第22話
【如月 奏 視点】
(………ここはどこなのでしょうか………?)
気付くと、私はまたどうやらおかしな世界に迷い込んでしまったようです。はっきりとそうだとわかるのは、ここがおそらく現実の世界ではなく、なんとなく夢だとわかるからです。
私の近くにはお兄様の姿もありません………。だから余計にさびしく思ってしまいます。
ーーーと、その時。
私の近くには私と背格好がよく似た男の子が横たわっていました。慌てて私はその男の子の元に駆け寄り、覚えたばかりの治癒術を使いました。
???「………うぅっ………」
私の治癒術がゆっくりとその男の子にまんべんなくかけていくと、その男の子は段々と落ち着いた雰囲気をまとっていきました。
男の子がゆっくりと目を開けます。私を見るなり、
???「………おねえちゃん、ぼくを助けてくれてありがとう。だいぶ楽になってきたよ」
と言いました。だから私は………。
「………それならいいんだけど………見たところ、あなたは私と同じ背格好をしているみたいだけど、誰なの? それに………ここは一体………どこなの………?」
と聞き返していました。
それについてこう口にしました。
???「………ぼく? ぼくはおねえちゃんの………『奏』という漢字を書いて、『ソウ』って読むの。2つ目だけど、ここはいわゆる模造品 の国って仮に呼ばれている世界だよ」
………模造品………?
つまりこの男の子………奏は、私の分身体だとでも言いたいのでしょうか?
でも………ならなぜ他の人は彼を迎えに来ないのでしょうか?
「………えぇと、ソウくん………? この世界の他の住人とかって会えたりするのかな?」
今は少しでも情報が欲しい。彼を100%信じられるかどうかは、それを知ってからでも遅くはない。
ソウ「………そうだよね。おねえちゃんはまだよく状況がわかっていないだもんね。わかった。ぼくと一緒なら多分おねえちゃんは入れるよ。ぼくからみんなに説明すればきっとわかってもらえると思うはずだよ。だから、一緒に行こう。おねえちゃん!」
そう言いながら、ソウくんに連れられて私はこの世界を歩き始めていく。
◆◇◆
ソウくんに連れられて今私が歩いているのは、学校の廊下みたいだった。薄暗い廊下の先に向かって歩いて角を曲がった先には………ひとりの女性が制服に身を包んで立っていた。
???「ん………? きみはどちらさまかな?」
そういう女性に向かってソウくんが私を紹介する。
ソウ「………このおねえちゃんはぼくを助けてくれた命の恩人で、漢字で『奏』と書いて『かなで』 って読むんだって、寮長おねえちゃん!」
???「……おや、そうなのかい? こんなに彼がじょう舌に誰かを紹介するのは初めてのことでね。………みんなからは寮長だなんて言われているみたいだけど………一応仮の名前みたいなものはあるよ。『涼』っていう漢字をあてて、『リョウ』って言う。よろしくね、如月 奏 さん………?」
私の名字を伝えていないのに………という疑問は横に置いておく。
「………短い間にはなりますがどうか宜しくお願いします。リョウさん?」
リョウ「うん、よろしくね。さてと………詳しくは歩きながら話すことにしようかな」
リョウさんにそう促されながら、私とソウくんは共に歩き出す。私がリョウさんに話を聞いている間、ソウくんは黙って私とリョウさんのやりとりを聞いていた。
リョウ「………彼からも簡単に聞いたとは思うけど、この世界はレプリカの国と呼ばれる世界でね。役目を終えたレプリカたちが集まってできた国………なんていっても、ひとつの学校があるだけなんだよ。みんなで助け合いながら、楽しく暮らしているんだよ。通っているのは誰かから生まれてこぼれ落ちたレプリカだけ。先生たちとかはわからないけどね」
私たちが今いるこの瞬間だって校内のあちこちにはたくさんのレプリカの生徒たちの姿があり、笑顔を見せていた。娯楽施設はほとんどないみたいです。
身体を動かしたい人は体育館やグラウンド、プールへ行くようです。朝と夕方はレプリカたちが暮らす寮でごはんが出るみたいで、お昼は購買で売っているパンなどを食べたりするようです。
リョウさんに案内されながら、私はあいづちを打って少しでも整理を開始していく。
やっぱり………今こういう状況に置かれた私自身が特異な存在であるということを自覚しながら、物事にふけっていくとふいにリョウさんに声をかけられます。
リョウ「………わたしばかりじゃなく、今度は奏さん、あなたのお話も聞かせてほしいんだけど?」
「………え?」
まぁそれもそうですね。
私は話せると判断したところだけを、リョウさんや目の前にいるソウくんにたどたどしく話し始める。私の喉がかわききった頃、「そっか」と呟くリョウさん。
美しい横顔を覗き見ても、何を感じているかまではうかがい知れなかった。
どうやら、リョウさんは自身の生い立ちや根幹に関わる話はする気がないみたいだった。
それも、私は"違和感"のひとつとして状況把握のための材料としたのです。
リョウ「………そろそろ日が暮れるね。レプリカであるわたしたちが暮らす寮を案内するよ。レプリカには家がないからね。学校の隣に寮があって、みんなはそこで生活をしているんだ」
「………リョウさん、答えられる範囲で構いません。役目を終えたレプリカがいると言いましたよね? その中にはオリジナルの人だったレプリカがいる………なんてことは知っていたりするのですか?」
リョウ「………残念だけど、それだけで捜すのは難しいかな。ほら、役目を終えたってことは別の名前を使っているかもしれないよ? オリジナルから解放されたことで名前を変える人は少なからずいるからね。まぁ………その例だとここにいる彼もそうみたいだし」
ソウくん………と、私………。確かに同じ境遇です。でも………、私は何を奪われて彼を生み出したのか、わかりません。なぜならさっき私はこの世界にやってきて倒れていた彼を助けたお礼にこの中にやってきたのだから………。
レプリカの国での生活に慣れるまで、そう時間はかかりませんでした。大きな違いは家ではなく学校の敷地内にある寮に住み、自転車や電車などの乗り物に乗る機会が極端に減ったこと。
平日は学校で授業を受ける。休日はリョウさんやこの世界で知り合った人たちと部屋に集まり、勉強会を開いたりパジャマパーティーをしたり、ふつうの学生生活を満喫するということ。
そのかわり、不文律としてお互いの事情を詮索しあうのはご法度らしくて………。
現実との違いは他にもいろいろあって、空から雨や風花が降らないこと、風が生ぬるいこと、鳥や虫の声が聞こえない。季節がないこと。
裏づけるかのように、今見えている学校の外には出ていけないこと。これはまぁ似たような経験をあの世界で体験したからわかるのですが………。
背の高いへいの外側は霧が出ていて何も見えないこと、生徒が進級しないこと、将来の話をしないこと。数々の疑問は生活していくうちにむさんしていく。さまつみたいなものらしくて………。
事態の解決は先送りにして、目の前にいるソウくんに飽きられないように………私はこの平凡で平和な時間を送ることにしたのです。
◆◇◆
誰にも遠慮する必要はなく、毎日ごはんを食べてベッドで眠って、目が覚めたら学校に行く。この夢のような世界でなら、私は私でもやっていけそうな気がした。
学校の図書室に新刊は増えないが、蔵書は充実していたから読む本には困らなかった。放課後になるたびに私はソウくんと一緒に図書館へあししげく通う。
部活動はない。人を集められそうにないからこれでいいと思う。ソウくんも私といると段々と懐いてくれたようで………まるで私が姉で、ソウくんが弟になったみたいで………その関係を変えたくないこの居心地のよさがいとおしくてたまらなかった。
お兄様のこともあったけど、ソウくんの嫌がる顔は見たくなかった。しだいに私は違和感を棚上げにしてソウくんだけを考えていくようになった。
ひとけのない図書館の奥には読書や自習用のスペースがあり、ある日の放課後も図書室に行くとリョウさんが本を読んでいた。
リョウ「………奏ちゃんも、よかったら一緒に読む?」
いつの間にか私への呼び方がちゃんづけになっていた。それでも不思議と嫌な気分にはならなかった。魅力的なお話なので何度読んでもいい。
『ものごとは心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない。きみのバラをかけがえのないものにしたのは、きみが、バラのために費やした時間だったんだ』
その先を読むと私は涙を流していた。優しくていとおしい、宝物のような物語。
リョウ「………後ろめたいことかあるときは、読むのが辛くなっちゃうかもしれないけど、奏ちゃん。告白されて振っちゃったんだってね?」
この世界では娯楽が少ないからか、恋愛のうわさが出回るのが早いらしいです。誰かに見られていたのか、相手が言いふらしたのかどうかは不明みたいですけど。
現実とあまり変わらない。友達を作ってときにはけんかしてしまう。気になる人を目で追いかけて、ときには告白する。勉強と部活と友達と、それと恋。
レプリカの国の青春だって、そういう要素で成り立っているみたいです。そこに私はどうしたって溶け込めない。だからこうしてソウくんと一緒に図書室に来て本を読んでいる。
好きになる確証のない人に気を持たせたくない。
「………ほとんど知らない人だったので」
リョウ「………だから試しに、なんじゃない? 誰に遠慮することもないんだよ。ここはレプリカであるわたしたちだけが住む世界なんだから」
そういって更に一字が紡がれていく。
『でも、きみは忘れちゃいけない。きみは、なつかせたもの。きずなを結んだものには、永遠に責任を持つんだ。きみは、きみのバラに、責任がある………』
レプリカだけが通う学校には、遠足や研修、修学旅行と呼ばれる行事がなく、学校の外に出られない。
そのかわり、体育祭や文化祭は開催されるみたい。
今日は球技大会の日みたいだった。
私はドッジを選ぶとソウくんもリョウさんもドッジを選んだ。私はソウくんが怪我しないように祈りながらリョウさんと激戦を繰り広げる。
しばらく、そんな応酬が続いた。
私はソウくんを横目に見つつ、試合に集中していた。景品が出なくとも、優勝したい、と。
リョウ「……………同じ時間の流れだけが続いて飽きちゃった?」
「………え?」
リョウ「………そうかな? わたしの目には退屈そうに見えるけどね。そういえば、如月 無月くんは今ごろ、どうしているのかな?」
リョウさんの口からお兄様の名前を出されて私は固まる。その名前が出てくるということは………やはりなにもかもがおかしい。否、そろそろ気付くべき時が来たのかもしれない。
(もしかして………この世界での時間の流れで私の内面を目の前のこの人………リョウさんは知った………?)
私が何も答えられないことをいい事に、リョウさんは更に畳みかけていく。
リョウ「………このまま流されるだけ流されて………それでどうしたいの? あなたは、どこに行きたいの?」
わからない………いつから、私ははめられたの?
本当にこの人は………レプリカなの?
私にはわかるすべがありません。
リョウ「………奏ちゃん、きみは向き合わないといけないよ。きみには、その責任があるんだから」
わからない………何の責任があるというの?
………………。
いや、そう思い込みたかっただけなのかもしれない。
(私は………)
「………お兄様やここで出会ったみんなのことを………私自身か忘れたくなかったから」
リョウ「………うん」
「………お兄様に、私のことを忘れてほしくなかった。ここで会ったソウくんとお別れしたくなかった………レプリカのみんなの話をもっと聞きたかった」
その先は言わずもがな。私はこの世界で楽になりたかっただけなのかもしれない。
ーーーその時。頭上に見える空から何かが垂れ下がっている。
「………あれは?」
リョウ「………現実に戻るために用意された道だよ」
たった一本だけ、天から下りている銀色の糸があった。
風が吹かずとも頼りなく揺れる、か細い糸だった。
くもの糸のようなそれは、はるか上空まで延々と伸びている。あまりにも遠すぎる世界を、得体の知れない世界を、水底から見ているのだと思った。蟹になった私たちは目を細めて見上げている。
リョウ「………現実に戻るための道も、奏ちゃんとわたしの目には違うふうに見えているのかもしれないね」
でも私の顔からは、すっと波が引くように笑みが消えていく。
リョウ「………ん? どうしたの?」
「………あなたとソウくん、みんなと………さよならしたくないです」
現実に戻るということは、この世界での別れを意味する。それがいやでむしょうにたまらなく悲しくなった。
リョウ「何を言い出すかと思えば………もう。甘えん坊な子を持つと困るなぁ。そんなにわたしや、彼、ここで出会ったみんなのことが恋しいか」
「………はい、恋しいです」
間髪を入れずに私は訴える。
「………あなたも、私と一緒に戻れないんですか?」
リョウ「………そんなことをしても意味ないよ。あの先に、わたしのオリジナルだった、森すずみという名前の少女はいないんだもの。わたしが掴めば、それは必ず千切れてしまう。そういう運命なの」
私のための可能性をだめにしたくないからと、リョウさんは言う。納得できずにいる私に、彼女はどこかいたずらっぽく笑いかけた。
リョウ「………じゃあさ、いつかまた、どこかでわたしたちと会おう。レプリカの国の住人は、増えたり減ったりを繰り返しているんだ。何かの理由で現実に戻っていく人もいれば………胸に抱える後悔がなくなった人も、ここを去っていくんじゃないかって言われてる」
興味を引かれて顔を上げると、少女のようにほおを紅潮させたリョウさんが、胸に手を当てていた。
リョウ「………わたしたちはさ、遠くないうちに生まれ変わって、きみのもとに会いに行くよ」
「………生まれ変わり?」
リョウ「………そうさ。レプリカが存在する世界なんだもの。わたしたちが知らないだけで、もっと不思議なことなんていくらでもありそうだし………生まれ変わりくらい、案外あっさりできるかもよ?」
「………」
リョウ「………わたしのオリジナルのすずみや、お母さんとお父さんにだってまた会いたいし。ねっ、表現力のある美人で素敵な子に出会ったら、わたしの名前を呼んでみてよ」
あんまり軽やかにそう言ってのけるから、奇跡のような再会を信じてしまいたくなる。何も言えずにいる私の眼前に、リョウさんの指と無言で頷くソウくんの指がするりと近づいてきた。
ソウ「………不安そうにしていたらだめだよ、ぼく、その時を楽しみにしとくから」
「でも………でも………」
リョウ「………きみなら何回だって見つけてくれそうな気がするんだよ。彼みたいに………」
私は一瞬だけ迷う。その語尾が少しだけ震えていたからだ。怖いんだと思う。何かを選ぶのは、とても難しいことだから。それでも、時間は進んでいく。未来をのんびり待つことなんかなくて、一心に突き進む人たちがいる。
だから、それがわかっても私はここで帰るわけにはいかない。
「………あの、リョウさん、ソウくん。私のわがままを聞いてもらってもいいですか?」
目の前に立つ、私のレプリカであるソウくん、そして………すずみさんという名前の少女のレプリカであったという、このリョウさんに向けて私は向き直る。
もっと話したいことがある。それが、いつまでも尽きない泉の水を両手ですくうのと同じことだとしても。
いつかまた、どこかで。なんて言って終わりにしない為に。
空から垂らされた一本の糸へと、私は伸ばすのをやめたことであきらかに、リョウさんとソウくんの顔に困惑の表情が残るのだった………。