交渉
扉の開く音とともに男が部屋に足を踏み入れると、中で待っていた彼は口を開いた。
「お待ちしておりました。そちらにおかけください。」
男が何も言わずイスに座ると、また彼が話し始めた。
「本日お越しいただいたのは他でもありません。実はあなたにお伝えしたいことがありまして。」
「あんたに呼び出されたってことは、どういうことかわかっている。
だがな、俺にだって家族がいる。この仕事にだってやりがいを感じている。
そう簡単にやめるわけにはいかないんだよ。」
男の口調はやや強めだったが、話している最中に彼の目を見ることはできなかった。
一方彼は男から目を逸らすことなく、淡々と続ける。
「本日の内容をご理解していただいているようで、まことに感謝しております。
それでは単刀直入に申し上げます。
ぜひあなたに、早期リタイアをおすすめいたします。」
「やっぱりな。しかし、さっきも言ったように俺はやめるつもりはないぞ。」
うつむき気味の男に、彼は説明をする。
「もちろんただで、とは申しません。
次の場所ではあなたが有利になるように手はずは整えます。
あなた、現在の自分の居場所、立場に本当に満足していますか?」
「だがなぁ」困ったように頭をかく男。
「さっきも言ったが、家族もいるんだ。
迷惑をかけることになってしまうだろう。そこが一番心配でなあ。」
「それでしたら、心配は不要です。
あなたが辞められた際、それ相応の金額がご家族の手に入ります。
まあ簡単に言ってしまえば退職金のようなものです。」
「うーん」
口に手を当て、前傾姿勢で悩む男。
彼が追い打ちをかける。
「さきほどやりがいとおっしゃいましたが、本当にそう思っているのでしょうか。
与えられた場所で、与えられたことをするだけ。それが本当にあなたのやりたいことでしょうか。
一旦ここでリセットし、また一から、いえ、ゼロからスタートするまたとないチャンスですよ。」
しばらく沈黙の後、男は口を開いた。
「分かった、お前の言うとおりにしよう。
ただし、これだけは約束してほしい。
次はもっといい条件のところを手配してくれ。
そして家族が不幸にならないようにしてくれ。」
「もちろんです。あなたも、そしてご家族も必ず後悔はさせませんよ。」
イスから立ち上がった死神は、男に向けて鎌を振り下ろした。