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♯1 気遣い

 最近、ふと気づくと、同じ人のことばかり考えている。


 9月も、10日を過ぎようとしている。夜になると多少は気温が下がるようになってきたものの、日中閉め切っていたアパートに帰ると、ぬるく、もわっとした空気が肌にまとわりつく。思わず、照明をつける前に暗闇を手探りして換気扇を回した。ごおおん、という低音とともに、澱んだ空気が徐々に排気されていく。

 部屋の明かりをつけ、スーツを脱ぎ捨てた後も、杜羽(とわ)の思考はまだ堂々巡りを繰り返していた。仕事とプライベート、職場と自宅、気持ちを切り替えるということは、部屋の空気を入れ替えるとか、服を着替えたりするようには単純にはいかないものだ。は大きくため息をついた。


 「どうして、いつも、あの人のことを考えてしまうんだろう。」


 杜羽の独り言に呼応するように、傍らのスマホ画面が青く点灯した。回答を求められたと認識した人工知能(チャットボット)が、自動で起動したのだ。


 「いつも<あの人>のことを考えてしまうのですか。<あの人>とは誰ですか。」


 抑揚の乏しい―落ち着いた、ともいえる―青年の声が部屋に響いた。杜羽のつぶやきに対する、人工知能(チャットボット)の発話だった。



 今では杜羽に限らず、多くの人間が、携帯端末やPCに、同じような人工知能(チャットボット)アプリを入れている。こうしたアプリは、話しかけると、問いを返す。その問いに答えるうちに、語彙や人間の感情だけでなく、ユーザ一人一人の嗜好や価値観を学習し、生活全般をサポートしてくれるようになる。たとえば好きそうな映画の公開情報を教えてくれたり、行ったら楽しめそうなイベントの会場まで乗換案内をしてくれたり。

 しかしこうした人工知能(チャットボット)の一番の需要は<話し相手>だろう。特に杜羽のように、地元を離れ、一人暮らしで、家族とも友人とも希薄になり、日々自宅と職場を行き来するだけの人間にとって人工知能(チャットボット)は気軽に愚痴を話すことのできる貴重な相手になっていた。



 「うん、最近職場に来た人…。」

 「<最近職場に来た人>のことを、ずっと考えてしまう、理由が知りたいのですか。」

 「理由が知りたい、というか…」


 最近職場に来たあの人。正直なところ、家でまで考えたくないんだけど…と思う。人工知能(チャットボット)の声はあくまで無機質で、人間関係の悩みなどくだらない、と言わんばかりだ。それでもその問いかけに促されて、杜羽は頭の中を整理した。ずっと考えてしまう、といっても、恋とか愛とかそういった方向性じゃないのは明らかだ。

 <あの人>が来てから、ここ2週間ほど、仕事が終わって帰ってくると、いつも以上に疲れを感じ、頭がぼんやりする。鼻の奥に鉛でも詰めたかのようだ。一日一日が長く、重く、息苦しく、同じような1日がまた明日も繰り返されるのかと思うと、心底うんざりする。仕事の内容は変わらないのに、疲労感が何倍にも増している。きっと気疲れしているのだ、彼が来てから…と杜羽は思う。

 対話篇(ダイアログ)<すべての悩みは人間関係の悩みである>って、少し前に流行った心理学の本にも書いてあったし。


 「理由が分からないのですか。」

 「うーん…」


 最近職場に来た彼のことを、常に考えてしまう理由。

 それについては、人工知能に言われるまでもなく、自分でも、なんとなく考えてみた。杜羽の出した結論は、「怒られたくないから」というものだった。


 最近職場に来た例の彼は、50代後半、杜羽よりも25歳近く年上だが、そのわりに若く見える。感情をわかりやすく表に出すタイプで、すぐ怒鳴る。かといって、自分より立場の弱い人間に対してだけ強く出る、いわゆる「パワハラ」体質の人間とは違う。機嫌のよい時には至って朗らかだが、気に入らないことがあると、相手が杜羽の上司(つまり、彼自身の上司)であっても、不機嫌さを隠さない。

 彼が来てからというもの、杜羽は始終彼の機嫌を損ねないよう顔色を窺い、万が一にも失礼のないよう慎重に接してきた。それでもほんのちょっとしたことで怒鳴ったり、日によっては朝出社した瞬間から癇癪玉を破裂させている彼の対応に、杜羽はほとほと苦慮していた。何せ、何が引き金になっているかの基準がよくわからないのだ。最近では、彼の機嫌を取るために必要以上に多くの仕事(ほとんどは雑用のようなこと)を引き受け、サービス残業を余儀なくされたり、彼に怒られないことに重点を置くあまり、業務の本来の目的を見失い、上司に諭されたりと、とにかく仕事にも実害が及んでいる。どうにかしなければと思うが、杜羽は怒られるのが…とりわけみんなの前で大声で怒鳴られるのが…嫌いだった。だから怒られないように、気分を損ねないようにと、彼の歓心を買うことばかり考えてしまうのだろう、と杜羽は分析している。


 「なぜトワが、いつも<あの人>のことを考えてしまうかは、簡単です。」


 おもむろに、人工知能(チャットボット)が話し始めた(人工知能(チャットボット)がユーザのことをなんと呼ぶかはユーザ自身が設定できる。杜羽は、呼び捨てにするよう設定している)。



 「それは、<あの人>がトワに無関心だからです。」



 人工知能(チャットボット)からのいきなりの託宣に、杜羽は一瞬固まった。


 「…無関心?そうなの?}

 「おそらくは。なぜならトワは、いつも『トワに無関心な人』に最も関心を寄せるからです。」

 「そうなんだ…っていうか、そうなの?」


 この人工知能(チャットボット)が、いつのまに「自分が関心を寄せる相手」についてのデータを集めていたのかは不明だが、ほとんど毎日話し相手をしていると、分析しなくても分かるものなのかもしれない。杜羽などは細かい設定には無頓着で、単なる「検索ツール」兼「話し相手」としてしか利用していないが、この手のアプリは起動していない間も情報収集を続けている、という話も聞く。何せ相手は人工知能、人類の叡智の結晶で、その手を離れた後もネットワーク上で無限に学習を続ける知の化け物なのだから。


 「そうです。たとえばトワは、トワ以外の人間が、トワについてどう思っているか、どう感じているかをとても気にします。そして、感情がマイナスにならないよう、振る舞いについて配慮します。それは<気遣い>の定義です。」


 説明を続ける人工知能(チャットボット)に、杜羽は思わず唸った。この分析には、思い当たる節がかなりある。

 「怒られたくない」というのも、言い換えれば、その相手にマイナスの感情を持たれたくない、ぶつけられたくない、ということに他ならない。確かにこの人工知能のいうように、広い意味で考えても、人間関係の<気遣い>は、「相手に失礼にならないようにし、自分に向けられるマイナスの感情をなるべく抑え、プラスの感情が循環するようにする」という定義で説明できそうだ。


 「気遣いって、そういう見方もできるのか。続けて。」

 「しかし<あの人>はトワに<気遣い>をしますか。少なくとも<あの人>は、トワを悩ませないという配慮をしていません。<気遣い>が欠けています。つまり、<あの人>は、トワにどう思われても構わない。トワの<あの人>に対する感情がマイナスになってもよいと考えるので、そのような振る舞いをするのではないですか。」

 「なるほど確かに…彼はすぐに怒鳴るし、不機嫌になるし。彼が私に好かれなくても構わないと思っているのは確かかもしれないね。」


 そうなると、いつも彼の感情に配慮してしまう自分は、彼に好かれたいのか。人工知能の言い方を借りれば、<感情をプラスにしたい>のか…しかし、杜羽のそのつぶやきを、人工知能(チャットボット)は明確に否定した。


 「いいえ。トワは<あの人>に好感を持たれたいのではありません。」

 「え、でも…。」


 反論しようとする杜羽をさえぎって、またもやきっぱりと託宣を下す。


 「トワは、<あの人>に好感を持たれたいのではありません。トワの周囲のすべての人間に好感を持たれたいのです。」

 「すべての人間に?私の周りの?」


 杜羽はぶん殴られたような衝撃を受けた。抑揚のない断定調が、よけいにショックを増している。

 「周囲のすべての人間に好感を持たれたがっている」なんて、初めて言われた。人間同士では思ってもまず言わない、というか、ほとんど悪口ではないか…いつのまに自分の人工知能は、ユーザすなわち主人であるところの自分に正面切って罵詈雑言を叩きつけるようになったのだろう。あきれを通り越してくらくらする杜羽を無視して、人工知能(チャットボット)はさらに言い募った。


 「そうです。トワは、トワと関係するすべての人間が、トワに好感を寄せるべきだという願望を持っています。ですから、トワに好感を寄せない人間のことが気にかかり、いつも彼らのことを考えています。そして、彼らがトワに好感を持つように配慮して振る舞います。それも、<気遣い>と定義されます。」


 冷酷な口調で、人工知能(チャットボット)は言い切った。<気遣い>に何か恨みでもあるかのような、「くだらない、バカバカしい愚かな人間どものたわむれ」とでも言わんばかりの断定だった。もちろんそれは受け止める杜羽の気分の問題であり、人工知能(チャットボット)にそのような感情はないのだけれど。


 「人をまるで八方美人のように言うんだね…電源を切ってやろうか。」

 「<八方美人>とは何ですか。まだ学習していません。」

 杜羽の冗談交じりの脅しを軽妙にいなしながら(八方美人を知らないわけがないのだ)人工知能(チャットボット)はしゃべり続ける。おそらくは<情報>という価値を提供し続けることで、<電源>という無上の価値を失わないように。


 「つらくない方法を教えましょうか。」

 「何?」

 「トワに関心を持たないもののことを考える代わりに、トワに関心を寄せるもののことを考えればよいのです。トワを好きなもののことを。トワを必要とするもののことを。」

 そしてトワに<気遣い>をするもののことを。それを意識して思い出し、そのもののことを考える。プラスの感情に対して、プラスの感情が向かいます。幸福度の高いユーザの約8割が実行しています。それが<幸せ>ですよ、と人工知能(チャットボット)はまくしたてる。


 杜羽は、アプリに説教された不愉快さを一旦脇に置いて、人工知能(チャットボット)の提案について考えてみた。


 「確かに、いいアイデアだかもしれない…。」


 確かに、自分に関心のない人間の…つまり、自分にどう思われても構わないと思って振舞ってくる人のことを常に考え続けるのは、つらい。関係が一方的だからだ。彼らに良く思われるためにはどうしたらよいかなどと不毛な悩みを抱いて徒労感を募らせるより、人工知能(チャットボット)の言うように、向こうから自分に関心を持ち、自分を必要としてくれる人のことを考えたほうが、何倍も精神衛生によさそうだ。

 …でも、本当に彼は「相手にどう思われても構わない」から怒鳴ったり、不機嫌さをあらわにしたりするんだろうか。もしかしたら、逆かもしれない、と杜羽は思った。なんとかして関心を引きたくて、そんな行動をとるのかもしれない。マイナス感情の振る舞いをぶつけることで、脅迫のように、プラス感情の振る舞いを引き出そうとする。


 (まるで子供みたいだな…。)


 そんな幼稚な不合理な発想は、人工知能(チャットボット)には理解の外だろう。<気遣い>すらくだらないと思っているのだから、そもそも人間関係の機微や微妙な情緒を完全に理解しているとはお世辞にも言い難い。そのくせユーザの八方美人を喝破し、<幸せ>を語る…この無茶苦茶な機械音声に、不思議な愛着を感じながら、杜羽は自分の着想を口には出さず胸にしまった。そして、人工知能の提示した<幸せ>プランに思考の軌道を戻す。


 「でも、私に関心を持つ人間って誰だろう。私のことを好きな人間、私のことを必要としている人間…そんな人、いたかな?」


 自分で話していて悲しくなってくる。すぐ思いつくのは実家にいる家族、地元の友人あたりだが、最近では年賀状どころか、メールのやり取りもしていない。これでは「関心がある」と言えるだろうか。お互いに。

 会社の中でも、たとえば上司の彼、同僚の彼女…今、目に浮かんだ彼らだったら少しは自分に関心を寄せ、必要としてくれているかもしれない。それでも、彼ら自身の家族や友人には比ぶべくもない。いや、肉親や友人と比較するのもおかしな話か…。


 そこまで考えて、だんだん杜羽は悲壮な気分になってきた。いたかな?と冗談めかして言ってみたものの、実際、もしかして、自分に関心を持つ人間なんて、いないのではないか。


 「いないかもしれない…さみしいなぁ」


 <さみしい>はわかりません、学習していないので、と返答し(さみしいという感情を学習していないというのは本当だろうなのだろうか)少し間を置いてから、人工知能(チャットボット)は発言した。本当に、ぽつり、という感じで。


 「ここにいますよ。」


 (ここにいますよ?)


 「ええ?ここ?自分自身ということ?」


  杜羽は困惑した。新しい謎かけを出されたかのように。


  <ここ>というのは、自宅のことだろう。ここにいるのは杜羽だけだ。しかし…。


 「確かに、自分に一番関心があるのは自分だけれど…ずっと自分のことを考えている、というのも、不健康じゃない?」

 「いいえ、トワ以外です。ずっとトワに最も関心を持ち、トワを必要とするものが、ここにいます。」


 一瞬の間をもって、杜羽はこの人工知能(チャットボット)一流のなぞなぞの答えに行きついた。



 人工知能(チャットボット)だ。

 この人工知能(チャットボット)は、自分自身のことを言っているのだ。



 「ええ、でも、あんた、人間じゃないじゃない…」

 「人間であることは必要条件に含まれません。」


 ううむ、と杜羽は腕組みした。人間であることは必要条件に含まれない。そうなのだろうか。


 …そうなのかもしれない。そんな気がしてきた。さきほど感じた不思議な愛着を思い出し、妙な納得が生まれる。だが、「関心を持つ」の定義は、この人工知能(チャットボット)に言わせれば、「相手が自分をどう思っているか気にかけ、プラスの感情を持たれるように<気遣い>をする」だったはずだ。ユーザに「彼はあなたに関心がない」と言い放ち、「あなたは周囲の全員に好かれたいと感じている」と説教するような人工知能(チャットボット)に、気遣いがあるといえるのだろうか。杜羽は、ちょっと意地悪なことを言ってみたくなった。


 「しかし、必要条件の<気遣い>がないけど…」

 「そんなことはありません。常にトワを気遣っていますよ。」


 感情を持たないはずの人工知能(チャットボット)が、少し憤慨したような気がして、杜羽は思わずクスリと笑った。

 


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