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6ヶ月の休職を宣告され、機構の官舎にいる場のない茜は、彼女の故郷であるクローン人間育成所「くすのきの里」に帰る。

茜は、「くすのき山駅」から「くすのきの里」へと続く、石畳の坂道を登って行った。道に落ちた枯れ葉が木枯らしに巻き上げられ、茜の足元をカラカラと舞い飛んでいく。


 10分ほど坂道を登り続けてたどり着いた「くすのきの里」は、茜が暮らしていたころと、まったく変わっていなかった。楠がいっぱい生えた森の中にコテージ風の小さな家が点在し、森を切り開いた広場に学校、運動場、野外コンサートホールなどがある。風景も空気の匂いも、茜の子ども時代のままで、それだけで、茜は救われるような気がした。


 「茜ちゃん、久しぶり」本部棟で、春さんが迎えてくれた。春さんは、茜を育ててくれたマザーの一人で、クローンではなく、通常の人間だ。マザーたちの中には、茜たちがクローンだということで見下げたような態度をとる者もいたが、春さんには、そういう所は、一切なく、茜と仲間の遺伝子改造クローン達を、自分の子どものように、愛情をもって育ててくれた。


 春さんの身体がしぼんで一回り小さくなり、顔に深くシワが刻まれているのを見て、この20年間、一度も春さんに挨拶に来なかったことを、茜は激しく、悔いた。いくら仕事が忙しかったからといって、年に一度、いえ、二年に一度でも、ここに来る時間くらいは、とれたのはずだった。そのくらい、私は、自分の目の前のことで、頭がいっぱいだった・・・


 「私がいた頃と、全然変わっていないのですね。驚きました」茜が言うと、春さんがはにかむような笑みを浮かべた。

 「そう言ってもらえると、嬉しいわ。実は、老朽化したり本部の規格が変わったりして、細かい所では色々変わっているの。でも、大きな所は、できるだけ、変えないようにしている」そこで春さんが言葉を切った。「ここは、あなた達の故郷ですもんね」と続ける春さんの頬に赤みがさした。


 「ふるさと・・・」口の中でつぶやくと、幼かった茜を抱き上げてくれた春さんの腕の感触がよみがえり、茜は、息が詰まりそうになった。

 春さんだけじゃない。夏さん、秋さん、海さん、ヒマワリさん、私を、本当の子どものように大切に育ててくれたマザーたちの肌の温もりが次々によみがえってきて、腹の底から熱いものがこみ上げてきた。目の前がくもり、頬に、温かいものが流れ落ちる。いやだ、恥ずかしい・・・私、泣いている。春さんに見られないように、下を向く。


「そうだ、茜ちゃんと仲良しだったリクガメのスロ太、今も元気よ。小さい子達が会いやすいように、お家の場所を森の中から幼稚園の庭に移したの。最近の小さい子は、大きなリクガメを怖がらない。不思議ね」


 大型リクガメのスロ太は、茜が「くすのき里」に入る50年前から、「くすのきの里」に暮らしていると言われていた。ごつごつした甲羅の長さが茜たちの背丈と同じくらいあるスロ太を、茜の友達は、みんな怖がった。ㇲロ太を見ただけで、泣き出す子もいた。


 しかし、茜は、スロ太と目が合ったとたんに、通じ合うものを感じ、そして、仲良しになった。スロ太か・・・会いたいな。

「見に行っていいですか?」

「ええ、もちろん。スロ太も喜ぶと思うわ」


 スロ太は、園庭の隅のブロックで囲われた一角で、岩みたいな甲羅から頭と手足を出して眠っていた。頭のてっぺんをなでると、昔と同じ、ぬくもりのある石ころみたいな感じが、茜の手に伝わってきた。

 スロ太のまぶたがシャッターみたいに真下に下りて、澄んだ静かな瞳が現れた。分厚い甲羅で覆われた体を太い足が油圧ジャッキみたいに持ち上げ、茜に向かって首を伸ばしてきた。首の裏側の柔らかい所を撫でると、くすぐったがっているように見えた。


 昔、「くすのき里」には、外の世界ではペットや家畜として飼われている動物たちもいて、茜の友達は、そういう人なつこくて反応が良い動物たちが好きで、カメのスロ太は、まるで人気なかった。

 スロ太は、そばに人がいても全然関係ないという顔をしていたし、なでられたり、エサをもらったりすれば反応はするが、それは、他の動物たちに比べたら、反応というのが気恥ずかしいようなものだった。


 しかし、そんなスロ太は、茜を邪魔者扱いしたことも、茜に怒ったこともなかった。いつでも同じボワンとした感じでそばにいてくれて、そんなスロ太が、茜は、大好きだった。


 スロ太の瞬きしない澄んだ瞳と茜の目が合い、茜は、スロ太に微笑みかけた。その次の瞬間、スロ太の頭をなでようとした茜の手が、空を切った。茜の目の前から、スロ太が完全に消え失せ、何百万年も昔から、そこには前から何もなかったみたいに、ポッカリ空間があいていた。


 茜は、驚いて、「スロ太、スロ太」と呼びかけながら、あたりを探し回った。スロ太に「お迎え」が来たのだと、茜が自分に納得させることができたのは、もう、太陽が西の空に傾き始めたころだった。



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