■8.広がる波紋。
深夜。満天の星空の下、宿舎として宛がわれた小屋から若城が出てきた。
久々の戦闘を終えて神経が昂っていたのか、1、2時間で覚醒してしまったのである。立派な丸太作りの小屋に身を預け、若城はマッチを擦ると咥えた紙巻き煙草に火を点けた。素早くマッチの火を消し、煙草の先端を左手で隠す。習い性だ。夜闇に灯火はご法度、という感覚が染みついているせいである。
1本目を吸い終え、2本目に火を点けるか点けまいか迷ったとき、若城は村外れの方から歩兵指揮官の峯岡が近づいて来るのを認めた。
「若城さん、眠れない?」
「うん」
今夜、峯岡は不寝番であった。
彼も若城の横に立つと、煙草に火を点けようとマッチを擦った。橙の灯火に日焼けした横顔が照らされる。煙草の銘柄は若城と同じ米国製のラッキーストライク。先の戦争中に吸っていた日本製のバット(金鵄)や、ほまれではない。
「夢を見たよ」
ぽつりと言った若城に、「夢?」と峯岡は聞き返した。
「ああ。戦友達が駆けつけてくれる夢だ。願望か。人手が足りないからそういう夢を見た」
「戦友」
峯岡は溜息をついた。
GHQ軍備縮小局はおそらく帝国陸海軍の下士官・兵、思想的に問題のない尉官・佐官級の士官に対して広く声かけをしているはずだが、それに応じる者は少ない。前述の通り、王国軍教導団の定員割れは深刻なものがあった。
(確か、若城さんは第36軍――戦車第4師団・第59戦車連隊だったか)
帝国陸軍第36軍は本土決戦に備えて関東地方に配された精鋭中の精鋭、機動打撃兵団である。2個戦車師団(第1・第4)と数個歩兵師団を擁し、ひとたび連合国軍が来寇すれば、これを水際で一挙殲滅するのがその役目であった。
成程、彼らの5分の1でも来援を得られれば、このエルマ村の前面に集結しつつある敵部隊など容易に蹴散らせるであろう。
(時間の経過は我々にとって不利か、それとも有利に働くのか……)
若城は2、3個中隊から成る敵部隊の攻撃を退けた先の戦闘以降、ずっとそんなことばかりを考えている。
地方人からの情報提供や斥候による情報収集によると、このエルマ村から数十km東方にて少なくとも旅団規模の敵部隊が集結しているらしい。早晩、旅団規模あるいは師団規模の有力なる敵集団と対峙することは、火を見るよりも明らかであった。
では一方で、王国軍教導団の増勢はどうか。
まず喜ばしいことに、中央でようやく陸上航空基地複数の造営が認められたという一報が、先程もたらされた。早ければ2、3日の内に、陸軍機あるいは零式艦上戦闘機、紫電・改といった一線級の海軍機による航空支援が受けられるようになるらしい。これまで米国政府は王国側に幾度も飛行場の設置を要請してきたが、そのことごとくは拒絶されてきた。そのためにやむなく緒戦では近海に航空母艦『鳳翔』を浮かべ、九六式艦上戦闘機のような旧式の海軍機で航空作戦を実施するほかなかったのである。
しかしながら、航空戦力だけでは数に勝る敵地上部隊を押し戻すことは難しい。
結局のところ、パナジャルス王国軍が民主共和国連邦軍に勝利するには、王国軍教導団の人的・物的強化が必要不可欠。
であるが、現実は厳しい。
元・帝国軍人が集まらないことから、GHQ軍備縮小局は苦肉の策で現地雇用による兵員確保にも着手し始めたようだが、募集に対してやはり人が来ないらしかった。どうやら王国直轄軍の一組織とはいえ、得体のしれない新設部隊、しかもまったく未知の武器を使うということで相当敬遠されているようである。なるほど、王国軍教導団に入るくらいならば、名も知れていて伝統ある王国直轄軍の他隊や諸侯の軍に参加したいと思うのが人情だろう。
また銃器や装具の扱いや、集団行動で戸惑うことが多いらしく、訓練はまったくの未了状態。つまり、即戦力としては期待出来ない。
「……」
考えれば考えるほど、若城は憂鬱な気分になっていく。
その苦悩を察してだろう、峯岡は「まあアメさんならなんとかしてくれる」と断言した。南方で米軍の火力、機械力に圧倒された彼は、その米軍に対して信頼を抱いている。敵に回せば恐ろしいが、味方になれば心強いというわけだ。
実際、この未知世界でGHQ軍備縮小局が手配する補給が途絶えたことはなく、腹一杯食べても余る量の糧食と、十分過ぎるほどの武器弾薬、英気を養うのに必要なだけの嗜好品を峯岡達は手に入れることが出来ていた。
……。
さて、時は流れて7日後。
エルマ村を通過し、その村の東側に諸侯の手勢から成る王国軍約6万が布陣した。青地に白星の御旗と、多種多様な諸侯の軍旗が翻る。一糸乱れぬ隊列を組み、前進する彼らの姿はまさに壮観。
最先頭はツァイストラ辺境伯率いる軍勢約4000。
その装束は白。これまで多くの敵を打ち斃し、蹂躙し、血肉の赤を呑みこんで塗り潰してきた純白の群れである。ツァイストラ辺境伯が先鋒を任ぜられたのは、彼が総指揮官クラウヴィア公と懇意にしているという政治面によるところが大きいが、同時に勇猛果敢でその手勢は精強なことでも知られている。
「敵に動きはないか」
「ありません」
「ではこのまま轢き殺してくれる」
髭を撫でながら馬上のツァイストラ辺境伯は笑った。
事前の偵察で敵軍は散兵が主であり、土を掘り返して築いた陣地に立て籠もっているという情報を彼は得ていた。敵将は臆病とみえる。待ち構えて反撃する腹積もりなのだろうが、散兵による射撃では、この攻撃陣は崩れない。
ツァイストラ辺境伯の率いる軍勢は、高度なまでに装甲化されていた。戦列歩兵隊の前面にはゴーレムが配され、歩兵はみな軽量かつ堅牢な金属として知られる白銀製の胸甲や、半甲冑を身に着けている。既知の小銃弾ではそう簡単にやられはしない。故に彼らは敵に連発銃があると知っていても、それをあまり警戒しようとはしなかった。
そしてそのまま、皆殺しの憂き目に遭った。