文豪夫婦
朝が始まってしまった。部屋の窓から陽の光が差し込んでいる。瞳に当てると眩しく、皮膚に当てると熱かった。大きく欠伸をすると吐いた息が鼻にかかりむせた。腹が我儘を訴えている。下の階へ繋がった階段を降りリビングに出た。リビングには私より先に起きた妻の姿があった。朝食の準備をしていたようだ。
「おはよう。昨夜は眠れたかい?」
「いいえ締切が近い原稿の事で頭がいっぱいで眠れませんでした」
「夢は見れたかい?」
「鬱になるぐらいには見ましたよ、悪夢を」
「それは......災難だったね」
「お陰様で目の下にクマが住み着き始めました」
本当だクマがある。朝食の目玉焼きや焼きベーコンを口に運び咀嚼する。度々妻の方へ見た。妻の様態を心配するには夫して当然の事だ。
「ごちそうさま。それじゃあ私は仕事に移るから君も頑張ってくれ」
「もう仕事ですか? たまには夫婦としての時間も____」
「すまない時間を押しているんだ。じゃ、また」
逃げるように自室へと戻った。原稿用紙を睨みながら万年筆を手に取りペン先を動かした。今作の題材は愛だ。シンプルであり擦られまくった題材だが正解と言える作品は未だ出てきていない。だからこそ皆書くのだ。最近では青小説と言われる物まで出てきて世に浸透していった。ああいう作品が評価を受けてさもベテラン作家ですよみたいな面をしている連中を見ていると虫唾が走る。異世界恋愛もそうだ。恋愛というものをファンタジーチックにし過ぎなんだよ! 恥を知れ恥を!
原稿が大体出来てきたところで休憩をとることにした。お腹が空いたのもそうだが何より指が痛い。ペンを握り続けたせいだ。リビングに体を出すと妻の姿が無かった。昨日今日の間で出かける用事があるとは聞いてはいないが急用でもあったのだろうか。締切ギリギリというのに平気だろうか。
「____朝、言い過ぎたかなぁ」
ラムネ菓子を頬張ってる最中ふとそう考えた。改めてリビング一帯を見渡すと何だか違和感があった。と言っても目に見える違和感では無く、空気感とか感覚での違和感だが。
「散歩でも行こうかな、良い気分転換になりそうだ」
玄関から身を乗り出すとやはりいる太陽。そよ風が優しく頬を撫でる。一歩前に踏み入れると暑さが悪化した。もう帰ろうか今なら引き返せる。でもそんな私の背中を自然達が押した。
「これも天啓....か」
大自然という偉大な補助棒を使いながら歩いて行くと一軒の家屋の前で足が止まった。自然達も静かになった。まるで私にここで止まれと言わんばかりに。
外見は全然普通なのだが肌が脳が本能が危険と発している。私は天性の天邪鬼だ。だからこうやって危険と分かってても家の扉を開けてしまうんだ。
室内は全体的に暗く、空気は腐敗臭と柑橘系の香りが混ざっていて酷かった。一体この先に何が待ち受けているのだろうか。怖いと思いつつも内心楽しくなってきている自分がいる。私が室内へ足を落とすと同時に奥の扉が開いた。扉の先に立っていたのは物腰柔らかそうな男。しかし体の至る所に血液らしき赤い物体が付着していた。なるほど分かったぞ、腐敗臭がしていたのはアイツが生き物を殺めていたからなんだな。
「やぁ、お邪魔しているよ」
「____招かれざる客人、こちらへどうぞ」
案内されるがままに部屋に踏み入ると臭いからは想像不可な洒落た内装があった。臭いは以前変わらず。ただ視覚的にオシャレだと感じているせいか先程よりはマシになった。引かれていた椅子があったので座ると眼前に丁寧に盛り付けられた赤色の刺身が現れた。つけて召し上がれと言わんばかりに醤油が用意されていたので醤油をつけて食べることにした。何の魚だ? 赤色の刺身と言ったらマグロだがマグロの味とは似ても似つかない。ちなみに醤油にはわさびが混ぜられていた。わさびの消臭力を持ってしても拭いきれない血なまぐささ。それに加えて酷く脂っこい。正直吐き出したいぐらい不味いがせっかく出してくれたんだ。無理にでも飲み込もう。
「どう? 美味しい?」
「あ、ああ......」
何とか飲み込めた。二枚目は......無理だな味を知ってしまった以上、箸で掴めない。それにしてもこの男、初対面だと言うのに馴れ馴れしい奴だな。
「お口直しにどうぞ」
刺身は取り下げられ次に出てきたのはこれまた赤いジェラート。脂っこいものの後にジェラートを出すとは中々分かっているじゃないか。喜々としてジェラートを口に運ぶと馴染みのある味に私は驚いた。馴染みの正体に気付くのに時間はかからなかった。血だ。ジェラートをすくうのに金属製のスプーンを使ったから一瞬スプーンの味かと思ったが離した後に強く残っていたからジェラートの味だと分かった。私はジェラートが溶ける前に慌てて吐き出した。
「おや、どうかしましたか? お口に合いませんでしたか?」
「いえ、大丈夫です。お気になさらず」
「そうですか。では本日の主役です」
そう言って差し出されたのは鉄板に乗ったステーキ。鉄板の温度と脂が刺激し合い独特の音色を奏でている。いつの間にか用意されていたカトラリー、扱う際変に力が入ってしまった。ステーキを一口喰らうと刺身の時同様、脂が口内で飽和した。我慢の限界だ。今こそ男に問いただそう、料理に用いた食材について。
「君、この肉はなんだね」
「なんだね......とは? もしかして、お口に合いませんでしたか?」
「しらばっくれるな! 言え! これは何の肉だ!?」
「____これ以上誤魔化すのは無理ですかね」
「招かれざる客人、僕の後ろをついてきてください」
言われた通り男の後ろをついていくとある部屋に辿り着いた。その部屋は洞窟の中かと錯覚するほど暗く、腐敗臭が一際強かった。男を見ると暗い部屋でも分かるぐらい露骨に口角が上がっていた。
「急にこんな部屋に連れて私をどうしたいんだ?」
「これを見ろよ!」
男が毛布を剥がすと全裸の女性が出てきた。全身拘束されており、口元には枷が付けられていた。顔以外情報が無いため女性の正体に気付くのに時間を有した。
「もしかして......彼女は私の妻かい?」
「そうさ! 悔しいか? 腹立つか? でもお前が悪いんだよ!」
「僕の顔を見ろ! この顔に見覚えがあるだろ!?」
「ああ、妻の担当だろ」
「それで? 先の料理の食材は何だ?」
「お、おい....もっと驚けよ。自分の嫁が身ぐるみ剥がされてボロボロになってんだぞ......!?」
「論点をズラすな。今は私がお前に聞いているんだ。早く言え、でなければ殴る」
「に、人間だ! 実は俺、殺人が趣味のいわゆる快楽殺人犯ってやつなんだ!」
それを聞いた途端、強烈な吐き気が私を襲った。喉元までかかった吐瀉物。私は我慢できずに体外へ排出した。舌が酸っぱい。人になんてもの食わせているんだコイツは。にしても......
「おい、ペンと紙を持ってこい。編集ならあるだろ?」
私の妻、良い顔するなぁ......恐怖と絶望に苛まれた顔、私は彼女のそういうとこに惚れたのだ。
「ど、どうぞ」
「ありがとう」
編集からペンと紙を受け取り、地べたで文章を綴り始めた。止まらん....次から次へとアイディアが止まらんぞ......!
「あ、アナタ......」
蚊の羽音みたいなか細い声が私の書く手を止まらせた。妻だ。妻が私に話しかけているのだ。
「どうした」
「た、助けて......死にたくない......」
今際の際に出てきたのは悲痛混じりの救命要請。その言葉を聞いて私は再びペンを走らせた。そんな私見て、妻が生きることを諦めたのかこんな事を言い出した。
「ねぇアナタ......」
「わたしを、言葉で殺して」
妻の言葉を受けて加速するペン先。想像だけで脳みそが沸騰しそうになる。小説家の夫婦の最期を言葉で彩る。最ッ高のシュチュエーションじゃないか!
「______」
私は人目をはばからずに妻に耳打ち。最期の言葉を聞いて瞬く間に妻は絶命した。妻の担当を探すと足元に人体の輪郭があった。手を伸ばすとひんやりとしていた。私は妻のありのままを綴った紙を抱えて家を後にした。
「帰ってお茶でも飲もうかな」
外に出ると一際強い陽射しが私を待っていた。
紅杉林檎です。
最近桃のアイスにハマってます。