囚われの2人②
隣に座る少女を見る。
並んで座っているのに彼女のつむじが見えている事が彼女との体格差を物語っていて少々癪に障るのだが、その愛らしい姿に早くも愛着を感じ始めていた。
…………ていうか、寝てる?
顔を覗き込んでみると、コウは桜貝のような瞼をぴったりと閉じている。
参った。この娘には勝てそうも無い。
そこから、どれほど時間が経っただろうか。気を張り続けていたせいか、いい加減アタシにも睡魔がやってきており、漆黒と濃灰色の視界が更に曖昧になってきた。
寝るわけにはいかない。何故?本当に?
本当にアタシが起きてる必要あるの?
どうせ今できることは無いんだし、寝てても問題なくない?
だったら、今のうち体力の回復を……
意識を手放す。ゆっくり。静かに。
外が騒がしい。
人が慌しく行きかう踵の音。バタバタと、右へ左へ行きかっては何がしかを叫ぶ、男達の声。
何かが起きている。それでもアタシの意識は覚醒を拒むようにしてまどろんだままだ。
起きなきゃ。何か、手遅れになる前に。
バンッという大きな音によって沈みかけていた意識が、弾けるように覚醒する。
「おい!立て!早くしねえとぶっ殺すぞ!!」
扉を蹴破るようにして転がり込んできた小男が、震える声で凄んだ。隣で小さな寝息を立てていたコウも天敵を察知した小動物のような機敏さで、何事かを掴もうとしている。
「立てって言ってんだよ!」
男が持つ剣の切っ先がアタシの鼻先に突きつけられる。男の慌てようはただごとでは無い。しかしここでその何事かを問うてる時間は無いだろう。そんな事を考えているうちに、コウがゆっくりと立ち上がった。
「行きましょう」
凛とした顔を小男に向けたまま、澄んだ声でそう言った。
小男に急かされて外へ出ると、おぼろげだった喧騒がより近くに聞えた。怒声、悲鳴、金属の衝突音や金切り声。それらが距離と眼前の木々たちによって、まるで幕の向こうで起きているかのように輪郭を失って聞える。
「つっ立ってねえで早く行け!突き殺すぞ!」
小男が振り上げた足裏で、コウの尻をグイと押す。辺りを窺っていたコウは腰に回された縄のおかげで転ばずに済んだが、不意の衝撃によろめいて小屋の壁に細い肩をぶつけて「うぅ」と呻いた。
「何すんのよ!」
先ほどまで忘れかけていた憤懣が一気に湧き上がり、アタシはその小男を睨みつけるが、男は怯えたような薄ら笑いを浮かべたまま「早く行けよ!」と怒鳴り返してくる。
「大丈夫です。行きましょう」
コウは弱弱しく言うと、よろよろとした足取りで暗闇の先へと歩を進める。アタシもその後を追うようににして歩き出すが、コウ同様、腰に回された縄の端を小男に握られているため逃走することは難しそうだ。
アタシたちは真っ暗な獣道を小男に命じられるがままに歩いて行くが、その間中もあの喧騒は聞こえ続けている。
「ちょっと!何が起きてんのよ!」
後ろを歩く小男を怒鳴りつけるような口調で質問をぶつけるが、案の定「黙って歩け!」としか帰って来ない。
コイツらが誰かに襲われているのは明白だ。でも誰が。正規軍である可能性は高いが、同じ賊同士の縄張り争いの可能性だってある。もしその場合は、この男を叩きのめしたとしても、別の賊に捕まるだけという可能性もあるのだから、下手に動くのは得策ではない。と思う。
コウは。あの才女は何を考えているだろうか。
アタシは半歩先を歩く小柄な彼女の横顔を見下ろしながら、その考えを読み取れないかと試みるが、ただでさえ暗い夜道ではそれは不可能もいいところだ。それでも彼女がその宝石のような目を左右に光らせ、何かを得ようとしていることは分かる。
アタシの視線に気づいたのか、コウがふとこちらを見た。彼女は何も言わず、語らず、ただこちらを見ているのだが、その顔には緊張と不安の色が見え隠れしているように思えた。
当たり前じゃないか。彼女だって怖いに決まってる。
実家を出て、一人で旅をして、訳も分からぬまま汚い賊どもに連れ攫われ、こんな夜道を歩かされているのだ。むしろこんな状況でさえ泣き言ひとつ言わないことがおかしい。なのに――
ガラにも無く頭を使おうだなんて、アタシは本当にバカだな。
小さな自嘲が膨れ上がり、それをゆっくり飲み込むとアタシは、自分に今できる最高の行為をしようと思った。
「大丈夫だよ。コウは、アタシが守るから」
そんな事しか言えない。ただ笑って、そう言うくらいしか今は出来ない。
それでも、それが自分のすべき事だって、そう思った。
コウは少し照れくさそうに笑いながら、小さく「ええ」とだけ言ったようだ。
瞬間、空を切り裂く音がする。
ドスン、という音がして、それが何かを理解した。
「伏せて!」
アタシとコウはその場に倒れこみ、全神経を集中する。先ほどまで立っていた付近の木に矢が2本3本と突き刺さっていくと、後ろを歩いていた小男が「ひっ」と短い悲鳴を上げて尻から地面へ崩れ落ちた。その拍子に縄を放してくれたら良かったのにと思ったのは言うまでもない。
「メイ!怪我は!」
「アタシは大丈夫、コウは?」
「私も大丈夫です」
全身の毛穴が目や耳になったような感覚と共に、辺りを包む物音に脳内が支配されていく。
ざわざわ、がたがた、ぺきっ、ぱきっ。
息を殺し、気配を消し、五感が全て触感になる。僅かな物音や息遣いでさえもこそばゆく感じる度に感覚は鋭敏になっていた。
一瞬の静寂の後、それを切り裂く声が響く。
「やろう!上等だオラァ!」
後ろの方で小男がヒステリックな声で叫びを上げて立ち上がる。彼は暗い森の中で、まるで夜に吸い込まれまいとするように、ぶるぶる全身を震わせいた。両手で構えた剣の切っ先が、獲物を探して彷徨している。