5:影の英雄?
陥没した大地の下は真っ暗な穴が広がっている。
その中に吸い込まれるようにして次々とゴブリンと狼達が落ちていった。
騎士たちを追いかけていたから、そのまま突っ込むようにして穴に落ちていく。
前のやつが慌ててスピードを落としても、前方の状況を把握できていない後ろのやつに押されて落ちていくやつもいた。
「なっ……いきなり陥没が起こるなんて」
「いきなり起きたんじゃない、俺が起こしたんだ」
「なんですって……?」
ヴェルナーさんが驚くのも無理はない。
俺はしゃがみこんだまま、ここから一歩も動いていないのだから。
「あの場所の地下に空洞があったんだ。その真上に当たる表層部分に、霊脈を通じて魔法陣を描き、崩して穴を開けたんだ。あとは見ての通りだ」
スペルグローブで発動できるのは初級の土魔法の汎用術式だけだ。
地盤を陥没させるほどの魔法は扱えない。
だから俺はその陥没させるための破壊の魔法陣を、汎用術式で地面に描いてから作動させたのだ。
魔法陣は別にチョークで書かなくてもいい。指で地面に書いても作動する。
その指で地面に書くということを、汎用術式でやったのだ。
まぁ書くというより、魔法で地面に模様を彫るような感じだな。
その模様が中級の魔法陣だったって感じだ。
空洞がなかったら作り出すつもりだったが、ちょうどいい空洞が近くにあって助かった。
空洞を作るとなるとさらに複雑な魔法陣を描く必要があったからな。
「ロシュ、あの陥没は君の仕業か?」
「あぁ、そうだよ」
戻ってきたレイナルド閣下にそう言う。
ヴァルナーさんみたいに説明が必要だろうかと思ったけど、閣下はすぐに信じた様子だ。
「やはり、君を連れてきて正解だった。……リードレフの影の英雄」
「影の英雄……?」
「リードレフにいた兵士たちの間に囁かれていた噂だよ。君がそうだろう?」
「いや、今初めて言われたんだが……」
俺が英雄? そんなわけないだろう。
むしろ俺より英雄と呼ぶに相応しい人が目の前にいるじゃないか。
「影の英雄ですって……! まさかロシュ殿があの……!」
「噂は本当だったのか!」
ヴェルナーさんや他の騎士たちが騒ぎ立てている。
え? そんなに噂として広まっていたのか!?
「俺、あんたのお陰で行きて帰れたんだよ、ありがとう!」
「そうだ、俺もそうだよ、命の恩人様!」
「いやいや、人違い! 絶対人違いだって!」
歓喜の声を上げて俺の周りに集まってくる騎士たちに、俺は慌てる。
覚えのない感謝の言葉を貰っても……本当に人違いだってば。
「人違い? なら聞くけど、リードレフに敵軍が入り込んだ時、原因不明の陥没が起き、敵軍の半数がそれに巻き込まれたと軍務記録にあった。それを起こしたのはロシュじゃないのかい?」
「……あー。確かに今みたいにやったな。その時は空洞がなかったから魔術で作って落としたが……」
軍務記録に俺がやったと記載がないのは駐屯地の責任者が信じなかったからだ。
俺は今みたいに手袋を使って、詠唱なしでやったのもあるからな。
種さえ分かれば誰だってできる簡単なもののはずだがな。
兵士の何人かはそのことを知っていたが、後々ドミニク団長にバレると面倒だったから口を閉じてもらっていた。
軍務記録になかったのも好都合だったんだ。
だけど、人の口に戸は立てられなかったようで、噂として漏れたようだ。
それがまさか影の英雄として言い伝えられて、しかもレイナルド閣下の耳に入っていたなんて思わなかったが。
「だけど、俺がしたのはそれくらいだぞ? それだけで英雄呼ばわりはないだろ? 噂に尾ひれでも付いた結果だと思うんだが……」
「私はそうは思わないよ。まぁひとまず領地に行こうか」
「……いや、貴方に比べたら俺はそんな大層な人じゃないのは本当だって」
……レイナルド閣下、もしかして俺のこと過大評価してないか?
一体どんな尾ひれが付いていたんだよ!
どうしよう……。期待はずれだと言われてクビにされたら。
いや、むしろ本当にクビが飛ぶんじゃないか? さっきゴブリンを跳ね飛ばしたみたいに。
思わず俺は閣下にはね飛ばれたゴブリンの死体を見てしまった。
クビには……クビにだけはされないようにしよう。
ゴブリンの襲来以降は特に問題なく移動できていた。
レイナルド閣下曰く、デモニアの地ではゴブリンなどの魔物は珍しくないという。
リーラ王国の歴史を振り返っても、この辺境の地を開拓する余裕はあまりなかったから、こういった魔物の駆除もされていなかったのだろう。
「ん、なんだあれ? 白い煙?」
そんな道中で俺は気になるものを見つけた。
馬車の窓の外を見ると、ちょうど川に差し掛かろうとしていた時だ。
川から白い、霧のようなものが立ち込めていた。
……いや、これは湯気か? それにこの硫黄の匂いは……。
「あの川ってもしかしてお湯なのか?」
「そうだよ。山脈の麓のほうに熱水泉があって、そこから流れているものだ。こういった川はこの辺に多くあるから、落ちないように気をつけるんだ。落ちたらやけどでは済まないからね」
橋の上を渡っていくともう湯気で外が見えなかった。馬車の中にいても熱気が伝わってきていた。
その隙間から見える川は確かに鍋の中で沸かしたお湯のようにぐつぐつとしている。
これは落ちたら死んでしまいそうだ。
「死の川と言われている由縁はこれだよ」
「なるほど……確かにこの川では普通の魚も住めないだろうな」
「一応、魚はいる。魔物の魚だけどね」
閣下の言葉通りなのか、確かに川の中に揺らめく魚影が見えた。
……あんな川の中にも生き物はいるんだな。
そしてどうにもこちらを餌と狙っているようだ。ただのやけどでは済まないとは、こういうことか。
「だけど、この川の水は悪くないものだよ。温泉として利用できるからね。城の大浴場にはこの源泉を引いてある。君も着いたら入ってみると良い、旅の疲れが癒されるよ」
「へぇ、それは楽しみだ」
天然の温泉なんて入るのは初めてだな。
こんな辺境の地には何もないかと思ったが、そうでもないらしい。
そうして王都を発ってから一週間後、俺たちはついにデモニア城へたどり着いた。
旧大戦時代に作られた古い要塞。
灰ががった石造りの強固な城壁を持つ、現在のデモニア領で唯一の建物に。