悪魔との良い契約
ある日。残業を終えた帰り道。悪魔を名乗る男が現れた。
男は、ビジネスマンのようにスーツを着込んでいた。俺のスーツよりもよっぽど上等で、なんだか少し悔しかった。
「やぁ、こんばんわ。貴方の寿命一年分で、使いきれないほどの大金を授けましょう。そうですね、例えば一兆円はどうですか?」
「一兆円だって!?まさか、そんな美味い話があるものか……」
男はしばらくの沈黙ののち、笑顔を崩した。項垂れ、ため息をつくその姿は、くたびれたサラリーマンそのもので、少し親近感が湧いた。
「あー、実は、廃業するんですよ。だから閉業大セールってやつですよ」
「廃業?悪魔に廃業なんてあるのかよ」
「まぁ、イロイロあるんです。で、どうです?誰にでも声をかけてるわけではないんですよ?」
そう言われると悪い気はしない。酔っ払いの戯言だったとしても興に乗ってしまえば良い話のネタになるだろう。
「わかった。じゃあ俺の寿命を一年やるよ」
男はそれを聞いて安心したように笑うと、俺の手を握って何度も頭を下げた。
「おお、話が分かる方だ。契約成立です。ありがとう。ありがとう」
「いや、話が本当ならな」
手を振り払うと、男は失敬と、照れながら頭を掻いた。
「家に帰ったら預金通帳を確認なさい。確かに一兆円入ってるはずですよ」
「はは、分かった分かった……あ?」
もう目の前に、悪魔はいなかった。
狐に摘まれた気持ちでアパートに帰る。電気とテレビを点けると、寂さも多少は紛れるというものだ。シャワーを浴びて、冷蔵庫から発泡酒を取り出して、カップ麺にお湯を注ぐ。侘しい毎日のルーティンだった。
ああ、そういえば通帳なんてどこにしまい込んでいただろうか。カップ麺の待ち時間の三分間でごぞごそと押入れの中を探った。
「確かこの辺に……。ああ、あったあった」
最後に記帳したのはいつだったか、朧げな記憶にため息をつきながらも、おもむろにそれを開く。
「……は?」
横一列に0の数が12個。
通帳を閉じ、深呼吸をしてからもう一度開く。
変わらぬ一兆円の表示。
いや、いや……。まだだ。まだぬか喜びをしてはいけない。何かとんでなく手の込んだイタズラという可能性もある。とりあえず、本当にこれが下ろせるのか、確認しに行くのだ。自分にそう言い聞かせて急いで財布だけ持ってコンビニのATMへと飛び出した。
※
結論から言うと、金は下ろせた。下ろしても下ろしても金が出てくる。財布に詰め込めるだけ詰め込んで、ビールやホットスナックなど食べたいものを全部買ってほくほくと家路についた。
ああ、あれは悪魔ではない。むしろ天使ではないか。一年の寿命が何だと言うのだ。長い人生これから、働かずに遊んで暮らせる。全くこれはいい買い物をしたものである。
玄関を開けると、点けっぱなしであったテレビの中で、アナウンサーが焦ったように何かを伝えていた。
「みなさん。もう一度繰り返しお伝えします!!巨大隕石があと一年で地球に激突します。ああ、なんということでしょう。地球は滅びます!滅びます!!」
あと一年だって?!。この有り余る金を、俺は自由に使わなければならないのに!あと一年で地球上の何もかも滅びるだって!?なんてことだ!!
いや、待て、一年じゃない。その一年を俺はすでに……。
その事実に俺は青ざめた。
胸がズキリと痛み、その場に倒れ込む。
「悪魔め……」
それが俺の最後の言葉だった。
了




