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第一話,告げる風




 {1}


 小学校の先生になるのが夢だった。

 先生の存在を『教師』と認識できるようになった今でも、それは変わらない。夢としての形は変らない。

 ――でも、揺らいでいるのは確かだ。


 永刧の憶分の一にも満たない夏休みを終え、早、三週間が経過する。

 高校生活を重ねるたびにその退屈さを肥大化させる授業を曖昧に聞き流し、旭川美穹乃あさひかわ みそのは近頃の自分を誰にともなく実況中継していた。無名のアナウンサーによる音声のない中継が、果たして放送局と繋がっているかどうかは、暗黙の常識から推定するしかない。


 旭川美穹乃。十六歳。

 小学校の国語の教師である母が考案した名前は、美しい空のなんじという意味らしい。最近、初対面の相手に挨拶をした後の第一声が名前に関する感想からだと、分かってきた。

 古い人種である父は、愛娘に淑やかな京都美人に育ってほしいと願っているっぽく、小から大と連なる女子一貫校へ半ば強引に押し込めた。美穹乃が小学校の教師を目標に定めているという周知の既成事実も兼ね、晴れて文教女子短期大学の附属の下に美穹乃の将来は委ねられたのだった。

 他意はない。反発もなかった。

 同性なお陰で隔たりなく親しめる女友達も、沢山できた。ここまで育ててくれた両親にも感謝している。いつか、親孝行をしたいとも思っている。

 ただ――


 何かが足りない。欠落している。最近は特に、そんな虚無感にかられる時間が多くなってきた気がする。

 今も、そう。



「ねぇ。あの先生さ、カッコ良くない?」

「暗黙の了解でしょ。そのくらい」

「ウソ?! まさか志帆っちも狙ってるの?」

「さあ、どうかなー」

 通路を挟んで隣接する席から、女子特有のひそひそ話が繰り広げられている。

 系列の校舎に男子生徒はいない。この程度、日常茶飯事の域だ。


(あ〜あぁ。心底やる気なくす)

 倦怠感の過密する顎を両手の平で支え心中で愚痴た美穹乃は、窓際の席であることを最大限に利用し、初秋にして色気づく早熟な紅葉もみじをぼんやり眺める。年齢の層で分けられた校舎には、京都を象徴させる秋の色が鏤められていた。

 四階からなら眼球を働かせなくとも位置を確認できる体育館では、どうやら大学生の先輩がバレーを演習しているようだ。声が、男子並に太い。

 うっすらと、最近テレビで放送されたホラー映画の断末魔の叫びを彷彿した。惨劇と化した体育館を想像して気持ち悪くなった美穹乃は、周囲に悟られぬよう自然な動作で自分の肩を抱く。

 学校の敷地から外、界隈かいわいには、年期の入った寺院が多数点在している。

 伽藍がらんへと続く参道に負けないくらい車道も通ってはいるが、車を乗り回すのはもっぱら観光客。まさか、舞子と呼ばれる芸者が着物姿で車を操っているなんてことはない。どこぞの都道府県が源泉の根も葉もない迷信だ。観光のパンフレットを妄信する無知な外国人でも、そんな冗談を信じたりはしないだろう。


 生徒の大半が待ち詫びていたチャイムが校舎に響き、「起立!」「礼!」と続く律儀な形式に、教室を占める二十数名全員が従った。

 午後の授業は閉幕。

水を得た魚のごとく加減なき音量で談笑する大多数を尻目に、一人の生徒が規則的かつ無駄のない迅速な所作で、帰り支度を始めていた。

 美穹乃は終始夢中で話す友人を手で制して、かばんを抱いたまま教室を去ろうとする彼女を追う。


「喩樹。今日も、塾?」

 廊下まで駆けた美穹乃はいつもの声色で、早乙女喩樹さおとめ ゆきを引き止めた。

「葬式。親、死んじゃったから……」

 背を向けたまま、喩樹は事情だけを口にした。


(へ……何、まさかジョーク? 喩樹が?)

「ホント? いつ?」


今朝けさ

 言って、ようやく美穹乃の方へ首を回す。明らかになった表情は、無の膜を張っていた。


「だって、普通に受けてたじゃん。授業」


 喩樹はいつも大人しく席に座っているような、物静かな子だ。本人いわく、自分は根暗で無愛想。美穹乃は否定しなかった。否、できなかった。漢字を読めなかった頃から喩樹を知っている、

 美穹乃だからこそ。


「……美穹乃には無関係でしょ。私の両親がどうなろうと」

 後頭部の髪を軽く留めてできた尾を揺らし、喩樹は進むべき通路へ視線を戻した。

 まだ、生徒の影はない。


「あたしにだってカンケーある!」

 美穹乃は考えなしに、喩樹の主張を否定した。あの時はできなかった否定を。

 二、三歩のところで歩行を中断した喩樹は、勢いよく振り向き――

「別に困らないでしょ? 美穹乃は」

 皮肉をぶつけた。


「困らない……けど」

 喩樹の強い弁舌に言い淀む美穹乃は、俯く。

 隙を見計らって、喩樹は速足で行ってしまった。美穹乃は追おうとした。

 けど――


「美術館廃止になるって、今のうち観に行こうよ」

「うん。行こ行こ」

 隣の教室から後輩の生徒が飛び出してきた。

 面食らった美穹乃は、しばらく茫然と立ち尽くすことを選ぶ。


(あたし……、バカだ)




 {2}


 京都の風情から乖背した近代的な市街は、学校を出て西へ、小川一本越せば見えてくる。

 旭川家、つまり美穹乃の住まいが地理的に位置するのは、ちょうど京都市中心街と京都大学の中間だろうか。京大医学部の管轄である附属病院も、当然、近くにある。何かあったときには好都合だ。

 美穹乃は何気に勘繰る。何かとは何なのだろう? 病気? それとも事故?

 そんなこと、自分には無縁に思えた。否、そう思っていたいのが人の性分なのだ。美穹乃が特別、楽観的な訳ではない。

 不意に空を仰げば、あたかも王城のように街路の中枢に鎮座するデパートが、施錠を忘れた美穹乃の視界を陣取る。

 ――京都は変わった。

 美穹乃の周囲にいる大人は、そればっかだ。何が変わったのだろう? 単純に風景? 町か街? あるいは人?

 かつて団塊と称されていた世代の間で謳われている『昔の京都』を知らない美穹乃には、想定できる変化に具体性を求めることはできなかった。


 ついさっき経験した苦汁をしきりに頭を働かせることで誤魔化しながら、美穹乃は侘びしい歩道を行く。夕暮れが近づくに連れ、人の往来は逓増する一方に傾いていた。

 気鬱から俯きぎみに歩いていた美穹乃は、濡れた雑巾を壁に打ちつけたかのような音にびくんと反応し、それに続いた短い悲鳴に、無意識に顔を上げた。

 幾重にも交錯する車道が敷かれた大通りで、その光景は展開していた。


「ウソ? 事故……?」  呟いた美穹乃が視線を送る先には、動物っぽい何かの死骸。否、まだ死んではいないかもしれない。

 大通りの中心から立ち込めるのは――

 不快感と、

 風が散らす臭気。


「やだ……、猫?」

「やけに大きいな。野良猫のボスか?」

 悲鳴のした方向とは別の位置から、大学生のカップルらしき二人組が目先の情報を垂れ流した。


(なんか不吉……。事故ったの猫なんだ)

 確かめるのは野暮だ。美穹乃は踵を反し、全力で走ってこの空気から逃げようとした。

 一刻も早く――


「って……、あらららぁあ?!!」

 刹那に吹いた強風に背を押され、美穹乃は対応しきれず下半身を礎にした均衡を崩し――

 前屈みにずっこけた。

「痛った……。誰? 押したの」

 愚痴りながら身を起こして、美穹乃は転倒した位置を顧みる。

「へ…………?」

 誰一人いなかった。影も形も。

 美穹乃は性急に辺りを見渡したが、はり命あるモノの姿は見受けられない。

「これって……、どゆこと?」

 不安を紛らわすため呟いた美穹乃は、痺れの発信源であろう両肘の擦り傷を確認する。いくつか痕があった。気づけば、露出した脚にも数箇所できていた。

「もう、最っ低ぃ……」

 美穹乃は溜め息まじりに愚痴た後、脇道から覗く小川の脈に沿って、片足を微妙に引き擦りながら駆け出した。この路地は、たまにしか利用しない自宅への近道だった……。




 {3}


「患者が消えた!?」


「はい。すべての病棟を捜したんですが……」

 控えめに陽光が射し込む院長室で頭を下げるのは、看護士として常勤する京大医学部の男子学生。

 用件は、担当する患者の失踪。


「いつだ?」


「はい?」

 分からないといった様子で直立する見習い看護士に、五十の台に乗ったばかりの院長は、

「私は君にいつだと訊いてるんだ! 患者がいなくなったのは、いつだと」

 声を荒げた。

「は、はい。一時間半前です」

 直立不動はそのまま、青年は質問に答えた。


「一時間半? その間、君は何をやっていたんだね」

 質す院長に、青年は姿勢の水準を一段階上げ、

「はい。さきに言った通り、患者を捜していました」


「報告は?」


「はい。今が、最初で最後です」

 椅子の肘掛けに腕を置く院長をしかと見据えながら、青年は発言する。

「不要な混乱を避けるため、他の看護士や医師には話していません」


「――馬鹿者!!」

 怒号が被さる。

「先にすべきは上への報告だろうが! 君は、脳系統の神経に何か欠陥があるのかね? 話は終わりだ。とっとと私の前から失せろ」


「あぁっ、はい! 失礼しました」

 大学病院の全責任を背負っている院長の剣幕に圧倒され、青年はパニくりながら部屋を退こうとするも――

「待たんか!」

 怒声が跳ねた。

 青年は恐る恐る背後を窺って、

「何でしょうか?」

 尋ねてみた。

 椅子にもたれる院長は、概観して表情からは憤怒が読み取れない。


「名前」

  

「はい?」

 すっとぼける青年に、院長は立場というみのに潜らせた憤慨を露にして、

「消えた患者の名義だ!!」 怒鳴った。

「……はぁ、それが」

 青年は堪らず院長から目を逸らして、

「調べても、住民登録されていなかった名義でして……」

 声色を落とす。

「いいから、さっさと教えろ」

 組んだ腕を解き、苛立った口調で促す院長。自信なさげに、青年は院長のそれに視線を寄越し、

「十六、七の少年なんですが、千歳励ちとせ れいと名乗りまして。女っぽい名前ですし……、変じゃないですか?」

 偽名ではないか、と共感を誘う青年。院長は椅子を回すことで、それを視界から外した。


 ――千歳励。


 おそらく、いや確実に院長は聞き覚えがある。ただならぬ横顔からそう察した青年――沓掛幹秀くつかけ みきひでは、音をたてぬよう細心の注意を払いつつ、部屋を後にした。




 {4}


 美穹乃が自宅に帰ってからまず最初に行ったのは、傷口の洗浄。シャワー備え付きの浴槽ではなく、台所に乗り上がって処置をした。踏み台にしたのは付近の椅子。母が、棚の高い位置に収納されている食器を取り出すときに用いる奴だ。 次に、救急箱の捜索。これは、意外にもすぐに見つかった。数珠つなぎの絆創膏を三つほどちぎり、一時は肘と膝の痕を塞いだものの、「みっともない」と嘆いた美穹乃は、貼ったばかりの絆創膏をすぐに剥がしてしまった。

 その後、迷わず自分専用の部屋に向かった美穹乃は、コンクリの塗装で汚れた制服をベッドに投げ捨て、タンスから引っ張り出してきたカジュアルな上下をなるたけ急いで着た。意図的につけられた傷のないデニムのズボンを穿くのは、すこぶる久々だった。若干、サイズが厳しかったが、「女の子はこれくらいがベストでしょ」との一言により、最近ちょっとだけ太くなった自分の脚を美穹乃は肯定することにした。肘の痕は、シャツの上に重ね着した丈のあるジャケットで隠蔽。


「うし! あたし完璧」

 等身大の旭川美穹乃を映す鏡に『Good』をキメた美穹乃は、鞄から探し当てた財布をズボンに突っ込んで、寝転がってくつろぎたい衝動を誘発するマイルームから脱出した。


(喩樹の言ってたことがほんとなら。葬儀、行かなきゃ)

 幼馴染みとして……。




 {5}


 京大総合人間学部の助教授である須賀庵理は、与えられた自室のデスクに腰掛け、個人のサーバーに宛てられたメールを読んでいた。他県の大学への出張に関する予定を主に、修士過程を控えた学生からの論文絡みの依頼など。別段、返信に急を要する訳ではない。助教授に昇進して三年も経つ須賀には、さして意識せずとも記憶に刷り込むことは可能だ。

 対して、数十分前から須賀の明晰な頭脳を支配する“研究対象”に関連した事柄は、メールに乗せられた些細な事項とは比較にならない。


 ――助教授就任。おめでとさん。


 パソコンに展開するウィンドゥを眺めながら、須賀は数十分前の会話を反芻していた。


 ――千歳か? 生きていたんだな。


――見りゃ分かんだろ。それとも、あんたの眼にゃ穴あいてんのか?



 ――三年間、なぜ失踪を演じていた?


――いいのか? お抱えの生徒さんが聞いてるぜ。


 すっかりぬるくなったコーヒーを喉に通した須賀は、目頭を押さえるながら椅子に躰を癒着する。

 ドアを連続して叩く音の後、

「須賀先生。お邪魔してもいいですか?」

 理知的でいて、どこか愛らしさの残る声が、ドア越しに聴こえた。


「君の判断に任せる」

 目頭から指を離した須賀は、大きめな声で煽った。

「はい。では……」

 言ったのちドアを引いて、

「失礼します」

 小さな女学生が、決して立派ではない体躯を晒す。

 須賀の記憶では、名前は篠塚彌生しのづか やよい。須賀の指導する三年生だが、実質上の学力は修士過程のみならず、博士過程の学生にすら匹敵する水準だろう。といっても、指導教官である須賀の評価だが……。


「先程の件か?」

 冷めたコーヒーを捨てに立った須賀が、彌生の顔を見ずに言った。

「ええ、先生の口から話してもらわないと、気が気じゃありません」

 大袈裟な、と須賀が振り返り表情を窺うと、彌生は真摯な眼差しを返してきた。

「あの少年は、須賀先生の何なんですか?」


「その前に――」

 投げかけられた質問には応じず、須賀は茶色い液体を台所に流しながら、

「君が彼と知り合った経緯いきさつを、話してもらおうか」

 言って、顔だけ彌生へ寄越した。


「……そうですね。それが道理です」

 ドアを背に立ち尽くす彌生に、コンロでお湯を沸かし始めた須賀は冷静な口調で、

「座ったらどうだ。コーヒーもすぐに煎れる」

 論文を提出しに訪ねて来る学生用の椅子を勧めた。

「あ、私がコーヒー煎れようと思ったんですが……。まあ、いいです。今回は見逃しましょう」

 須賀の行動に目をつむったらしい彌生は、引いた椅子にちょこんと腰を落とし、軽やかなスカートを臀部の下に片手でするりと通した。


(コーヒーを煎れようとした? ここは、僕の自室なんだが……)




 {6}


 京都で亡くなった者の葬儀は、大抵、命日であるその日か翌日までに執り行われる。

 京都市には寺院が広く遍在しているが、その中でも正式な修行を経た住職が管理している伽藍は、意外に少ないのだ。予約した『客』が他に移るといったケースも珍しくない。人の訃報が電波を飛び交うことで儲かる営利商売である以上、競る心理が働くのも否めない。

 複雑な感情をない混ぜにした美穹乃は、軽度に錆びたオンボロ自転車をあちこち転がしていた。携帯電話を介しての喩樹との音信が途絶えた今、美穹乃は勘を頼りに寺院を巡るしかなかった。


 ――確か、喩樹には大学生の姉がいる。

 めぼしい寺院をいくつか潰したあたりで思い出した美穹乃は、着信履歴には出現することのない名前をカテゴリーから探した。

「……あったあった」

 自転車のサドルに股がったまま、美穹乃は小さな感動を覚えた。

 現在の座標は東山区から少しはみ出した辺り、圏外なはずがなく、電話はすんなり通じた。短く、互いが本人であることを承知し合う。

 美穹乃は自転車を電柱の側に停め、重たい話題を切り出す。

「あの……突然ですが、早乙女さんのご両親がお亡くなりになられたって、ホントですか?」


「そう、喩樹から聞いたのね……。本当よ。迷惑な話よね」

 どこか冷たいようで温かい、落ち着いた声が返ってきた。


「葬儀、今日なんですよね? 場所はどこですか? あたしもお線香ぐらいは……。出席とまでは、いきませんけど」

 早乙女夫妻と直接的な親交があった訳ではない。それでも、友達である喩樹の両親なのだ。亡くなったというのなら友達として、しらんぷりはできない。


「浄泉寺。市役所の近くよ」


「えっと……、浄泉寺ですね。あたし、行ったことあります」

 美穹乃の座標からはやや距離がある。そこに辿り着くには、あの鴨川を越えなければならない。

「それより、葬儀が今日だって……驚いた?」


「え?」


「私の要望なの。できるだけ早い方が良いってお願いしたら、親戚で住職をやっているおじさんが『命日である今日が良い』って言うものだから……」


(お姉さん。何を言い出すんだろう……?)

 両親が逝ってしまったというのに、死を認めないどころか自ら現実味をそそっているのだ。

 美穹乃には、信じられなかった。

「いやいや、そんなのフツーですよ。嫌なことは、早く済ましちゃった方が楽ですから」

 例外はある。この場合、冥土に旅立つ仏様に対して薄情ではないか?

 他人の失言をフォロー。

 美穹乃にとって、それは十八番オハコのようなものだった。


 推定される到着時間もろもろを伝えた後、美穹乃は自分から通話を切った。

 肺に吸い込んだ二酸化炭素を目一杯まで吐いた美穹乃は、傍らの電柱に思いっきり背を預け、憎いほど蒼々とした無言の空を仰ぐ。

(遺された人は、皆すぐに忘れようとするんだ……)

 朝、普段と変わらぬ様子で挨拶を交した喩樹も、両親をともらう儀式を後始末のように話す喩樹の姉も。

 そして……、

 世界で一番大切な存在だった幼馴染みがいなくなったとき、躍起になって忘れようとした――


 自分も。




 {7}


「亡くなったって……本当だったんだ」

 信じていなかったわけではないが、実際に葬儀独特の重たい空気を吸ったとき、美穹乃は無意識に呟いてしまった。幸い、至近に人はいなかったので睨まれることはなかった。


(これから、焼いて骨にしちゃうんだ……)

 砂利の敷かれた参道に停まっている霊柩車の周囲には、五十人以上の老若男女が群がっていた。比較的、黒を基調とした重苦しい衣服が目につくが、中には仕事場から直行したらしい大工か職人風の中年や、艶やかな和服姿の芸者まで混じっていた。さすがに、大工は職業道具を手には握ってないし、芸者は化粧で顔を白くはしてなかった。

 何をすれば良いのか分からず、しばらく美穹乃は立ち尽くしていると、

「来たんだ……」

 背後から、声を掛けられた。

「喩樹?!」

 制服のままの喩樹が、無表情で立っていた。喩樹は人影のない砂利道を歩きながら、

「驚いてんの? 居て当然でしょ、親の葬式なんだから……」

 一度、顔を霊柩車の方へ向け、

「ほら、泣いてる人いないし。もう終わるよ」

 淡々と話した。


 砂利がこすれる音。

 去ろうとする喩樹の腕を掴んだ美穹乃は、足許に敷き詰められた砂利のように収まりなく散らかる感情を抑えきれず、

「もっと素直になりなよ! 悲しいなら……もっと、悲しそうに振る舞ったら? それじゃあ、周りが分かんないじゃん。ちゃんと優しくできないじゃん!!」

 言いたいことを言った。

 友人の性格を感情的に咎めた美穹乃に、後頭部を向けたままの喩樹はさらりと言い放つ。

「へぇ……、美穹乃は同情したい人なんだ。ごめん、私はパス」


「そんな、言い方って……」

 ――砂利が激しく喧嘩する音。

「ちょっ、パスってどーゆー意味か解らないじゃん。待ちなよ。喩樹!」

 無視して喩樹は、境内から駆けて出ていってしまった。

 呼び止められなかった美穹乃は、背に突き刺さる何かを感じて、慌てて後方に視線を飛ばす。

「何? 誰かいるの?」

 霊柩車の方角は、今は銀杏いちょうの木が死角になって窺えない。どうやら、人の視線ではなかったようだ。

「気のせいだよね。霊じゃ……あるまいし」

 いつも美穹乃の不安を紛らしてくれる自己暗示は、今回ばかりはちゃんと機能しなかった……。


 太陽の笑顔は雲に遮蔽され、辺りは暗くなる。ややあって、美穹乃が誇る栗色の髪が風にそよいだ。


(喩樹のお姉さんに挨拶しなきゃ)

 思い立った美穹乃は、銀杏ぎんなんの縄張り横断して霊柩車の待機する周辺に近づくことにした。重量感のある空気は、我慢するしかない。


 喩樹の姉とは面識がある。もっとも、喩樹とは幼馴染みなのだから、あたりまえだ。

 周囲の空気に溶け込みつつある美穹乃は、記憶を頼りに捜していると――

「旭川さん?」

 電話で聴いた声がした。微妙に音質は異なってはいたが、雰囲気はドンピシャだ。


「えっと、お姉さん……じゃなくて、早乙女榧さおとめ かやさん。ですよね?」

 社交辞令で愛想笑いしつつ、美穹乃は尋ね返した。

「下の名前、覚えていてくれたのね。ありがとう」

 頭でも下げそうな勢いで、榧は感激を示した。落ち着いた風采とはうってかわって、言動は外れたところがあるようだ。


「いや、はは……、人の名前を忘れたりなんかしませんよ。あたし、記憶力は自慢ですから」

(携帯のメモリー調べるまで存在すら忘れてたけど……、まぁいっか)


「葬儀はほとんど済んじゃったけど――」

 帰り際の団体に肩を接触した榧は言葉を切り、「すみません」とお辞儀で詫びながら、美穹乃の隣に肩を並べた。

「線香ならまだ間に合うかも。する?」

 脇の美穹乃へ顔を向けて、榧は提案する。

 長身の部類に入る榧を上目遣いで見据え、

「そりゃーできれば、是非、します。そのために来たんですから」

 美穹乃は応じた。


「そう……じゃあ、いらっしゃい」

 感情が読み取れない声色で言ったのち、榧は本堂に向かって歩き出す。


(事故の詳細とか、誰かから聞きたかったんだけど……)

 首をきょろきょろさせて辺りを洞察しながら、榧の跡をつける美穹乃。

(不謹慎だよね。あたしったら)

 内意を払った美穹乃は、大人しく榧の背を追うことにした。

 不意に気になって、さっき何かを感じた位置を顧みるも――


 あるのは、代わり映えもなくそこに居座る銀杏の木だけ。小鳥すらいない。


(なぁ〜んだ、やっぱ気のせいじゃん)




        つづく

無知で浅学ながら、どうにかです。

もう自棄ヤケです。

京都の地理的な関係性は半ば仮想です。

それと、話は違いますが、小説から離れた文章での慇懃無礼な敬語は、相手が人生の先輩だと仮定しているからです。従来、小説は大人の嗜好品と定義されていましたから(百年も昔ですが)。でも、昨今の小説は意外と層が割れてないんですね。考えを改めます。されど敬語は放棄しませんので、悪しからず。

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