3.灰色の少年
どこまでも続く雲一つ無い青い空。
限りない水平線。
潮の香りがする中に笑い声が一つ、響き渡った。
「ああ、おかしい」
声の主がふうと息を吐いた。
「そうか。俺に悲しみについて聞くのか」
声の主の正面に座っている、『彼』が言った。
声の主はクスッと笑って、
「じゃあさ。
この世界の事はどう思うの?」
と尋ねた。
そうだな。
『彼』は少し考える素振りを見せ、そして、答えた。
虚ろ。
刹那。
全ては炎に包まれた。
◇◆◇◆
「怖い」
小さな声で海翔は目を覚ました。
海翔は体を起こして周りを見渡してみた。
今彼は大きな木の枝に座っている。
とにかく大きな木だ。たくさんの枝には無数の青い葉が揺れている。
そして、果てしない大地は青紫色の草に覆われていた。
「おはよ」
ふと声がして海翔はそちらを見た。
リグルだ。
「うん…」
海翔はぼんやり返事をして、空を見上げた。
青い空には一つの太陽が輝いている。
本当に来てしまったのか。
異世界に。
海翔は目を伏せた。
青紫色の草が目に入った。
「なあ、あの草は何だ?」
海翔が尋ねると、リグルも地面に目を向けて、
「ああ、あれはささやき草よ」
と言った。
「ささやき草?」
「ええ。その名の通り、いつも何かを囁いているの。
ほら、耳を澄ましてみたら?」
リグルの言う通り、海翔は耳を澄ましてみた。
「クジラ」「シチュー」「音符」「お墓」「ピアノ」……。
確かに、小さな声が沢山聞こえてくる。
発される言葉に意味は無さそうだが。
そして海翔は、自分を起こした囁き声がこの草のものである事も感じ取った。
「やっぱり異世界って感じがするな」
そう言いながら木の枝からぴょんと飛び降りた。
あまり高くない位置に枝があったからだ。
すると。
「おかえり」「おかえり」「おかえり」「おかえり」「おかえり」……。
色々な言葉を発していたささやき草が、まるで海翔達を歓迎するかのように、同じ言葉を囁きだしたのだ。
海翔はこの異常な光景に、ゾクッと寒気がした。
「おかしいわね。いくつものささやき草が同じ言葉を同じタイミングで言うなんて聞いたこと無いのに……」
リグルも戸惑っているようだ。
しばらくすると、その声も小さくなっていき、やがて、先ほどのように「クリスマス」「亀」……と、呟くようになっていた。
リグルが首を傾げながら木から飛び降りてきた。
「不思議なものね。
さ、早く穴を閉じないと」
リグルの声で、海翔は木の太い幹の根元に人間界で見たのと同じような、黒い穴が開いているのに気付いた。
リグルが海翔の方を見る。
「ねえ、本当にいいの? もう二度と帰れなくなるのよ」
「二度と」の部分に力を込めて リグルが言った。
「今更帰るっての?」
海翔がそう言うと、リグルはほっとしたような顔になった。
「いいのね? じゃあ、閉じるわよ」
リグルが両手を伸ばして、力を込める。
海翔にも、小さな少女から物凄いエネルギーが吹き出しているのが分かった。
リグルが顔を歪ませる。
やはり相当力を使うようだ。
そうこうしているうちに段々黒い穴が捻れていく。
そして、ついに穴は綺麗に無くなってしまった。
リグルはふうと大きく息を吐いた。
◇◆◇◆
「にしても、よく引き受けてくれたよね」
「え?」
「だっていきなり訳の分からない小娘に異世界救えとか言われても私なら絶対行かないもの」
そう言われて、海翔は空を見上げる。
この世界は確かに自分がいた世界とは違う世界だ。
しかし、何故か居心地の良さを感じる。
「俺は…リグルとは違う」
空を見上げながら答えた。
リグルは一瞬ぽかんとした顔になったが、すぐにあははっと笑い出した。
「そうか。そうだよね。違うもんね、あなたと私は」
ひとしきり笑った後、リグルは深呼吸を一つした。
「まあとりあえず、行こうか。急がないとだし」
そう言ってリグルが腕をぶんと振った。
すると、辺りの景色が一変した。
快晴の空はどんよりとした雲に覆われ、青紫色のささやき草はぼろぼろの町並みに変わった。
どうやら破壊された後のようだ。日にちは経っていそうだ。
町全体が微かに焦げ臭かった。
「悪しき奴らよ」
海翔が呆気にとられていると、リグルがそう言って、先に歩き始めた。
「何で町をこんな……」
海翔がリグルの後ろについていきながら言う。
「さあ。破壊が好きなんじゃない?」
二人は黙りこくった。
ふと海翔は視線を感じて、立ち止まった。その正体はすぐに分かった。
一人の少年がじっと二人を見つめていた。
少年はぼろぼろの服を着ていて、少し焦げたような臭いがした。じっとこちらを見つめる瞳はまるで生気が感じられなかった。
海翔はどうする事もできなかったし、リグルがずっと歩き続けていたので、そのまま歩き続けた。
「待てよっ!!!」
海翔達がしばらく歩いていると、叫び声が聞こえた。
まだ声変わりの終わっていない少年の声。
海翔が声のした方を見ると、さっきの少年がすっくと立って、海翔達を睨みつけていた。
「てめえ!許さねえからな!」
少年が駆け出した。
海翔は少年が右手にナイフを握りしめているのを見て、息をのんだ。
殺される。
理由は分からないが、とにかくこのままじゃ殺される。
「うわあああああ!!」
海翔は叫んだ。
脳内に浮かんだ。
少年がばらばらに引き裂かれて死ぬ映像が。
するとにわかには信じがたい事が起こった。
少年の体がばらばらに吹き飛んだのだ。
辺りに生暖かい鮮血が飛び散る。
海翔の足元に、ナイフを握りしめた右腕が落ちてきた。
中々に残酷な光景だったが海翔はそこまでの恐怖は感じなかった。
ただ、自分の力に怯えていた。
海翔はリグルをちらりと見た。
リグルは何かを考えているようだ。
しかし、海翔が自分を見ているのに気がつき、
「大丈夫。恐がらないで」
と言った。
「あなたがそれを思い浮かべなければいいのよ」
海翔は首を傾げた。
「何で俺のチカラを……」
「見てたら分かるわよ」
少し目を逸らしながらリグルが言った。
「とにかく行きましょ。可哀相だけど、悪しき奴らに全てを奪われたこの子には絶望と憎しみしか無かっただろうからこっちの方が良かったかもしれないし」
リグルがばらばらになった死体に合掌して、目を閉じる。
海翔も合掌する。
心の中で何度も謝りながら。
誰に謝っていたのだろうか。
彼には家族がいないらしい。だから彼自身に謝っていた事になるのだろう。
でももし死後に世界があるとして、その世界が幸せなものだったら?
海翔は手を下ろし、目を開け、死体を見た。
石畳で舗装されていたぼろぼろの道の上にどす黒い血が染みを作っていた……。