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異世界恋愛の短編集!

嫁ぎ先が修羅場すぎたので、静かに逃げる予定でした

作者: 葉月いつ日
掲載日:2026/02/04

 ◇〜第一章:修羅場の中の“幽霊嫁“〜◇



「あら、まだ生きていたの? この役立たずの泥棒猫が」


 朝食の席に着いた途端、義母の鋭い声が飛んだ。

 夫となるはずだった侯爵家の次男エドワードは、若い侍女の腰を抱き、下品な笑みを浮かべていた。


 私、エルゼ・フォン・ローゼンタールは──没落寸前の実家を救うために、この“呪われた侯爵家“に嫁いできた。


 侯爵家は、辺境で魔獣討伐に成功した下位貴族の戦果を、“報告書の不備“を理由に握り潰し、その功績を自家の騎士団のものとして王都に提出していた。


 勲章と褒賞は侯爵家へ渡り、本来の功労者は、次の年、理由も告げられぬまま領地を没収された。


 また、侯爵家に二十年以上仕えていた老執事は、帳簿の不正に気づいた翌月、横領の濡れ衣を着せられて追放された。


 証拠として提出された帳簿は、彼の筆跡に酷似した“別の文字“で書き換えられていたらしい。


 老執事は処刑を免れたが、家族ごと辺境へ送られ、それきり消息は途絶えた。


 そんな噂も世間から薄れた頃、私は実家の“救済“という形で嫁ぐこととなった。

 しかし、待っていたのは地獄だった。

 義母は嫌がらせを生き甲斐にし、夫は別の女を館に連れ込み、使用人たちまでが私を“幽霊嫁“と呼んで蔑む。


(……うん。予定通りね)


 私は無表情で紅茶を啜った。


 実は、私は最初からここに留まるつもりなどなかった。

 結婚契約書の裏に、夫の不貞が認められた場合は即座に“多額の慰謝料と共に離縁できる“という一文を、魔法契約で密かに組み込んでいたのだ。


 今の私は、逃亡資金を貯めながら、証拠集めに励む“静かな観察者“。

 一ヶ月後には、隣国の港町でパン屋でも開いて、のんびり暮らす計画だった。



 ◇〜第二章:予期せぬ“最強の番犬“〜◇



 離縁まであと三日。

 私は夜中の館を抜け出し、庭園の隅にある隠し蔵で最後の証拠品を探していた。


 そこへ、突如として冷たい殺気が背後から迫る。


「……こんな時間に、何をしている?」


 振り返ると、そこには月光を浴びて銀色に輝く髪を持つ男が立っていた。

 この侯爵家の長男であり、戦場では「氷の死神」と恐れられる次期侯爵、アルベルト・フォン・ノアール。


 屋敷の修羅場に嫌気がさし、別邸に引きこもっていたはずの彼が、なぜここに。


「アルベルト様……。ただの散歩ですわ」

「嘘だな。君の瞳は、逃げ場所を探している小動物と同じだ」


 アルベルトがじりじりと距離を詰めてくる。

 私は逃げ場を失い、冷たい石壁に背をつけた。

 彼は私の頬に手を添え、低く甘い声で囁いた。


「エドワードのような屑ではなく、私を選べば良かったものを。……エルゼ、君をこの地獄から連れ出せるのは、私だけだ」

「……えっ?」


 逃げる予定だった私の脳内に、激しい警報が鳴り響いた。



 ◇〜第三章:静かな逃走、鮮やかな強奪〜◇



 三日後の深夜。


 私は全ての書類を抱え、メイドの服に変装して勝手口から飛び出した。

 外には、逃走用の馬車が待っているはずだった。


 しかし、そこにいたのはオンボロの馬車ではなく、黒塗りの豪華な王室馬車だった。

 御者台から降りてきたのは、なんとアルベルト本人である。


「お、お待ちになって。私の手配した馬車は……」

「あんなガタのきている馬車は返しておいた。君の行き先は隣国の港町ではなく、私の領地――北方の星降る城だ」


「……どうしてそれを!?」

「君が夜な夜なパンのレシピを書き溜めているのを見ていたからな。……エルゼ、逃げるのは許可するが、私の腕の中から逃げることだけは許さない」


 彼は有無を言わさず私を横抱きにし、馬車へと運び込んだ。


 そのまま馬車は猛スピードで走り出す。

 背後から、甲高い悲鳴が夜気を切り裂いた。


「エルゼがいない!? どういうことなの、あの女!!」

「ま、待て! 帳簿は!? 金庫の書類が……!」

「証拠が消えているだと!? 誰が、いつの間に……!」


 義母の金切り声と、使用人たちの狼狽した叫びが重なり合う。

 やがて──


「追いなさい! 今すぐ馬車を出しなさい!!」

「無理です奥様! 門番が……門番がもう……!」


 必死な絶叫も、怒号も、混乱も、すべては遠ざかり、夜の闇に溶けていった。



 ◇〜第四章:予想外の甘い監禁生活〜◇



 北方の城は、修羅場の侯爵邸とは真逆の、静かで美しい場所だった。

 私はそこで“静かな隠居“を始めるつもりだったが……現実は全く違った。


「エルゼ、今日は新作のクロワッサンを焼くのだろう? 最初に食べるのは私だ」


 朝、目を覚ますと、隣には上半身を晒したアルベルトが、当然のように寝そべっている。

 戦場での冷徹な姿はどこへやら、彼は今や、私にべったりの“甘やかし旦那“に変貌していた。


「アルベルト様、近すぎます。……あと、私は逃げる予定だったんです。パン屋を開く資金だって……」

「資金なら私の金庫を自由に使えばいい。店も城の敷地内に建てた。……君がパンを焼くなら、私はそのパンを世界で一番愛する客になろう。そして、君を世界で一番愛する夫になる」


 彼は私の指先に、一つずつ丁寧にキスを落としていく。

 その瞳に宿る熱っぽさに、私の心はとっくにパンのようにふわふわに膨らんでいた。


「……ずるいです。あんな修羅場にいた私なのに、こんなに甘やかして」

「三年間も耐えた君への、一生分の報酬だと思って受け取れ」


 彼はそう言うと、私の唇を甘く、深く塞いだ。

 逃げる予定だった港町での静かな暮らしよりも、この強引で甘すぎる英雄の隣の方が、ずっと心地よい。


 嫁ぎ先が修羅場すぎたので、静かに逃げる予定でした。

 けれど、連れ去られた先で待ち構えていたのは、一生かかっても返しきれないほどの、極上の“溺愛“という名の罠。


「……分かりました。もう、どこにも行きませんわ。大好きな、私の旦那様」


 私が観念したように囁くと、最強の死神は、世界で一番幸せそうな少年のように微笑んだ。



 ◇〜第五章:城下町のパン屋と、世界一物騒な常連客〜◇



 アルベルト様の宣言通り、城のすぐそばに私の小さなお店【エルゼの籠】がオープンした。


 逃亡先でひっそり焼くはずだった私のパンは、今や北方の領民たちに愛される名物になっている。


 ……けれど、一つだけ困ったことがある。


「おい。今の男は誰だ。君のパンを見ていたのではなく、君の手を凝視していたようだが」


 店の開店から閉店まで、入り口付近の特等席に陣取っているのは、この地の領主であり私の夫であるアルベルト様だ。


 軍服を脱ぎ、少し着崩したシャツ姿でさえ隠しきれない覇気が、一般のお客さんを震え上がらせている。


「アルベルト様、あの方はただの常連の木こりさんです。パンの焼き色を確認していただけですよ」

「……焼き色だと? 私以外の男が君の仕事ぶりに見惚れる必要はない。そのパンは全部買い占める。今すぐ店を閉めて城へ帰るぞ」

「まだお昼前です! 買い占め禁止って言ったじゃないですか!」


 私が頬を膨らませて抗議すると、彼は周囲の目を気にする様子もなく、カウンター越しに私の腰を引き寄せた。


「エルゼ、私は君を独占するためにあの地獄から奪ったんだ。パンの香りに混じって、他の男の視線が君に触れるだけで、私はこの城下町ごと氷漬けにしたくなる」


 耳元で囁かれる独占欲の塊のような言葉に、顔が熱くなる。

 逃げる予定だった頃の私は、こんなに情熱的に愛される未来なんて、想像すらしていなかった。



 ◇〜第六章:侯爵家の没落〜◇



 私が北方の星降る城に身を寄せてから、ひと月も経たぬうちに、王都は騒然となった。


 発端は、アルベルト様が王宮に送りつけた一式の書類だった。


 ──あの夜、私が侯爵家から持ち出したものだ。


 過去十数年分の戦功報告書、改竄された帳簿の原本、そして──侯爵家の印章が押された密約文書。


 “不備“として切り捨てられてきた下位貴族たちの名が、そこには一人残らず記されていた。


 調査は、異例の速さで進んだ。

 否定し続けていた侯爵は、王宮の尋問の席で、自らの家紋入り帳簿を突きつけられ、ついに言葉を失ったと聞く。


 追い打ちをかけるように、かつて追放された老執事の家族が生存していることが判明した。

 辺境で密かに保護されていた彼らは、王都に呼び戻され、帳簿の筆跡と改竄の手口を証言した。


 結果は、覆しようがなかった。


 侯爵家は、戦功詐取、虚偽報告、王国資金の横領、そして複数の冤罪事件への関与を理由に、爵位剥奪。

 領地は没収され、財産は王家管理下に置かれた。


 義母は責任を他家に押し付けようとして失敗し、王都追放。

 エドワードは逃亡を図った末に捕らえられ、騎士資格を永久に剥奪された。


 かつて私を“幽霊嫁“と嘲った屋敷は、今では封鎖され、

 夜ごと、無人の館にだけ灯りが揺れるという。


 ──呪われていたのは、家ではない。


 罪を重ね続けた者たちの心、そのものだったのだ。



 ◇〜第七章:星降る夜の“本当の契約“〜◇



 ある夜。

 北方の空に満天の星が広がった。


 アルベルト様とバルコニーで温かいワインを飲んでいると、彼がふと思い出したように、一枚の古びた紙を取り出した。


「これ……私が侯爵家に置いてきたはずの、離縁届?」

「ああ。あのゴミ山──実家──から回収しておいた。……エルゼ、君はこれを武器に、自由になるつもりだったんだろう?」


 私は頷いた。

 その紙があれば、私は誰にも縛られない“自由なパン職人“になれるはずだった。


 アルベルト様は、その紙を目の前で細かく破り、夜風にさらった。


「アルベルト様!?」

「あんな汚らわしい名前が並んだ契約は、もういらない。……代わりに、これを」


 彼が差し出したのは、銀色の刺繍が施された新しい羊皮紙。

 そこには、彼の手書きで新しい誓約が記されていた。


【一、アルベルト・フォン・ノアールは、生涯エルゼを唯一の愛として守り抜く】

【二、エルゼが焼くパンを、一番近くで愛でる権利をアルベルトに与える】

【三、エルゼの自由を奪わない。ただし、彼女が泣きたい時と甘えたい時だけは、私の腕の中に監禁する】


「……これ、契約書じゃなくて、ただの愛の告白じゃないですか」

「契約だ。破れば私が君に一生尽くすという、逃げ場のない契約だ」


 彼は私の薬指に、北方の星空と同じ色をしたサファイアの指輪を嵌めた。

 かつての冷たい政略結婚の指輪とは違う、重くて、熱くて、愛おしい重み。


「エルゼ、逃げるのはもうやめだ。……君の居場所は、ここにある」

「……ええ。もう逃げません。あなたがこんなに甘い罠を仕掛けるから、私はもう、ここでしか生きていけなくなってしまいました」


 私は彼に寄り添い、その温かな胸に顔を埋めた。


 修羅場の先で見つけたのは、パンのように香ばしくて、蜂蜜のように甘い、終わりのないハッピーエンド。


「愛しているよ、私の可愛い職人さん」


 星が降る夜、私たちは新しい契約を、幾度目かの深い口づけで封じ込めた。



 〜〜〜〜fin〜〜〜




貴重なお時間を使ってお読み頂き、本当に有難うございました。

興味を持って頂けたならば光栄です。


作者のモチベのために☆やいいねを残して頂くと幸いです。感想などもお待ちしております。

ブクマ頂けたら……最高です!


シリーズ『異世界恋愛の短編集!』の中の作品も、合わせてお楽しみください。

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― 新着の感想 ―
アルベルトとエドワードの関係がよくわからない。 兄弟?親子? アルベルトは侯爵家の長男で、次期「公」爵? エドワードは現侯爵? 「……こんな時間に、公爵夫人が何をしている?」 って、エルゼは侯爵家に…
野放しにしていた無能な王様も反省して貰わないとね。
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