囚われの2人④
男の腕が高く持ち上がる。槍の石突が孤を描いて、今にも振り下ろされんと掲げられ、やがてそれは引き絞られた弓が放たれるように加速する。
ごめん、コウ。ごめん、父上。
アタシはもう、ダメみたい。
直後「うっ」という声とともに槍の切っ先が鼻先を掠めて落下した。続いて聞えるのは蹄が地面を叩く音、そして男の短く引き攣った断末魔であった。
骨を叩く音に、水気を含んだ鈍い音が混じる。
続けて重たいものが2つ落下する音と、馬のいななきだ。
「どうした!うっ!?」
先ほど蹴り飛ばした男が小屋から出てくると、男はその場に立ち尽くした。
「お、俺はこいつらの下っ端なんだ。こいつらに脅されて……」
男は跪いて命乞いをしてみせるが、馬上の人物は黙して動かない。
「な、なあ、アンタも官吏の命令で来たんだろ?見逃してくれよ……こ、この小屋に金目のもんを隠してるんだ……嘘じゃねえ!そいつをやるから、どうか……」
遠くからもう1つ、蹄の音が近づいて来る。それは大きな怒声を伴って、コチラへ一直線に駆けて来た。
「そこを動くなああああああああ!!!!!」
男が身体をビクつかせる。次の瞬間、鈍い音がまた2つ、アタシの眼前で転がった。
「兄様、お見事です。止まった相手を仕留めさせるなら、兄様の右に出る者はいないでしょう」
「ああン!?んだとコラぁ!おめえだって俺が射掛けた男を切っただけじゃねえか!」
馬上の男が二人、何事かを言い争っている。
一人の男の声は柔らかい、草原のつむじ風のような爽やかさと鋭さを持った響きだ。もう一方の男はもっと喧しい、虎の胸から響くような張りのある低音をしている。
続けて幾人かの足音と、小さな金属同士がぶつかり合うカシャカシャとした音が近づいてきた。
「仲籍様、桃季様、残りの賊はほとんど捕縛、ないし殺害しました。山狩りもなさいますか?」
二人の部下と思われる男は跪いて慇懃にそう言うと、深々と下げた頭を上げてその顔色を窺っているようだ。
「いや、もういいだろ。これだけ徹底的にやれば再起もできねえだろうし」
「へぇ、兄様には珍しいですね。てっきり」
「うるせぇ」
部下の男は「かしこまりました」と言って走り去っていく。小柄な方の男がコウの傍に歩み寄り、助け起こそうと手を伸ばす。男の横顔はその鎧装束に似合わぬ線の細さで、色素の薄い肌とすっと伸びた切れ長の瞳は下限の月を思わせた。
「大丈夫ですか。痛みますか」
声色はいたって柔らかく、おろしたての毛筆に似ている。
「ええ、ありがとうございます。痛みますが、大丈夫です」
コウはゆっくりと身体を起こして頭を垂れる。暗くてよく見えないが、その頬は真っ赤に腫れているように見える。
ひとまず良かったと安堵のため息を漏らしていると、アタシの方にも足音が1つ近づいてきて、目の前で止まった。
「あー、っと。おう、大丈夫か、その、怪我、してんだろ」
頭上からあの虎の声がして、アタシもコウと同じように、身体を起こした。幾人かの近づいてくる足音を聞きながら、アタシもまた、同じように感謝の言葉を口にする。
「ありがとう……アタシより、あの子を」
そこまで言ったところで、異変に気づいた。男の顔には驚愕がありありと浮かび、半開きの口はわなわなと震えて見えた。
何事かと思って見つめ返すと、男はいきなりアタシの胸倉を掴み、頭突きでもしそうな勢いでそのいかめしい顔を近づけて来た。松明を持った男達が数人駆けつけてくると、その鷹のような瞳に爛々と灯りが灯る。
「てめえ……!なんでここにいやがる!!」
アタシは訳も分からず沈黙し、男の瞳を見返すだけで精一杯だった。
向こうの男の兄弟かな?
そんな呑気な疑問が、頭の片隅に転がり出た。