第9話:ヘイト伝播バグと、スラムの革命
王都外縁の廃棄区画、通称『泥の街』。
上流階級が住む華やかな中心部から高い壁で隔てられたこのスラムは、常にどんよりとした空気に包まれていた。
「(えーっと、闇商人のテントは……あの路地を抜けた先だな。後半のボス戦をスキップするために、ここで『違法な火薬』を大量に買っておかないと)」
俺は、頭のフライパンを深く被り直し、悪臭漂う路地裏をズカズカと進んでいく。
背後では、シルフィアが周囲を警戒しながら、俺の影を踏まないように恭しくついてきている。
「主様。この澱んだ空気……王都の光の影で、これほど多くの民が苦しめられていたのですね。神の救済は、この場所には届いていないとでも言うのでしょうか」
シルフィアが、道端でうずくまる飢えた子供たちを見て、悲痛な声を漏らした。
「ああ? 救済? そんなもん運営(開発)が設定してないだけだろ」
「設定……。やはり、王都の繁栄そのものが、神が一部の権力者にのみ与えた『歪んだ恩恵』だということですね」
「(……ん? 何か話がズレてる気がするが、まあいいか)」
俺はシルフィアの独り言をスルーして、闇市場へと続く大通りの角を曲がった。
しかし、そこで足が止まる。
「おいおい、冗談だろ」
闇市場への入り口を、白銀の鎧を着た王都の『正規騎士団』の小隊が、バリケードを築いて完全に封鎖していたのだ。
本来、スラムに正規の騎士が来ることはない。俺が地下迷宮からプロップ・サーフィン(瓦礫乗り)で天井をぶち抜いて地表に飛び出したせいで、異常事態として検知されてしまったらしい。
「ここから先は通行止めだ! スラムのネズミ共は大人しく小屋に引っ込んでいろ! 地下からの爆発の原因が判明するまで、不審者は即刻斬り捨てるぞ!!」
隊長らしき騎士が、剣を抜き放ちながらスラムの住人たちを威圧している。
怯えて後ずさるモブNPCたち。
「主様、どうやら先ほどの私たちの『飛翔』が原因で、王都軍が警戒を強めているようです。ここは私が囮になり、血路を開きます!」
シルフィアが双剣に手をかけ、冷酷な暗殺者の目つきに戻る。
「やめろ。お前がヘイト(敵対判定)を買うと、王都中の衛兵が『警戒モード』になってショップが利用できなくなる。……ここは、システムに同士討ちさせるのが一番手っ取り早い」
俺はインベントリから、始まりの街で入手した初期アイテム『腐ったリンゴ』を取り出した。
「システムを、同士討ち……?」
「ああ。このゲームのNPCには『派閥』って属性が設定されていてな。騎士は【王都派閥】、スラムの住人は【スラム派閥】だ」
俺は腐ったリンゴを右手で軽く弄びながら、騎士団の隊長と、その近くで怯えているスラムのチンピラ(NPC)の位置関係を測る。
「もし、別々の派閥のキャラ同士でダメージ判定が発生すると、システムはそれを『派閥間の戦争状態』と誤認して、エリア内のNPCが勝手に殺し合いを始めるんだよ。通称『ヘイト伝播バグ』だ」
「……は? 主様、何を仰って……」
俺はシルフィアの疑問を待たず、スラムのチンピラの背後に音もなく近づいた。
そして、そのチンピラの腰のベルトに、腐ったリンゴを無理やりねじ込む。
「な、なんだテメェ!?」
チンピラが振り返ろうとした瞬間、俺はチンピラの背中を思い切り蹴り飛ばした。
「うおわぁっ!?」
チンピラは派手にすっ転び、勢い余って騎士団の隊長に激突した。
その衝撃で、チンピラの腰にねじ込まれていた『腐ったリンゴ』が潰れ、悪臭を放つ果汁が隊長の白銀の鎧にベチャリと弾け飛ぶ。
「き、貴様ぁぁっ!! スラムのゴミ屑が、この神聖なる鎧に汚物を投げつけたな!!」
「ち、違う! 俺じゃねえ、後ろから急に蹴られて——」
『システム:【スラム派閥】から【王都派閥】への攻撃(毒属性:腐ったリンゴ)を検知しました』
『エリア内の派閥敵対関係を更新します』
俺の視界の端で、透明なシステムログが流れた。
次の瞬間。
「反逆だ!! スラムのネズミ共が我々に牙を剥いたぞ! 全員、斬り捨てろ!!」
「ひ、ひぃぃっ! や、やめろ! ……クソッ、やられる前に殺れェ!!」
隊長がチンピラを斬り捨てたのを皮切りに、プログラムが完全に暴走した。
ただ怯えていたはずのスラムの住人たちの目が、突然「赤色(敵対状態)」に発光し、農具や瓦礫を手に取って狂ったように騎士団に襲いかかり始めたのだ。
「うおおおおおっ! 王都の犬共をぶっ殺せェ!!」
「な、なんだこいつら!? 狂ったか!? 陣形を組め!!」
数秒前まで静かだった大通りが、怒号と悲鳴が飛び交う凄惨な戦場(大暴動)へと変貌した。
騎士団は押し寄せるスラムの住人たちの対応に追われ、闇市場へと続くバリケードは完全に無人(ガラ空き)となった。
「よし、ヘイト伝播成功。道が開いたな」
俺はパンパンと手を叩き、暴動の中で血飛沫が舞う大通りを、何事もないかのように悠々と歩き始めた。
「……ッ!!」
シルフィアは、その地獄絵図を震える瞳で見つめていた。
彼女にはシステムログなど見えない。彼女の眼に映ったのは、たった一つの『腐ったリンゴ』から始まった、信じられない光景だった。
(主様は……あえて『腐った果実(王都の腐敗の象徴)』を用い、虐げられていた民の心に火を点けたのだ……!)
シルフィアの背筋を、強烈な戦慄が駆け抜ける。
(何百年も虐げられ、抗う気力すら奪われていたスラムの民たち。彼らが今、恐るべき正規の騎士団に向かって、命を懸けて立ち向かっている。主様が起こした小さな波紋が、彼らの魂の底にあった『怒り』を呼び覚ましたのだ……!)
「主様……!」
シルフィアが、俺の背中を追いかけながら、熱に浮かされたような声で叫んだ。
「あなたは、ただの破壊者ではないのですね。偽りの平和に安住する王都を焼き払い、虐げられた者たちを真の自由に導く……。このスラムの暴動は、あなたが告げた『革命の始まり』なのですね!」
「ん? 革命? 何言ってんだお前。ただ邪魔なNPCのタゲ(攻撃目標)を分散させただけだぞ。ほら、早く闇市場に入らないと暴動の処理落ち(ラグ)で進めなくなるぞ」
俺は暴動のど真ん中を、頭のフライパンに当たる流れ矢(すべて無効化)をカンカンと弾きながら、足早に闇市場のテントへと滑り込んだ。
世界を救う勇者どころか、一つの街を意図的にパニックに陥れた最低の放火魔。
しかし、シルフィアの瞳に映る俺の背中は、もはや「世界を変革する真なる王」のそれへと昇華されていた。
王都の地下から始まった亀裂は、今まさに、この国の歴史そのものをバグの渦へと飲み込もうとしていた。




