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編集者の仕事は嫌いではないが、年々増えていく負担には、そろそろ限界を感じていた。
私の勤める会社が運営する小説投稿サイトは、年々新規会員が増え続けている。それ自体は良いことだが、賞への応募作品数も年々膨らみ続け、到底読み切れる数ではなくなっている。
多数の書籍化や映像化、漫画化などの実績を持つ、このサイトで最も注目されている賞は、今年、2144年の回に応募総数の最多を8年連続で更新した。来年も最多応募数が更新されるようなことがあれば、一次審査に携わる編集者の人員を増やしてもらわなければ、到底対応しきれない。
それだけではなく、近年の流行となっているレトロアーカイブの精査も並行して行うよう言われている。こちらも楽しい仕事ではあるが、無視できない仕事量だ。そろそろ賞の審査と並行してではなく、専門の人員をつけてもらうべきかもしれない。一区切りついたら、上司にその件を相談するべきだろう。とはいえ、その「一区切り」がつく目途は全く立っていないのだが。
「そんなペースで大丈夫か? 最後まで読んでやる必要はないぜ」
同じく賞の審査に当たっている同僚が私に言った。彼の作品審査は私より断然早い。何しろ、タイトルの時点で「売れない」と感じたものは一字も読まずにハネてしまう。サイト上でプレビューが少なかったり、評価が低かったりするものも、評価さえしない。私も同じようにできれば、作業はずいぶん楽になるのかもしれない。しかし、もしかすると彼が読みもしなかった作品の中に、金の卵が隠れているのかもしれない。本当なら後世に残るような作品が、読まれもせずに審査を落ちていたと後から分かるようなことがあれば、私は後悔してもしきれないだろう。だから私は、少なくとも評価を下せるまでは作品に目を通すことにしている。
もっとも、そのせいで作業は毎年遅々として進まないという面は否定できない。昨年の審査でも、私たち下っ端の編集者の受け持つ一次審査の期間が終わる直前まで、私の受け持ちには未読の作品がそれこそ山ほどあったのだ。私の査読の遅さにしびれを切らした上司が、残った作品のほとんどを同僚に任せてしまうと、作品の山はあっという間に消え去ってしまった。
同僚は私の読んでいる作品のタイトルを覗き込むと、眉に皺を寄せる。
「お前が頑張って読んだところでさ、その作品名じゃ上の審査員も読まずに終わりだと思うぞ」
それはそうかもしれない。近年の小説投稿サイトのトレンドとして、作品名は短ければ短いほど良い、というものがある。2137年に社会現象とまでなった作品「亜」以降の流行だ。それ以降、ネット上では短いタイトルの作品が乱立し、近年では長いタイトルがつけられた時点で読まれないという傾向すらある。「亜」以降のネット発のヒット作品のタイトルを挙げれば、「覇」「武」「め」「A」「Q」など、いくらでも思いつく。
その一方で、近年はその傾向が行き過ぎの域まで達しているというのも否定できない。昨年私が審査し、2次審査に通過した作品「ゾンビ」は、作品名があまりにも長すぎるとして危うく審査対象外となるところを、私が上司を説得し、なんとか残らせたものだ。結局、この作品は優秀賞を受賞したが、受賞の条件として作者に「編集部が考えた短いタイトルに改題すること」を求めた。作者は結局それを了承し、作品タイトルには「ゾ」を途中まで書きかけた文字がついた。何と読むのかは私にも分からない。きっと誰にも分からないのだろう。しかし、作品名の短さへのこだわりは既にここまで来ている。もはや、1文字でも長すぎると言われる時代なのだ。
その年の賞は、他に「碁」「K」「ポ」などの作品が争ったが、タイトルに全休符を付けた作品が最優秀作品となった。ついに無音のタイトルが誕生したのだ。この作品はテレビアニメ化が進んでおり、先日トレーラー映像が発表された。私は内心、全休符のタイトルコールは一体どうなのかと恐れながら見ていたが、近年の声優の技術というのは素晴らしいもので、見事にタイトルの持つニュアンスを声によって伝えていた。これがどういった発音をしていたのかは非常に複雑な領域の話であり、私の筆力ではその万分の一も到底表現しつくすことができないため、これは実際に聞いてもらうよりほかない。
同僚によれば、今年の賞は「C(1/256)」という作品が最有力だそうだ。作品名は、Cの音を256分の1の短さで発音するというものらしいが、ここまで来るともはやトンチの域に入っている。ただ、昨年ついに無音という領域にまで入ったタイトル名の短さが、一歩後退してしまうことに読者は納得するかどうかが課題だそうだ。もしかすると、この作品も改題ということになるのかもしれない。
そんなことを考えながら、私はようやく今日の審査一作品目を読み終える。筋立てはシンプルだが、作者の筆力は感じられる。昨年の応募作品も堅実な出来で、今後の継続的な活躍にも期待できそうだ。個人的には作家としてデビューしてほしいユーザーだ。ただ、小説のタイトルが「愛」というのはさすがに長すぎる。目の前に置いた、一次通過作品とボツの作品を仕分けるボックスを見て少し迷ったが、結局通過作品の方に入れた。
上司が通りかかって、私のデスクを見る。午前いっぱいかけて審査が1作品しか進んでいないこと、そして通過させた作品がネットユーザーは見向きもしないであろう、長大なタイトルの作品なのを見てため息をつく。
「おいおい、そのペースじゃ今年こそ1次審査に間に合わないぞ」
そうして、彼は今日の審査のノルマを終えたらしい私の同僚を手招きする。
「すまんが、あいつの分の審査は代わってやってくれないか。あいつにはレトロアーカイブの方を任せるよ」
「分かりました」
同僚が私のデスクに積まれた、プリントアウトした応募作品の山を持っていく。
「今年もすまないな」私は彼に謝る。
「いいって。人には向き不向きがある。俺はレトロアーカイブの方は苦手だからさ、あっちの方は俺の分まで頼むわ」
私はうなずく。確かに、そちらの方が私向きの仕事なのかもしれなかった。
数年前、ある作品が出版され大きな話題となった。
その作品「暁光」は、幕末を舞台に、時代を生きた多くの若者の姿を描いた群像劇であり、激動の時代を生き抜いた彼らの生きざまを描ききった無名の作者とは思えない筆力に、深い歴史への洞察と、学者をも唸らせる歴史考証を兼ね備え、本格派の作家に勝るとも劣らない実力が話題となった。
だが、さらに驚いたことに、この作品は今から100年以上前の2020年代、私の会社が運営しているのとは別の小説投稿サイトに投稿された作品だった。作品が投稿された当時、この作品は見向きもされなかった。当時の流行に全く合わなかったその作風のためだろう。結局、その作品は完結まで長い期間をかけたにもかかわらず、当時のプレビュー回数は30にも満たず、一つの感想もつかなかった。現代のベストセラーとは思えぬ、不遇の扱いである。
経緯は分からないが、この作品がネットの海から偶然発見され、再評価、というよりも、初めて評価された。作者の「鶴田タンバリン」氏の所在は不明だった。もっとも、100年以上昔の作品だ。所在が分かったとしても、もう生きてはいなかっただろう。作者がどういった人物なのかは不明のままだったが、サイトの運営会社は出版を決めた。100年以上が経過する間に、作品の著作権はとうに切れていたため、作者の了承も関係なく、出版はスムーズに進んだ。ちなみに作品のタイトルは短くされなかった。古典作品ゆえに、現在の流行に乗る必要がないと判断されたのだ。
このヒットを受け、小説投稿サイトを運営する各社はこれに追随した。私の会社では、「レトロアーカイブ」と呼ぶシリーズの出版が始まった。私の会社が運営する小説投稿サイトの前身となるサイトが持つ、一生かけても読み切れるか分からない大量の作品アーカイブの中から、現代でも通用する作品を探し、出版するのだ。今のところ、売り上げは悪くないと聞いている。
今日読むことになっている、プリントアウトしたいくつかの作品を手に取る。いずれも2020年代のものだ。100年前の知らない誰かが作った作品を目の前にすると、私は一種荘厳な気分になる。今、この作品を手に取って見ることができるのは私しかいない。この中に金塊が眠っている可能性がある。あまたの作品の中から、現代でも通用する作品を手にしたときは、文字に目を通し、ページを手繰る行為の一つ一つが、まるで遺跡から発掘された古ぼけた遺物の埃を払っているような気分になる。そして、その下から目のくらむような宝石が出てくることもあるのだ。
最初の作品は「ミュータント化した極道が悪役令嬢に異世界転生したら、レベル999なのにパーティを追放されました」というタイトルだった。この時代の作品にはよくあるタイプで、一種のテンプレートと言ってもいい。今では信じがたいが、これがタイトルの標準だった時代なのだ。しかし、現代の美意識からすると、このタイトルはやはりいささか長すぎる。同僚が見たら卒倒してしまいそうだ。彼がこの仕事を苦手としているのも納得できる。
作品に目を通す。賞の選考と違い、こちらはタイトルだけではじくことはない。あくまでも、内容が第一である。ただ、「異世界転生もの」というのは2020年代の流行であり、現代人が理解するのには古語辞典が必要になる。それは言い過ぎにしても、当時の流行語を載せた辞書は手放せない。出版するとなると巻末の注釈集は数ページでは済まないだろう。その点ではハンデが大きい。
「異世界転生もの」というのは妙な流行である。この年代に流行したこの典型的作話パターンは、現世にいた人間が非業の死を遂げるなどで、ここではない異世界へと生まれ変わる。転生した先は中世ファンタジー風の世界観であることが多いが、実際には中世ファンタジーそのものではなく、多くはゲームの世界観に近い。そして、現世にいた頃の知識や、あるいは異世界の元になったゲームの知識により、その世界で重宝される、などというのが大方の筋書きだ。往時は小説の賞に「異世界転生部門」があった時代もあるという。今では考えられない話だ。
現代で言えば、恐らくそれは「ニュートリノ冠婚葬祭もの」の流行に近いのかもしれない。現代の小説投稿サイトの作品で今一番勢いがあるのは間違いなくニュートリノ冠婚葬祭もので、多くの作品が書籍やアニメなどに進出している。近年は多くの賞がニュートリノ冠婚葬祭部門を設けており、賞によっては複数の枠を割いていることもある。私の会社の募集している賞でも、もちろんニュートリノ冠婚葬祭部門の応募者がダントツで多く、審査を担当する私たちはもういくらニュートリノ冠婚葬祭のテンプレ小説を読んだか分からない。「ニュートリノ冠婚葬祭もの」がどういった小説の類型なのかというのは、多くの読者には自明のものだろう。しかし、そうでない読者には非常に説明が難しい。ここで説明した場合、非常に長い時間がかかってしまうため、敢えてここで解説はしないことにしておく。
私はしばらく「ミュータント化した極道が悪役令嬢に異世界転生したら、レベル999なのにパーティを追放されました」の文章を追ったが、現代の読者にはあまり感銘を与えられそうにない。当時はかなりの読者がついていたそうだが、時代の変遷上仕方のないことである。いずれ時が経てば、現在隆盛を誇っているニュートリノ冠婚葬祭小説も見向きもされなくなる世が来るのだろうか。そう思うと、小説界は諸行無常である。
次の作品に移る。作者名には、「トキメキ☆ワクワク麻酔ソウシハギ」とある。あまりいい予感はしない。この作者名から名作が生まれる可能性が少しでもあるだろうか? しかし、念のため作品に目を通す。もちろん駄目だった。不快感以外の感情は何も生まれてこない。作者のデータを見ると、長きにわたって見向きもされない小説を投稿し続けていたようだ。私はプリントアウトした小説をごみ箱に捨て、ついでにアーカイブのデータごと削除してやった。死んだ後も100年以上恥を晒さないようにしてやる、私なりの思いやりというものである。
今日はもう駄目かもしれないなと思いながら、三作目を手に取る。三作目の「雪片」というタイトルは、この時代にしては周囲から浮いているほど短い。作者名の「山田雄太郎」も、この時代では確実に埋没してしまうであろう凡庸さである。
しばらく読み進め、作者の力量に驚かされた。山間の小さな村の学校を舞台に、ほんの数人だけの児童と、新任の教師の心の交流を描いた作品だった。素朴だが生き生きとした描写は心温まると同時に、もっと先を読み進めたいという推進力を持っている。筋書きは難しい話ではない。しかし、確実に読者の心をとらえる何かを持つ小説だ。
私はサイトで作者の情報を見る。驚いたことに、この作品のプレビュー数はほとんどない。ほんの少しの読者も完結までに少しずつ離れ、最終回を読んだのはわずか1人で、その1人も星5つの評価で星3つまでしかつけていなかった。
そして、ああ、私は頭を抱える。作者の次の作品「ひよこ鑑定士(76)が転生した世界でゾンビ化したらチートスキルでハーレムができました」はヒット、それ以降も長大なタイトルの作品が並んでいた。私は試しにその中の適当な一編を覗いてみたが、悲しいことに、最初の作品に感じた魅力は失われていた。開いた小説はちょうどゾンビ化した主人公が魅了スキルでサキュバスになんのかのしているところで、私は目を逸らしたい気分になった。
私は椅子の背もたれに体重を預け、深い息をついた。そして、ほとんど誰にも読まれない素朴な小説を、初めて投稿した100年以上前の青年のことを思った。
「そっちはどうだ?」
同僚が話しかけてくる。
「あんまりいいのはないね」
「そうか。こっちも結構はかどったが、あんまりいいのはなかったな」
彼のデスクの前に並ぶ二つのボックスの一方には山のように紙が積まれ、もう一方には、小説2~3編分と思われる紙が入っている。高い山の方が選考落ちだろう。
私は積まれた山の中に、この時代に決して評価されないだろう多くの不遇の作者の姿が見えるような気がした。現在の流行に迎合せず、不器用に文字を紡ぐ多くの人々がこの裏にいるのかもしれない。今からさらに100年後、この中に大作家がいることが分かったとしたら。そうしたら、100年後の世界はそれを評価しなかった編集者や、それに目もくれなかった読者を笑うだろうか。
そんなことを思いながら、作品の山を見ていた私に同僚が言う。
「何ぼーっと見てるんだよ。今更、選考落ち作品の敗者復活戦をやろうなんて言うなよ」
私は首を振って言った。
「いや、もうどうにもならないんだろうな。100年後の奴に任せるよ」
同僚はよく分からない顔をしている。私は次に読むべき小説を手に取った。