担任は水本、後ろの席はウエダユウ
5時間目。うちのクラスの担任の水本が教える国語総合現代文だ。
担任の水本は27歳。私たちより10歳近く年上なのに結構女子に人気がある。細身の体つきだが華奢なわけではなくて、身長も175センチくらい。優しくて理知的な顔。肩より少し長い髪を後ろで一つに縛っている。
髪が伸びるのがえらく速いらしい。自己紹介の時にそう言っていた。授業の時だけ銀縁のだ円形の眼鏡をかけるが、本当は度が入っていないんじゃないかという噂だ。
実は私は水本を「好きな人」に選んだ事がある。
しかも2回も。
そのうち1回は朝のショートホームルームで髪の話をした日の事だ。頭髪検査の話から自分のくくっている髪の話になった。
とにかく伸びるのが速いからそれですごく困っていると。「職員室の端っこで切っちゃうときもあるんだよね」と言って笑ったのを見て、その日の好きな人に決めた。その話を聞いて、まぁ気持ち悪いっちゃあ気持ち悪いんだけど、私もほんのちょっとだけ、水本の髪を切ってみたいと思ったのだ。その時だけ。
授業も20分を過ぎた頃、今日の日付で当てられた15番のフジモトが教科書を読んでいる時に後ろでガタっと音がした。
後ろの席はウエダだ。上田悠。
外を横目で見ていた私は、少しびくっとした。
ウエダユウはアキラと同じ中学出身らしい。同中の子は一人しかいなくてそれがウエダなのだとアキラが前にそう言っていた。
ウエダの立てた音で水本がチラっとこっちを見て、私は目があってしまったので、慌ててすぐ教科書に目を落とした。が、「ふん?」と水本が言うのでまた顔を上げる。
「どうしたウエダ」と水本が言った。「外を気にしてるカミバヤシをせっかく当てようと思ってたのに」
え?
「こらこら」と水本がちょっと笑いながら言った。「ウエダが今度は外見てどうすんの?」
クラスのみんながいっせいにこちらを見た。ウエダは何も言わない。もちろん私はウエダを振りかえる事なんて出来ない。
あ、アキラもこっちを見ている。アキラは私じゃなくて後ろのウエダの方を見てるみたい…
恥ずかしい私は、ちっとも恥ずかしくないです先生何言ってんですか?って顔をして、みんなの視線を避けるようにして水本の後ろの黒板をじっと見た。
「よしじゃあ次はウエダな」と水本が言った。「4段落目から7段落目までの主人公の顕著な気持ちについて」
ちっ、とウエダが舌打ちするのが私の背中に聞こえた。
ウエダは少し苦手だ。たいがいの男子とまだあまり喋れていないが、席はすぐ後ろなのに私はウエダともまだほとんど喋った事がない。私が「先生がプリント集めてって言ってたよ?」と伝えたり、「なぁこれ、誰がここに置いてった?」とウエダに机の上にあるものを聞かれて、「それ、さっきハシモトさんが持って来たけど」って答えたとか、そんなところだ。
ハシモトさんが置いていった、という答えにも、ちっ、と舌打ちされたのを覚えている。でもあの時何が机の上に乗っていたかは思い出せない。
ウエダを好きな人に選んだ事はない。私自身が優しくされた事も、誰かに優しくしてるのを見た事もないからだ。
けれど女子には人気がある。
私が『今日の好きな人』に対してしているチラ見とは大違いのガン見を、ウエダはいろんな女子から頻繁にされているし、他のクラスの女子もトイレに行く途中とか移動教室への途中とかでガン見していく。
よく喋るわけでもないし、愛想が良いわけでもないのに、見た目重視の女子から多大な支持を得ているのだ。
1回、アキラに「ウエダの事どう思う?」と聞かれた事があった。それはまだ4月。私がウエダの前の席ではない時だった。だから1回もウエダと話した事がなかった頃だ。
その時私がなんて答えたか…よく覚えていないが、アキラが同中なのを知った後だったので、アキラってもしかしてウエダの事好きなのかな、と思ったのだった。
アキラとウエダだったら結構インパクトのあるカップルだと思う。ウエダは身長が180くらいはあるから、女子としては結構身長高い方のアキラでも隣に立ったら可愛いらしい感じに見えるかもしれない。実際二人が仲良く喋っているのを見た事はないし、それ以来アキラがウエダの事を話すのを聞いた事もないが、二人とも髪の毛が細い質感で少し茶色っぽいし、容姿も整っているし、ファッション雑誌に載っているカップルのモデルにもいそうな感じ。美男美女って感じだ。
5時間目が終わり、6時間目までの10分休憩。
急に気付いて、「あ」と私は心の中で声を上げた。
もしかしてウエダは、私が水本に当てられそうなのに気付いて、音を出して教えてくれたんだったりして…
…いや、とすぐ考え直す。後ろからはわからないよね。だって私、首まで向けて外を見てたわけじゃないもん。
つつ、っと私の席の横にアキラがやって来た。
何も言わずに少し私を覗き込むようにしてから、私の頭をぽんぽん、と優しく触る。
「あんまよそ見しちゃダメだよ」とアキラは私にだけ聞こえるように言ってにっこりと笑った。
「あ~…うん」そんな注意、友達からされたらちょっと恥ずかしい。「そんなにはしてないよ?」
「そう?ジュンは時々、喋ってても、私じゃなくて違うとこ見てる時あるから」
え?それって私が『今日の好きな人』をチラ見してる時かな。
チラ見をしているところを言われたんだとしたらマズいよね?誰にも気付かれないように見なきゃいけないのに。
それでも普通の人は気付かない事を、友達だから気付いてくれたのかと思って恥ずかしいけど嬉しい気持ち。
アキラが自分の席へ帰って行くと後ろの席のウエダが私を呼んだ。
「カミバヤシ」
無言でぱっと振り向いてしまった。
「お礼は?」と言われる。
え?
きょとんとして間を空けてしまったが、ワンテンポ遅れて気付いた。やっぱりさっきの椅子の音は、水本からふいをつかれて当てられるのを防いでくれたって事か?
「…ありがとう」結構素直に言ってしまった。
でもなんでわかったんだろう。私が外を見てるって。
「お前のせいでオレが当てられたし」
うわ、お前って呼ばれた。なんかちょっとウエダにお前って呼ばれると怖い感じ…。
でもそっか…「…ごめん」
「お前、それに猫背になってる」
「え?」
「猫背になってる」
ビックリしてきゅっと背を伸ばす。「…あ、えと、ありがとう」
驚いた。あんまり話した事のないウエダに猫背を注意されるなんて。
ダメだな。母さんにも言われて気を付けてたはずなのに。後ろから見たら結構酷いのかな私の猫背。親しくないウエダに注意されるくらいだから酷いのかもしれない。
気を付けよう。
「まぁそこまでじゃねぇけどな」私の心を読んだようにウエダが言った。
ぽかん、としてしまう。
「後ろから見てると」とウエダが言う。「お前、注意がそれて来て、なんか他のとこに目ぇやってる時、ちょっとだけ猫背になってる」
マジで!?「…わかった。ありがとう気を付ける」




