一つの馬車に、二人の女④
跳んだ。
横殴りの風に煽られて空中でバランスを崩すが、頭の中は妙に冴えていた。口の中に入り込む髪の毛が煩わしい。
ドスン、という音と衝撃が全身に伝わって、私は身体ごと荷馬車に着地する。硬い木箱がアバラに衝突して息がつまるが、うめき声を上げている暇すら今は惜しい。
私のアバラを強か打った木箱を掴んで立ち上がる。手が、脚が、震えている。頭は冷めているのに、身体はそうでも無いらしい。
負けてられない。
頭から全身に指令を放つ。手にした木箱の蓋を開けると、華河に運ぶはずだった野菜がぎっしりと積まれていた。私はそれを片っ端から手にとっては四方八方に投げまくった。馬車の来た道に作物が散らばるが、これでは散らばりすぎて効果が薄いだろう。もっとまとめて撒かなくては。次の箱に手を伸ばして引き摺ろうとするが、満載の木箱は想像以上の重量があり、ほんの少し動かすのが精一杯だ。そうしている間にも賊との距離は縮まっていく。
お願い……動いて……!
その時、ドスンという音と共に馬車の荷台が大きく揺れた。
「コウ!」
他の人たちと一緒に馬車にのっていたはずのメイが、先ほどよりも距離が離れているはずの荷台から大跳躍をしてきたのだ。先ほど私が乗り移った時より三倍以上距離が空いているというのに、なんて跳躍力なのだろう。
「どうして来たんですか!」
「文句は後!」
そういって彼女は私が引き摺ろうとしていた木箱に力を込める。あれほど重たくびくともしなかったそれが、ズズズという音を響かせ一気に動いた。
凄い力だ。改めて隣に立つ彼女を見ると、私よりふた回りは大きい。首から肩にかけての筋肉の大きさが彼女の力と、その鍛錬の日々を雄弁に語っている。
賊はもう目と鼻の先だ。真後ろに迫る数人の男達が血走った目でこちらを捉えようとしているのが、はっきりと見えている。
「あとちょっと!」
「はい……!」
重量級の木箱が斜めに傾く。柔らかい地面に木箱が食い込む鈍い音、木々が爆ぜる硬く乾いた断末魔。中にしまわれた野菜がまるで落石の如く殺到する。
馬の戦慄きに男たちの悲鳴が続く。転がってきた無数の野菜に脚をとられた馬が転倒し、乗っていた男達が宙を舞った。
「やった!」
メイの喜びに満ちた声が響き、続いて彼女の口から酒場のならず者のような罵声も聞えたが、油断はまだ出来なかった。
「まだです!」
私は斜め後方からやって来る賊を見て、身体を強張らせた。馬車が走る道と違い、凹凸の多い未整地の草原は馬にとっても走りにくいが、こちらは人も荷物も乗せた馬車、向こうは一人だ。その距離は徐々に近づいていき、眼前の賊が弓の名手であるなら今頃二人とも射掛けられていたような距離だ。
手近にあった芋を賊目がけて投げつけるが、かわされるどころか届く事さえなく地面の上を転がる。こんな事なら子供の頃みたいに兄達と野山を駆け回って遊ぶべきだった。
そんな私の後悔を知って知らずか賊の男は勝ち誇ったような顔を浮かべ鞭を一撃入れて、馬をけしかけようとする。直後、その顔に赤子ほどもあろうかという白菜が直撃すると、彼は新緑萌える草原へと落下した。
「っし!」
隣に立つメイが拳を握る。
逃げれる。
そう思った次の瞬間「うっ」という低い声が前の方から聞こえ、私とメイの視線が前方の御者に向けられる。彼の肩には矢が深々と刺さり、真っ赤な鮮血が腕から流れ落ちた。
「あっ」と声を発した時には既に遅く、彼の身体は右へ大きく傾きそのまま馬車の下へと落下していく。ドスンという音と共に落下した彼の身体を車輪が踏みつけ、二台が大きく跳ねた。
私とメイは短い悲鳴の後、折り重なるようにして荷台から落下した。
鈍い音に続いて天地がぐるぐると回り、私達は土の上を転がっていく。回転が止まり、狂った平衡感覚が地面を掴んだ時、私は自分の身体に傷がない事に気づく。
「いったぁ…………コウ、大丈夫?」
メイの柔らかな声がして、私は自身の状況を察した。彼女は落下時に私の身体を抱きかかえ、その大きな身体で私を包み込んでくれていたのだ。
「メイ!」
「大丈夫、鍛えてるからさ」
苦境の中にあって彼女の声は平静そのものであり、私は思わず安堵の吐息を漏らしたが、鋭い悲鳴がその感情を絹のように引き裂いていく。
「た、頼む。命だけはたす」
次の瞬間鈍い音が2つ聞えた。1つは首が、1つは胴体が地面へ落ちる音。
二人とも悲鳴は上げなかった。メイは私を抱えたまま狼のような表情で歯を食いばっているが、私といえば悲鳴を上げることさえ忘れていた。肩に矢を受けた胴体はからはだくだくと鮮血が噴出し、恐怖に歪められたまま時が止まった御者の生首がごろりとこちらに顔を向ける。
逃げろ、と言っている気がした。
「コウ、立てる?」
メイの声は緊張していた。しかし凛としたその声には不思議と恐怖を感じない。つくづく強い人だ。
「立てます」
「あたしがアイツらをひきつけるから、あんたは逃げて」
「!?…………でも……」
「いいから。どんな阿呆に嫁ぐとしても、一生賊の慰み者になるよりはよっぽどマシだよ」
彼女は「じゃあね」とだけ言って立ち上がると、近くにあった棒切れを手にとって賊たちに凄んだ。
「かかってきなっ!どさんぴんども!」
次回は週の真ん中辺りです。