09.修道院での生活 2
その日の午後ーーー
「アナベル、今日のスープの豆は少し硬かったわ。みんな我慢して食べていたけれど」
昼食の後、私は大食堂の長テーブルに一人だけ残されていた。
そんな私と向き合ってお説教をしているのは、イベリア修道院のトップ、修道院長のマルゲリータだ。
私はマルゲリータ院長が苦手だ。
院長を見ると、昔、マナー講師として私を毎日叱責していたヒルデ夫人を思いだす。
二人とも似たような丸い銀縁眼鏡をかけていて、いつも厳しい顔つきをしている。
絶対褒めてくれないし、滅多なことでは、ニコリともしないところがそっくりだーーー。
「アナベル!」
「は、はい」
ぼんやりしていると、マルゲリータ院長の厳しい声が飛んできた。
「聞いていますか?」
「もちろんです」
「あなたの身の上には同情していますが、ここに来たからには、イベリア修道院の一員としてやるべきことはきちんとやっていただきます。特別扱いはできません」
「・・・わかっております」
「今週のスープ係はあなたでしょう?次からはどうしたらいいと思いますか?」
「豆をふやかす時間を長めに取ろうと思います」
「どのくらい?」
マルゲリータ院長の問い詰めかたが、あまりにもかつてのヒルデ夫人にそっくりで、私は背を震わせた。
解決策を具体的に述べなければ絶対に許してくれないのよね。
「ええと、今日は、朝食後の7時から水に浸しましたので、次回からはもっと早く、起床後の4時から水につけようと思います」
「いいえ、それではダメです。前日の夜からつけておくのよ。終祷の前にね」
終祷とは、一日の最後の祈祷のことだ。
日々、終祷を終えてから、私たちは眠りに就く。
晩御飯からこの終祷までは、私たちに許された唯一の自由時間だった。
その時間内に仕込みをしておけということらしい。
「・・・わかりました。申し訳ございません。次からはそのようにいたします」
修道院に来てから、私は謝ってばかりいる気がする。
伯爵令嬢として生きていた時は、重要な仕事といえば社交だった。
生活に必要な細々としたことは、全て侍女や女中がやっていた。
ひよこ豆がそんなに固いなんて知るわけがない。
「そっか、豆は前日から仕込むのか・・・」
ただ食事をし、生活していくことが、こんなに難しかったなんて。
平地だと思って立っていた場所が、いきなり険しい岩場に変貌したような気分だった。
★★★
次のルーカスとの面談の時間、私は少しマルゲリータ修道院長のことを聞いてみた。
「ルーカス、あなた修道院長ともよく面談をしているでしょう?」
「ええ、していますが」
「あの、修道院長ってどういうお方かしら?」
「は?どういうお方とは、それこそ、どのような意味ですか」
ルーカスが怪訝な顔をして私を見る。
私はそんなに不適切な質問をしたのだろうか。
このところ修道院長からのダメ出しが続いていて、私はピリピリしていた。
まるで、追い詰められた小さなハリネズミにでもなったような気分だった。
今日も、服の繕い物のやり直しを命じられたばかりだ。
「令嬢時代にされていたお遊びの刺繍とは違うんですよ」と、マルゲリータから嫌味まで言われている。
「いや、少し指導が厳しいんじゃないかって思う時があって。もちろん、私の出来が悪いからなんですけれど・・・なぜか私には直接、院長が指導する場面が多い気がするのよ」
「ああ、それはアナベル様には厳しく丁寧に指導してくださいと、マルゲリータ修道院長に、こちらからお願いしてありますので」
「えっ、な、なんで?」
「まさか、今までと同じような生活を続けるおつもりだったのですか?」
「そんなつもりはないけれど・・・」
「ここに入られる時、貴族の令嬢としての扱いは期待しないでください、とお伝えしているはずです。あなたには今後、何が起こるかわかりませんし、この際、生活スキルを身につけておくに越したことはないと思いますが」
「せ、生活スキル?」
何それ。たくましすぎる。
私だって、自分の周りのことくらい自分でやろうと思っていたけれど。
ちょっと思っていた修道院生活と違う。
この私が・・・そこまでしないといけないの?
「それって、私に必要なのかしら?・・・やっぱり、ヴァンベルクの方々って変わった考え方をするのね」
「不服ですか?」
「いいえ、大公様がそうお考えなのなら私は従うまでです」
質実剛健で知られる国だ。
元貴族出身でも、甘えは許されないのかもーーー。
「いや、これは私の一存でお願いしていることです」
「あなたが!!やっぱりあなたのせいなのね」
私はバッと顔を上げた。
本当にいい性格をしているわ。
院長を使って、私をイビりたいだけでしょう!
「あなたという人は・・・いくら私が気に入らないからといって、やりすぎでは?」
「え?いや、何を言っているのですか。アナベル様のためを思ってのことです。マルゲリータ院長も同じだと思います」
ルーカスは驚いたように、真顔で言う。
「まあ、ありがたいですわ!」
フンっと私は顔を背けて、立ち上がった。
最近になって、ルーカスとは以前より距離が縮まったと思っていたが、誤解だったようだ。
私のこと、全然考えてくれてないじゃない。
ここに来てからというもの、どれほど私が苦労しているか、分かっているの?
あなたは、私が苦労しているのを本心では喜んでいるのでは?
「私、もう今日はこの辺で失礼させていただきます」
ぽかんとしている顔のルーカスを後に残して、返事も聞かずに私は面談室を出た。
「マルゲリータ修道院長ですが、もちろん良い方ですよ」
面会室を出て行く時、ルーカスが放った声が背後に聞こえた。
あっそう!
私に厳しいところはあなたにそっくりですものね。
あなたにとっては、もちろん良い方なんでしょうよ。
ルーカスの言葉が聞こえなかったふりをして、私はプリプリしながら自室に戻る。
ルーカスとの面談が気持ちよく終えられたことは、未だかつてない。
一方、アナベルが去った面談室では、一人残ったルーカスが口元に笑みを浮かべていた。
「まあ、ちょった厳しくしすぎたかな。アナベルはよくやっているとマルゲリータ修道院長は言っていたが」
ルーカスは、椅子から立ち上がりながら呟いた。
「ま、もう少し手加減するように修道院長にはお伝えしておこう」