(11)魔法少女マイティ☆アーヤ
使い手の意志に反して巾着袋の紐が開き、そこから女児が姿を現した。
その柔らかそうな餌に吸い寄せられるかのように次々と黒鼠達が川から上がってくる。まるで黒い絨毯だ。
そしてその絨毯にアンタッチャブルもまた瞬く間に飲まれていく。何体かは収納し、消していくが、そんなものは誤差と言えるほどの勢いだ。
一方の女児にもネズミの大群が迫っていく。ひっくり返して裏地の見えた巾着袋を頭からかぶるという奇異な格好をした女児の下へ。
触れている物を異空間に収納する力、ポケット。
では“触れている”というのは何処までを言うのだろうか?
虚空を掴むように手が差し出されているが、その手は空気分子に触れている。では触れている空気分子しか収納できないのか? 応えは否だ。
人に触れている場合はどうだろうか? 触れている人は収納できるが、直接触れていない服はどうか? もちろん、服も装備もまとめて収納される。
では触れているモノとは、いったいなにを指すのだろうか?
虚空から現れ、黒いネズミが埋め尽くすドブ川に墜ちていく女児は、その手を伸ばした。
「ポケットの中に収納」
女児の手がドブ川に触れると、その水とそれに触れている黒鼠が次々とその手に吸い込まれていく。
ドブ川に堆積した泥もゴミも吸い込まれ、固い地面だけが川底に覗き、そこに上流と下流から水がゆっくりと流れ込んでいく。
そして川辺から上がり今度は地面に触れると地面に触れている黒鼠が吸い寄せられるように女児の手の中に消えていき、見える範囲の黒鼠は全て消え去った。
裏返しにした巾着袋(大きさとしてはずた袋と呼ぶべきかもしれないが)をかぶった女児は、身体中をネズミに齧られ、骨さえ見えている老人のもとに走り寄った。
「あ、や……」
「オオマエさん。無断借用されてたものはちゃんと返してもらったよ。ついでに勝手に利子も頂いてたけど、別にいいよね?」
お爺ちゃん先生が走って来て、オオマエの様子を見るが、静かに首を振る。後ろで娘さん先生が辺りを見回しながら早く戻れと叫んでいるがお構いなしだ。
「この人を助ける方法はありますか?」
「私の魔法では力不足だ。それに欠損も多い。普通の魔法では到底間に合わないだろう」
「普通じゃない魔法ってあるんですか?」
「魔法とは少し違うが、神の御力を借りられればあるいは……」
くぅん、と黒ヒョウがオオマエの顔を舐めている。
「……オオマエさん。今からあなたを時間の流れも止めた異空間に収納します。いつか治せる方法が見つかるまで、そこで眠ってもらいます。いいですか?」
「い、ら、ない。ぼ、くは、このまま、死んで」
「ダメです。それだけは許しません。そして治ったら“ボクら”のことを聞かせてもらいます」
すると、目を見開き、絶望の表情で骨の見える手で頭を抱えた。
「ゆるしてくれ、ゆるしてくれ、ゆるしてくれ」
「ダメです。必ずあなたを癒します。死ぬのならその後にしてください。じゃあ、また」
「まて!」
死体同然のオオマエの身体は消え失せた。
「ふう」
巾着袋をかぶった女児は小さく息を吐く。
「……キミ、少し性格変わってない?」
黒ヒョウのいらぬ一言に、女児は無言で拳を入れる。
「やっぱり変わってる」
「あんなとこにわたしをほったらかしにしたせいでしょ」
「それは、ってキミ、ポケットの中の記憶があるの?」
「いろいろとね」
その疑問に巾着袋をかぶった女児は、わずかに見える口元で笑みを浮かべた。
「今のはいったい?」
「大丈夫です。瀕死だったので時を止めて収納しました」
「時を止める? そんなことが」
「んなこたぁどうでもいい。おいガキ」
コワいギャングさんが、女児を鋭くにらむ。それに対して巾着袋が軽く斜めにかしぐ。小首を傾けたようだ。
「さっきは危ないところでしたね。あなたに襲い掛かる黒鼠をわたしが全部収納したからあなたは生きています。わたしが、わ・た・し・が、あなたを救いました。よかったですね、命拾いできて」
「ああん?」
「これは、貸しです」
血管の青筋がピクピクと動くギャングと巾着袋をかぶった女児の睨み合い(一方は目が出ていないけど)はしばらく続いた。
「大丈夫です。すぐに返してもらいますから。それで貸し借り無しのチャラってことでどうでしょう?」
「なにやらす気だ?」
「この街の外周をぐるっと一回り、案内して欲しいんです」
* * *
「こんなことして、何になるんだゴルァ」
コワいギャングさんのバインドが黒鼠の動きを止め、それを巾着袋女児がポケットに収納していく。
「バッダラシャァ」
女児を背負い走るチンピラが奇声を上げながら黒鼠を踏み台に身軽に駆け、その横を黒いヒョウが並走する。
「わたし、この街をほとんど見て回っていないんです。だからどのくらい大きいのかも全然わかんなくて!」
「こんな時に観光かよ、くそ!」
街を囲む防壁も一部は崩れ、一部はその外にまで無計画に建物が広がっている。そしてそのアチコチで黒鼠が大挙として街を、人を、食い荒らしていた。
そしてその行く先々で女児の手がネズミを吸い込んでいく。
「街中にどれだけ黒鼠がいるか判らないですから、やるんなら一網打尽で」
「どうやって、やんだ、ああん」
「そういう恫喝の仕方、却って甘く見られますよ、あのリキハラみたいで。ニヒルに冷たい視線を向ける方がずっとコワくてかっこいいと思います」
「ほっとけ、ガキが。俺の好みはもっと肉付きの良い女だ」
「十年後にご期待ください」
「口のへらねぇガキだな。右ぃ」
襲い掛かってきた黒鼠に女児は意識を向ける。
手に触れた空気。その空気に触れた見える範囲の空間を一つのモノとして捉える。
「ポケット!」
その空間内をまるごと切り取り、異空間に収納する。それにより空間内の空気分子もなくなり、突風となって吹き込んでいく。
「ッゲェ!」
チンピラが感嘆?の声を上げる。
「待て! 何者だ」
黒鼠が突然消えたために命拾いした衛士たちが、その向こうから現れた黒ヒョウを連れた不審人物達に警戒する。
「街の平和は私が守る。ご近所ヒーロー、マイティ☆フ、あだっ」
縦横無尽に駆けるチンピラの動きに舌を噛む女児。
「後にしろ、後に。そっち、黒鼠来てるぞ」
不審人物と黒鼠を見比べて判断に迷いが出る衛士。
「間に合え!」
衛士と自分たちの間の空間を収納する。空気ではなく、空間そのものを収容したのだ。
ギュン、と引っ張られる感覚にバランスを崩しかけるチンピラ。そして一瞬前までとは別の場所、衛士のすぐ近くに居ることに戸惑う。
「衛士さん、頭下げて!」
巾着袋をかぶった女児の手が伸び、その手のひらに現れた虚空を目にした衛士は、とっさにその前から逃げた。
「ポケット!」
衛士の目の前で迫りくる黒鼠が女児の手の中に吸い込まれていった。
「なんだ、いまのは?」
「衛士さん! 周辺の人たちを守って。何とかするからそれまで耐えてね」
「お、お前はいったい……」
「マイティ☆フル、」
「ぅぁらっじゃらぁ」
移動を始めたギャングを追うようにアーヤを背負ったチンピラが壁を蹴って建物の屋根に駆けあがっていった。
* * *
「戦況は?」
「各詰め所を中心に持ちこたえておりますが、思わしくありません。騎士団を派遣した先では問題なく討伐できていますが、なにぶん数が多く、守るべき場所も多すぎます。ただ西側から南回り付近で大量の黒鼠が一瞬で消え失せたとの報告もありました」
「俄かには信じがたいな。確度は?」
「正直判りかねます。それを事実と考えても全体としては劣勢です。無論、時間をかければ鎮静化できますが、それまでにどれほどの被害が出るか予測もつきません」
「そうか……」
身なりの良い紳士が家令からの報告に暫し思案する。この街の領主だ。
彼が今いる石造りの城ならば奴らの侵入経路である下水道の封鎖さえ行えば、黒鼠の大群が相手でも十分に耐えきれる。
騎士団ならばどれほど数が居ようと黒鼠ごとき問題にもならない。
しかしその間に街は蹂躙され、都市機能は失われるだろう。そしてその再建には何十年と言う時間と莫大な費用が掛かる。
「如何にするか」
その時、領主の目に奇妙な者の姿が映った。領主の城に迫る黒鼠を飛ぶように避け、城門の上や建物の屋根を駆ける数人の影。
「あれは?」
「! 侵入者か。衛士!」
「いや、待て。おい、そこの者!」
城の城壁を駆ける二人の男と一匹の黒ヒョウを誰何する領主。
「こんにちはぁ」
ところが予想に反して男の一人の背から聞き覚えのある快活な声が飛ぶ。
「いい天気ですね」
領主は、黒鼠が縦横に走り回る地獄絵図が繰り広げられる地上と、晴れわたった空と陽光を背にした奇異な風体の女児を見比べた後、女児に対して紳士の態度で応対した。
「キミ、今日の仕事はなんだね?」
「ネズミ掃除です」
間髪入れずに答える女児。しかしその間にも彼らに黒鼠が迫ってくるが、巾着袋をかぶった女児が手を向けると、文字通り魔法のようにネズミどもが消えていく。
「……手伝えることはあるかね?」
「このまま街の周りをぐるっと回っていきたいんですが、途中、邪魔されたくないんです。わたし達、見るからに怪しいんで」
自覚はあるようだ。
「判った。案内させよう」
そう言って領主は家令に命ずる。
「しかし、あのような者達に」
「どうせかかっても2,30分のことだ。偵察がてら行ってくれ。彼女の力は見たろう? どう転んでも絶望的なら、あの不思議な子供に賭けてもいいだろう」
「はっ」
短く応じた家令は身軽に城の屋根を駆け、女児たちの前に立った。
「どうすればよい?」
「黒鼠の被害を受けている街をぐるっと一回りします」
「あと半分ぐらいだな。スタートは西のヘムト地区だ」
女児の言葉をギャングが補足する。
「判った。着いてこい」
「ばっやっ」
老齢に見える家令の素早い動きに驚くチンピラ。
「行くぞ。お貴族様なんぞに後れを取るわけにはいかねぇ」
「だっしゃぁ」
貴族の家令、ギャング、チンピラ、黒ヒョウ、それに巾着袋をかぶった女児と言うトンチキな集団は黒鼠の大群を取り囲むように街の外周を駆けて行った。
「これで最後です」
街の外周の要所々々で女児は虚空から取り出した杭を城壁に突き刺してきた。どうやらそれは彼女の呪が刻まれているようだが、その複雑さにしても魔力にしても一朝一夕に準備できるものには見えなかった。
そして今いる場所が16ヶ本目であり、もうすぐスタート地点に戻る場所だ。
「一体いつの間に魔術を拾得したんだい」
「オオマエさんの秘密ノート、読ませていただきました」
「ちょ、まっ、何時の間に。パスワードは」
「最後と言ったが何をするつもりだ」
黒ヒョウの狼狽を無視して家令が尋ねる。
「少し、時間を稼いでください。さすがにちょっと大変そうだから」
そう言って迫る黒鼠の相手を丸投げしてから女児は呪の籠った杭に触れながら呪文の詠唱を開始する。
するとそれに呼応して街を取り囲む16本の杭が輝きを放ち街全体を丸ごと覆っていく。
そして女児は大きく深呼吸してから頭にかぶった巾着袋を脱ぎ去ると、銀色の髪が弱々しい陽光の下で輝いた。
そして裏返しになった巾着袋を元に戻していく。黒い色艶の良い布に銀の刺繍が施されている。
「はい、わたしのじーんち」
まるで遊んでいるかのような言い方で女児の陣地となった街は、全て彼女の懐に収まった。
その瞬間、街はこの世から消え失せた。
無論、突然感じた引っ張られるような力に咄嗟に魔力で抵抗した者も少なくないが、その者が立つ地面も、建物も、何もかもが巾着袋の中に収納された。
しかし、抵抗し、この世に留まった者でさえも街が一度消えたことに気づくことは無かった。コンマ秒にも満たないわずかな刹那の後、収納された街は全て元の場所に戻っていた……黒鼠を除いて。
それだけではない。
川に堆積していた汚泥やゴミや毒素までも全て取り除かれ、川には清水のような水が流れていた。
「……あれ?」
そこで女児は首を傾げた。
「あれ? ネズミは? リキハラは?」
アーヤマーナは大人たち&黒ヒョウの視線を集めながら、頭に?を出し続けていた。
* * *
突然起こり、そして唐突に終わった黒鼠の氾濫から辛くも生き延びた男は、握りしめていた拳をゆっくり開いた。
恐怖と緊張の中、握りしめていたのは一枚の書面である。大事なものではあるが、生きるか死ぬかの瀬戸際で、なんでそんなものを後生大事に握りしめていたのか、本人にも判らなかった。
それは男が負う借金の証文の写しだ。無論、正の証文は貸主の手にある。
「今すぐ、耳ィ揃えて払ってもらおうか」
貸主の強圧的な声が男の脳裏で甦る。空耳かと思い頭を振るが、同じ声が何度も頭の中に響いた。
「なんなんだ、いったい?」
「金がないのは首がないのと一緒。首がないのは命がないのと一緒。金がないなら借りた金は命で払え」
「ぐがぁ」
男の身体がねじれて、やがて肉団子のように丸まったかと思うと、まるで卵が羽化するように中から手が突き出した。
そして肉の珠を突き破って、一人の中年男が姿を現す。
「ちっくしょう、ひでぇ目にあったぜ。まさか生きたまま食われるなんざ。おお、くわばらくわばら」
男は次元収納から着替えを取り出し、またキンキラの成金臭い装飾品を身に着けていく。
「たっく、折角あつらえたアルマージロのスーツに命の証文まで使っちまって大赤字だぜ。あんのダボスケ、オレを街ごと殺る気だったな」
この街を訪れた目的は達することはできなかった上、損害を抱えた男であったが、即座に損切りを決めた。
「命あっての物種だ。オーマエの奴め、次あったらギッタンギッタンにしてやるぜ。それにあの野郎、まぁだオレ達を殺すのを諦めてねぇのか……仕方ねぇ。いけすかねぇがアイツに話し通しとくか。あーくそ、イライラするぜ」
成金臭い格好の中年男はそこいらの物を八つ当たりで蹴飛ばしながら、急ぎ街を離れた。