■1.嚇怒の鉄牛、チハ。(前)
(日本海炎上完結までは週1更新が目安です)
戦争に敗北することほど惨めなものはない。白昼。よく丹精された畑地の広がる穏やかな農村から、平和が奪われた。人家は燃え、家畜は殺され、村民達は銃剣を突きつけられながら村の中央部に集められた。村民達はみな一様に怯え、口々に「撃たないでくれ」と懇願している。誰もが抵抗しようとは思わない。遥か遠くからやってきた民主共和国連邦軍の兵士がいま持っている銃器は、村の猟銃や魔術では太刀打ち出来ないものだと、村民達は知っていた。
「劣等種どもが」
ひとりの兵士が村民の素足に唾を吐きかけた。
「小隊長殿、さっさと駆除しましょう」
パナジャルス王国北東県エルマ村の村民達の運命はすでに決していた。根絶、である。村民達の身長や姿形、皮膚の色は様々である。翼を有する者もいれば、蛙めいた外見の者もいる。民主共和国連邦が言うところの醜悪な“亜人種”。邪教に守護されていると主張する専制主義者を戴き、優秀な人類種が開発したシステムである民主主義を理解出来ない連中。民主共和国連邦が目指す完璧な平等社会からすれば、目障りでしかないイレギュラー。こうした主義思想からしても、また戦術的に言っても一人残らず駆除するのが妥当であった。ここで生かしておいても、抵抗勢力に参加するだけである。
遠くで連発銃の咆哮が複数。反射的に数名の村民が悲鳴を上げた。連発銃をパナジャルス王国軍は保有していない。つまりどこかで連邦軍による殺戮が行われた、ということだ。
「まあ待て」
小隊長、と呼ばれた男は部下を制した。白肌・白髪。彼は民主共和国連邦が“標準人類種”と呼称する理想的な人種である。そして年齢は25にも達していない若者であるが、生粋の連邦人であった。“亜人種”を殺戮することに、何の疑問も差し挟むことはない。
「すぐにこちらにも重連発銃が来る。駆除はそれからだ。奴らに穴を掘らせろ。自分達のための墓穴をな」
彼らの上司にあたる連隊長は趣味が悪かった。横隊に並べて小銃で撃ち殺した方が効率はいいだろうが、面白味に欠ける。兵士達に民主共和国連邦の優位性を認識させること、そして重連発銃が来るまで略奪や強姦といった“お楽しみ”の時間を与えるために、特別なことがない限り、彼らが所属する隊は重連発銃での駆除を採っていた。
しばらくすると小隊長が言った通り、輓竜に牽かれた竜車がやって来て、荷台から重連発銃を降ろしていった。正式名称はソビエト連邦製DShK38重機関銃だが、彼ら民主共和国連邦軍の兵士達は生産国も名称も知らない。ただ知っているのは、これで撃てば生身の雑種どもは四散するということだった。
射撃準備に移る重連発銃、その金属の軋む音に子供達は不安を覚えて泣き出した。
周囲の成人達は慰めの言葉を口にすることも出来ず、ただただ従容と農具かあるいは素手で穴を掘った。雨水と草の混じった臭いが鼻を衝く。昨日まで降り続いていた雨のお陰で、土が軟らかくなっているのが救いであったが、だから何だというのか。あと僅かな時間の後には、みなことごとく射殺体となって穴の底で絶命しているだろうに。
「収穫は終わったか」
「はい、中隊長殿」
竜車から現れた中隊長は、「よろしい」と鷹揚に笑った。
「きょう我々はここに野営する。劣等種どもに墓穴は掘らせているな。すぐ殺し尽くしても構わないし、一晩中恐怖を与えてやってもいいが。小隊長、貴様はどうしたい」
「はい、中隊長殿。連中は臭い上に見張りをつけるのが面倒です。今夜は土の中にいてもらった方がいいと小官は愚考いたします」
「よろしい。では――」
処刑だ、の一言は上空から降ってきた爆音に掻き消された。
銃声。否、ただの銃声ではない。連発銃の咆哮。大気が震え、大地が鳴動する。撃震。村の内外にいた兵士達が、朦朦と立ち昇る砂煙の中に消えた。村民達も悲鳴を上げて、自身が掘っていた墓穴の底に伏せた。
「航空ゴーレム!?」
中隊長は直立不動のまま、その音源を視認していた。鋼鉄製の翼と高速で回転する羽を有する怪物、航空ゴーレムが4機。民主共和国連邦軍でも航空ゴーレムは最近になってようやく異世界からの供与が始まった種類の兵器であり、当然パナジャルス王国軍が保有しているとは思わなかった。
だが目の前で起きている事象は、現実である。
「小隊長ッ、何を伏せておるか!」
「はい、中隊長殿!」
幹部は敵の攻撃に晒されても伏せることは許されない。中隊長は伏せていた若い小隊長の襟元を掴んで立たせると、「貴様の小隊に戦闘態勢をとらせろ!」と怒鳴った。航空ゴーレムのみの散発的な攻撃だけで終わればいいが、これが本格的な反撃の嚆矢である可能性も無きにしにも非ず。
その中隊長の勘は的中した。
「真西の方向、陸戦ゴーレム2輌!」
駆動の震動、機械が噛み合う金属音が連邦軍兵士達の耳朶を打つと、彼らは恐怖した。だがしかし、すぐに中隊長の指揮の下、散開して迎え撃つ態勢を整える。小隊長や古参の軍曹達は「こちらには重連発銃がある!」と怒鳴り、士気崩壊を防いだ。事実、王国軍が運用する前時代的な土くれのゴーレムが相手なら、重連発銃の攻撃で簡単に撃砕出来るはずであった。
その陸戦ゴーレム――鉄牛が火を吐いた。
「は?」
車輪と防盾のついた重連発銃の傍に居合わせた兵士が、57㎜戦車砲から撃ち出された90式榴弾の直撃を受けて文字通り消滅した。血肉と体液が後方にぶち撒けられ、魂魄は破片とともに空中へ飛散する。
誰かが悲鳴を上げながら、重連発銃を連射した。が、貫徹しない。無情にも閑、閑という無念の悲鳴だけが響き渡る。奇妙な黄帯模様が描き入れられた迷彩柄の怪物、その正面装甲は12.7mm重機関銃弾を全て弾き返してみせた。
「駄目だ、逃げ――」
重連発銃の傍にいた兵士達が背中を見せたのとほぼ同時に、再び鉄牛が轟と猛然、発砲した。今度こそ90式榴弾は寸分違わず、重連発銃を直撃。砲身を滅茶苦茶に破壊し、近傍で指揮にあたっていた小隊長を粉砕した。腰から上を喪失した下半身が、捩れながら転倒した。
「突撃ッ」
鉄牛の砲塔から顔を出した男が頭上で手を振り回すと、背後に隠れていた10名の歩兵達が突撃を仕掛ける。喊声。銃剣突撃。彼らが構える小銃には旭日旗ではなく、青地に白星の旗が結びつけられている。それを先導するような形で、鉄牛――九七式中戦車チハもまた時速約30㎞の高速で連邦軍兵士達目掛けて突進する。
「撤退する」
中隊長は周囲に撤退命令を下しながら、迫る鉄牛を見た。
嚇怒の権化。そんな言葉が彼の脳内に浮かんだ。戦争に負けることほど惨めなものはない。故に負けない、次は絶対に勝つ。これは鉄牛からほとばしる思いか、自身の感情か――それを判断する前に、中隊長は頭を6.5mm小銃弾に撃ち抜かれていた。