼は果たされないまま終わる。うまくいって任務を忘れて戻ってくる、うまくいかなければ道半ばで魔物に襲われて終わりだ。
「最後の質問はややあいまいだが、いいだろう。依頼は適っている。グレアム、任務の完遂、ご苦労様だった。しばらく休んで……と言いたいところだが、貴殿に新たな任務を言い渡す」
黙って壁と同化し、今晩の酒の肴を考えていたグレアムは軍団長の言葉に目を剥いた。
「は? まだあるんですか」
「このご時世、信頼できる人材が少ないのでな。まあ、今は大したことではない。貴殿には部下を一人育ててもらう。合わせて、情勢に合わせて出世させるから、それまでに部下を何名か育てておくように」
「……謹んで拝命します」
「そんな苦い顔をするな。忙しいのだろう。城下にいる貴殿の妻子を呼び寄せて暮らせるように配慮する」
「…………ありがとうございます」
この後、グレアムはどこかで見たような態度のデカい金髪碧眼の部下ができ、王位争いのゴタゴタに巻き込まれ、その部下に引っ張られてグレアムは訳がわからないまま出世してしまうのだが、本人はずっと酸っぱい顔をして部下たちを振り回し、振り回されていたという。
そして王位が定まり、国も落ち着いた数年後、職を引退したグレアムにホテルと呼ばれる宿泊施設の招待状が届き、彼が目を白黒させることになるのは、また別の話である。
本来は少女が主役が本編で、その短編的な立ち位置で書きました。
あと、初めての試みとして、できるだけルビを振ってみています。
※短編にチェックをつけたはずなのに連載になっていて、な、なぜ……?ルビを頑張ったせいでやり直す気力がなくてすみません。




