一つの馬車に、二人の女③
「まさか……盗賊!?」
メイの一声に馬車に乗っていた幾人かが振り返る。
「盗賊!?」
「盗賊だって!?」
「おい、嘘言うなよ!ここは華河の近くだぜ!?」
次第に声は大きくなって、不安と恐怖が狭い荷台に広がる。
「ねぇ、コウ、樊軍の演習って線は無い?」
「どうでしょう、ここからはよく見えませんが、装備がバラバラな気がします。御者さん!もっと早く走れますか!? 」
「そりゃ、出来んことも無いが……本当に賊なのかい?」
「そうだ!騒ぐだけ騒いで実は違いましたなんて事になったら承知しないぞ!」
乗り合わせた中年男性が声を荒らげる。
「もちろん、もしも違った場合は謝罪でも何でも致します。でも、もし本当に賊だった場合は、その命でそのツケを払う事になりますよ」
脅すような私の発言に気負されたのか、男性はそれきり黙ってしまった。
「責任は私が……いえ、私の家が持ちます。やってください」
「わ……分かった……おーい!みんな、賊だ!!逃げるぞ!!」
御者の男性は後続の荷馬車に向けて大声で指示を飛ばすと、手にした手綱を大きく振るう。尻を叩かれた2頭の馬は短い悲鳴を上げながらぐんと速度を上げると、その8本の蹄で柔らかい地面を大きくえぐった。
「きゃっ!」
揺れを大きくした馬車に体勢を崩し、私は大きく仰け反る。あわや馬車から転げ落ちようかというところで、硬い地面の衝撃ではなく、柔らかで力強い何かが私の肩を支えた。
「コウ!」
隣に座っていたメイが私の肩に手を回し、まるで姫を守る戦士のようにガッシリと抱きとめてくれている。彼女の腕はその細く引き締まった身体に似合わぬほどに力強く、不安と恐怖に落ちようとしていた心まで拾い上げてくれた。これが御伽噺なら恋に落ちるところだ。
彼女に向かって「ありがとう」と言いながら、私の頭はおかしなほど呑気な事を口走っている。
しかし、これは現実だ。もう一度先ほどの砂塵の方へと視線を向けると、その一団が進路をこちらへ向けるのが見える。人一人だけが乗る賊の騎馬と、数人の人や荷物を載せた馬車、追いつかれるのは時間の問題だ。
「マズイよコウ!このままじゃ追いつかれる!」
隣でメイの焦れた声がする。乗り合わせた他の人々も次々に声をあげ、馬車の荷台は半狂乱の様相を呈していた。
何かしなくちゃ。
そんな声が脳から響く。
しかし何をしたらいい。私に何が出来るのか。必死に頭を回転させるが、この状況を打開する策など、そう簡単に出るものではない。そうこうしている間にも、馬車と賊の距離はどんどん縮まっていく。その距離は既に、彼らの装備品だけでなくその表情さえも見えてきた。皆一様に口に薄ら笑いを浮かべ、その目にハゲタカのような光を宿し、こちらと並走しながら徐々にこちらとの距離を詰めてきている。
その時、突如後ろから馬の影が駆けて行く。
賊の馬ではない。隊列の最後尾で荷馬車を引いていたはずの馬とその御者が、私達の乗る馬車を追い越していった。裸馬の背中にしがみつくようにして乗る彼と目が合う。
恐怖、不安、そして悔恨の思い瞳を揺らし、ぐしゃぐしゃにひしゃげた泣き顔のような表情で、あっという間に道を駆けていった。
目の前にいる御者の男性がその背中に、あらん限りの罵声を浴びせるが、とうとう彼は振り向くことなく、私達の遥か前方へ消えようとしていた。仲間を捨て保身のためにひた走るその背中に怨嗟の棘が向けられる。しかしそれを伝えようにも、彼の背中はもう米粒ほどの大きさになっていた。
「嬢ちゃん!身を隠せ!」
先ほど私に噛み付いてきた男性が手を上下させ、私に屈めと言ってくる。
「奴ら、あの野郎が捨てていった荷馬車の方へ人を割きやがった。奴らは人殺しがしたい訳じゃねえ。奴らが欲しがるのは金目のもんと食料、そして女だ」
彼は私の隣で賊の動きを警戒するメイを一瞥してから、さらに続けた。
「俺達ぁ上手くすれば命くらいは助けてもらえる。だが、アンタらは違う。奴らに連れ攫われたら、何をされるか……」
私は彼を見誤っていたのかも知れない。彼の顔に浮かぶ憐憫の情は、決して偽りで無いようにみえる。
その時、私の脳裏に、ある閃きが湧いてきた。
私は後方を走る荷馬車を見る。御者の男性の顔は、先ほど私達を追い抜いていったあの男の顔に似て、今にも逃げ出しそうな顔をしていた。
できるだろうか。私に、女の、私に。
「コウ……?」
私の隣に座るメイが何か心配そうな顔をしてコチラを見ている。きっと、今の私は酷い顔をしているはずだ。青ざめているのか、それとも真っ赤になっているのかは分からないが、彼女を顔を見る限りまともな顔はしていないだろう。
「大丈夫です。メイ、後は任せて」
「えっ?」
「おじさん、ご忠告ありがとうございます。私達を心配してくださったご恩に、今報いたいと思います」
そういって私は中腰で立ちあがり、暴れまわる荷台の最後尾から後続の馬車に乗る御者へ手を振った。
「すみませーん!!」
背中の方でざわめきが聞こえたが、私はそれに構うことなく、さらに声を上げる。
「荷馬車を隣につけてくださーい!」
「コウ!なにしてるの!?」
メイが私の肩を掴む。
「荷馬車に移ります!」
「なに!?なんで!?」
「積荷を間隔を開けて落として、賊の注意を引きます!相手はそこまで多勢ではありません。これで少しくらい時間稼ぎをします!」
「あの人にやらせたら!?」
「馬を操りながら落としていくのは無理です!かといって、先ほどの人のように丸ごと捨てては時間稼ぎになりません!」
「でも!」
私は彼女に構わず声を上げる。後方の御者も意図は察せずとも、意志は察したらしく、必死の形相で馬車を加速させてくる。その距離はジリジリと詰っていき、ひと飛びで届く距離まで近づいてきた。
「それじゃあ、メイ!お元気で!」
慌てがちな人間でも、周りが自分以上に慌てていると逆に落ち着くという事がある。今の私も、驚くほど落ち着き払っていた。
高速で爆走する馬車から馬車への跳躍。上手く移れたら荷台の荷物を転がして、それから……
父様、母様、兄様たち。無茶な私を許してくれなくていいから、私の成功を祈っていて。
「えーいっ!」