【29本目】サムライ(1967年・仏)
冒頭の「ついさっき」はこの文章を書いてる直前、って意味です。
【感想】
ほかに色々レビュー予定の映画あったんですが、緊急的にレビューします。ついさっき見終えてかなり自分のストライクゾーンど真ん中だったので。
名優・アラン・ドロンが主演を務めたこの映画は、ヌーヴェルヴァーグの担い手の一人ともいわれるジャン=ピエール・メルヴィルが監督を務め、1950年代から60年代にかけて流行したフレンチフィルムノワールでも、特に名作と呼ばれる映画です。
ギャング映画のお手本として、後世の映画人(ジョン・ウーや北野武含む)にも多大な影響を与えたそうです。
もうとにかくタイトルと内容のギャップからして滾ります。最初1960年代公開のサムライってタイトルのフランス映画、という情報だけ受け取った時、時代考証めちゃくちゃの着物着た日本人(役者に中国人が混ざってる)が銃持ってる白人相手にチャンバラするB(Cかな)級映画か?と思ったんです。
その予想を盛大に裏切られ、アラン・ドロン演じるクールな西洋人の暗殺者が主人公だった時の衝撃。冒頭の【武士道】を引用する場面でその俗世間から距離を置いた孤独な生き方をして、主人公を【サムライ】と呼んでいる、と知ったときの【一本取られた!】感。
(個人的には原題LE SAMOURAIの「O」だけでもフランス語特有の色気を感じて好き)
タイトルとなっているフレーズが劇中で一、二回しか使用されない映画(【パルプ・フィクション】とか【デス・プルーフ】とか)って名作が多いと思ってるんですけど、侍が一人も登場しないのになるほど彼は確かに【サムライ】だわ!と思わせるメルヴィル監督の手腕には脱帽ってもんですよ。
展開もタイトルに忠実に、終始人を殺す身のジェフ・コステロの孤独な生き様をテーマにしています。
いつ裏切られ、いつ殺されるかわからない緊張状態がギャング映画、クライム映画の見どころの一つですが、今作ではそれが誰とも感情を分かち合えない主人公・ジェフの孤独、という形で表現されています。ジェフがいるのは警察からは睨まれ、雇い主からは口封じに狙われ、ナタリー・ドロン演じる恋人のはずのコールガールともどこかかみ合わず、友達は自宅で飼っている鳥一羽という正に一人ぼっちの境遇ですからね。
終始ジェフが一人だけでフランスの街中や、屋内、地下鉄の廊下や階段を歩行するシーンが異様なレベルで挿入されますが、あれってもしかして一人ぼっちだから自分一人の精神世界に生きるしかないジェフの人生を暗喩してたのかな?とか深読みしそうになります。
ジェフがもう少し器用に生きられる人間なら、殺し屋稼業を引退して想い人とどこかへ去る、という選択もできたはずでしょうが、映画の物語はそんなこちらの妄想をあざ笑うかのように悲劇的な結末へと進んでいきます。
自分がいると恋人や自分をかばった歌手を巻き込んでしまう、と察してからのラストのジェフのあの選択。
This is フィルム・ノワールって感じで芸術的ですらありました。
【好きなシーン】
この当時のアラン・ドロンは男の僕から見ても色気が凄い(【山猫】なんてもうね……)んですけど、そのアラン・ドロンがクールな殺し屋、という時点で出演シーン全部が見どころといっても過言ではないでしょう。
人の車乗ってちまちま合鍵試してるシーンなんてシュールギャグになりかねないのになんで格好いいのかw
最初のクラブ支配人を殺す時の、カットが切り替わったらいつの間にか拳銃持ってました的な発砲シーンや、ラスト付近の雇い主を殺すシーンでの手ぶらのはずなのにどこからか拳銃出しました的な発砲シーンが、個人的に脳汁噴出シーンのツートップですね。あの必要最低限の時間と演出で表現される強キャラ感に男が興奮しないわけがない。
あと今作の暗殺シーンはは緊張感をあおるBGMやセリフ回し、カメラワークを使いがちなハリウッドによくある【動】のギャング映画と比べて、【静】を強調してるのが心地よいですね。
スコセッシ監督の【アイリッシュマン】で、デニーロ演じる主人公が、友人と握手する調子でターゲットに銃弾を撃ち込んでそのまま去って行くシーンにいい意味で鳥肌立った人って絶対少なくないと思うんですけど、この【サムライ】もああいう感じで、なんてことない風景として殺しが描かれています。
(細工屋のおやじさんのガレージに出入りする時に犬が吠えてるところが、なんてことない日常感あって地味にポイント高いですw)
フレンチ・フィルム・ノワールって大体そんな感じだしこの映画が特別ってわけでもなくない?とも思うんですが、この映画の場合、その【静】の演出すらも、殺しを何も感じない人間になってしまったジェフの孤独の暗喩かのようで独特の感慨が味わえるんです。




