来ない明日、海を見に
再投稿です。短編の中ではかなり長めなのでゆっくりと読んでいただければ幸いです
5日目
ピピピ!ピピピ!ビビビ!
スマホのアラームの音を聞いて、俺は目が覚める。布団の上でちらりとスマホの画面を覗き込む。画面に映る文字は「7月15日(金) 7:00」。
今日、5回目の7月15日が来た。正確に言えば5回目の2022年7月15日がだ。
そう、俺、海野悠斗は7月15日がループするという不思議な現象に陥っていた。
起き上がった俺はパジャマのままで自分の部屋からリビングへと向かう。階段を降りていくと鼻孔をくすぐる良いにおいがする。
「おはよ」
「おはよう、悠斗」
俺の声にキッチンで鍋をかき混ぜていた手を止めて、母さん海野志穂がこちらを向く。階段で嗅いだにおいの元は母さんの混ぜていた味噌汁。母さんは楽しそうに鍋を再びかき混ぜる。
「今日の味噌汁は特別よ。なんだと思う?」
「しじみでしょ?」
「!よくわかったわね。鼻がいいからかしら?」
俺はははは、とわざとらしく笑う。母さんは驚いているが俺にとっては簡単なことだ。だってもう5回も同じ光景を見たのだから。だからこの後のことも俺は分かってる。
「じゃあ、着替えてきて。そのついでに・・・・」
「奏を起こしてこればいいんでしょ」
「!ええ、お願い」
俺は母さんの言葉を聞く前に答えて、リビングを出た。降りた階段を昇って、自分の部屋を通り過ぎ、もう一つ奥の扉へ向かう。コンコンとノックを二階。
返事はない。分かり切ったことだ。俺は断りも入れずにドアを開ける。俺の部屋とは打って変わって女の子らしい部屋の奥にベットが一つ。
「起きろ、学校遅れるぞ」
「うーーん、後5分・・・・・」
「今日しじみの味噌汁だってよ」
「ほんと!?」
寝ぐせのついた髪の妹海野奏がばっ!とベットから飛び起きる。うーんとその場で伸びをすると俺の方を見て、挨拶もなしに「なんでいんの?着替えるから出てって」と先ほどの喜んていたのが嘘のように冷たく俺に言い放った。
「起こしてやったのになんて言いぐさだ」って言いたくなるけれど、もう慣れたもので「はいはい」と軽く言って俺は妹の部屋から出る。
自分の部屋で着替えた後に高校の荷物を持って下に降りる。
俺がリビングに戻ると母さんは机の上に二人分の朝食の用意をしてくれていた。今日の朝食は白米と味噌汁、それから焼き鮭。俺は荷物を隅に置いて、席に着く。
「おっはよー!、お母さん!」
「おはよう、奏」
「お父さんは?」
「もう先に仕事に行ったわよ。私ももう行くから。お弁当ちゃんと持ってくのよ」
奏が起きてきたのを確認した後、母さんは仕事用のカバンを持ってそそくさと家を出ていく。家には俺と奏の二人だけ。両親は共働きなのでこういうのはよくあることだ。外でエンジンのかかる音がして一台の車が出ていった。
妹は母さんが出ていくのを目で追った後、結んできたポニーテールを振りながらキッチンへと入っていく。奏はガチャガチャと食器棚を漁り、二つコップを取り出すと隣に置かれた冷蔵庫を開く。
「私は・・・麦茶でいいか。お兄ちゃんも麦茶でいい?」
「ああ、サンキュ」
「あと、お兄ちゃんテレビつけて!」
トクトクと麦茶を注ぎながら奏は俺に元気な声で言う。ああ見えてもいつもはこんな感じで近所でも面倒見がいいと噂のよくできた奴なのだ。まあしいて言うなら寝起きは良くないのが玉に瑕ではある。
俺は机に置かれたリモコンの赤いボタンを押す。黒かった画面が明るくなって俺はテレビの奥のお天気お姉さんと目が合う。
「もう五回目か・・・・・」
「何言ってんの、お兄ちゃん・・・・はい、お茶」
俺の漏れ出てしまった独り言に奏はうろんな目で見ながら、俺の前に麦茶を置いてくれる。俺は礼を言って目の前のそれを一気に飲み干す。水分を欲していた体に麦茶が染み渡る。思わず声が出る。
「はあーーー。うめえ」
「最近暑くなってきたもんね」
奏の言葉を見計らったかのようにテレビのスピーカーから『熱中症にはご注意ください』と声がした。今日の天気は快晴、最高気温は28度。と天気予報では言っているが・・・・
「奏、今日一応傘、持ってっとけ」
「え?天気予報は晴れって言ってるけど・・・・」
「いいから」
「?わかった。じゃあ一応折り畳み持っていこ・・・・」
奏は俺の言葉に不思議そうな顔をするが素直に返事をすると空の食器類をもって立ち上がろうとする。話をしている間に二人とも食べ終わってしまったようだ。テレビを消して奏の前の食器も自分のものと一緒に持ち上げる。
「洗いもんはやっとくから荷物とってこい」
「ありがとう、お兄ちゃん」
「徹夜でやった机の上の宿題も忘れんなよ」
「うん・・・・ってなんで知ってんの!?」
上りかけの階段で奏の声が反響して聞こえてくる。そりゃ知ってるさ。忘れたことに気がついて慌てて取りに帰るのを見たからな、なんてことは言えない。皿洗いが終わるころ、奏はリュックサックを背負って降りてくる。横ポケットにしっかり折り畳み傘を刺しているのを確認して、俺も荷物を持ち上げる。
忘れ物確認、ガス確認、電気確認・・・・よし。念のため家の中を確認して俺たちは家を出る。7月にもなり、朝から暑いと感じるほどの陽ざしが俺たちを照らす。
鍵は先に帰ってくる奏に持たせて、奏は俺の方を向いた。
「じゃあ、いってきます」
「ああ、いってこい」
中学校は家の前の道を左、俺の高校は右なので俺たちは家の前で別の道を行くことになる。奏の背中が見えなくなるまで見送って、俺はそちらから背を向けて歩き出す。
なんとか違和感なく朝を過ごすことが出来た。流石に5回目。もう慣れたものだ。2、3回目の時はこの奇怪な現象に慌てすぎて家族に心配されたほどだからな。
でも、驚くなって言う方が無理な話だろ?だってあり得ないだろ?朝、起きてスマホの日付を見たら昨日とおんなじだったんだ。次の日は土曜日だったはずなのに。そんで壊れちまったのか?と思って家族に聞いてもみんな揃って7月15日だっていうんだ。
だから一回目、いや二回目の15日は俺の記憶違いなんじゃないかと思ってその日を過ごした。俺の記憶と全く同じ朝飯食って、学校行った。授業の内容も、数学の当てられる問題も、昼飯の弁当の中身も、宿題のページもみんな同じだった。勿論、晩飯もテレビ番組の内容も。
夢だと思ってテンプレだけど頬をつねった。けど、ただ痛いだけ。変だなと思いながらそん時はすぐに眠りについた。全部俺の記憶違いなんだと納得しようとして。
でも現実はそんなものよりも不可解だったよ。目覚めたのは7月15日の朝だったんだ。最初に思ったのはまた学校行かないといけないな、だった。今考えると一種の現実逃避だったんじゃないかと思う。
でも次の日も、そして今日も7月15日だった。この摩訶不思議な現象は俺の手に負えない。だから俺はもう細かいことを考えるのをやめた。
だから、今回も今までと同じように済むはずだ。学校行って、友達と遊んで、晩飯食って、そんで次の日になることを願いながら眠る。いつこのループが終わっても、なんの影響もない一日を過ごす・・・そうなるはずだった。
きっかけは俺が今までと違うことをしたくて、飯は屋上で食おうぜ、と言ったのが始まりだった。うちの高校は屋上に行くことは禁止されてるけど、それは形式上のこと。鍵は簡単に開くし、先生たちは何も言わない。だからその時は俺たち以外にもちらほらと昼食をとっている生徒たちがいた。
「この弁当も飽きたなあ~」
「なんで?いつも通り美味そうじゃん。いらないならくれよ」
屋上で俺の漏れ出た言葉に隣で購買で買ったサンドイッチをかじっていた眼鏡の友達日野陽太が口を挟む。
その言葉に俺はそうじゃないんだよと心の中で思いながら弁当の卵焼きを口に運ぶ。冷めた卵焼きは甘みがより一層感じられる。母さんは料理がうまい。ただうまいと言っても流石に5日も連続で同じ飯では飽きも来る。こちとら5日も昼飯も、夜飯も全く同じメニューなのだ。
残った卵焼きを陽太に渡そうとしたそのとき、タッタッタと軽やかに階段を上がる音が聞こえた。その音に気づいた俺たちを含めた数人が屋上の入り口の方を向いた。
そしてその音が止んだ瞬間、バーン!と勢いよく扉が開かれた。今度はその音の大きさに驚いた屋上のすべての生徒が音源に目を向けた。そこには一人の女子生徒がいた。
長い黒髪に、整った顔立ちの少女は制服のスカートをたなびかせながら屋上を見渡す。だれもが美人だと言うであろうその顔で屋上にいる生徒一人一人に目を向け、そして俺たちの方に顔を向けたところでその動きを止めた。
「いた」
小さな声。そして状況が飲み込めず、動きの止まっている俺たちの方へ一歩ずつゆっくりと近づいてきた。俺たちは訳が分からず一瞬、顔を見合わせた後、足音が止んだのに気づいて前を向く。
彼女は俺の前に仁王立ちになって俺を見ていた。座って飯を食っていた俺の顔は彼女の胸元の下。咄嗟に視線をそらした俺の心臓はバクバクと音を鳴らしていた。なにかしただろうかという恐怖半分、見とれかけた照れ半分だ。
そんな挙動不審な俺を前にして彼女は無言だった。なんの用なんだ?それとも察しろってことなのか?ただじっとこちらを見ている彼女に俺の焦燥は加速する。陽太は隣で彼女と俺へ視線を行ったり来たりさせている。
唯一の救いは目の前の女子が知り合いだったことだ。これが全く知らない人だったなら逃げ出していたに違いない。
「なんか用か?」
俺の口からようやく出た質問に彼女はすーっと息を吸って、吐く。そして何かを決断したような顔をして俺に言った。
「ねえ、明日海を見に行かない?」
時が止まった気がした。俺だけでなく、陽太も、目の前の彼女も、それどころか周りにいた生徒までもが動きが止まった・・・・・気がした。
俺は自分を指差す。こくんと目の前の女子生徒、川崎美波は頷いた。俺は彼女の黒曜のような瞳を見つめるが、その本意を見抜く力は俺にはない。それどころかフイっと目をそらされる。
しばし、無言の時間が続いた。時間としては一分にも満たない時間だがついにいたたまれなくなったのか「えっと・・・・やっぱ後でいいや」とだけ言って屋上を去っていった。
結局、俺の平穏なランチタイムをひっかきまわすだけひっかきまわして去って行ってしまった川崎になんでか俺は先ほどとは打って変わって僅かなイラつきがあった。
周りがひそひそとこちらを見ながら何かを話しているのが分かる。このままでは噂として広まってしまうのはすぐだろう。突然のことであっけにとられていた陽太も屋上の入り口の方からこちらへと視線を戻す。
「珍しいな、川崎がお前に話しかけるなんて・・・」
陽太の言葉に俺は確かに、と返す。実は俺と川崎は幼馴染なのだ。小学生の時からの付き合いもあって中学のときは俺と川崎はまだそれなりに仲が良かった。陽太と知り合ったのはその中学の時。しかし、学年が上がるにつれて俺は男の友達と遊ぶことが多くなり、次第に関わりはうすくなって、高校に上がるのを皮切りに挨拶程度にしか話すことをしなくなっていた。
またそれ以上に高校生ということもあって女子と必要以上に仲良くするということが恥ずかしかった。そんなわけで彼女の顔を間近で見たのも、まともに話したのも本当に久しぶりのことだ。しかも、その内容が海への誘い。
「そんで?お前どうすんの?」
「どうすんのって・・・・第一明日は、」
そこまで言って俺の口が止まる。ループで明日が来ないから・・・・ではない。もっとなにか、特別な用事があったような気がした。しかし、俺の頭はその何かを引き出せない。5日分の時間が過ぎてしまったからか、俺の記憶は明日に関することがすっぽりと抜き出されたような、そんな気がして・・・・
「おーい、大丈夫か?」
考え込んでいた俺に陽太が心配そうに声をかける。その言葉にはっとした俺が何か答えようとしたとき、予鈴がなった。次の授業まであと5分。慌てて残った弁当の中身をかきこんで、いつの間にか俺たち以外の人がいなくなっていた屋上から俺たちは自分の教室へと戻ることにした。
先ほどの騒動とは関係のない話をしながら、教室の扉の前までたどり着く。
ガラガラガラ
横開きの扉を開くと、その音に数人の生徒たちがこちらを見る。最も珍しいのはいつも自分たちの話に夢中な女子グループの数人までもがこちらを向いたこと。その中心には自分の席に座っている川崎の姿もある。
これじゃあさっきの話の続きは出来ないなと考えながら、俺は窓際一番後ろ、先生から最も見つかりにくい日当たりのいい席に座る。俺の席の前に陽太は座る。すると座るのを見計らったかのように数人の友達が近づいてきた。
「聞いたぜー、悠斗。お前も隅に置けないな~」
「今、お前ら二人の話題で持ち切りだぜ」
そういってそいつらは俺の席から右斜め前の席の方へと見る向きを変える。つられて視線を飛ばすとたむろしている女子たちの中心にいる川崎と目が合う。こんなことになるとは思わなかったといった感じで申し訳なさそうな目が俺を見ていた。
そんな目をされると責める気にもならず、周りの友達の言葉にははは、と乾いた笑い声で返す。その後も何か言おうとしていた友達に流石にめんどくさくなり、
「で、クラス一の美女、川崎さんとは・・・・」
「そういやーさー、林」
「ん?」
「お前、今日の数学の宿題やってきた?」
「・・・・・・やべっ」
一番楽しそうに話していた林の顔からさーっと血の気がひく。お調子者の林は宿題を忘れるのは度々あるのだが、今回に関しては訳が違う。俺らの数学の教師は宿題を忘れた生徒は授業中に何度も答えさせるという罰が与えられるのだ。
林が宿題を忘れていたのを俺はループのなかで知っていた。そして今日はその教師が遅れてくることも、ちゃんと覚えている。
「今日は先生遅れて気がするなー。あの量なら今からやれば、」
「う、うぉお、やべえやべえ!」
わざとらしい俺の言葉に慌てて林は自分の机に戻っていくと、カバンからノートを取り出して、一心不乱に宿題をやり始める。これからもこれは使えるな、などと思っていると前の席の陽太と他の男子生徒が笑いながら見送る。
「急がないとせんせえ来るぞー」
「っていうかなんで林が宿題忘れてるってわかったんだ?」
「いつものことじゃん」
周りのみんなが「確かに」とそろって答える。まあ、実際は何度もループして見たからなんだけど・・・・・林がいつも宿題を忘れるような奴で助かった。
キーンコーンカーンコーンと授業開始のチャイム鳴って、周りの友達もそろって席に戻っていく。そしてそれから3分後、男の先生が慌てた様子で教室へと現れる。
一斉に起立、礼。
「いやー悪いね、遅れて。プリントの印刷忘れててさ。じゃあとりあえず宿題の確認するか、じゃあノート出して」
そう言うと一席ずつ順に宿題をチェックしていく。俺の番になって先生は俺のノートを覗き込む。当然、5日前、いや昨日のうちにやっていた宿題のページに大きく赤いマルを描いて、教卓の元へと戻る。
「今日はみんなちゃんとやってきてたな。特に林、珍しくやってきてくれてよかったぞ。・・・間違ってたけどな」
先生の言葉に一斉に起こる笑い声。つられて話の中心の林もははは、と先ほどの俺のように笑っている。笑ってはいるが実際、林の心の内は焦りとか不安とか羞恥でいっぱいだったに違いない。ざまあみろ
そこからの授業は俺の記憶通り。次の6限目も今までのループのときと何も変わらない。違ったのは5限目と6限目の境、休み時間の間、今までならどうでもいい話ばかりしていたはずなのに、今回は耳をすませばあのことばかり。なんともいたたまれない気分だ。
チャイムの音と共に6限目の授業が終わり、ふうっと息を吐いて俺はカバンをもちあげる。内容がわかっている授業を受けるのは酷く退屈な時間だった。なにせ座りっぱなしで寝ることもできない、そのうえ学ぶことは5日連続で予習したようなことしか言われないんだから勉強が特に好きでもない俺にとっちゃ暇なだけ。
だがこれで授業も終わり、そう思うと幾分か楽だ。なにせ今からのこともちゃんとわかっている。陽太に誘われて何人かとショッピングモールのゲーセンに行って、メダルゲームをした後にファミレスに行って・・・・・
記憶の中の今からのスケジュールに俺が思いをはせていると、タンと机の上に白くて細い手が置かれる。そうこうやって前の席から陽太が乗り出して・・・っておかしい。陽太はもっとごつい手をしていたはず
「ねえ、今日、久しぶりに一緒に帰らない?」
俺はそおっと顔をあげる。記憶通りに目の前の席で座る陽太。そして記憶にない俺の席と陽太の席の間に立つ女子。声でわかっていた。その女子の正体はもちろん川崎。
げえっと声に出そうになるのを慌てて飲み込んで、周囲を確認する。周りのクラスメイトたちは家が大好きといった奴らを除いて、ほぼ全員がこちらを見ていた。いつもは思い思いに生きているはずなのにこんな時だけ満場一致でこっちに視線を向けやがる。
俺はろくに勉強をできない脳みそで考えていた。5回も7月15日を過ごしたというのにこれは初めてだ。役に立たねえループだとかなんでこいつはこんな目立つように言いやがる、お前自分が今何してんのかわかってんのか?とか川崎に対する愚痴を思いながらも打開策を考える。
陽太たちと遊びに行く?いやまだ予定が出来ていないのにそんなこと言えない。だいたい陽太なら女を優先しろとか言いそうだ。だったら家の用事というのはどうだろう?だめだ、川崎の家は俺の家の近くだったはず。
周りに注目されている状態で変に断るわけにもいかない。そんなことしたらどんな噂を立てられるかわかったもんじゃない!結局、俺に選択肢はなかったのだ。
「わかった」
ボロを出さないように短く、少しぶっきらぼうに答える。しかしそれでも川崎はニコニコと笑っていた。俺は女子と帰れる嬉しさよりもこの先のことに関する不安が勝っていた、がなんとか笑顔をつくってさっきよりも重くなったカバンを持ち上げる。
俺が立ち上がった瞬間、川崎は待ちきれないといったように俺の腕を引っ張る。小学生のときはよくした覚えがある、が今はもう立派な高校生。
周りの視線を無視しながら俺たち二人はささっと教室をでていく。ここまできたら俺もさっさと帰りたくなった。くそお、なんでこんなことに。こいつはなんでこんな目立つことできるんだ?ていうか女子の肌やわらけえ!
理性と疑惑と下心を内に秘めながら、廊下を通り、校門を抜け、俺たちは帰路につく。通り雨が降ったらしくところどころに水たまりがある。アスファルト独特の臭いのなかで二人並んで歩く。傍から見たらカップルに・・・・いや、俺と川崎ではビジュアルの差が大きいからそれはないか。
それに川崎は教室のときとは打って変わって彼女はなにも言わない、何もしない。先ほどまでの大胆なやり方はなんだったのかと言いたくなるように、口を開いては閉じ、こちらに視線を飛ばしたかと思えばふいっと目をそらす。
正直俺も何を話せばいいやら、といった感じで互いに無言の中少しずつ家は近づいてくる。俺はその空間に居心地悪くなってきて、とりあえず何か口に出したくなった。
「あのさあ、川崎」
「ひ、ひゃい!?」
思いっきり噛んだ。今まで桃色に染まっていた頬が、一気に紅色へと染まっていく。自分で誘っておいてなんだその反応は!?と言いたくなるが顔を両手で覆い隠す川崎にそんなことを言えない。このまままた無言の時間が過ぎてしまうのか・・・そう思った時
「危ないっ!」
「ふえ?」
咄嗟に俺は顔を覆っていた彼女の腕をつかんで思いっきり引っ張る。彼女が抜けた声を出すのと一台の車が俺たちの目の前を通り過ぎていくのはほぼ同時だった。倒れそうになる彼女の背中を慌てて支える。想像以上に彼女の体は軽かった。
「あ、ありがと」
呆けた顔での川崎の礼を聞きながら俺はため息を吐きそうになり、同時になにか懐かしいような、そんな感じがした。しかしこのままじゃあまともに話ができない。今までのループになかった状況に俺もどうすればいいかわからなかった。でもそれが普通なんだ。いつの間にか自分の身に起きている超常現象を当てにしてしまっていた。俺は右腕で川崎を支えたまま、近くの公園を指差す。
「とりあえず、一回座ろうぜ」
「ほらよ、水」
「ありがと。お金払うよ」
「いいよ、一本ぐらい」
川崎を公園のベンチに座らせて、俺は自販機で飲み物を買うことにした。7月中旬、日を遮るような木陰のないなか万が一があっては困る。一番安いペットボトルの天然水を買う。まあ、あいつの好みとか覚えてないし、とか自分に言い訳しながら一本を川崎に渡して俺も腰をかける。同じベンチではあるが両端に座る俺らにはそこそこの距離がある。
「んっ、んっ・・・っはあ。ただの水でもすごくおいしく感じるね」
やけに艶めかしい様子で水を飲む川崎。そこから視線を外すように俺も自分のペットボトルに口をつける。帰る途中それなりに汗をかいていたからか一気に半分の水が俺の体に消える。喉がうるおい、言葉が話せるようになった。
「なあ、川崎」
「美波でいいよ。前はそう呼んでたじゃん」
こいつ、笑顔でなんて厳しい要求するんだ。前って小学とか中学とかの話だろ。だが、そういわれるとなんだか自分の呼び方がすごく不自然なものに感じてしまうのだから不思議だ。
「あー美波、なんでいきなるあんなことを言ってきたんだ」
俺は女子の名前呼びなんて慣れないことをしながら一番聞きたかったことを聞くことにした。遠回りする必要はないと思った。
「なんでって・・・・久しぶりに一緒に出かけようと思って。ほら、最近なんだか疎遠になってたし」
その理由を、と言いそうになって口を閉じる。あんまり詮索する気にもなれなかったし、なにより今一番不思議なのは5回目のループで初めて川崎・・・美波と話したことだ。でも今そんなこと聞けるはずがなく、ただ「そうか」としか返せない。
しばし無言。先に口を開いたのは美波のほうだった。わずかに体を俺のほうへ近づけて、声がやけに大きくなる。
「この公園、懐かしいね」
「ん?ああ、そう、だな。そこそこ家に近いからな。子供の足でも行けるくらい」
美波の声につられるように俺の口からも言葉が少しずつ流れ出る。ぽつぽつと短い言葉だけのキャッチボールは幾分か時間が経った頃にはしっかりと会話ができるようになっていた。話が続くと同時に徐々に俺たちの間の空間も短くなっていく。
「それで悠斗があそこのブランコで足滑らせてさ、」
「ああ、膝擦りむいたやつな。あんときは血ぃ見てお前も泣いて・・・・」
あんがい覚えているもので俺たちは数年前の昔話に花を咲かせる。その時には数年でできていた俺と美波の間に出来た壁のようなものはとうに取っ払われていた。誰もいない公園で俺たちが昔話を切り上げたのは1時間ほど経ったときだった。
「ふう、意外と覚えてるもんだね。やっぱ大切な思い出だからとかかな?」
「まあ、黒歴史とかって忘れたくても忘れられないもんだしな」
「私との思い出は黒歴史なの!?」
はははと二人で笑い合う。実際、子供のころの俺からすればとても楽しい時間だったのだろう。遊んでいた時のことがなぜか鮮明に思い出させられる。
俺も縁を取り戻したいと心の中では思っていたらしい。妙な達成感と嬉しさがそこにあった。
「それで・・・・明日はどうする?」
手が当たるほど隣まで近づいていた美波の言葉で俺はようやくなぜこんなことになっているかを思い出した。もとは彼女が屋上で言った誘いが始まりだったのだ。俺がどう返事をするか迷っていると、
「あ、お兄ちゃん」
声のする方へ俺たちは顔を向ける。公園の入り口にいたのは制服から私服へと衣装を変え、アイスキャンディーを咥えた奏だった。記憶のなかでは奏は学校から帰った後は友達の家へ遊びに行くはずだが、
「なにしてんの?」
「お前こそ、友達のところに遊びに行くんじゃなかったのか?」
「言ってないし。まあ今から行くとこだけど・・・・」
そこまで言ってから奏は視線を俺から美波へと変え、目をぱちくりとさせる。食べきったアイスキャンディーの木の棒を口から抜き出す。
「えーっと、この人は」
「あ、美波さん。こんにちは」
「こんにちは。奏ちゃん」
そうか、奏は3つ下だから美波と遊んだこともあったっけ・・・でもよく数年ぶりなのによくわかったな。それになんだか数年ぶりに会ったって感じじゃなくない?
そんな俺の疑問をよそに二人はいくつか言葉を交わした後、何かに気がついたように俺と美波へ視線を行ったり来たりさせる。そして納得したかのように一度頷いた。
「お邪魔しました」
「まて、なにか誤解してないか?」
「お兄ちゃんには言ってないけど?」
じゃあ誰に言うんだよ。奏からどう見えたか予想はつくがそれだけは否定しなければならない。
そしてふと気づいた。陽太も知らない明日の予定は奏なら知っているんじゃないかと。思い切って俺は奏に聞いてみる。
「そういえば、奏。俺の明日の予定って覚えてる?」
「はぁ?お兄ちゃんの予定なんて・・・・・・明日?」
「そう明日。7月16日」
聞き返してきたので思い当たる節があるんだろうと日付まで指定する。しかし、それを聞いた奏はすごく驚いたような、あきれたような表情をした。
「ほんとに覚えてないの?」
そういわれても土曜日で学校は休みだし、誰かの墓参りだとかの記憶はない。家族で日帰り旅行などの線も考えたが荷物を用意した覚えはない。
「はあ、まじか。いや、覚えてないのは好都合かな?・・・・なんでそんなことを聞くの?」
奏はよくわからない独り言の後、俺の質問にはこたえず理由を尋ねてくる。その言葉に答えたのは意外なことに隣で黙って俺と奏の会話を聞いていた美波だった。
「えっと、私がちょっとお出かけに誘ったんだけど・・・・何か予定あったのかな?」
「いや、ないですよ。むしろ連れてってくれた方がいいまであります」
俺が今まで答えを渋っていた理由を知り、不安そうな顔で理由とともに尋ねる美波。それに対して俺の時とは違って、すぐに答えを返す奏。いや、なんか俺の扱い酷くね?というかそんなこと言われたら俺から断る理由がないに等しくなってしまった。
「えっと、じゃあ・・・・」
「あぁ、行くよ」
もう自棄だと言わんばかりに美波の言葉にかぶせるように俺は言う。女性への言葉遣いとしては最悪だとは分かっているが、俺もどうするのがいいのか分からなくなっていた。
そんな俺の言葉にも機嫌を悪くすることなく、むしろ嬉しそうにした美波はいそいそと自分のカバンからスマホを取り出して、なにか操作をした後俺に画面を見せつける。彼女の画面に映るのは白色と黒色の四角が不規則に並べられた・・・・メールアプリのQRコード。
「連絡先!交換しよ!」
俺がスマホを買ってもらったのは高校生になってから。彼女の連絡先は持っていなかった。妹が見ている前、俺はスマホを開いてそれを読み取る。ピコンと読み取り成功の音声が流れて、画面には「美波」と書かれた文字。友達登録を押す、と同時に友達登録完了。
「時間とかは後で送るから!」
友達登録を終えた瞬間、美波は突然予定を思い出したかのように話を切り上げるとカバンを持って立ち上がる。そして公園の入り口まで駆け出すと思いだしたかのように、くるりとこちらをふりかえる。
「じゃ!また明日!」
俺の返しを聞く前に美波は自分の家のほうへと歩いていく。追いかけようかとも考えたが、後はメールでやればいいかと現代人らしいことを考えて、そのままベンチに深く座り込んだ。
「罪な男だね、お兄ちゃん」
めまぐるしい今日に疲れた俺に奏は俺の胸ポケットにゴミを突っ込んで笑う。こいつ友達の家に遊びに行くのではなかったのか。っつうか・・・・
「なにが、罪だよ・・・・」
「えー、あんな可愛い幼馴染を数年ほったらかしにしてたこと・・・・とか」
その言葉に違和感を感じて俺は体を少し持ち上げる。なんでそれを知っている!?と声を出そうとするが口はパクパクと動くだけで音を鳴らさない。一度深呼吸。こいつと美波について話した記憶がないはずだし、学校でどうしているかなんて奏が知るはずがない。なのになんでそんなことを言うのか。
驚く俺の前で奏はスマホを操作して、俺に画面を見せる。俺の開きっぱなしのメールアプリと同じ画面。俺はその一点に目を奪われる。友達の欄に並ぶ中の「美波」の文字。
つまりこいつは俺の知らぬ間に美波と連絡先を交換していたのだ。そのうえ「ちょっと前は一緒に買い物も行った」と言いやがる。俺を驚かすだけ驚かして奏はじゃあねと言って自分の予定へと戻っていく。
「結局、約束しちまった」
今回の15日は驚きの連続で疲れた。よりを戻せた嬉しさを感じながら、ぬるくなった水を飲み干す。・・・・嬉しい?そうだ、俺は嬉しいんだ。女と予定が出来たことじゃなく、美波という昔の友達と話せたことが、昔のように遊ぶ約束が出来たことが。
一人公園の真ん中で笑っていた俺は、傍から見たら不審者に見えただろうが笑いを止められないほどうれしかったのだ。俺は立ち上がり、持っていた空のペットボトルとポケットの木の棒を同じゴミ箱に放り込んでカバンを持ち上げる。明日のことは明日の自分に任せることにして俺は誰もいない隣を少し寂しく感じながら家へと戻るのだった。
そこからのことは記憶があいまいだ。というのもこれと言って美波からの連絡はなく、今までのループと変わったことも起きなかったからだ。変わったことと言えば奏が夕食の場で美波の名前を出したことで、約束のことを母さんに話さなくちゃいけなくなったこと。
母さんは少し考えた後に「いいんじゃない?」と言っていたからやっぱり俺の抜け去った明日の予定はそこまで重要なものではなかったらしい。
もう一つは俺が風呂に入っていると、奏が脱衣所から「美波さんのこと、どう思う?」というよくわからない質問をしてきたことぐらいだ。俺が「久しぶりに話せてうれしかった」と珍しく本音を言ったのだが、奏は質問したくせに興味なさげに「ふーん」とだけ返してきた。結局どういう意図の質問だったんだろう。
そして俺は11時ごろに眠りにつくことにした。しかしいくら経っても眠ることができない。アイツから連絡が来るんじゃないかとか考えてたら着信音がないまま時間だけが過ぎていった。もしかしたら明日の約束が出来たことでループが終わる、なんてことがあるんじゃないかと思った。
暗い部屋で布団の中、さえた目をどうしようかと思っていて、あと少しで眠れるとなったときだった。
ピロン!
静かな部屋の中で、スマホの着信音が響き、同時に充電ケーブルの繋がれたスマホの画面に光がともる。俺は眠気を蹴っ飛ばして、スマホの画面を食い入るように覗き込む。
0:00 着信なし
確かに音が鳴ったはずだ。しかし画面にメッセージはない。俺は不思議に思うと同時に、淡い期待が崩れ去ったことに落胆した。
「またか・・・・」
一番上には「7月15日金曜日」。今日が始まったことを知らせ、俺を落胆させるには十分だった。俺はスマホを放り投げて、布団深くまで潜り込む。なんの憂いもない俺はそのまま一瞬のうちに眠りにつくのだった。
6日目
「お兄ちゃーん!お!き!て!」
「・・・・奏?」
誰かの声とゆすられた感覚で俺は目覚める。遠くでアラームの音が聞こえる。そこまで脳をまわしたところで俺は意識が覚醒してばっと体を持ち上げる。
これは夢か?奏に起こされるなんて・・・。15日は時間通りに起きて、そんでその後俺が起こしにいくはずじゃあ・・・。
俺はスマホの電源をつける。俺と同じようにスリープモードから目覚めたスマホの画面には7月15日。そこは俺の夜中の記憶とも、昨日の記憶とも同じ。
違ったのはその下。そこに映る時間は「7:53」・・・・・・
「53分!?」
「そーだよ。急がないと学校遅れるよ」
俺は慌てて布団を投げ飛ばす。我が家の約束で布団はたたんでおかなければならないがそんなことをしている暇はない。
「ちょ!なんで脱ぐの!?」
「着替えるからだよ!」
奏は「早くしてね!」と言って部屋を出ると隙間が出来ないようにガチャンと扉をしっかりと閉める。まさが俺が起こされる側になって、しかも怒鳴る側になってしまうとは・・・。
今までとの違いにあたふたしながら制服を着て、階段を駆け下りる。パジャマを洗濯機に突っ込んでスイッチオン。リビングに向かう。
母さんはとっくに仕事に向かって、机の上には一人分の朝食。冷めたしじみの味噌汁で流し込むように朝食を体に取り込む。喉に詰まらせ、ゲホゲホと咳き込む俺のところに奏は麦茶の入ったコップをそっと置く。
「ちょっと!急いでるのはわかるけど・・・・」
「ゴホッゴホッ、すまん。・・・・奏、宿題持ってくの忘れんなよ。あと折り畳み傘用意しとけ」
「はあ?・・・・そうだ!忘れてた!」
気管に入りかけた米粒を麦茶で流し込みながら、俺は奏に声をかける。俺の言葉に奏は何を言っているのか分からないといった感じだったが、宿題のことを思い出して慌てて階段を駆け上がり、忘れ物を取りに行く。
「そうだ!カバン!」
「洗いもんやっとくから自分でとってきて」
「わるい!」
俺は奏と入れ替わりで皿をそのままに階段を上り、カバンを手に取ると二段飛ばしで下りていく。こんなことなら奏に取ってきてもらうように頼んでおくんだった。
準備のできた俺と奏は急いでドアから出て、鍵を閉める。家には鍵が3つしかない。一つは親父、一つは母さん、そして俺と奏は二人で一つ。これのせいで奏は俺の寝坊を割を食う事になってしまった。先に帰る予定の奏に鍵を持たせる。
「すまんな」
「ホントだよ、こんどアイスおごってもらうからね!」
やっぱり簡単には許されなかった。走っていく奏を尻目に俺も早歩きで学校に向かう。昨日より少し高い太陽と途中途中の赤信号に嫌になる。まあ100俺が悪いんだけど。しかし朝のホームルームに間に合わないと思った俺は走り出す。俺の地元は大きめの丘になっていてそれをまたぐ一本道とその道の周りの家々で構成されている。俺の家が下の方なのも相まってあまり傾斜がないが、それでも上るのはきつい。
やっとの思いでたどり着いた時にはホームルームが始まる3分前。勢いよく扉を開くと汗ダラダラの俺を皆が驚いたように見る。窓際まで行って自分の席の椅子を引くと、そこに吸い付くように腰を落とした。なんとか間に合った。
「おはようさん。えらい重役出勤じゃねえの」
「まあなあ~」
陽太の軽口を俺は軽く流す。もうへとへとだ。運悪く部活が休みの時にループにはまったもんだからかなり久しぶりに走ることになっちまった。これからはランニングした方がいいかななんて思っていたら
「おはよう、悠斗くん」
声の主は川崎美波。たまたま隣の席で話をしていたらしく俺に軽い挨拶をする。挨拶は珍しいことではないので俺は疲れたって言葉を飲み込んで、何とか挨拶を返そうと口を動かす。
「おはよ、美波」
時間が止まった。正確にはそう錯覚させるように周りの動きが止まった。前の席の陽太も、隣の席の女子も、その子と話していた美波も全員が鳩が豆鉄砲を食ったような顔で俺を見ていた。
何かまずいこといっただろうか、陽太も美波も・・・・・そこまで考えて俺は周りの驚きの理由を理解してしまった。
そうだ、俺が「美波」と呼ぶようになったのは昨日、つまり今日この後のこと!周りはもちろん美波ですら知るはずのないこと。前のことで慣れてしまったのと疲れでつい言ってしまった。今まではこんなことしなかったのに!
立ち上がり慌てて弁解をしようとするがうまい言葉が見つからない。中学のときならともかく高校生になって周りからしたら初めて、そして突然名前呼びをしてきたのだ。当然驚くだろうし、馴れ馴れしいと思われてもしかたない。しかし「実は今ループしててさあ」なんてふざけたことを言うのはもってのほかだ。
どうすればと立ち上がったまま何も言いだせない俺に対して、美波は最初は驚いたような顔ではあったがすぐになんとも懐かしい笑顔になって
「おはよう!悠斗!」
と、やけに大きな声で嬉しそうに再度言うのだった。俺はすぐにその場から逃げ出してしまいたくなったがキーンコーンカーンコーンと朝のチャイムが鳴ることでなんとか周りからの視線から逃れることが出来た。こちらを向いていた生徒たちが前を向き直る。
扉を開け、先生が入ってくるが俺はそんな5度も聞いたことよりも初めての自業自得ともいえるミスとこの後のことを考えて、憂鬱な気分に浸るのだった。
「ちくしょう、なんで俺がこんな悲しいことに・・・」
「自業自得だな」
俺のぼやきを陽太は楽しそうに笑う。俺はあのホームルームの後、一限目が終わった後皆からの特に林の質問攻めにあった。なぜ名前呼びなのか、美波とはどういう関係なのか云々。最初はなんとかやったが二限目の後からはついにこの昼休みまでトイレで過ごす羽目になった。移動教室はないので授業が始まるタイミングで教室に戻るだけなのだがなんとも居心地が悪いことになってしまった。
昼飯を屋上で食うってことを伝えたのは陽太だけだから流石にここまでは誰も来ないはずだ・・・・・たぶん。俺は陽太に買ってくるように頼んだサンドイッチにかぶりつく。なぜ弁当じゃないのかというと朝慌てていたせいで家に忘れてきたからだ。母さんに小言を言われるだろうが、夕食の時にでも食べれば問題ないだろう。母さんには悪いけどちょうど飽きてきたところだったしな。
「いやー面白かったけど、なんで珍しく名前で呼んだんだ」
「疲れてたんだよ」
実際そうとしかいえない。あの時は昨日?の呼び方が抜けていなかったのに加えて、疲れていたのも1つの理由ではあるから嘘は言ってない。
屋上では俺のほうを見る奴はいない。クラスメイトがいないのは知っていたし。
「川崎も驚いてんじゃねえの・・・まあ嬉しそうだったからよかったじゃんよ」
俺は良くねえんだよ、そう怒鳴ってしまおうと思った時、聞き覚えのある音が聞こえる。軽やかに階段を上る音。
「噂をすればなんとやら、か」
「?」
俺の呟きの意味を陽太が知る由もない。叩き開けられるドアの音。そして立っている黒髪の女子生徒。
「いた」
これも聞き覚えがある。隣で陽太はポカンとしているが俺は驚いていない。2回目だし、屋上で飯を食っていたら来るんじゃないか、とは思っていたから。
コツコツと緩みも迷いもない足音。そして俺の前で止まるとその黒髪の少女、川崎美波は俺の目を覗いて、言った。
「ねえ、明日海を見に行かない?」
「いいぜ」
即答だった。まあ言ったのは俺なんだけど。もう断る理由もないし、名前呼び以上に噂が広まることなんてもうないだろう。固まった陽太と少し驚いている美波を前に俺はスマホを取り出して、クラスのグループの欄から名前を見つけ出し、迷うことなく友達追加をクリック。文字を書き込む。
ピコン!
鳴ったのは俺のスマホではない。音は美波のスカートのポケットから。美波は音に気がついてスマホを取り出し、画面を覗き込む。そしてその画面から俺の方へと顔を向ける。
『連絡はこれで』
俺の送った文章を見たであろう美波は嬉しそうにして「うん!」と返事を目の前で言うとそのままもと来た道を引き返す。
「即答かよ!」
「おせえよ」
陽太の最初の言葉はツッコミだった。余りのラグに俺は今日初めて笑う。すっかり話に置いて行かれた陽太は「やっぱ出来てんだろ~」と言いながらぐりぐりと俺の頬を指で押す。ちょっとうざい。
「あ、お前朝のこと謝んなくていいの?」
「?・・・・・ああ、忘れてた」
陽太の言葉に俺は朝の名前呼びに関してまだ謝っていないことを思い出す。謝るまではしなくても何か言っておかないとと思った時、ピコンと今度は俺のスマホが無機質な機械音を鳴らす。スマホを開いてメッセージに俺はふっと笑い声が漏れる。
「どした?」
「いや、あいつも未来見えてんじゃないか、ってな」
俺の画面には『これからは呼び捨てで!』という文字とサムズアップをする兎のスタンプ。なんでもお見通しだと言われている気がした。
それからはみんな話すことに飽きたのか聞いてくるのは少なくなった。そして当然のように林は宿題を忘れていた。そして学校が終わった後、俺が向かったのは家、ではなく近くのショッピングモール。
てっきり前と同じで帰りに誘われるのかと思ったがメールの内容は『買い物付き合って』と場所の指定だった。断る理由もないので返事を送って俺は立ち上がるが、
「なあ、今日ゲーセン行かない?」
そういえば陽太に誘われるんだった。しかも向かう先は美波が指定したショッピングモールだった。どうしようたかとも迷ったが、後でばれるのも面倒だし美波も遅れるらしいのでまあいいかと制服そのままで男子数名で遊びに行くことにした。
「うおっ!またドンピシャじゃん!」
「すげえ!なんでわかんの!?」
俺たちがいたのはゲームセンターのメダルゲームのコーナー。ボールが落ちる場所を予想するルーレットのようなゲーム機だ。俺は最初の数回どこに当たるか分かっていたからそこに一気に賭ける。予想いや記憶の通りの場所に落ちて、大きな音とともにジャラジャラとメダルを吐き出す。これが5回、いや4回ループした成果よ。
俺はわざとらしく高笑いして入れ物にメダルを移していると、ピコンと聞きなれた着信音が鳴った。俺は画面で送り主を確認して、持っていたメダルを陽太の手に持たせる。
「悪いっ!用事できた!」
「はあ!?ちょ」
引き留められるよりも先に俺は彼らから離れる。さっさと動いたのはついてこられても困るからだ。エスカレーターで下に降り、ファミレスに入る。
「おひとりですか?」
店員の女性の言葉に「連れが先に」と返して、俺は店内を見渡す。そして一つの机の方へ歩き出す。
「お待たせ」
「ううん、こっちこそ待たせちゃったね」
おっ今の言葉デートっぽいなどと思いながら俺は美波の向かい側に座る。一度家に帰った理由は着替えるためだったらしく、白いワンピースへと着替えた彼女はなんとも・・・・
「どうしたの?」
「いや、私服久しぶりに見たなって」
ちょっと見すぎてしまったようで照れ臭そうに美波は言う。家の高校は制服固定だからな、夏服冬服はあるが私服はそうお目にかかることはない。彼女から目をそらして、俺は店員を呼ぶとドリンクバーだけを頼んだ。変な客だと思われただろうか。
「それで、何を買いに行くんだ?」
「ああ、それは・・・・嘘。ホントは少し話したくって」
そういっててへっと美波はかわいらしく舌を出す。「話したい」と言われて悪い気はしない。俺はドリンクバーで飲み物をとってくると昨日と同じように二人で思い出話に花を咲かせることにした。
俺はいろんなことを話したかったから昨日は話していない話題を出せるようにした。美波との話は楽しかった。ドリンクバーは一度しか行かなかったけど無駄にお金を払ったという気はしなかった。楽しい時間を買ったんだ、そんな気がした。
同じような時間を何度も過ごした。どれだけ時間が経ってもループは終わらなかった。だから俺は同じような時間を過ごし続けた。何度も同じように美波とファミレスに行って、違う話をした。時には制服のままで行った。時には別のカフェテリアに行った。時には本当に買い物に付き合ったりした。
ループの中であるはずなのに女の行動は読めなかった。まあ特に気にはしていなかったけど。むしろいろんな時間を過ごせたから。
何度も何度も同じような時間を過ごすが俺が美波との時間に飽きたなんて思うことはなかった。楽しい時間だったし、かかわっていくうちに彼女のことを少しずつ知ることが出来たから。
勉強はあまり好きではないとか
イチゴが好きだとか
バイトをやってみたいとか
嘘をつくときには少し右目をそらすくせとか
よく笑うこととか・・・・・
他にもたくさん彼女のことを知ることができた。残念なのはこの思い出を俺しか覚えていられないことだけど、俺だけの思い出というとなんかうれしい気分になった。
そしてたくさんのことを知るうちに俺は懐かしい感覚があった。時間が経つごとに、知るごとにどんどん目の前の彼女が好きになっていく気がする。これが友達としてなのか、それとも他の何かなのかは俺には分からないけど。俺の気持ちの中にあった最初の不信感とか周りからの劣等感とかは消えていた。
変わらないのは朝の過ごし方、そして明日が来ることを望みながら、海に行く約束を美波と屋上ですること。
俺は何回も、何十回も同じように海に誘われて、絶対に断ることはしなかった。いつ明日が来てもいいように。後悔しなくてもいいように。
そんなことが30か40ほど続いた時だった。その日の美波からの連絡は『買い物付き合って』ではなかった。スマホの画面に映ったのは『家に来ない?』だった。俺は目を疑った。
めちゃくちゃ断りたかったけど、同時に行きたいって気持ちもあった。だから俺は中学のときの記憶をたどって、川崎家へとたどり着く。
一回深呼吸。そして、ピーンポーン。チャイムを鳴らす。
現れたのは黒髪の女性。美波ではない。美波がそのまま成長したかのような女性は
「あら?あなた、悠斗くんじゃない?」
記憶との違いに目をぱちくりとさせる彼女は、美波の母親だった。親がいるなんて聞いてねえぞ!とここにいない誰かに口に出したいのをこらえる。美波の母親は俺が来ることを聞いていたようで何も聞かず俺を家にあげてくれた。
最初は緊張していた俺だったが、家に入った瞬間、違和感を覚えた。まず周りに物が少ない。大きな家具以外のものがなく殺風景な感じだ。それに廊下や空いた部屋に段ボール箱が積んである。これはまるで・・・
「久しぶりねえ・・・・ちょっと待っててね?もうすぐ来るとおもうから」
「あ、お、おかまいなく」
美波の母親に言われるがままリビングの椅子に座って、そわそわしながら美波を待っていた俺だったがついに耐えきれなくなって俺は美波の母親に思い切って尋ねることにした。
「あの、引っ越すんですか?」
美波の母親はこちらをふりかえる。その顔に浮かんでいるのはなんともいえない表情。聞いてはいけないことだっただろうかと俺は不安になる。
「ええ、旦那の家の都合でね・・・と言っても丘の向こう、ほら海のほうだから高校を変えたりしないわ。明日、業者が来ることになってるの」
なんだ、すぐそこじゃないかと俺はその言葉に安心する。が同時にまた疑問が湧き上がる。明日?引っ越しをするのに美波は海に行く余裕なんてあったんだろうか?それに海の近くに住むことになるならわざわざ誘わなくても、家で待っていればいいはずなのになぜ誘ったんだろう?
いくつも疑問が浮かびあがった俺の前に美波の母親は腰を掛け、俺をじっとみやる。その黒い目は美波そっくりだった。
「ごめんね、せっかく久しぶりに来てくれたのに・・・・今日美波すごくうれしそうだったから。久しぶりに悠斗君がって」
そこまで喜ばれるとうれしいんだけど、なんとなくむずがゆいな・・・どう答えればいいか迷っている俺に美波の母親は笑っている。
「ついこの前まで美波もあなたもあんなに小さかったのに・・・ってもう5年は経ってるわね。最近はあなたも遊びに来てなかったけれど」
「あーーー」
「ふふっ、男の子と女の子だもの簡単にはいかないわよね。あの子はあんまり気にしないけれど」
美波とは違い、察しがよく空気が読める母親。確かにあいつが気兼ねなく話しかけてきたり、引っ張られたことで周りに変に思われているんじゃないかと思った回数はかなり多い。けれど
「それもあいつのいいとこなので」
そうでなければこうやって再び関わることはなかっただろう。
俺の言葉に美波の母親は自分の子供がほめられたからか嬉しそうに笑う。「男前になって・・・」と感慨深げにつぶやいた美波の母親はちらりとあるところへ視線を飛ばす。
小さな机の上。いくつかの写真立てが並べられた中の一つ。草原の中幼げな二人、少年と少女手を繋ぎ、こちらへ視線を飛ばしている。そこに写るのは他の意志など入る余地もないかのように嬉しそうに笑っている。
「家は離れちゃうけど・・・・あの子と仲良くしてあげてね。不器用な子だけど」
「お母さん、悠斗くん来た?・・・っている!呼んでよ~」
母親の話終え、俺がどう答えるべきか考えていた時、見計らったかのようなタイミングで美波が階段を下りてきた。何度もみた白いワンピースでどたどたと似つかわしくない足音で現れた彼女は俺たちの暗めの空気はなんのそのといった感じ。俺の口から笑い声が漏れる。
俺の笑いに「なにか変かな?」と自分の姿を見直す美波と嬉しそうに笑っている美波の母親。俺は笑いが止まらない。
俺は川崎美波が好きだ
俺にはどうしようもできない感情。俺はカバンを持って立ち上がる。
「え、な、なんで帰るの?」
俺は美波の問いには答えない。確かに家に来てしたことと言えば美波の母親と話しただけだ。疑問に思うのも仕方がない。だが許してほしい。
だって、このままじゃ告白でもしてしまいそうだったから。もしくは母親の前であることを忘れてお前の手を引いて、逃避行でもしてしまいたい、そんな気分だった。
今日久しぶりに話しかけたはずなのに、そんなことしたら困ってしまうだろうからできない。2年も我慢したお前に比べれば、たった30日で溢れてしまう俺の気持ちをどうか許してほしい。
「なにかしたかな」と心配そうな美波。俺は「引っ越しの邪魔したら悪いからな」と適当なことを述べる。そんなことよりもお前と話をしていたくて、それよりもお前に嫌われるようなことをしたくなかった。
だから、明日まで我慢だ。
「じゃ!また明日!」
俺はループに入って一度も確信をもって言えなかった言葉を放った。明日か来ることに不安を持ちながらこの言葉を言う人はいないだろう。誰もがこの言葉を明日が来ることに確信を持ちながら言っているんだと当たり前のことに俺は気がついた。
その言葉に美波は残念そうな顔をしたが俺の気持ちを尊重してか引き留めるようなことはせず、笑って右手を上げる。
「また明日!」
やまびこのように返ってきたその言葉に俺は大きく頷いて、帰路に着いた。今までで一番軽い足取り。美波の美しい声での「また明日」が今でも耳の中で反響している。夕日に射されながら、俺は人生で一番明日が来ることを願っていた。
家に帰った俺は作り置きのおかずで夕食をとり、早めにベットに入る。明日が来た時に寝坊なんてしたら笑えないからな。まるで子供のころのクリスマスイブのように待ちきれない明日を思いながら俺は深く眠りにつくのだった。
44日目
気がついた時、俺は見知らぬ空間にいた。大量に並べられたパイプ椅子の一つに俺は座っている。鼻孔をくすぐる花の匂いと僅かな線香の香り。
音は聞こえない。俺は立ち上がり、前の方へと足を運んでいく。目の前にあるのは大きな白い長方形の物体。人ひとりがすっぽりと入ってしまいそうなほど大きな箱。
俺の前で泣き崩れるあいつの母親。その隣で肩を震わせてお辞儀をする黒スーツ姿の男性。立ち尽くす俺、僅かな光で"7月20日"の文字を映し出す俺のスマホ、そして・・・その白い箱の奥、白い花に囲まれ、黒い縁で飾られたあいつの・・・・
ピピピ!ピピピ!ビビビ!
「・・・・・・っ!」
一定間隔に鳴り響く電子音を聞いて、俺は現実へと意識が戻ってくる。ばっ!と邪魔なかけ布団をはねのける。その衝撃で横に置かれたスマホは地面に落ち、スリープをやめ、画面が光る。
画面に映ったのは、7月15日。ループが終わらなかったことが分かってしまうが今の俺にとってそんなことを気にしている余裕はなかった。俺は落ちたスマホそのままに寝汗でぐっしょりのパジャマを脱ぎ捨てる。引き出しを開け、適当なジャージに着替え、部屋の扉を叩き開ける。
階段を転げ落ちるように下りる。あまりの音の大きさに母さんがリビングの方から驚いた顔をのぞかせる。
「ちょっと、どうし」
「今日、何日!?」
音の理由を尋ねようとする母さんの声にかぶせるように俺は叫ぶような声で問いただす。あまりの俺の怒鳴り声に母さんは固まってただ「じゅ、15」とだけ答えた。俺はその答えを聞きながら母さんの前を通り過ぎ、げた箱から一足のスニーカーを取り出して、足をつっこむ。
「待ちなさい!朝からどこいくの!?」
俺のあまりの慌てようになにかあると思った母さんが俺に声をかけるもその声を無視して、玄関をなにかに押し出されるかのように飛び出す。硬いアスファルトの地面を蹴飛ばして俺は昨日の帰り道の記憶をたどって舗装された道をただ走る。
まぶしい朝の陽ざしもぶつかりそうになったサラリーマンの舌打ちもなにもかもが俺の目にも耳にも入っていなかった。
ループという現象に陥って初めて俺は夢を見た。しかもただの夢じゃない。今までの幸福を一瞬で血の底まで叩き落とす悪夢で、まるで現実の出来事だと思えるほど鮮明なものだった。自分でも馬鹿らしいとは思っている。ただ同時にあり得ると思える。こんな摩訶不思議な現象にいるのだ。今更一つや二つ増えても不思議じゃない。
あの悪夢が、あいつが死ぬなんて夢が、予知夢なんじゃないかって。
赤信号すらも無視して昨日の半分、それよりも短い時間で俺は目的の場所へとたどり着く。俺は叩くようにインターホンを押す。俺の焦りなど知らぬといった感じでピーンポーンとゆっくりと流れる音。
昨日とはまったく違う理由で俺の心臓は暴れ続ける。呼吸を忘れ、ドックン!ドックン!と耳にまで響いてくるような心音。僅か数秒の待ち時間が、俺にとっては永久の時のようにも感じていた。
そしてその永久の時が終わり、ついに扉のドアノブが半回転する。そして開かれた扉の先にいたのは・・・・・
「あれ、悠斗?どうしたの?」
ただ不思議そうな顔をする美波の姿がそこにはあった。俺は急に力が抜け、その場に尻もちをつく。安堵で今までの緊張の糸が切れ、すぐには立ち上がれそうにない。
「え!?ちょ!?だっ大丈夫!?」
目の前で倒れこんだ俺を見て美波は今まで見たことがないほど慌てだす。大丈夫だと手をあげて示そうとするが俺の体はいうことを聞かない。なんとか体を門を支えに持ち上げて、美波と目を合わせる。
その疑惑の意が浮かび上がる目には体調の悪さは見えず、彼女が死んでしまうとはとても思えない。しかしあれをただの夢だと言い切れるはずもない。完全に安心するには早い。
「それでどうしたの?」
彼女の言葉に俺は自分の世界から現実に引き戻される。そういえばあの夢の印象が強すぎて他のことはなにも考えていなかったのを思い出す。母さんには悪いことをしたし、学校の用意も家に置いてきてしまった。とりあえずなにか答えなければ、と思ったその時だった。
グウと俺の腹が鳴ったと思うと突然の空腹感が俺を襲う。そういえば朝飯も食べないで来てしまった。そもそも今日生きているのは分かっているのだからこんなことする必要なかったなあと恥ずかしさを紛らわすためにそんなことを考えているとクックッとかみ殺したような笑い声が彼女から漏れ出る。そして美波はにっこりと笑うと「朝ごはん食べてく?」と聞いてきた。
「久しぶりね、悠斗くん。美波はもうすぐ来るから」
「すみません。こんな朝早くに」
「いいのよ。あんまり凝ったもの出せなくて悪いけど」
あれから俺は一度家に戻ることにした。どちらにせよ学校の準備の為に家に戻らないといけなかったからだ。朝食に関しては断ろうかとも考えたがせっかくなのでいただくことにした。
家に帰った俺はとりあえず母さんに怒られた。もうめちゃくちゃに怒られた。なぜいきなり出ていったのか、なぜなにも言わなかったのか等。仕事と学校がなければ1時間は続いたであろうそれは母さんの仕事の時間が来たことですぐに終わった。
ちなみに奏は俺の足音で起きてしまったらしく、小言を言われた。
朝食のいらない旨を伝え、俺は出来るだけ早く川崎家へと再び向かった。たどり着いた俺を美波の母親は快く迎え入れてくれた。脱いだ靴をそろえ、家に上がらせてもらう。
昨日とまったく同じ並びのリビングにおわんと茶碗が一つずつ、三組の朝食の用意が並べられている。そしてその真ん中には大皿に乗せられた六等分にされた卵焼き。突然の訪問だったのにここまでしてもらって悪いことをした気分になる。
「ちょっと待っててね。今飲み物を持っていくから」
「あっ、それは俺が・・・っつ!?」
さすがに何もしないのは嫌だったので運ぶのを手伝おうとするが慌てていたせいで足元に置かれていた段ボール箱に足を思いっきりぶつけてしまう。そこそこの重さがあったそれは微動だにせず、俺の足に衝撃を返す。
「だっ大丈夫?」
「大・・・丈夫です。はこ・・・びます」
痛みにうずくまった俺に心配そうな声をかけてくれる美波の母。俺は痛みを耐えながら何事もなかったかのように立ち上がる。やべ、思ったより痛い。
ジンジンする足を我慢して、用意されたコップを落とさないように運ぶ。あー美波がいなくてよかったこんなかっこ悪い姿見せたくないしな。
「お待たせ、お母さん。悠斗。待った?」
「遅いわよ、美波。せっかく悠斗くん来てくれたのに」
「ちょっと髪をセットするのに時間が・・・・ごめんね、悠斗」
いや謝りたいのはむしろこっちなんだが。ただここまでしてもらって謝るのも逆に失礼な気がするから言わないけど。
「いただきまーす!」
「「いただきます」」
元気な声で挨拶する美波と対照的に静かに言う彼女の母と俺。そして静かに食べ始める。どんな話をすればいいのか分からないのでただ黙々と食べる。米の味の違いが分かるような人間ではない俺は感想を言うこともできない。
ちらりと俺が顔をあげると美波もまたこちらの方を見ていた。なんだ?なにか用でも・・・
「お口にあったかしら?」
「あ、はい。おいしいです」
「よかったわ。良かったら卵焼きも食べていいのよ?」
「いや、そこまでは」
「いいから」
静寂を切るように話しかけてくれた美波の母親の言葉にテンプレのような返し。二人のおかずを減らすのは悪いと思って断ろうと思っていたがやけに押してくるので言われた通り卵焼きに手を伸ばす。
冷めてしまった卵焼きを口に運ぶ。一噛みした瞬間、ほのかな甘みそしてきついほどの塩味。しょっぱ!吐き出さないよう、顔に出ないように二噛み目。ゴリッと嫌な音。音が小さかったから二人には聞こえてはいない。なにも察せられないよう思い切ってそれを飲み込む。
「どう?おいしい?」
美波の母親の言葉に思わず出てきそうになる言葉を飲み込んで、口元をあげる。
「はい、おいしいです」
食べさせてもらっている分際であれだが、今回ばかりはよくやった俺!気づかれないように、不審がられないようにもう一つ割りばしでつまんで口に運ぶ。でこれが川崎家の普通の朝食なのだろうか。しかし美波の母親が見ていたのは俺の方ではなかった。
「美味しかったって。みな」
「ごちそうさまっ!ごめん悠斗、私カバンとってくるからっ!」
母親の言葉を遮るように先に食べ終えた美波はやけに大きな声を出すと俺と目を合わせることもなく、また二階にあがっていく。残された俺と美波の母親。俺は居心地がよくないのでさっと残っていた分を食べ終えると自分の使わせてもらった食器と美波の食器を重ねる。
「ごちそうさまです。食器洗います」
「そこまでしなくていいのよ?」
「いえ、さすがに何もしないのは嫌なので」
流し台に食器を運んでいきシンクに置かれたスポンジを手に取る。食器用洗剤は一つしか置かれていないのでこれを使えばいいだろう。
軽く水で食器をゆすいだ後、制服に水が飛ばないようにして一つ一つ食器を洗っていく。
「ありがとうね」
「いえ、それより聞きたいことが」
美波の母の言葉を皮切りに俺は話を切り出す。そうここからが本題なのだ。幸い美波は今ここにはいない。聞きづらいことも今なら聞ける。
「なあに?」
「美波って今体調悪いとかって・・・」
「あれ?覚えてないの?」
え!?なんかあいつ持病とかあったっけ!?死ぬほどの重いものあったか!?母親の言葉で俺は過去の記憶を掘り返す。しかしどれだけ考えても思いだすことは出来ない。
不安そうな俺とは裏腹に美波の母親は面白そうに笑っている。
「あの子、元気だけが取り柄じゃない。風邪だって一度もひいたことないし」
確かにあいつは風邪とかひいた覚えはないし、インフルエンザとかになっていた記憶もない。中学も高校も確か皆勤賞だったはず・・・・じゃなくて!
「えっと、持病とかそういうのって」
「そんなのはないわよ。でもまあそういいたい気持ちは分かるわ」
不安だけが募る俺に対して美波の母親は何事もなさそうに笑いながら目の前に残されたあの塩辛い卵焼きに手を伸ばしている。
「塩入れすぎよね。カラも入っちゃってるし・・・・あの子料理苦手なのよ。自分でやるって聞かなかったし、焼き加減はいいのだけど」
いやそういう意味で聞いたんじゃないんだけれど。まあいいか。
ともかく一つ分かったことがある。あの夢が本当だったとしてその死因は病死ではない可能性が高いってことだ。葬式は死んでからだいたい4、5日。ならああなるとすれば今日か明日。突発性の病気の可能性は残っているけれど、どちらにせよそうだったらどうしようもない。
病気とかじゃないならなにか変えられるかもしれない。いや、変えなくちゃいけないんだ。これを知っているのは俺だけだから。
「ところで、どうしてそんなことを?」
「それは・・・・・」
いえるはずがない。「あなたの娘さんが死ぬ夢を見て怖くなりました」なんて。自分でもばかげたことだと思うし、夢だと切り捨てられればよかった。しかし残念なことにループが、そして40日のあいつとの付き合いがそれを切り捨てさせてくれなくなってしまっていた。
どう答えればいいかと食器を洗う手を止めていると、ドタドタと勢いよく階段を下りる音がしたと思うとすっかり学校に行く準備を終えた美波が戻ってきた。
「悠斗っ!時間やばいよ!」
はっとなって時計の方に目をやると時間は8時を軽く過ぎている。「やばっ」と声が漏らした後、俺は皿の泡を流し落とし、食器を立てておいておく。椅子の下に置かれたカバンを拾い上げる。
「ほら急いで!」
彼女の掛け声に慌てて玄関で靴ひもそのままに足を突っ込む。「いってきまーす!」と先に出ていく美波の後を追うように俺が川崎家を出ていこうとすると美波の母親が顔を出す。
「また来てね。それと、あの子のことよろしくね」
「・・・はい!」
その言葉に俺はどこから出たのかと思うほどの大きな声で返事をした俺はその言葉に後押しされるように家を出る。
「いそごっ!」
美波は遅れた俺の手をつかんでグイッと引っ張る。男子に比べれば小さく、弱い力ではあるが子供の頃に比べれば強く、温かい力。子供のころはなんてことなかったのに気づけば手をつなぐことも、話しかけることすらもできなくなっていた。
きっと何度かそれを取り直すタイミングはあったはずなのに俺は、手を離したままにしていた。そんな俺が思うのはおこがましいかもしれない。けれど、俺はもうこの手を離したくない。この俺しか知らない時間で戻った繋がりを切りたくない。だから、
「絶対離さない」
目の前の彼女に聞こえないような独り言を、小さな誓いを俺は口の中で転がした。
と誓ったはいいもののどうすればいいかは検討がつかない。あの夢が現実に起きると仮定したとしても俺のある情報は少なかった。なにせ俺が見たのは葬式の記憶、あいつの死ぬ場面を見たわけでも死に顔を見たわけでもない。ただ死ぬという漠然とした未来のみ。
「来ねえのが一番いいんだけどなー」
俺は一人屋上で呟く。今日は陽太はいない。一度一人で考えたいと思ったからだ。空を見上げれば昨日と一糸乱れぬ動きをする雲とその上から俺を見下す太陽。
しかしすっかり慣れてしまったものだ。このいつ終わるか分からない奇怪現象が来た朝に驚くことはもうなく「ああ、またか」って思っている。今や他のことに意識が行ってしまっているくらいだ。
まあ理由は分かっている。ループの方はいつから、どうやって起きたかもわからないし何か目的があるわけでもない。逆に夢は見た時から「あいつを救う」という終着点がある。いつになるか分からないが絶対に救える道があるはずなんだって・・・・あれ?なにか見落としている気が・・・・
「ゆ、う、と!」
「あ?・・・・うわっ!」
考え込んだ俺の耳に聞き慣れてしまった声。俺が気づいて顔をあげるとキスでもするんじゃないかってほど近くにあいつ・・・・美波の顔があった。俺は思わず後ずさりするが落下用のフェンスに退路を塞がれる。
「な、なんでいる?」
「なんでってもうすぐ授業はじまるよ」
思えば遠くから予鈴の音を聞いた気がした。考え込んでしまっていて弁当はほとんど進んでいない。後で食べればいいかとそれを包み直すと、「ほら、立って」と美波は俺の前に手を差し伸べる。どうやら引っ張り上げてくれる気のようだ。
俺はなんのためらいもなく彼女の差し伸べた手を掴んだ・・・・はずだった。
「え?」
「あれ?」
美波は驚いたような声を出す。そして俺も驚いた声が漏れる。理由は俺の行動。
なんの疑いもなくその優しさを掴んだはずの俺の手はその瞬間、無意識にそれを離すとまるでなにかを恐れるかように後ろへとさがったのだ。
僅かに浮かび上がっていた俺の体が重力に引っ張られて下に落ちる。俺は自分の行動が理解できなかった。恥ずかしさ?違う。もう何度もやってきたはずだ。こんなことになったのは初めてだ。
何が起きたのか分からないのは美波も同じで、俺の行動に無意識の拒絶を感じ、呆けたような悲しそうな顔の彼女を見て、俺は慌ててその差し出されたままの手を掴みなおし、立ち上がる。
「あー、悪い!手が滑ってさ!」
「そっ、そっか!手が滑ったなら仕方ないね!」
もちろん彼女も分かっているはずだ。その手を握られた感覚は俺以上に分かっているはずだ。だけれど彼女はそこを責めたりはしなかった。
俺たちは手を離して二人屋上を出る。俺の心の中には自分の行動の中に対する疑惑が残ったまま。そして俺の手には彼女のやけに冷たい手の感覚が残っていた。
「久しぶりだね。一緒に帰るのは」
「ああ・・・・」
美波の言葉に自分で言うのも変だが心ここにあらずといった感じで答える。今回は俺が誘った。みんなの前で誘うのはかなり勇気が必要だったが、こいつのためだと言い訳をすれば幾分か楽に感じた。幸い、美波が一発OKを出してくれたおかげで恥をかくことはなかった。
今回俺が美波と帰っているのはもちろん夢のことがあったからだ。今までのことから帰り道でなにか起きるとは思わなかったが不安要素は一つでも潰しておきたかった。俺はさながら美波のSPであるかのように周りを警戒しながら歩く。
もちろん車道側を通らせることもさせないし、転ぶような道も歩かせはしない。と同時に俺は彼女と日常会話をするふりをして情報収集をする。体調はどうだとか、最近変わったことはないかとか。
ニコニコと楽しそうにしている彼女を見て俺はますます不思議に思っていた。彼女が死ぬような未来が見えないのだ。やはり俺の杞憂だったのか。だがあの夢はそう思わせないほどの現実感があった。まるで一度見た記憶のような・・・・。そう思っていたところで俺たちの足が止まる。彼女の家はもう目の前だった。
「着いたな。じゃあ俺は、」
「あのさ、大丈夫?」
無事家に着いたことに安堵した俺はその足を自分の家の方へと向けようとしたが、制服の袖がくいっと引っ張られ彼女に引き留められる。俺はなにも悟られないようにできるだけ自然な笑顔を作る。
「なにが?」
「今日、なんか変だよ。いきなり家に来たり、一緒に帰ろうって言ったり。それになんかずっと考えてる感じだったし・・・」
彼女の言葉にフッと息が漏れる。分かっていたけど全然隠せてなかったなあ。
「あ、い、嫌だったとかじゃないんだよっ!ただちょっと心配で、」
俺の笑いになにか不安に思ったのか美波は俺の服を離して弁解し始める。そうか心配してくれていたのか。俺が不安になることで不安にさせていたのか。
俺は嬉しくなって今度は本物の笑顔が浮かばせる。
「美波」
「ひ、ひゃい!?」
「大丈夫だ」
「・・・・・そっか」
俺の言葉になにか納得したように美波は返してくれる。それ以上彼女は俺に深く聞いてくることはなかった。
「じゃあさ、明日空いてる?もし予定が空いてたら、明日二人で海を見に行かない?」
ああ、そういえば今日はまだその約束してなかったっけ。夢のことで頭がいっぱいになっていてすっかり忘れていた。答えは決まっているから時間をかけることはないけど、少し気になることはある。
「お前、引っ越しはいいのか?」
「うん、荷物だけなら運んでくれるって。・・・・あれ言ってたっけ?」
「いや、家の中見てな、なんとなく。・・・・・じゃあまた明日な。」
「うん!後でメールするね!」
彼女の元気そうな声を聞いて俺はいつも通り帰路につく。ここからは俺に出来ることはない。今まで通り、同じ夜を過ごすだけでまた今日に戻る・・・・。
「あ」
それに気がついたのは夜、いつかのときと同じようにやけに寝付けない夜だった。今日の進捗がないことを思い返していた時だった。
俺は起き上がり、蛍光灯の電源を入れる。スマホの確認。時間は11時58・・・59分へと変わる。俺は今までの漠然とした不安の理由を今更理解し、直後体はガタガタと震えだす。嫌な汗が流れるのを感じながら俺は時計のアプリのマークの秒針を睨みつける。後5秒、4、3、2、1
ピコン
着信音と同時に心臓が大きく跳びあがる。驚いて俺はスマホを手から滑り落とすがすぐさま拾い上げて、その画面を覗き込む。
着信なし。そして日付は・・・・7月15日
俺は今までに感じたことのないほどの安堵のなか、ドサッと仰向けに布団の上へ倒れこむ。これでなんとか生き残った。
なんで気がつかなかったんだろうか。いつか救えるそんなことを思っていた。それは俺がループの中にいたからだ。そう、いつ終わるか分からないのに。
慣れすぎてすっかり忘れていた。本来これはあり得ないことなんだ。明日のことをいつか救えるなんて思うことが。
最も重要なことはこのループがいつ終わるか分からないこと、つまりあいつが助かるまでループが続くという確証はどこにもなかった。
俺は俺の目の前にあった未来への光が、未来の期待が希望が急速に光を失っていくのを感じた。そうだ、あいつからしたら絶対に生き残るって確信できるまで明日は来ちゃいけないんだ。たとえどれだけ大切な約束をしていたとしても。
いつかなんて考えてはいけなかった。思わず俺は布団を握りしめる。
俺は明日が来るという至極当然のことに恐怖を感じ、そしてこれをループが終わるまで・・・あいつを助けるまで終わらないということを悟り、眠れない夜を過ごした。
45日目~
「おはよ」
「おーおはよ・・・ってお前どうした!?」
学校に着いた俺の声に陽太はこちらへと顔を向けるがまるで化け物でも見たかのように驚いて、スマホを内側カメラ状態にすると俺の方へと向ける。
そこに映っているのは化け物、ではなく目元にくまを作った俺の顔だった。そういえば母さんにも、奏にも、美波にも驚かれたなあ。
あれから結局一睡も出来なかった俺は朝、7時ごろに美波にメールを送り、一緒に登校してきた。もちろんなにか分かるんじゃないかと思ったからだ。まあ結果は何も分からずじまいだったけど。
幸い、授業は同じものを何十回としてきたから寝落ちしてしまっても問題ないだろう。なにより
「大丈夫、死ぬよりましだ」
朝、美波と登校し、聞き覚えのある授業を受け、昼飯を屋上で食い、海に行く約束をし、また授業を受けて、時々寝落ちして、そのたびに怒られながらもしっかり答えられるから先生は文句を言えず、放課後は美波と過ごし、家まで送っていく。
そんな日を繰り返し過ごした。俺に出来ることは可能な限りみんなの前ではいつも通り過ごすこと、そして彼女を守ること。それ以上に出来ることを見つけられなかった。
毎日毎日明日が来てしまうんじゃないか、あの夢が本当のことになるんじゃないかと恐怖に押しつぶされるような夜を過ごし続けた。周りには心配されながらも大丈夫だとかすれた声を出した。けれどなんの成果も得ることはなかった。助ける見込みが見つからないまま次の15日へ、次の15日へと時間は円環を描きながら流れ続けた。
もういっそあれを夢だと割り切ってしまいたかったけれどもし本当に起きてしまったらと思うと、どっちにしろ眠ることは出来なかった。それにもう二度と俺は直せた繋がりを切りたくなかった。
10日たって俺はあの約束が原因なんじゃないかと思いだした。だから俺は彼女の願いをあえて断った。それが美波のためになると思ったから。
だがそれも3日と続かなかった。結局ループは終わらなかったし、なにより断ったときの彼女の顔があまりにも残念そうだったから。その後に言う「気にしないで」という言葉からも罪悪感を感じてしまって、俺から断るという選択肢を奪っていた。あいつにその気がないとしても、だ。
そう、あいつには悪気はない。でも、あいつの嬉しそうな顔を、笑い顔を見るたびに俺はそれを愛しく思ってしまう。そしてますます失うことが怖くなってしまう。
この状況が神の悪戯だというのならばきっとその神は性格が悪いに違いない。なにせあいつとの縁が戻ったとき、あいつを好きになった瞬間にあの夢を見せてきたのだ。失う事が怖いくせに、あいつと関わりたいんだ。好きになればなるほど、間に合わなかったときのことを考えて怖くなる。
誰かに相談できるようなことでもなくって、そうして眠れない日を10、20と過ごした。俺は限界が近くなっていた。
「大丈夫?」
何日目か分からなくなっていたときの放課後、「帰りも一緒に」と伝えていた美波は机にふせた俺の顔を見て心配そうな顔を向ける。「大丈夫だ」と何度も何度も出したはずの言葉が出てこない。心配そうに彼女は俺の体調を確認するためかその柔らかな手で俺の頬に触れた。
頬に触れた手はあまりにも冷たかった。まるで死体のように・・・・
パシッ!
俺はまた無意識に彼女の右手を弾き飛ばした。いや無意識ではないかもしれない。俺は限界だったのと、なによりその優しさにある種の恐怖を感じたんだ。
俺は彼女を、拒絶してしまった。
いつかのように呆ける彼女。いつかのように俺はその手をもう一度取り直せばよかった。でも俺はその手を握れるほどの勇気は、なかった。
「あ、あ・・・・っ!」
俺はわけのわからない言葉を発した後、自分の座っていた椅子を後ろに飛ばして立ち上がるとカバンを掴んでちらりと美波の顔を見た。
その顔には今までに見たことがないほどの深い絶望が、悲しみが浮かんでいた。きっと俺たちは同じ顔をしていただろう。俺は皆の視線が注がれる中、逃げ出すように走り出した。
誰かの引き留めるような声を無視して、階段を駆け下り、校門を出て、俺は家へと戻った。俺は遊びに行こうとしていた奏から鍵を奪い取るようにして家に入り、自分の家へと入るとカバンを投げ捨て布団へとふせる。
やってしまった。俺は彼女にあたってしまったのだ。彼女を助けたいと思っていたのに、それなのに俺は美波を傷つけてしまった。深い深い後悔のなかで俺はスマホの着信音を耳にする。スマホを覗き込むとそこには美波からの連絡。
そうだ、ここで謝れば・・・・・スマホのボタンを押そうとするが震えた指ではまともに打つこともできない。いやそもそも謝って許されるようなものでもない。いつの間にか俺の目からは涙がこぼれていた。
歪んだ視界で俺は取り返しのつかないことをしてしまったと後悔し、そして思った。そうだ、どうせ明日は来ないじゃないか。
この時俺は初めてループというものに本心で頼った。自己中な理由で俺は明日が来ないことを願った。俺は今までの分を取り返すように、深い深い眠りのなかへと落ちていく。
俺の目には美波のあの悲しそうな顔がこびりついて消えることはなかった。
68日目
何度聞いたか分からないスマホのアラームを止める。俺は動く気が起きなかった。今日は7月15日。彼女はもう俺の行いを覚えていない。それでも俺はあいつと顔を合わせる気にはなれなかった。
だから俺はその日、7月15日初めて学校を休んだ。母さんに聞かれても体調が悪いと仮病を使った。母さんはなにも聞かなかった。多分なにかしら気がついているとおもう。
俺はなにもする気になれず、冷蔵庫に入れてあったゼリー飲料を腹に入れてもう一度布団にくるまった。
目をつぶる。今日あいつが生きているのは分かっているから寝ることに躊躇いはない。ぬぐい切れない絶望から目をそらすように俺は何度も眠った。
「お兄ちゃん、調子は?」
声をかけられて俺は布団から顔を出す。そこには学校に行っているはずの奏の姿があった。手にはお椀が乗せられた盆を持っている。
「お前・・・学校は?」
「なに言ってんの?もう終わったよ」
もうそんな時間か。時計を見る気にならなかったから気がつかなかった。まあどうでもいいや。もう一度布団に入ろうとした。
「お兄ちゃんなんも食べてないでしょ、ほらおかゆ」
欲しくない、そう言おうとするが体は正直なものでぎゅるると腹が鳴る。手渡された盆を下半身を横にしたまま布団の上で食べる。これは、母さんの味だ。仕事の合間を縫って作りに来てくれたんだろう。
俺が罪悪感を感じていると、ピコンと着信音。俺のスマホではない。奏はポケットからスマホを取り出すと、驚いたような顔をしてこちらへと顔を向けた。
「お兄ちゃん、美波さんが。お見舞い行っていいかって」
ああ、そういえば連絡先交換してるんだっけ。だがあいつは覚えていないのに俺はどんな顔をして会えばいいのか分からない。顔の合わせづらい俺は「無理」とだけ奏に返した。奏はじぃーっと俺の顔を見やる。そして奏は俺の寝ている布団の隅に腰を下ろす。
「お兄ちゃん、美波さんと何かあった?」
あんまりそういうことを聞いてくるようなやつではなかったので俺は驚いたが同時に母さんと同じく察しのよいやつだったと思いだす。
その言葉はすべてをため込んでいた俺に対して救いであり、同時に俺を弱くなっていた部分をついていた。そして俺はどうせ忘れるならとほんの少しだけ俺は吐露してしまった。
「なあ・・・・もしもお前が喧嘩、違うなこっちが悪いんだから・・・・友達を傷つけて、もし次の日会った時になにもかも忘れたみたいに接してくれたらどうする?自分が悪いんだと思いながら、それを責められることがないならどうする・・・・」
限界の俺はただ出したかった言葉だけを羅列したような変な、しかし本心を明かした。自分よりも幼い妹に聞くなんてかっこ悪いと分かっている。きっとわかってもらえないと分かっている。けれど、俺はどこかに吐き捨てないとどうにかなってしまいそうだった。
俺が今一番怖いのはあいつの死ではなく、彼女を傷つけたままであること。
そんな俺の言葉を笑うことも、疑問を口にすることもなくただ黙って聞いていた後、奏は少し考えた後口を開いた。
「私は謝るかな」
「相手は忘れているのにか?」
「自分は覚えているんでしょ?だったらきっとずっと後悔するし。それにもし謝らなかったらこの先きっと本心で向き合えなくなっちゃうと思う。ずっととげみたいなものが刺さっちゃって仲良くできないと思うんだ・・・・・ってのでどう?」
明らかに逆転した立ち位置で俺たちは自分の意志を伝える。多分、母さんでも、陽太でも出来なかった。ため込むことがこんなにきつくて吐き出すことがこんなに楽になるなんて初めて知った。
そうか、たとえあいつの生きる未来があっても仲良くできないような、そんな未来はまっぴらごめんだ。
「そうか。・・・・・奏ひとつ頼みが」
「なに?」
「あいつに・・・美波に連絡してくれ」
どう、とは言わなかった。けれどすべてを察したように「OK」と答えた美波はスマホを操作した後、俺の食べ終わった食器に手を取り、部屋を出ていく。
俺の家のチャイムが鳴ったのはそれから10分ほどしたときだった。
コンコンと俺一人、静かな部屋にドアをノックする音が響いた。俺がなにか答えるよりも早く扉はほんの少し開かれた。窓からの陽ざし以外の光のなかった俺の部屋に僅かな電光が入り込む。その隙間から申し訳なさそうに美波が顔をのぞかせる。
俺に驚きはない。逆に来客であるはずの美波のほうがおどおどとした様子で一向に入ってこない。俺がその空気を破るために手招きをしたことでようやく彼女は足を踏み入れる。
「えっと、ごめんね。突然来て。はい、これ今日のプリント」
学校から直接来たようで制服姿の美波はカバンから透明なファイルを取り出すと、数枚のプリントのはさまれたそれを手渡してくれる。正直特に必要なプリントはなかった記憶があるがせっかく持ってきてくれたので礼を言って手元に置いておく。
さて、どう切り出すべきか・・・・そう俺が考えているとき、床で正座をしている美波が落ち着きがなさそうにキョロキョロと視線をあちこちに飛ばしている。
「えっと、どうした?」
「え!?・・・・そのー、は、初めて入ったなって」
なにに?と尋ねそうになったところで思いだす。あぁ、そういえば俺が自分の部屋を貰ったのは中学2年のとき。そのときにはもう・・・・。
「面白いものはないぞ?」
「そういうことじゃないのだけど・・・・・」
面白みのない自分の部屋のなか、俺の言葉に美波はなぜかため息をつく。解せぬ、っといかん。このままではいけない。せっかく恥を捨てて妹に機会を貰ったのだ。このままうやむやにしてしまっては昨日と同じになってしまう。
「あー美波、さん」
「ん?」
思わず敬語になってしまったがそれほどまでに俺は緊張していた。自分で声をかけたはずなのに次の言葉が出てこない。不思議そうな顔をする美波は俺の心の内にある気持ちを知るはずがない。この逃げ出したくなるほどの罪悪感を。それでもこれから先お前の隣に胸を張って歩けるように、
「ごめん」
約1日ため込んでいたはずの三文字はあっけなく俺の口から飛び出した。いきなりの謝罪に美波はポカンとしている。これでいいんだ。覚えていない彼女にとってこれは必要のないことで、これは俺の自己満足だ。それでも俺は自分の身体が軽くなったように感じた。
「なにが?」
「いや・・・・・・・・・手間かけさせたなって」
俺の気のせいか、それとも後ろめたいせいかどこか責めたような口調に聞こえたその言葉に返す言葉に俺は長考の末、今のこいつには関係のないことだと本当のことを伝えずに適当な言葉を繋げる。
「ああ、そのこと。大丈夫。こっちこそ体調悪いのにごめんね」
その彼女の言葉になにか違和感を感じた。いつもならきっと気にも留めないだろうに、彼女の行動に、言葉に神経をとがらせていた俺に小さな針が刺さったような違和感を与える。
「なあ、昨日のこと覚えてるか?」
「昨日?昨日は7月14日、木曜日。授業は化学、地理・・・・」
もういい、と俺は彼女の言葉を遮る。正直な話もう7月14日の記憶なんて俺は覚えていない。答え合わせもできない問いなんて無意味だ。
あれ、俺が聞いたのは・・・・
「じゃあ、今度はこっちの番。6年前の明日、7月16日を覚えてる?」
「そんなこと覚えてるわけ・・・」
「だよね」
俺の思考を邪魔するように彼女の投げかけた質問。俺は6年前という言葉から考えることもせず否定の意を唱える。そう、覚えているはずない・・・・なのに彼女は悲しそうに、静かに笑った。馬鹿らしいとあざ笑うように。からかわれたのだろうか。
「あ!そういえば明日ヒマ?暇なら海を見に行かない?」
「ん?ああ、それはいいけど」
大声をあげ、突然表情を変え、楽しそうな彼女に今までの会話を忘れるほど驚く。しかしいつものあの言葉だと気がつくと俺もいつも通りの返し。
それから彼女は俺の連絡先を登録するともう用は済んだとばかりにカバンを持ち上げ部屋を出ていこうとする。俺はベットから立ち上がり、見送ろうとすると彼女は扉の取っ手を握ったまま俺の方を向く。いきなりの視線に身体が止まる。
「あの坂を越えて海を見に行こう」
彼女は小さな声でつぶやいた。俺に聞こえるかギリギリの小さな声だった。いつもとは少し違う言葉だ。・・・なのに俺の耳はなぜかその言葉に覚えがあった。いや覚えがあるのは俺の、
「その言葉、」
その言葉の意味を尋ねるよりも早く彼女は部屋を出ていく。俺は金縛りにあったような体を無理やり動かして、美波の背中を追いかける。放心状態だったからか気がつけば彼女はもう玄関の扉に手をかけていた。
「待てっ!」
ビクッと俺の大声に彼女はこちらを向きながら僅かに体を震わせた。驚かせてしまった、と先ほどまでのことを忘れて俺は「手、大丈夫か?」と聞いた。自分でもなぜ今そんなことを聞いたのか分からない。それよりも聞きたかった言葉はあったはずなのに。
驚きながらも彼女はひらひらと右手を振った。大丈夫だと暗に示しているのだと気づいた。「また明日」と手を振っているのだと気づいた。そしてもう一つ彼女のことをまた一つ知った。
「あれ?美波さんもう帰っちゃった?」
「ああ、ついさっきな」
「お兄ちゃん、体調はもういいの?」
「もう、大丈夫だ」
俺のを聞いたからだろう奏がリビングから顔を出す。考えればこいつのおかげでしっかり謝ることができたな。わしゃわしゃと扉から小さな頭を撫でる。
「なにしてんの?」
「んー、お礼?」
「なんで疑問形なの・・・ていうか髪乱れちゃうからやめて」
俺は奏の頭を撫でながら、考える。
とりあえず一安心、とは言えない。結局なにも変わっていないのだから。これからループが続く限り俺はあの確証のない未来を変えるために動き続けなければいけないのだ。
「お兄ちゃん本当に大丈夫?」
黙っていた俺に奏が心配そうに声をかけてくれる。
「大丈夫」
なにも手は見つかっていない。なにができるかわからない。それでもこれ以上弱さは見せたくない、そういう意志で答えた。
奏は心配そうにしていたがすぐに切り替えて笑っていた。
「そっか・・・・じゃあ夕飯の準備手伝ってね」
外からの光は白からいつの間にか赤へと変わっていたことにいまさらながら気がついた。奏のその言葉が最初からそう言うつもりだったのか、それとも俺を気遣っているのか・・・・後者であってほしいものだと棒のようになっていた足でキッチンへ歩き出す。
そんなときピコンと不意に着信音が鳴った。俺はスマホを上に置いてきているから鳴るなら奏のほうだろう。案の定、奏のポケットからその音は鳴っていた。奏はそれを見ると画面をいじることはせずそのままポケットに突っ込む。
「返事返さなくていいのか?」
「いいの」
短く答えた奏はどこか嬉しそうだった。そのまま二人、キッチンに並び立ち俺が冷蔵庫から食材を取り出そうとしたとき、「よかったね」と背を向けまな板を用意していた奏がつぶやいた。
「ありがとう?」
「お兄ちゃんには言ってない」
じゃあ誰に言ったのさと聞きたいが、聞くべきではないとなんとなく感じた。なんとも聞いたことのあるフレーズだった気がする。デジャヴというやつだ。もう薄れ始めた最初の方の7月15日の記憶にそんな掛け合いをした覚えが・・・・。
冷蔵庫を開けるといつもと違うことに気がつく。今日まで手伝っていなかったから気がつかなかったが、まず開けたときにいつもと違う匂い。そして目につくのは今日の分ではないであろう大きな鶏肉。そして、
「ん?これ・・・・」
「え?・・・・あ!待って!やっぱ手伝いはいいから!」
「は?ちょ、」
俺が冷蔵庫で見つけたそれを触ろうとした瞬間、ぐいっぐいっと急に慌てだした奏に強く押され、俺はキッチンから追い出される。ぽつんと一人廊下に立たされる俺。まるで宿題を忘れたどこかの主人公のような気分だ。
「なんなんだ?」
俺の言葉に答える人はいない。俺の手には丸い金属の型から移されたひんやりとした感覚とほのかな甘い香りが残っていた。
69~
結局、冷蔵庫の中身に関してははぐらかされたまま次の7月15日へと進んで、いや戻っていた。
いつまでたっても明日が来ないままで、手は見つからないまま。変わったことは夜眠れるようになったことだけ。
夢はあの日以降見ていない。薄れゆく悪夢をたった一つの手がかりにして今日もあいつの生きる道を探し続ける。
「犯罪者情報・・・・なし、明日の天気予報・・・晴れ、震災、はないか。葬式なんてできるはずない。だったら・・・」
夜中、俺は机に向かってスマホであらゆる可能性を考え続ける。一つ可能性を考えて、そしてそれを潰す。それの繰り返し。
今日はあいつに謝れた日から19日、明日でちょうど20日だ。考え事をしていると時間は雨の降った後の川のように速く流れ、過ぎ去っていく。
俺は最近感じるようになったことがある。それはあの悪夢が現実となるのはそう遠い日ではないということだ。なぜ、と言われればなんとなくだ。
「大丈夫。未来が見えるなら、変えられる」
そう自分に言い聞かせて俺は拭い去ることのできない重圧と不安を抱えながら、あいつの救われる道を探し続けた。
自殺か?でも今まで100近い日を過ごした中でそんな予兆を見ていない。俺を海に誘ってきたことに関係が?
「くそっ」
俺は空に向かって悪態をつく。空は俺の気持ちなんざ知ったこっちゃないといった風に雲を流し、俺に時間の流れを嫌なほど伝えてくれる。
「大丈夫か?お前。授業中も話聞いてなかったし」
逆に俺の体調を心配してくれているのは陽太。俺を心配してくれているのは本当だろうがその視線が俺の弁当に向いているのをちゃんとわかっている。
「ほらよ、俺腹減ってねえし」
「おお!サンキュ」
箱ごと昼食を陽太に渡すと、遠慮することなく彼はそれに口をつける。俺は屋上の金網に背中を預け、少しでも体が休まる態勢をとり、ため息をつき、とある方向に視線をむける。もちろん理由はもうすぐあいつが来る時間だからだ。
「ん?どうした?」
「もうすぐだなと思ってな」
陽太がそれ以上の疑問を口にするよりも早く、バーンと叩き開けるようにその扉が開かれると俺が待っていた、正確には来ると分かっていた川崎美波が現れる。その黒い長髪と整った顔立ちは屋上にいた生徒の視線を集めるほどの魅力を放っていた。が、美波はそんなこと気にも留めず迷うことなくこちらの方へと歩いてくる。
お前が呼んだのか?と目で尋ねてくる陽太に、いいやとアイコンタクトと首振りで答える。長い付き合いのおかげでこの程度の意志疎通簡単なこと。
目の前に立った美波の目はまっすぐにこちらを見ていた。
「ねえ、明日海を見に行かない?」
毎日毎日この言葉だ。俺はループの中で俺とかかわりのある人物の行動は変わることが分かっていた。美波だけではない。奏も、陽太も、林も・・・・。
それなのにこの言葉だけは変わることなく俺に伝えられる。来ない明日に海を見に、その約束はループで明日が来ない俺にとっても、あの未来が来る彼女にとっても、とても重い約束。しない方が楽だと分かっている。だってこれを断るだけでこの後の美波との関りは薄くなり、結果薄くなった関係は失った時の悲しみを和らげてくれる。
それでも、俺は断ることが出来ない。俺が今日まで生き延びれた理由が、精神をギリギリまで保てた理由がそこにあったから。
「ああ、行こう」
彼女は嬉しそうに笑った。そうだ。彼女の笑顔が見たいから、悲しい顔を見たくないから。明日なんて関係ない。ただ今彼女のその顔のために俺は今日もその約束を結ぶ。
美波が去った後、俺と陽太はその場に置いて行かれる。陽太に関しては今なにが起きているのか分かっていないだろう。
ふと、俺はその疲れ切った体からか細い声で陽太に聞いた。
「なあ、お前未来見えるか?」
「はあ?何言ってんだよ、見えるわけないだろ」
「じゃあさ、もし一年後の未来が分かったら・・・・なにかするか?」
きっと陽太には俺は頭のおかしいやつに思えたかもしれない。けれど俺の聞いたときの声があまりに真剣だったからか陽太は笑うことなく答えてくれる。
「なんもしねえよ・・・・変わるかわかんねえし、今やっても仕方ないだろ」
俺は大声で笑った。おもっ苦しいループのなかで本当に久しぶりに心から笑った。俺の突然の笑いに気でも狂ったかと陽太はぎょっとしている。それでも俺は自分の馬鹿らしさに笑う。
それが近い日だったからどうにかなるんじゃないかと錯覚していた。一日後も一年後も、未来という括りでは変わらないのに。
「陽太!」
「おっ、おう!?」
「弁当全部やる!代わりに・・・・・・」
俺は陽太にとあることを頼む。最初陽太はあっけにとられていたが深いことは聞かずに、俺にそれを渡してくれた。立ち上がり、駆け出す。屋上の扉を開き、階段を駆け下りる。あいつはどこに・・・
「わっ!」
「いたっ!」
踊り場を一つ駆け下りたところで俺は人影にぶつかりそうになる。その人影が俺の求めていた人物であることに気づいた俺の声と、人影の驚いた声が同時にあがる。
「どっどうしたの!?」
そこにいた人影・・・・川崎美波は驚いた声のまま聞いてくる。言いたいことはいっぱいあるけどそれは後、まずは俺の目的を話す。
「あのさ、明日のことなんだけど」
「え、やっぱ無理?それなら・・・・」
違う、そうじゃない。明日じゃだめだと気づいた。俺は少し未来を見ただけ。なにかできるなんて思い上がりもいいところだったんだ。必ずしも平和な明日が来るなんて、そんなの決まってないって嫌なほどわかってしまったんだ。未来はなにをしても変わる保証はなかった。
「今日じゃだめか」
「え?」
「今日見に行かないか?あの坂を越えて、海を見に」
そう。変えられるのは、何かできるのは・・・・今しかない。
明日が来ないなら、今日するんだ。
俺たち二人しかいない階段、静まり返ったその場で美波はただただ驚いている。ここで断られれば俺の出来ることは・・・もうない。俺の言葉に美波は小さな声で答える。
「いい、よ・・・?」
悩んだままの、流されたような答え方。それでも俺はガッツポーズでもしてしまいそうな気持だ。初めて女子をデートに誘えた。ようやく彼女の嬉しそうな顔の理由を理解できた。俺は「じゃあ、行こう」と彼女の手首を握りしめ、歩き出す。
「!?」
彼女の驚きが腕の温度から、震えから伝わってくる。俺は彼女の顔も、周りの視線も気にせず彼女が転ばないほどのスピードで引っ張っていく。強引だろうが急がなければいけない理由はある。
「いまから行くの!?」
「今から行かないと暗くなっちまうだろ」
そう、俺たちの向かう「海」は往復で歩いてまる一日かかってしまうほどの距離。だから彼女は明日と言ったんだろうが・・・・悪いが俺は今日行くことに意味があるのだ。
「ほ、ホントに今から!?授業はどうするの!?」
その疑問は最もだ。昼食の時間の後も俺たちはまだ受けるべき授業が残っている。だがそれが終わってからでは遅い。無理を言っているのは分かっているが許してほしい。それに
「小学んとき何度かやったろ!それに・・・大丈夫」
なんてったって俺は午後の授業を100近い回数受けてきた。まったく同じ授業を、だ。教師の言葉を一言一句間違えずに教えろと言われたとしても大丈夫。
あの授業を聞き続けた時間は、無駄ではなかった。むしろこの時のための予習であり、復習であったんだと思えてくる。何を言っても俺が説得されることはないと気づいたからか美波はそれから黙って俺に手を引かれていた。
「はあ、なんで・・・ってそれ」
「陽太に借りた」
俺は引っ張ってきた美波を校門で待たせてとあるものを取ってくる。それは自転車。もちろんちゃんと借りるむねは伝えた。
美波を荷台に座らせて、俺はサドルにまたがる。さあこぎ出そうといったところで、
「おい!なにをしている!」
少し遠くから聞こえてきた誰かの声。おそらく教師だろうが二人乗りに関して怒っているのか授業が始まりそうなのに外にいるから怒っているのか・・・・どうするの?と後ろの美波が座ったままで目をこちらに向ける。もちろんやることは一つ。
「逃げるぞ」
「え」
「しっかり捕まってろよ」
「まっ!」
ハンドルを握り、ペダルに乗った足に力を入れる。そして思いっきり足を回転!カラカラと心地のいい音を響かせて自転車が前に進んでいく。動き出したからか美波はギュウと俺の腰に腕を巻いてしっかりホールド。
大きくなりそうな心音を運動のせいにするためにより力をこめた自転車は彼女の驚きも、教師の怒鳴り声も、チャイムの音も置き去りにしていった。
「ぜえ、ぜえ・・・・・」
「・・・ねえ」
美波を学校から連れ出して小一時間、のはずだ。今はもう時間間隔はない。ただ俺の疲れがそれほど長い時間が経ったのではないかと感じていた。そこまで傾斜の大きくない坂道ではあるがそれでも自転車、ましてや二人乗り。もう後ろの彼女に声をかける余裕はなかった。まあ初めから無理やり連れてきてしまったようなことになってしまったことに負い目を感じてしまって話なんてできてなかったけど。
そして今、俺の息切れと車輪の回る音をBGMに後ろに捕まっていた美波がようやく口を開いた。
「もう、歩かない?わざわざ自転車使わなくても、」
「うるせー、黙って後ろ乗ってろ」
「あー、もう!」
「わっ!何すんだ!?あぶねえ!」
正直乗ってしまいたい提案。しかし断固拒否する俺に対して美波は今日初めて怒りをあらわにすると、腰を掴んでいたその腕を俺の頭に持ってくるとわしゃわしゃと俺の髪を乱してくる。突然のことに自転車のハンドルが右へ左へとぶれるのを慌てて補正する。道の先に誰もいないことを確認して僅かに後ろを向く。すぐそこにあったのは美波の不機嫌そうな顔。
「なにを・・・」
「うるさーい!なんで今日なの!?なんでそんなに自転車にこだわってんの!?いきなり誘ったのは私も同じだけどさ!?でもわざわざ学校サボってまで行く必要ないじゃん!なんも教えないで引っ張ってきちゃうしさぁ!」
俺は唖然とする。ここまで怒って、わめいて、不機嫌な美波は見たことがない。いや、見たことはある。それはループのなかではなく遠い昔、俺と美波がまだ仲が良かったころ、よそよそしい雰囲気など微塵も感じさせなかったあの懐かしい日々で見た覚えのある顔だった。
説明する余裕がなかったとはいえ説明が少なかったことで困らせてしまったことの後悔と同時にその顔に懐かしさを感じ、俺は前を向きなおす。無視されたと思ったからか美波が俺の髪を引っ張る。
「悪かったよ」
「なーにーがーよ!」
「今日突然引っ張ったこととか、今日まで話しかけなかったこととか・・・・それと、車じゃないこととかな。」
興奮していた美波の手がピタッと動きを止め、わめいていた口も言葉を話すのをやめた。唖然として、最初は何を言っているのか分かっていない様子の美波だったが、ほんの数秒でその意味を理解したのかその口元から息が漏れ、ぽつりぽつりと言葉へと変わる。
「覚えて・・・いたの?」
振り向かなくても分かるほどの動揺。俺はなにも答えられない。覚えていたか、と聞かれればついこの前まで忘れてしまっていたのだから。
それは彼女の言った「6年前の7月16日」のこと。あの時、美波は母親と喧嘩をして俺の家に来ていた。家出ってやつだった。理由は覚えていないけれどたぶんどうでもいいようなことだったと思う。子供の頃ってのは親の言葉には反抗したくなるものだからな。
不機嫌な彼女は俺の母さんの言葉にも聞く耳を持たなかった。そんな彼女の気を紛らわせたいと思った子供の頃の俺がやったのが海へ連れていくことだった。その時に言ったのがあの言葉だった。
「あの坂を越えて、海を見に」。そして彼女は俺の手を握った。乗り物を使っても2時間程度はかかるような場所だ。徒歩で、それも子供の足でたどり着けるわけがなかった。何時間かけたか夕方にたどり着いたのは坂の頂上。彼女の手を握り、疲れ切った足で坂の上から見た夕日に照らされた海。それ以上のことはもうほとんど覚えていない
大きくなったらこの先の海に行きたいと言った彼女に、歩くのは疲れるから車に乗ってと約束をしたことを彼女に言われてようやく思いだしたのだ。
はっきり言ってなぜ美波がこの約束を覚え続けていたのか俺には理解できない。ただそれほどまでに彼女にとってあの約束は重いものだったのだということは分かった。
美波は俺が覚えていたことが嬉しかったのか腰に手をまわすとギュ―っと抱き着いてくる。ほぼ毎日目にしていたはずなのに今更ながらに彼女も体のいたるところが大きくなっていることに気づく。それだけにとどまらず彼女はほぼすべての体重を俺に預けると、その小さめの頭を俺の肩へ置く。長い黒髪がうなじに当たってくすぐったい。
俺は彼女をだましているような罪悪感を感じた。俺はお前とは違って覚えていなかった、お前に言われなければ思いだせなかったと。そんな意識を振り払うようにハンドルを握りしめ、前を向く。
ああ、周りの人たちが俺たちを見て笑っている。俺の目は前を、坂の先しか見えていない。後ろにいる君はどんな顔をしているだろうか。照れているのだろうか、それとも本当はまだ怒っている?・・・・それとも嬉しそうに、笑っているだろうか。そうだといいな、そう思った。
日が少しずつ沈んできた頃、ついに坂の頂上、あの約束の場所へとたどり着く。疲れ切ったこの足はもはや「弱さをみせられるか」という意地だけで動かしていた。ペダルから落ちそうになる足を踏ん張って止める。目の前の道の先にはいくつかの道路標識。そして
「うわぁ」
後ろに乗っていた彼女が感嘆の声をあげる。俺も声につられて下から上へと視線を飛ばす。コンクリートの地面から速度指示の書かれた下り坂へ、今までと同じような坂道に沿って並んだ住宅街、そして坂のふもと、別世界のような港町そしてその先に広がる真っ青な世界。落ちかけた日が海を照らし、俺もつられて息を漏らす。
「ようやくここまで来たね」
「ああ・・・そんでここからが、約束の続きだ」
思い出に浸るのもそこそこに俺はペダルに足を置きなおし、ハンドルをブレーキ含め手のなかに。ここから先は下り坂。疲れはしないが転ばないように注意して進まなくてはならない。
「しっかり捕まってろよぉ!」
「うん!」
彼女の声に背中を押されるように俺はペダルを踏みこむ。僅かに乗りあがった前輪。そして下り坂に入り、カラカラカラと車輪の音を響かせて少しずつ俺たちを加速させていく。上がりすぎないようにブレーキを緩やかにかけながら海へと近づいていく。
ガタンと僅かな道路の段差で自転車が揺れる。そのたびに美波はより力を込めて俺に捕まり、風に揺れた髪が俺の首筋をくすぐる。
「もっとスピード上げて!!」
彼女の楽しそうな声。言われるがままにブレーキを緩めると、ぐんぐんその速さをあげ、坂道に整列した家々がが背中の奥へと消えていく。彼女の、俺たちの思い出は少しずつ着実に遠ざかっていく。あの坂の上で止まっていた俺たちの足は6年の時を経てようやく前へと進みだしたのだ。
last date and first date
坂を下り終えると並んでいたのは港町。そこから俺たちは歩いて目的の場所へと向かうことにした。道が細かったし、ここまで来て警察に捕まるなんてことになりたくない。自転車を引き、途中コンビニなどを寄りながら夕日が沈みだした頃ついに俺たちはたどり着いた。
「早く行こっ!」
自転車を邪魔にならない場所に止め、鍵を抜いたところで美波に手を引かれる。石でできた堤防から急な階段をおりてようやく俺たちは砂浜へと足をつけた。目の先には無造作に並べられた消波ブロックと遊泳禁止の看板、そしてどこまでも広がる海。近づいて分かるが思ったよりも汚い色だ。上から見たときの神秘的な青はなく、泥の混ざった茶色。しかし不思議と落胆の意はなかった。
棒のようになった足は目的地に着いたことでついに耐えきれなくなり、俺は崩れ落ち、砂浜へと仰向けで倒れこむ。髪に制服に、砂がつき砕けた貝の欠片がちくちくと刺さる。すると俺の頭が砂浜から持ち上げられたと思うと何か柔らかいものの上に落とされた。俺の上を向く目が美波の下向きの目とあう。
「なにしてんだ?」
「お礼。ここまで自転車こいでくれたでしょ」
俺は自分の首の力を抜き、彼女の膝の上へと頭をおろす。砂が刺さって痛いだろうに彼女は嬉しそうにするとその目線を俺たちの前、海へと向けた。遠くを見つめる彼女の目はどこか悲しそうだった。
「あんまり綺麗じゃないね」
「ああ・・・・そうだな」
「でもね!あんまり残念じゃないんだ!・・・・時間が経ちすぎたからかな。そんなに来ることが嬉しくないのかもなぁ、ってごめんね。せっかく連れてきてくれたのに」
「いや、違う」
「え?」
俺は彼女の言葉を否定する。覚えていなかった俺が言うのもあれだが6年も覚えていたこの約束がそんな軽いものだったはずない。確かに「海に来る」という目的はうすくなっていたかもしれない。しかし、それでも覚えていたならきっとその先のなにかがあったからだ。
「きっと大事なのは、ここに来ることじゃなかった。大事だったのは誰と来るかだったんだ」
「!・・・うん、そうだね」
少しの間、海風の中で静かな時間が流れた。夏が近づいているとは思えない肌寒さを感じながら、新しい思い出の景色を脳に刻み込んでいた。そうして長いようで短い時間が流れ、日がほぼ沈んだときおもむろに彼女は自分のカバンから小さな包みを取り出した。綺麗にラッピングされたそれをそっと寝そべった俺の胸元に置いた。
立ち上がろうとするが、名残惜しそうに頭を押さえつけられたのでそのままの態勢でその袋に手を伸ばし、中身を取り出す。
「これは・・・ネックレス?でも、なんで」
「誕生日プレゼント。明日誕生日でしょ?だから」
俺の手元には銀色のチェーンで出来たネックレス。彼女に言われてはじめて気づく。そうだ。明日の7月16日は俺の誕生日だった。自分の誕生日を忘れるなんてばからしいことだが、それほどまでに7月15日が長すぎた。
美波は俺の手からそれを取ると、そっと俺の首へとかけてくれる。鏡がないから分からないけどきっとそんなに似合ってないだろう。それでも彼女は「似合う、似合う」と笑っていた。
またも静寂。今日という日の終わりは刻一刻と近づいてくる。俺は一つ聞いておきたいことがあった。膝枕された体勢のままで俺は尋ねる。
「なあ、美波」
「なに?」
「・・・・お前、覚えてるだろ」
俺は一つの可能性を口にする。そうであってほしいと思いながらも、同時にそうではないと、そうであることを望めなかった可能性。彼女ならこれだけで分かるだろうとあえて分かりずらい言葉遣いで。「はぐらかすな」と視線つきで。
美波は少し黙っていたが、やがてぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「君が間違いでも学校で名前を呼んでくれたとき、嬉しかった」
「?」
「少し距離をとってくる君にモヤモヤした」
「っ!」
「日に日にやつれてくる君を見ていて、辛かった」
「それは、」
「手を伸ばしたとき、はたかれて痛かった。君に拒絶されて苦しかった」
「・・・ごめん」
頭を押さえられ、逃げられない俺はただ謝ることしかできない。だから望めなかったんだ。あの楽しい時間を覚えていて、俺が「ループがあるから」とやってしまった失態のすべてを同時に覚えていてしまうから。それも俺とは違う視点で。
そんな俺の謝罪も空しく、美波は覚えていることを暗に示すためか今日までの嬉しかったことを、悲しかったことを並べていく。顔には出ていないが声からその時の感情が伝わってくる。そうして百以上の一日の思い出を聞き終えたとき、彼女は立ち上がった。
「今日、海に誘ってくれて嬉しかった」
そうして彼女は俺に手を伸ばす。俺はその手を滑り落ちないように、振り払えないようにしっかりと握った。引っ張り上げられ、夜の海の前、いつの間にか光っていた星空の下で俺たちは向かい合う。
「明日、死んじゃうんだ。わたし」
「・・・・・・」
驚きはない。ただ「もしかしたら」という推測が、確信に変わっただけのこと。俺の中にあったのは今までやってきたことは無駄ではなかったという安心とそれでも救えないという絶望。
「なんで死んじゃうのかは分からないけどね。最初は怖かったけど、同時に思った。この時間のなかでならわたしの後悔をやり直せるって」
「その後悔って・・・」
「教えな~い。・・・・けど、しいていうなら、それ」
楽しそうに笑ってそう言った後、美波は俺の首元を指差す。そこでは今つけられたばかりのネックレスが星明りでキラキラと光っている。
「きっとこの時間はわたしの後悔を晴らすためのもの。だからもうこの時間はおしまい。次は明日がちゃんと来る」
「怖かったなら、なんで・・・すぐに渡さなかったんだよ?」
「・・・ば~か」
ぎゅむと美波は俺の顔を両の手で挟み込む。顔を固定され、視界いっぱいに彼女の顔。その顔は悲しいような、怒っているような・・・そんな気がした。
「少しでも君との時間を長く過ごしたかったからに決まってんじゃん」
俺は顔を動かせない。物理的にも精神的にも、その黒い瞳に吸い込まれるように見入っている俺を見てにこりと彼女は笑うとその手を放す。
「でもこれで私は後悔がない。君とデートが出来て、約束も果たせたし、プレゼントも渡せた。明日死ぬとしても・・・もう後悔はない」
そういって夜の海を背景に目を細めて笑っている彼女。今にでも溶けて消えてしまいそうな空気をまとわせた彼女はその瞼の奥で僅かに見える瞳は右目は少しではあるが、俺のいない方をを向いていた。
嘘なんだ、と気づいた。そりゃそうだ。死ぬってわかってて怖くないはずがない。たった17年の人生で後悔がないはずがない。それでも見栄をを張っているんだ・・・俺が悲しまないように。
なんて身勝手なやつなんだ。勝手によりを戻してきて勝手に消えようだなんて。いや、分かっている。身勝手なのは俺だ。自分から手を離したはずなのに彼女が手を伸ばしてきたことに甘えている。勝手なのは俺の方だと分かっている。
俺は美波の手を掴む。上手い言葉が見つからない。彼女は動かない。ただにこりと笑っている。もう一周回って腹が立ってくる。なんで死ぬと分かっていて人のことを思っていられる?なんでそんな笑っていられるんだ。
「・・・もうすぐ夏祭りがある」
「え?」
「テストが終わったら夏休みがあるし、ここら辺で花火大会もある。夏休みが終わったら学園祭も、その先にはクリスマスもある・・・・それなのに、なんでお前は笑っていられるんだ!」
俺の声は怒りと悲しみが入り混じった叫びのようになっていた。俺の目から涙がこぼれてくる。それでも美波はその作り笑いをやめない。
「お前のいない明日を、俺にどうやって過ごせって言うんだ!」
「大丈夫。今まで見たいに・・・きっといつか忘れていくよ」
彼女の優し気に放った言葉は、どことなく俺を責めているように感じた。そうだ。俺はお前との思い出を忘れていた。何かと理由をつけてお前と関わらないようにしていた。お前の俺を待っていた6年間と俺の関わった数十日は比べるまでもないだろう。けれど、
「せっかく、明日が来るんだよ。なににも捕らわれていない、本当の明日が。・・・なのにお前がいないなんて、そんなの・・・いやだ」
俺の悲痛の叫びがはやがてただの希望になっていた。ただ彼女のいる明日を願っていた。そんな言葉でなにか変わるわけでもないはずなのに。
俺たちは今の今まで捕らわれていたんだ。俺は”今日”という今に。目の前の彼女は"約束"という過去に。ようやく明日が来るのにそんなの、あんまりじゃないか。
「・・・あれ?」
そのときだった。笑っていた美波の細めていた目からちかりと何かが光ったと思うと、彼女の頬をつたってそれが地面へと流れ落ちる。それが涙だと気がつくのに時間がかかった。彼女もそれに気づいて、手を放しぬぐい取るが、それでも彼女は流し続ける。
「変だな・・・君の前では泣かないって決めてたのに。絶対に笑っていようって・・・思ってたのに・・・・・」
拭っても拭っても溢れるように流れ出る涙はやがて彼女の作り笑いを歪め、泣き顔を作り出していく。彼女は膝から崩れ落ち、とうとう泣き出してしまう。
「わたじもっ!ぎみとっ一緒にっ!・・・・・」
さっきの俺と同じように泣き叫ぶ彼女。その顔には先ほどまでの笑い顔の面影はもう残っていない。くしゃくしゃになった顔で泣き続ける彼女と、目を僅かに腫れさせたままぎゅっと抱きしめる。そんな俺たちを月明りが照らしていた。
「ぐすっ・・・・ごめんね、泣いちゃって」
「いやぁ、俺も泣いてたし・・・」
泣きつかれた俺たちは砂浜で二人、体育座りで並んでいる。二人して目を腫らして座っている姿はどうにもおかしな感じだ。何時ぞやのような間隔はもうなく、ぴったりと寄り添うように俺たちは座っていた。
「それで・・・これからどうする?」
「母さんに迎え頼んだ。たぶん、後一時間ぐらい」
「それはありがたいけど・・・・そうじゃなくて、わたしのこと。なんか考えはあるの?」
「いや、まったく。生きてはほしいんだけど、どうしようとかはぜんぜん」
「はぁ、ホントに行き当たりばったりだね」
そっと俺の肩にその頭をのせる美波は怒ったように言ってはいたが、どこかすっきりとした様子だった。夜の海はザザッと波を立たせて、時折俺たちの頬を塩水で濡らす。まあ、元からしょっぱいからどうでもいいことだ。
「まあ、事故とかに遭わないように・・・としか」
「そっか・・・・そうだ。最期になるかもしれないから聞いておきたいんだけど、私のことどう思ってる?」
「・・・・好きだよ」
今まで胸にしまっていたはずの言葉は意外にあっさり俺の口から飛び出した。頬は温かくなっているが、海風が冷やしてくれる。隣に座る彼女に驚きの様子はなかった。代わりに彼女は静かに尋ねてくる。
「いつから?」
「自覚したのは今日・・・・でも多分、好きなのはずっと前から」
「そっか・・・・・・ねえ」
美波はこちらを向いて海の方を見ていた俺の頬にそっとキスをする。潮風でカサカサになっていた彼女の唇に頬の水分が吸い取られていく。彼女と目が合う。彼女はニコッと笑う。そこにはもう作り笑いの様子は残っていない。
「好きだよ、悠斗。6年前のあの日から、ずっと・・・・君は忘れてたみたいだけど」
「・・・ごめん」
今日、何度目か分からない謝罪の言葉に彼女は笑っていた。それから母さんが迎えに来るまで俺たちは二人並んで座り、海を見ながらこれからの未来についてやりたいことなんかを話し続けた。
* * *
君に手をひかれて坂道をのぼったあの日のことを今でも覚えている。足をはじき返してくるアスファルトの地面の固さ、妙に寒い夏の風、真っ赤な夕日、そして君の手の温もり。
坂をのぼりきった先で目の前の海ではなく、君の横顔に目を奪われていたことをあなたは知るはずがないでしょう。あの時の君があまりにも優しくて、かっこよかったから・・・・私は、あなたに恋をした。
君に好かれたかったからおしゃれも勉強も頑張っただなんて変だと思う?でも本当のことだから。周りの人たちのどんな賞賛の声よりも、君に「可愛い」とか「似合ってる」とか言ってもらえることが何よりも嬉しくて、学校のテストで1位をとることよりも君に「すごい」って言われる方が誇らしく思えてくる。
それなのに他の人の言葉に埋もれて君の言葉を聞く時間が日に日に少なくなっていく。大きくなっていく体に対して、男女の付き合い方っていうのは変わってしまって君は少しずつわたしを遠ざけるようになってしまった。私の隣にいるのが君よりも女の子の友達である時間も増えた。声がかけずらくなってから少しずつ溝が深まってきて、今じゃもう簡単な話しかけ方も思いだせない。
これは罰なのかもしれない。臆病なわたしへの。17回目の君の誕生日、今日こそはよりを戻そうと朝早くからおめかしして、誰よりも早く「おめでとう」を言いたくて、プレゼントを手渡したくて、駆け足で家を出て・・・・はやって周りが見えていなかったわたしが信号無視をしたトラックにひかれたことは。
そのとき私の中にあったのは、後悔だけ。どうしてもっと早く君に話しかけなかったんだろうって。
どうして君に「好き」ってたった二文字が言えなかったんだろうって。
* * *
車に陽太の自転車とともに揺られて、美波を家に送ってもらった後俺は家でしこたま怒られた。理由は学校を無断欠席したこと、ではなく女の子をこんな時間まで連れ出しておいてなにかあったらどうするつもりだったのかと。美波の両親は笑って許してくれたけどやはり19時ごろまでは遅すぎだった。
ようやく布団に入ることが出来たのは23時。それでも俺は眠ることが出来なかった。どこかでまだあれが続くのではないかという不安があったのだ。少しずつ、日付の境界へと時間は進んでいく。後3分、2分、1分・・・・・
ピコン!
俺は飛び起きてそばに置かれたスマホをつかみ取る。ループの予兆はいつもこの着信音だった。まさか・・・、とスマホを覗き込むと、着信履歴・・・・・あり。そこにはたった一文。
「ははっ」
俺は笑ってスマホを置いて、ようやく明日への、今日という日への眠りについた。メールの文章はたった1文。本当にそれだけ。ようやく彼女の手を結びなおせた気がした。
『お誕生日おめでとう!!』
俺が目を覚ましたのはそれから9時間後の話。すっかり日が昇った頃だった。本当に久しぶりに学校が休みの日、俺は着替えをした後、階下へと降りていく。
「おめでとー、お兄ちゃん。お父さんとお母さんは仕事だって」
「ああ、知ってる」
ソファーに座ってテレビを見ていた奏が声をかけてくる。照れ隠しか知らないが心のこもっていないおめでとうに少し傷つく。俺は冷蔵庫を開け、中から麦茶を取り出してコップに注ぐ。冷蔵庫のなかのケーキも、鶏肉も夜のためのものだ。
さて俺にはやらなくてはならないことがある。それは陽太に借りていた自転車をあいつの家まで持っていくこと。そしたらあいつとゲームをして・・・っとそれよりも重要なことがあったんだ。
ピーンポーン
俺と奏の耳にインターホンの音。あいつだ、と直感でわかった。どう見ても立ち上がる気のない妹をそのままにはやる気持ちを抑えて、玄関まで向かうとドアノブに手をかける。
「おはよ。誕生日おめでとう」
「ああ、ありがとよ」
目の前には、美波が立っていた。もちろん制服ではなく、涼しそうな半袖の服にひらひらとした長めのスカート。後ろには車に乗っている美波の母親、そしてその奥で運転席に座る眼鏡の男性・・・美波の父が乗っていた。おそらく今から引っ越しをするところなのだろう。とは言え無事でよかった、などと言うのは野暮だろう。実際こうして目の前に立っているのだから。
「似合ってるな、その服」
「へへへ、ありがと」
美波は見せつけるようにくるりとその場で一回転。風で僅かにスカートが浮かび上がり、遅れて綺麗に整えられた長い黒髪が舞う。そのあまりの美しさに目が離せない。
「今から引っ越しか」
「うん・・・と言ってもすぐそこだけどね。君が自転車で行けるくらいの。学校も変わらないし、またいつでも会えるよ」
そう言いながらも彼女は少し悲しそうだ。もちろん俺も。だってせっかく昔のように戻ったのに簡単に遊びには行けないし、休みの日に気軽に会いに行くことは出来ない。口にはしないが俺は日曜日の明日も会いたいし、放課後にもできるだけ話をしたい。
「大丈夫」
俺の気持ちを分かっているのか彼女は笑って、そう言った。本心からの笑みにつられて俺の口元も緩む。
「明日はちゃんと来る」
思い通りの明日が来ることがどんなにうれしいことなのか、どんなに幸せなことなのか学んだ。
「あの坂の向こう海の見えるところで私はあなたを待ってるよ」
君との時間がどんなに楽しいかを知った。君の手の温もりも、一人の寂しさも、彼女の笑顔の美しさも、約束の大切さもちゃんと学んだ。
「だから、」
だから俺と彼女は約束を交わすのだ。その未来が来ますようにと。次の日も、その次の日も6年後もその先も、一緒にいられることを願って。
だから今日も俺はまた約束を結ぶのだ。今日の彼女の笑顔を見るために、明日彼女と共に生きるために。
「来ない?明日、海を見に」