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Episode16 世界の見え方

 魔獣騒動から一時間後。混乱していた学園は、ようやく落ち着きを取り戻しつつあった。

 講堂へ避難していた生徒や来賓たちには、教員から安全が確認されたことが告げられ、安堵のざわめきが広がる。念のため、生徒たちには一度教室へ戻り待機するよう指示が出された。

 廊下を移動中、疲れた顔の生徒たちが小声で騒動のことを話しながら歩いている。割れた窓や倒れた備品が、まだ事件の痕跡を残していた。

 生徒たちは反対方向では、ロベリアとカルミアが講堂へと向かい、並んで歩いていた。


「あの、ロベリアさん」


 カルミアは少し不安そうに口を開く。


「拘束した人たちを、トレニアに任せてしまって……大丈夫でしょうか」

「……学園の入口には、フィグが待機している。合流すれば問題ないだろう」


 淡々とした口調だったが、その言葉には妙な安心感があった。


「そう、ですよね」


 しばらく歩いたところで、ロベリアは足を止めた。


「ここから先は一人で戻れ。……私は別の用事が出来た」

「わかりました。あの、ロベリアさん」


 カルミアは俯いた顔を上げ、ロベリアに視線を合わせる。


「ありがとう、ございますっ」

「別に礼を言われる事など、私はしていない。それとカルミア……近々会議が行われる。詳しい事は後で知らせるが、その日は授業を休み、会議に出席するんだ」


 そう言い残すと、ロベリアは廊下の分岐へと消えていった。残されたカルミアは、再び足を動かす。しばらく進んだ先で、廊下の奥から、数人の生徒がこちらへ歩いてくるのが見えた。

 近づくにつれ、その顔に見覚えがあることに気づく。セシルたちだった。

 別れた場所で再び合流すると、セシルがカルミアに話しかけて来た。


「お前、よく無事だったな」

「は、はい……」

「まあ、あの人と一緒だったから当然か」

「あ、う、うん……」


 歯切れの悪い相槌だった。本当の事を言える訳も無く、ただ話に合わせて首を上下に振る。

 ふと周囲を見渡した時、ある事に気づいた。


「あの、アイリスさんは?」


 セシルは不思議そうに眉を上げた。


「会ってないのか?」

「え?」

「途中まで一緒だったんだけどさ。先に戻るって言って、俺たちと別れたんだよ」


 カルミアは首を横に振る。


「見てないです……」

「アイツ、昔から一人で行動する事が多いんだよな。ションベンでもしてんのか?」

「(アイリスさん……どこへ行ったんだろう)」


 カルミアは歩いた道を振り返り、胸の奥で小さな不安が残る。

 ――その頃。学園の中央棟から少し離れた渡り廊下を、ロベリアは静かに歩いていた。

 生徒たちのざわめきはここまで届かず、廊下には風が吹き抜ける音だけが響いている。彼は歩みを止めることなく、窓の外へ視線を向けた。

 校庭では、教員たちが破壊された設備の確認を始めている。


「どうやら私は、誰かに後を付けられる体質のようだな」

「……」

「少しなら、話に付き合いますよ」


 ロベリアがゆっくりと振り返る。するとそこには、いつからいたのか――アイリスが静かに立っていた。廊下の窓から差し込む光が、彼女の表情を半分だけ照らしている。


「あなたに、聞きたいことがあります」

「答えられる質問なら、話しましょう」

「……単刀直入に言います」


 アイリスの瞳は真っ直ぐとロベリアを見ていた。


「ロベリアさん、あなたはいったい――何者ですか」


 二人の間に一瞬の沈黙が生まれる。


「言ったはずです。私は、ただの古本屋の店主だと」

「そんなはずありません!」


 アイリスは声を荒げる。


「あなたは知るはずのない事を知っています! それに、派生魔法を無詠唱で発動していました。派生魔法の無詠唱は高度な技術……それこそ」


 一瞬、言葉をためる。


「七賢人、もしくは――魔女クラスの人物でなければ、説明がつきません」

「……私から言える事は一つだけ」


 ロベリアは再び窓の外へ視線を向けると、低い声でアイリスに告げる。


「これ以上の詮索は野暮です」


 その言葉にアイリスは何かを感づいた。


「もしかして……知っているんですか。あなたは、お姉ちゃんの……居場所、を――」

「……さあな」


 アイリスは話の途中で強い眠気に襲われ、その場に倒れる体制で眠ってしまった。

 二人の間に「チリーン」とベルの音が鳴り響く。

 ロベリアは小さく息を吐いた。


「案外、あっさりと眠ってくれて助かった」


 鳴り響くベルの音とは別に「はい」と落ち着いた女性の声が混じった。同時に彼女の背後からベルを片手に持つ女性が姿を現した。


「どうやら、無我夢中で、音には気づいていなかったようです」

「セルリア、彼女を保健室まで運んでくれ。道中、誰かに見られないように気を付けろよ」

「ご安心ください、ロベリア様。わたくしは、隠密行動に自信が有りでございます」

「……言っておくが、その魔道具はすぐにしまえ。生徒全員に使われたら、たまったもんじゃない」

「御意」


 セルリアは眠ったアイリスを軽々と担ぐと、周囲に人の気配がないことを確認し、その場から静かに姿を消した。

 ――数分後。

 保健室の白いカーテンが、窓から入る風にゆっくりと揺れている。消毒液の匂いが漂う静かな部屋の中で、ベッドに横たわっていたアイリスのまぶたがわずかに動いた。

 ぼんやりとした意識の中で、視界がゆっくりと焦点を結んでいく。


「……ん」


 身体を起こそうとした瞬間、隣から落ち着いた声が聞こえた。


「目を覚ましましたか」

「……フローレンス、先生?」

「ここは保健室ですよ。廊下で倒れているのを見つけましてね、ここまで運びました」


 ベッドの横の椅子に腰掛けたフローレンスが、穏やかな笑みを浮かべていた。


「……ありがとうございます」


 アイリスは小さく頭を下げる。だが、頭の奥が妙に重い。


(……あたし、なんで倒れたんだっけ)


 記憶を辿ろうとするが、どうにも思い出せない。


「魔獣騒動の後ですからね。きっと疲れが回ってきたのでしょう。もう少し休んだ方がいい」

「あの……あたし、どれくらい眠っていましたか?」

「うーん……二時間くらいですかね」


 落ち着いた口調のまま続ける。


「心配はいりません。皆さん無事ですよ」

「……よかった」


 胸の奥の緊張が、ようやく少しほどけた……その時だった。保健室の扉が勢いよく開いた。


「アイリスさん! 大丈夫ですか!」


 飛び込んできたのはカルミアだった。


「カルミア……あなたこそ、大丈夫なの? あたしたちとは、別行動だったけど」

「は、はい! その、うまくやり過ごしたって感じです」

「そう、無事なら良かったわ。それより……」


 アイリスの視線をカルミアの後ろへ向ける。


「あんたも心配して来てくれたの? セシル?」


 壁にもたれかかっていたセシルが、わざとらしく視線を逸らす。


「べ、別に俺は……ただ、偶然通りかかっただけ、だからなっ!」

「相変わらず、素直じゃないわよねー」


 アイリスはくすりと笑う。


「そんなんだから、みんなに誤解されるのよ」

「お前なぁ……心配して様子見に来てやったのに、その態度はなんだよ!」

「あれれー? 偶然通りかかったんじゃなかったんですかー?」


 アイリスはわざと首を傾げる。


「おまっ! 今すぐ表に出ろよ、ぶちのめしてやる!」

「やーよ」


 軽口を叩き合う二人を見て、カルミアは少し安心したように笑った。途中で、フローレンスが穏やかな声で割って入る。


「それでは、僕は用事があるので……後はカルミアくん、セシルくん。頼みましたよ」


 フローレンスは立ち上がり、柔らかく微笑む。そして、保健室を静かに後にした。

 廊下を歩きながら、彼の脳裏には――二時間前の出来事が、静かに蘇っていた。


◇ ◇ ◇


 ――フローレンスが、アイリスを保健室へ運ぶ少し前。

 午後の講義は中止となり、来賓たちは学園側の案内に従って、順々に校門へ向かっていた。

 突然の騒動を経たばかりの列は、どこか落ち着かない。誰もが小声で先ほどの魔獣騒動について囁き合い、時折、不安げに校舎を振り返っている。

 その人の流れに紛れるように、ロベリアもまた門へと歩いていた。

 門の近くまで来たところで、彼はふと足を止める。人目につかない石壁の陰に、フローレンスが静かに立っていた。


「……魔石は破壊した。だけど、破片の回収までは出来なかった」


 フローレンスは表情を変えないまま、小さく息をつく。


「出所は、拘束した二人に聞く。もっとも……あまり収穫は期待できなさそうだが」

「そうだね」


 短い沈黙が落ちた。


「ひとまず依頼は達成した。じゃあ、僕たちはこれで――」

「いいや」


 ロベリアが言葉を遮る。


「もう一つ、追加の依頼だ」


 フローレンスは眉をわずかに下げ、困ったように笑った。


「追加って……いくら古い友人だからって、人使いが荒いよ」

「……カルミアたちのクラスに、一人だけ異質な魔力を感じた」

「相変わらず規格外の魔力探知だね」


 軽口のようでいて、そこには本心からの呆れが混じっていた。


「それで、その子の名前は分かっているのかい?」


 ロベリアは講堂へ続く校舎の方へ視線を向ける。


「薄紫の髪をした少女だ。名前は――ロア」

「まあ、ひとまず警戒はしておくよ」


 アザミの返答はあくまで穏やかだった。


「それともう一つ、アザミ。お前に聞きたいことがある」

「なんだい?」

「どうして、トレニアを連れてきた?」


 風がひとつ、二人の間を吹き抜ける。フローレンスはすぐには答えず、少しだけ視線を落とした。


「……今のカルミアくんには必要だと、僕は思ったからだよ」

「事前の計画にはなかった。勝手な真似はするな」


 ロベリアの声音は冷たい。だがフローレンスは、そんな態度にも慣れているのか、小さく肩をすくめるだけだった。


「ロベリア。君はカルミアを、どう見ている?」

「……何?」

「仲間として。親として。あるいは教え子として」


 フローレンスは、静かにロベリアを見る。


「僕は後者だ。君が見ている世界が違うんだよ」

「世界……か」

「厳しいだけじゃ、人は成長できない。……それと、優しすぎるのもまた同じ事だ」

「お前は何が言いたいんだ?」

「もっと素直になるべきってことさ」


 フローレンスはふっと笑う。


「そんな性格だから、昔から女の子に好かれないんだよ。君は」


 ロベリアは呆れたように息を吐いた。


「……ああ、そうだ。さっき廊下でアイリスと鉢合わせをした。今は保健室で眠っている」

「それって、魔道具を……?」

「記憶が曖昧になっているのは好都合。うまく話を合わせておけ」


 それだけ告げると、ロベリアはアザミの返事を待たずに背を向ける。そのまま来賓の列へ紛れ込み、何事もなかったかのように学園を後にしていった。

 残されたアザミは、その背中をしばらく見送っていた。やがて小さく肩を落とし、苦笑する。


「まったく……君の勝手な行動も、昔から変わらないじゃないか」


 彼の呟きは、夕暮れの風にさらわれるように消えていった。

魔法学園編も、いよいよ後半へ突入です。

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