(三)
(三)
「で、どうしてあなたはこの道を選んだんですか?」
「弟たちが先に選んだからだが?」
「いや、そういう物理的なことをお尋ねしているわけではないんですが」
「ではなんだ?」
「だからどうして、あなたは何で空軍なんてものにいるんですか」
書類にサインをする手を止めて、その豚は首を傾げました。
「豚が空軍では可笑しいかな?」
「いえいえ、そういう意味でなく、なんでしょうかね。疑問、でしょうか」
差し出されたサイン済みの紙切れを受け取りながら、長身の青年は「うーん?」と首を傾げました。
「どこぞの映画でも、豚が空を飛んでいましたよ」
「ああ、あれはなかなか面白いな。しかし彼は人間だ。純粋なる由緒正しき豚ではない」
「それはそうですけどね。……いや、話が変わってきていますよ」
「私が何故、空軍にいるのか、かい?」
豚はかたり、と椅子を引き立ち上がりました。その身を包む軍服の、ぴしりと留められた襟元を緩めながら豚は窓へと近付きます。
「ああ、やはり窓はガラスがはめられているものだな」
「は?」
「君は窓から放り投げられて空を飛んだことがあるかね?」
あるわけがない。
「そんな奇怪なものをみる目で私を見ないで欲しい。私たち兄弟が一匹豚になる日までと誓い合って別れたあの日、我らは空を飛んだのだ」
「経緯はお聞きしませんが、まさかそれが空軍に入隊した理由ですか?」
豚は「はっ」と鼻を鳴らしました。なんだか馬鹿にされているような気分がしましたが、紛いなりにも上官になるのですから、青年は豚の背中を眺めつつ夕食の献立を考えることで気を紛らわせることにしました。
「あの日空を飛んだ豚は三匹。それが理由なら、我らは皆、今も空を飛んでいるだろうな」
しかし私一匹だけだ。
遠い過去を懐かしむように、豚が言います。
「では、他に理由が?」
「あるとも」
「何ですか?」
興味本位に話を切り出した手前引くに引けず、青年は豚に問いました。
「何故、軍に?」
「学費と生活費が掛からない」
「は?」
「士官学校は、優秀な生徒には奨学金を出してくれる。宿舎もある。そして無事入隊を果たせばその先は就職活動にも煩わされない。素晴らしい!」
そうは思わないかね?
「……」
「何だい」
「思いの外現実的な回答で困惑しております」
「うむ、その正直なところは私の弟に似ているな」
なかなか好ましく思うぞ、と何故か満足気に頷き、豚は青年の肩を叩きました。
「さあ、休憩はこの辺にして、仕事へ戻ろうではないか。国境付近がきな臭い。我らの出番が近いぞ」
豚の鼻はよく利くのです。
「まったくこの国というものは、素晴らしいな。私の故郷と違い実力さえあれば豚にも活躍の門戸が開かれる」
「平民出の自分にも開かれていますからねえ」
「我らは自由だ。自由は素晴らしい。だが自由は義務やら責任の下に保証されるべきものだ」
豚は豚らしくなく非常にまじめなことを言い出しました。黙って耳を傾ける青年に、豚は皮肉気な笑みを浮かべます。何だか少し腹が立つような気分がしましたが、きっと気のせいだろうと、青年は自分に言い聞かせました。
「豚が空を飛ぶなどという馬鹿げたお伽噺が聞ける世の中に、私はしたいのさ」
「ああ、何だか本当に腹が立つなあ」
「……君、本音が口から飛び出しているぞ」
「失礼しました。正直者なもので」
真面目くさった顔を作り敬礼してみせる青年に、豚は肩を竦めました。
「まあいいさ。仕事の時間だ、行こうじゃないか」
扉を指し示し、豚は言います。
「いいか、忘れるな」
とん、と豚は青年の肩を叩きました。
「狼には気をつけろ」
「……新手の暗号ですか」
青年の困惑を清々しく無視し、豚は凛々しい顔で扉に手を掛けました。
「この先が、私たちの道だ」
帝国空軍元帥として偉大なる名を残した豚の話がお伽噺ではなく伝説と呼ばれることになろうとは、豚(本人)にも与り知らぬ先の話なのでした。