1人で生きていかなきゃ
鳴りっぱなしの家の電話。
しつこいセールスか何かと思って、そのままにしている。
頭をよぎるのは、あの日の記憶。
同じように電話に出ずに二度寝をしてしまって、数時間後に母に叩き起こされた。
兄が職場で倒れて、そのまま搬送先の病院で息をひきとり、パートに出ていた母はスマホを見れず、自宅に連絡が来ていたのだが、私はそれを無視してしまった。
朝まで飲んでいた私のスマホは電池切れで、充電もしないまま、眠りに落ちていた。
母は兄の最後の瞬間に立ち会えなかったことで私を責めて、あの日以降ろくに口をきいてくれない。
よくある、よくできた兄とダメな妹。
私は大学を中退してから、時折友人が働くカラオケバーで手伝いをしながら、小遣いを稼いで実家でだらだらと過ごす暮らしをしていた。
明日への希望なんてない。でも日々の不安もない。好きな時に好きなことをする生活。
そんな私がいても、母にはまともな兄がいたから、それで家族のバランスは取れていた。
その兄がいなくなり、それも私の体たらくのせいで、母は死に目にも会えず、私と母の関係には暗く深い溝が出来てしまった。
父は私と母の間を取り持とうとはせず、どちらかといえば、私を責めている。
父も仕事中で電話には出られなかった。
私が家にかかってきた電話に出ていれば、2人の職場に連絡ができたのだ。
2人は何かあった時にと、職場の連絡先を私にちゃんと教えていたので、苛立ちや怒りも尚のことだった。
私が母と一緒に病院に向かい、兄の亡骸の前で佇んでいた父が私を見た瞬間の眼を、私は一生忘れることは出来ないと思う。
怒りと恨みと憎しみと悲しみが織り混ざった感情の荒波が体を駆け巡っている眼、そして表情。
私を責めているのは、一目瞭然の。
医師によると、兄は息を引きとる前に、一瞬、意識を取り戻したらしい。
その時、母のことを呼んだらしく、それを聞いたから父も母も私を憎んだ。
そんなこと言わないでよ、と私は医師を呪ったが、それもお門違いの話だ。
全部私が悪い。それでも。
私が傷ついていないと思われていることが、何より悲しい。
兄の遺体と対面した後、一旦家に戻った時、悲しみと両親からの責めを感じて感情のやり場がなく、落ち着くために冷蔵庫からビールを取り出した瞬間、父に頬を思いっきり叩かれた。
無言で。父は私を睨んで、そのまま自分の部屋へと向かった。
母も苛立ちを隠さず、風花のせいなのよ、と言って、父の後に続いて父の部屋に消えた。
私は涙を堪えて、泣き出しそうなのを押し殺して、ビールを飲んだ。
喉を通る苦味が、すべてを忘れさせてくれる。そう強く思い込んで。そんなことは絶対にないのに。
「私が電話に出れたとしても、2人が間に合ったかどうかわからないし」
私は友人の杏奈に言いながら、兄のお墓の前に立っていた。
杏奈は短い間だったけれど、兄と恋仲になっていて、両親もその時はひどく嬉しそうだった。
杏奈は成績優秀で、兄と同じ大学に通い、グラスホッケーの有望選手だった。
足の怪我で引退して、今も時折、右足を庇うような歩き方をする。
「納得はいかないよ、それでもさ」
杏奈も、通夜の席で母から経緯を聞いた後、憤って私の頬を平手打ちした。
兄が杏奈を振ったのだが、杏奈は兄のことを本気で愛していた。
私が風花だったらよかったのに。
涙を流しながら、掠れた声で言う杏奈を両親は優しくあやしていた。
私は両手を強く握って唇を噛み、みんな地獄に堕ちろと心の中で罵っていた。
傷ついた私を慰める人間はいなかった。
「私が何にも感じてないと思ってる両親も杏奈も、私からすれば悪魔なんだよね」
吐き捨てるように私は言ったが、杏奈は特に何の反応もしなかった。
そんな戯言誰が聞くかという感じだ。
「私があの時、酔っ払ってなくて、電話にちゃんと出てさ、お父さんもお母さんも、杏奈も、お兄ちゃんの死に目に会えたら、それだったら、今みんなは穏やかに、幸せに過ごせてたの?私は、みんなからそれを奪ったの?」
「わからないよ。私は、春樹さんじゃなくて、死んだのが風花だったらって、きっと思ったと思う」
「だよね。お父さんもお母さんもきっとそうだよね。何にもないように振る舞ってても、きっと死ぬのが私だったらって思ったよね?」
杏奈は黙って、腕を組んだ。
「だったら、私って何なの?生きてるだけで疎まれて、まるで私がお兄ちゃん殺したみたいに恨まれて。私、何にもしてないよね?」
「してる」
「何を?」
「ちゃんとしてこなかった。みんなが納得出来るように生きてこなかった。ふざけた生き方して、何かあった時に許される人生を歩んでこなかった」
「そんなの、私の自由じゃん。迷惑かけた?杏奈に。私が適当に生きて、大学中退して、いつも酔っ払ってたことで、何の迷惑があった?」
「敬意がなさすぎる。周りの人達への。私達が風花のことを何とも思ってないって思い込んで、勝手にやさぐれてたことに腹も立ってる」
「私を想ってたことなんてないでしょ?」
「想ってたよ。春樹さんが、風花のことよろしくなって、私に言ったから。私は風花のことは気にかけてたよ。春樹さん、風花とご両親が仲良くなるように、いつも風花のこと庇ってたし、それくらいのこと気づいてたよね?」
まったく知らなかった。何も、見えていなかった。私は、馬鹿だったのか。それでも。
「じゃあお兄ちゃんがいなかったら、どうだったの?私のことなんて」
「だからそれが腹立つって言ってんの!!」
「なんで怒るのよ!」
「自分が可哀想、可哀想って感じで、風花がそんな風になった原因が、私達にあったんじゃないかって、私達が自分を責めてたなんて、風花、一瞬も考えたことないでしょ!!」
「へぇ?あんの?そんなこと!」
「わからないなら、もういい!風花がやさぐれて、春樹さんまで失って、心がぐちゃぐちゃで、でも風花みたいに毎日だらだら出来なくて、ちゃんと生きてかなきゃいけない、生きていこうとしてる私達のこと、風花はずっと責めるんだね!自分だけが可哀想で、愛されないって」
「そうだよ!愛されてないから、私はさ!」
「だったら何で私がこんなに怒るのよ!何とも思ってないのに、こんなになるわけないじゃん!」
「ただ、ムカついてるだけでしょ!」
「わかってよ。みんなどうしようもないんだって。風花と同じ何だって。責めたくないのに責めてるんだって。みんな謝りたくて。謝ってほしくて。風花、ごめん、ってさ言ってないでしょ?ご両親にも、私にも」
「なんで私が謝らなきゃいけないのよ」
何故か涙声になっていた。私は、ごめんなさい、と言えなかった自分が物凄く弱い人間に思えた。卑怯で卑屈で、その為に周りの感情をぐちゃぐちゃにしてしまっていた自分が情けなく思えた。
謝っていれば?こうはならなかった?そうとは思えない。でも。
「許してくれた?私がごめんって言ってたら、杏奈も、お父さんもお母さんも許してくれたの?」
「わからないけど、私は、少なくとも私はこんな風にはなってない」
「そっか。そうなんだ。でも、もう遅いよ。今更謝ったって、お父さんもお母さんも駄目だよ」
「それもわからないけどさ、風花はもう、1人で生きていかなきゃ駄目だよ。ご両親にとったら、風花といるのは辛すぎることだから」
「娘でも駄目か」
「関係ないよ。家族だからって、何でも許せるなんてことないよ」
「代償なのかな。自由に気ままに生きた」
「一概には言えないけど、風花の家族はそうだって話」
「そっか」
私は兄のお墓を見つめて、心の中でぽつりと呟いた。
守ってくれてたんだね。ありがとう。もしまだ繋がっているなら、これからもよろしくね。
これからは、1人で生きていかきゃいけないみたいだから、私。
どこからか温もりだけを感じて、それが答えと思った。
少しでも良い妹になってから、そっちに行くよ。待っててね。その時は、よろしくね。
「ま、私がいるから」
素っ気なく杏奈が言った。兄が言わせているな、と私は思い、微笑を浮かべながら、よろしく、っと杏奈の肩を叩いた。