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【102本目】心中天網島(1969年・日)

 人間が人形を演じてるからマーウェンとかぶってるな。




【感想】


 1960年代から1980年代にかけて、邦画界ではATG(日本アート・シアター・ギルド)という映画製作配給会社が日本映画界に多大な影響を与えていました。


 ATGではフランスのヌーヴェルヴァーグなどの影響を受けて、従来の商業主義的邦画とは一線を画す、難解ながら芸術性の高い映画が数多く製作されました。


 松竹映画での活動後、独立プロダクション・表現社を立ち上げた篠田正浩監督が 製作費1000万(たったの!でもATGじゃよくあること)で手掛けた【心中天網島】は、その中でも特に傑作と称され、1969年のキネマ旬報でも第1位に選ばれた映画です。




 近松門左衛門の人形浄瑠璃は内田吐夢監督の【浪速の恋の物語】や増村保三監督の【曽根崎心中】など邦画では定期的に映画化されていますが、今作では1720年の世話物人形浄瑠璃【心中天網島】が学生時代から近松門左衛門作品のファンであった篠田正浩監督による、独自の解釈によって映像化されています。


 商業主義的しがらみのないATGとの連携とか、監督のみならず脚本も兼任していたりと、いかに篠田監督がこの人形劇を自分のやり方で映像化したかったか、というのが伝わってくるってもんです。




 さてこの映画の最大のポイントは何といっても、黒子が人形を動かす人形浄瑠璃が原作だから、という理由で映画内に普通に黒子が映っている、という点でしょう。


 中村吉右衛門さんや岩下志麻さん演じる登場人物はあくまで普通の江戸時代の町人という設定で動いているものの、シーンの節々で黒子が映っているという点が、この映画を単なる時代劇とは全く異なる映画に仕上げています。




 登場する黒子たちは主人公の行動(ものを運ぶシーンとか)を補助する、正に黒子的な活動をしますが、彼らの存在は登場人物たちには一切察知されません。


 また特に登場人物を補助する必要がない場面ですら黒子がじっと佇んで登場人物を見つめているシーンがあったりして、その様はかなりシュールで不気味です。


 ちなみに黒子の一人は、ガメラシリーズにも出演していた浜村純さんが演じています。




 また詩人の富岡多恵子さんが共同脚本に加わっているため、セリフ回しの節々が心地よいリズムで紡がれていること、勅使河原宏監督などの名匠の映画音楽を担当してきた武満徹さんの、インドネシア楽器のガムランを使用した不安にさせられる劇伴などもポイントですね。




【好きなシーン】


 冒頭で人形浄瑠璃の舞台裏を映像として映し出すことで、【この映画はあくまで人形劇です】ということを訴えにかかってるのがいいですね。


 電話している人物は外ならぬ篠田監督で電話の相手は脚本の富岡さんですが、この二人がやけに専門的な会話を繰り広げるもんだから、こちらとしても演劇の舞台裏を垣間見た気分にさせられます。




 そしてやはりクライマックスの心中シーンには、他の近松映画の心中シーンとは一線を画す味わいがあります。


 前半から後半まで終始そうだったように主人公とヒロインの心中でも黒子が居合わせる(主人公が首を吊る紐も黒子が吊るす)んですが、黒子が単なる舞台装置ではなく、主人公たちを死へと追いやる死神に見えてくるんですよね。


 ちなみにあの黒子は二人を死へと追いやった社会機構の暗喩、と捉える評論もあるようです。




 あとこれは個人的になんとなく思ったことですが、岩下志麻さんのメイクの質感も、光沢の反射的に日本人形っぽく見えました。あれも意図してたのかな。

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