囚われの2人①
第2章始まります。
殺す。絶対殺す。
怒髪はとうに天を突き、頭を振れば月だって叩き落とせそうなほど怒り狂っていた。
「お前は少し怒りっぽ過ぎるぞ。女の子なんだからもっとお淑やかに」と父に言われた事を思い出して、更に怒髪は伸びていく。
後ろ手に縛られた両手に力を込めてみるが、厳重に何十も縛られた縄はびくともしなかった。
それもそのはずだ。使われている縄も太いが、どうやら2本も3本も重ねて縛っているらしい。
お高く評価していただき、本当にいたみいる。
心からの謝意を無言で呟き、宵闇の中に浮かぶ煤けた天井を仰ぎ見た。空が狭いのが本当に滅入る。実家の天井とそこまで変わらないはずなのに、まるで心の沸騰を無理やり抑えられているような感じがして、本当に息がつまる。
ざりっという床を擦る音がして、アタシは音のする方へ目を向けた。
「んっ……」
「おはよう。大丈夫?」
地べたに横たわる彼女へ声をかける。自分の方はと言うと、既に床と体温の差が無くなって来ていた。彼女は状況を把握すべく視線を縦横無尽に動かしているが、ほんの僅かな間で全て諒解したようだ。
「ごめんなさい……私のせいで」
「それは言いっこなし。そもそも悪いのはアイツらなんだし」
きっと彼女から見れば、鼻の穴を大きく広げた私の横顔が見えたであろう。ふんっ、とならした鼻息で床の誇りが舞った気さえした。
コウはゆっくりと身体を起こし、私がもたれかかっている壁に並んで背中を預ける。
「ここがどの辺りかお分かりになりますか?」
「さあね、アタシも頭から袋被ってたから、具体的にはわかんないな。あの後二人とも頭から袋被されて馬車の荷台に放り込まれたから」
落ち着き始めていた怒髪がまた疼きだす。連中に触られた肌という肌が、ぞわぞわとした不快感を伝えてくる。
「ただ、斜面を随分上ったのは覚えてるから、どっかの山の中だとは思う」
「山、ですか。とすると都からはさほど離れていない場所ではあるのですね」
「そうだろうね、都の周りは一面の草原だったけど、ちょっと言ったらすぐ山地だし」
「となると、思っている以上に大きな組織なのかも知れませんね」
「どうして?」
「いくら山の中を根城にしているとは言え、こんな都の近くで活動できるのですから、実力……というべきなのでしょうか、少なくとも街のチンピラ崩れに出来るものでは無い気がするんです」
「規模が小さい方がかえって見つかりにくいんじゃない?」
「彼らは都に入る前の隊商を狙って仕掛けて来ました。そんな大胆な事を小さな組織がやるとは思えません。そんな事をすれば都から兵士が差し向けられて、討伐されるのがオチですから。恐らく、この近くの集落や大豪族とも繋がりがあって、都の兵も迂闊に手を出せない……とか」
「うぅん……」
私は返す言葉を失ってしまった。確かにその推理には一定の説得力がある。しかし、私が聞いた話では樊の都・華河は、今の丞相になってからは取締りがかなり厳しくなり、治安は劇的に良くなったと聞いていた。
無論、それでも犯罪は後を絶たないのだろうが、それにしてもコウの言うような規模の賊がこんな都近くに湧くことなどあるのだろうか。
「あの」
「うん?」
コウが心配そうな声を上げて、アタシの顔を覗き込んでいる。「こちらへ身体を向けていただけますか」とい言う彼女の眉に、吸い寄せられるような感覚がした。
間近で見ると非情に整った顔立ちをしている。陶磁器を思わせる肌に紅い唇が小さく添えられ、琥珀のような瞳を覗き込めば、その微細な造詣に目を奪われてしまいそうだ。涼しげな柳眉がそっと近づき、それはアタシの胸元へと沈んでいく。
「え!?ちょっと!!」
突然の事に情けない声を上げてしまう私をよそに、彼女の鼻先が胸骨に触れた。彼女の小さなうなじが左右に動き、アタシは息を潜めてしまう。
コウは器用に着物の襟を口で掴み、ぐいぐいとそれを引っ張る。アッと声を上げる間もなく、大きく開かれていた胸元が、不恰好ながらも閉じられていた。
彼女はその可愛らしい頭を離して、「はい」とだけ言った。
「あ……ごめん、直してくれたんだ。アタシ、てっきり」
そこまで言って言いよどむ。まさか初対面の女性に何かされるのでは無いかだなんて、そんなこと口には出来ないだろう。
「ごめんなさい。手でやろうかと思ったのですけど、女同士とはいえ初対面の方におしりを向けるのは、ちょっと」
彼女は恥ずかしそうに微笑んでみせるが、やはり怖い子だ。大抵の男は今の笑みひとつで篭絡できるだろう。
「すみません、私のせいで」
彼女は今一度謝罪を口にすると、その視線を斜め下へと滑らせる。恐らく襟を直すときに見てしまったのだろう。私の身体のアザを。
「あはは、いいよ。子供の頃から生傷の絶えない身体だし。痛いのだって慣れっこ」
強がり半分、本音半分だった。全く堪えていないと言うと嘘になるが、賊たちへの怒りと憎しみで、つい先ほどまでその痛みを忘れていたのだから。
「顔を狙わなかった、という事は、誰かに売り渡すつもりなのでしょう。着物を着ていれば傷は見えませんし」
コウは落ち着いた口調ながら、重く鋭い舌先でそう呟く。それは恐らくそうなのだろう。
「だとすれば、逃げ出す隙はそこしか無さそうですね」
「抜け道がないかとか、扉が開かないかとか確かめないんだ」
アタシの問いにコウはくすっと笑みをこぼす。
「失礼を承知で言いますが……メイが大人しく座っていた時点で、そういう事なのでは無いですか?」
またあの笑みだ。
清廉そうな見た目をしていて、実は男遊びが凄いのでは無いかとさえ思ってしまう。それにしても、よく頭の回る子だ。
「はぁ、ご明察。たぶん、そのせいで肩にもアザ」
アタシは大きなため息とともに、再び冷たい壁に背中を押し付けた。
「ありがとうございます」
「いいよ。アタシが守れなかったせいだし」
沈黙。しかし、それほど不快感は無い。この苦難の中にあって、アタシたちの間には不思議なほど強い連帯感と仲間意識が生まれていた。
こんな空気を味わうのは本当に久しぶりな気がする。子供の頃から女友達が少なく、周りにはやんちゃな男友達しかいなかった。彼らもまた、長じるにつれて目に見えない溝によって隔てられてしまった。それがアタシの家のせいなのか、アタシが強くなりすぎたのか――
それとも、アタシが女だったからなのだろうか。
その問いを持つ頃には、対等な女友達を作る事なんてできなくなって。結局、実家を飛び出した結果がこの有様だ。
彼女、コウもそうなのだろうか。
家のための結婚を承知し、一人ぼっちの旅をしてきた彼女にも、そんな孤独があるのだろうか。
続きは週末に。