勇者なんていない、いるのはただの
残酷描写があります。
初めてその事実に直面した時に私がとった行動は最低以外の何物でもない。
母が死んで。父が死んで。姉さんが死んだ。
文字にすると簡単に語れてしまう言葉にいっそ怒りすら湧く。
「姉ちゃん」
幼い弟に濡れた眼で見上げられて。私はそこで次は自分が死ぬのだと察して手を振り払った。
「私を姉ちゃんと呼ばないで!」
最低だ。最低以外の何物でもない。でも、私は他人でいたかったのだ。
幼い弟を抱え、死ぬ未来があっけなく想像できた。
母も父も姉も。私達を守り、死んでいった。それは優しさであったのだろう。だけれど、なぜ私達も連れてってくれなかったのか。
「姉ちゃんっ…やだ! 置いてかないで! 姉ちゃん!」
耳を塞いで、脇目も振らずその場を駆け出した。最低だ。最悪だ、自己中で、自分の安全しか頭になかった。
死にたくなかった。
三人のように無様に朽ちるなんて、嫌で、怖くて。幼い弟を守る責任が恐ろしくて。
それから七日さまよった。ゴミ箱を漁り口にし、人に見下されながら、惨めったらしく生き延びて。
ぼんやりとした気持ちのまま、適当に歩いた先は、弟の手を振り払った場所だった。
私が最低になった場所。私が全て捨てた場所。たかが七日しか経ってないその場所に。
────腐った弟の死体があった。
弟はまだ本当に幼い。生まれて五年位だ。炎の季節だから、寒さに震えることは無かった。けれど暑い中弟はきっとここから動くことは無かったんだろう、それは、それはきっと…。
「そこの坊主な、姉ちゃんが来るからって誰の施しも受けなかったんだぜ」
不意に後ろから声をかけられる。手が震えた。
「捨てられたんだと周りが言ってもな、水すら口にしなかった。」
もうやめてくれと叫びたいのに、喉になにかつっかえて口にできない。
「ずっと膝を抱えて、自分を捨てた姉のこと信じて待つなんて、馬鹿なガキだが…てめぇはそれ以上にバカで最低だよ」
涙が勝手に出た。最低だ。そうだ。私は最初から自分が最低だとわかっていた。言われなくても知っていて。でも。
でも。
きっと私が居なくてもどこかで生きていると、私のことを憎みながらも生きているのだと。
気がつけばその路地裏には私しか居なくなっていた。声の主もいなく、あたりも暗くなり、腐った弟と私だけ。
「…」
意味もなくその傍に居座り、膝に頭を預け顔を隠す。
「……最低、だ」
また男の声の言葉を繰り返す。
馬鹿な弟だ。私のことを死ぬまできっと待っていた。
馬鹿な弟だ。救ってくれようとした手を振り払った。
でももっと馬鹿なのは私に違いなく、最低なのも私だ。
腐った弟の死体から小指の骨を抜き取った。気持ち悪い液体が私の手に着く。近くにあった水溜りでそれを洗うと綺麗な白い骨になった。
それから私は街を出た。
弟の小指の骨のひとつを持って。
獣のように魔獣を食らった。まるで人になる資格が無くなった私にお似合いだと言うかのようにそれは板に着いて。
言葉を話すことを忘れた頃、一人の人間を助けた。
何か言っていたがきっとお礼の話なのだろう。綺麗な首から提げた袋を貰った。中身は適当に返した。
その袋の中に骨を入れた。これで弟とはぐれることは無いだろう。少し満たされたから大人しく森の中に戻っていく。
人がいない方が落ち着いた。弟のことを思い出すことがあまりなくなるから。でも骨のことだけは絶対に忘れなかった。
森の奥で死んでいる人間を見つけた、もう死後何年もたっているらしい。骨になったその人間の傍に剣が落ちていて、私はそこで初めて剣を手に取った。
斬る道具。これがあればもっと楽に魔獣を殺せる。もっと楽に食べれる。
森の出口まで魔獣を追いかけた所で目の前で襲われている人間がいた。多くの魔獣に馬車が囲まれていて、悲鳴が聞こえてくる。
そして馬車から引きずり出された人間を見て固まった。
弟に良く似ていた。生きていたならもうとっくに大人になっていたであろう弟によく似た男の子がいた。
母親から引き離され、喰らわれかける男の子。
勝手に足が駆け出していた。長い間森から出たことは無かったから少し体が震えてしまったけれど。
目の前の子だけは助けなくてはいけないと。
無責任に殺した弟に重ねて。
魔獣を斬る。いつもと同じだけど、いつもと違う。喰らうためでは無く、守る為に剣を振るう。人の傍にいたくなかった。
自分の罪を明確にしてしまうから。
それでも。
「お母さん…!」
それでも。
忘れたはずの言葉が頭に過ぎる。ああ、この子は母を思っている。なら、この子の母も助けなくては。
「グリオン!」
この母のそばで襲われている男は父親だろうか。ならばこの男も助けなければ。
あそこで死にかけている男達はきっとこの家族を守ろうとした者達だろう。
守らなくてはならない。
守らなければ。
ちゃんと人間ができている彼らを喰らうために牙を剥く魔獣を同じ獣の私が殺す。
────息を着いた頃には沢山の血の中にたっていた。
随分と久しぶりに息をしたかのように息が苦しい。腕も重たく、似合わないことをするもんじゃないと首にかけた袋を握りもう片手で剣を引きずり森へと帰る。
「待って!!」
後ろから止める声が聞こえたが、そんなことどうでも良く、早く森の中へと。私の人の部分を消してくれる森へと帰らねばならないと。
本当に心から思っていた。
──巣に着くとそのまま疲れきって横になる。こんなに疲れるとこの森に来たばかりの頃を思い出す。
弟を殺した私が、死にたくないという思いから見捨てた私が一番死へ近い森に入る。
夢を見る。来ない私を膝を抱え一人飢えながら待つ弟を。
死ぬ寸前まで私の事を待ち続けた憐れで、優しすぎた弟を。
その夢は爆音と共にはじけて消えた。
顔を上げて、音の方へ剣を引き摺りながら歩けば、私達が生まれ弟が死んだ街が襲われていた。
大きなドラゴンは火を噴きながら街を襲っていた。
「…」
一瞬迷った自分にもっと嫌気がさした。また逃げるのかと。また死にたくないからと見捨てるのかと。
そんなことはあってはならないとわかっていた。そんなことでは何も変われていないのだと分かっていた。
走り出した。飛べる方がいい、相手は飛んでいるから。魔力で空中に床を作ってドラゴンの元へ駆け寄った。
深い事は考えなくていい。
後のことも考えなくていい。
死んでしまったっていい。
また罪を背負うくらいならずっとそっちの方がいいに決まっている。
美しい青空に反した美しいドラゴンの背に乗り剣を突き刺す。
悲鳴をあげ、空で身体をうねらせるドラゴンにしがみつく。落ち着いた頃にはまた剣を取り突き刺す。
守らなくては。ここは私達が生まれたばしょ私の家族が眠る場所。
私が、還る場所。
無駄な事だなんて思いたくないけれど、きっと他の人だって倒すことは出来ただろう。私みたいにこんなことでしか戦えないものじゃなく、もっと人ができた人が。
でもそういう人は直ぐに死んでしまう。優しく真っ直ぐで人を思える人ほど死んでしまうのだ。なら私の様に最低な物のほうがきっと闘うべきで。
そういう優しい人ほど家族を大切にすればいい。
ドラゴンとともに空を落ちていく。目を閉じ。死を受けいれた。
このまま死んでしまえたとして、私は家族に会えるのだろうか。
弟に謝れるのだろうか。
風で私の首から袋のついた紐が外れる。それに気づいて必死に手を伸ばすけど落ちるのは私の方が早いし、あっちは風に乗ってしまっている。
「だめ…っ」
何年かぶりに口にした言葉は酷く喉を傷つける。それでも。
「だめっ! ミルス!」
口にすることを恐れた弟の名を呼んで手を伸ばす。飛んでいく袋を見ながら涙が止まらない。ドラゴンはとっくに落ちていた。下は土埃で何も見えない。きっと探すことも出来ない。
それよりもきっと私は死んでしまうから。
せめて、共に居たかった。一度置いてってしまったから。
せめて、一緒にいきたかった。
一緒にいてあげられなかったから。
──────────ドスッ
砂埃の中唖然と空をみる。私は生きていた。体を包む柔らかな布につつまれて、そして沢山の目が私をのぞきこんでくる。
「大丈夫か!?」
「ドラゴンを倒すなんて!」
「凄いわ!」
「無事みたいね」
「ゆっくり下ろすわよー!」
「「「「「せーーーのっ」」」」」
街の人達によって作られた簡易的なクッションに私は助けられたらしい。魔法使いの姿も見えるから貴重な魔法まで使ってくれたのだろう。
涙の枯れない私は土埃で顔を汚しながら唖然と地面へ降りる。死ぬ事もなく。
「凄い戦いだった」
「誰かは知らないけれどありがとう!」
「お姉さんまるで勇者みたいだ!」
勇者なんて……勇者なんて居ない。
勇者が居たなら私の姉さんが魔獣に殺されることも無く。私が勇者であったなら弟を見捨てることもしなかった。
私は勇者ではない。
勇者なんていない。
居るのはただ、弟を二度も手放してしまった出来損ないの最低な姉だけだ。
「ありがとう!」
子供に礼を言われ泣く私を周りの人はどう見るだろう。やはりきっと。
勇者なんて口が裂けても言えないような有様だ。死ぬ気だった。もう死んでいいと思っていた。ただ唯一心残りなのは飛んでいってしまった弟の骨が入った袋だけ。
………ああ、でもそうか。
生きているから、私は弟を探しに行ける。迎えに行ける。どこかへ行ってしまった弟を今度は私が探すのだ。
「お姉さん?」
突然立ち上がった私を唖然とこちらを見る人達に深く礼をしてドラゴンに刺さったままだった剣をぬきまたズルズルとそれを引きずり歩き出す。
酷く疲れていたけれど、もう森に帰る気はなかった。行方のしれないあの袋を探すために、私は歩く。
今度こそ一人にしないために。